1958年
さきに近鉄入りが決定していた益田産業の福原勝投手(18)は二十六日実父孫市さんと大阪阿倍野の同球団事務所で大北代表立ち会いの下に正式契約を行った。背番号37。同投手はこの夏の甲子園大会に出場、一回戦で松阪商業に4-0で敗れてはいるが、本格派の速球投手として早くから注目されていた選手である。身長1㍍82、体重72㌔、右投右打。
福原投手の話 巨人、西鉄、大毎、広島からも話がありましたが近鉄にお世話になることにきめました。近鉄を選んだのは働きやすいチームだからです。これでプロ一年生になったわけですが、すぐに第一線に立ち、登板できるようまた板東、河村君などにも負けないよう努力します。
大北代表の話 夏の大会を終わったあと、すぐ交渉したが実にスムーズにいった。かれは本格派の速球投手だけにその将来を大いに期待している。
さきに近鉄入りが決定していた益田産業の福原勝投手(18)は二十六日実父孫市さんと大阪阿倍野の同球団事務所で大北代表立ち会いの下に正式契約を行った。背番号37。同投手はこの夏の甲子園大会に出場、一回戦で松阪商業に4-0で敗れてはいるが、本格派の速球投手として早くから注目されていた選手である。身長1㍍82、体重72㌔、右投右打。
福原投手の話 巨人、西鉄、大毎、広島からも話がありましたが近鉄にお世話になることにきめました。近鉄を選んだのは働きやすいチームだからです。これでプロ一年生になったわけですが、すぐに第一線に立ち、登板できるようまた板東、河村君などにも負けないよう努力します。
大北代表の話 夏の大会を終わったあと、すぐ交渉したが実にスムーズにいった。かれは本格派の速球投手だけにその将来を大いに期待している。