プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

有町昌昭

2016-09-05 22:22:56 | 日記
1955年

今シーズンのカードで三度延長にもつれ込んだのが全部十一回で西鉄の勝ちとなっている。毎日にとってこのニガ手の延長に初の勝星をたたき出したのは新鋭有町昌昭遊撃手の二百五十球目、三十三㌔半の白バットだった。有町は九回から岡田に代わって出場したので彼として初の打席。しかもその前に島田の右前安打が出ながら二塁からルイス(四球出塁)が本塁に刺されていた「打席にはいるときは足がふるえてどうしようもなかったです」と童顔をほころばすプロ二年生である。だがカウント1-1で川崎から大津に代わったときはこれはとむらむらと野心がわいたそうだ。「川崎さんのチェンジ・オブ・ペースよりは大津さんの力で勝負して来る方が打ちやすいような気がした。その前の1-0でヒット・ランのサインが出ていた。つぎの球が外角はるかにはずれて手が出なかった。あのときはしまったと思ったが捕手の永利さんがおよび腰でとったので二塁に投球出来なかったのでツイていたんです」とけんそんする。「大津からファウルを一つねばった2-1後の四球目、カーブを予測していたがカーブではいって来るコースから曲がらずに真直ぐ来たので夢中で振った。あるいはウエストの投げそこないかもしれない」(有町選手談)そうだ。小倉高出身、五尺四寸、十七貫、右投右打、二十歳。
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秋本祐作・田中守

2016-09-05 21:58:29 | 日記
1961年

勝った秋本は「ナイス・ピッチング」と自分でいいながら田中(守)人見に握手を求めた。「南海にはオレが投げんと勝てんのや」阪急で一番ずぶとい根性の持ち主らしい言葉だ。「ブルペンでスピードボールにのびがなかったし、一回にポンといかれたからな。これはいかんとあとはスピードを抜いた。よかったのはシュート、内角をついてからスライダーを外角に投げたんだ。スロー・カーブ?カウントをかせぐだけだがみんなうまく泳いでくれたよ」変化球ばかり投げた秋本の右手人差し指には大きな血マメができていた。南海にはオレやというものの南海に勝ったのは一昨年六月九日の対十回戦、2-0で完封して以来だ。「タケ(人見のこと)の本塁打もきいたけど、四回の田中さんの一発はうれしかったね」その田中(守)は小柄な秋本の横で大きなからだを小さくしている。というのは四回満塁で打ったのが今シーズンはじめてのタイムリーだったからだ。「本塁打が一本あるからな。これで打点4、おはずかしい次第ですよ。打ったのはカーブだったと思う。コース?真ん中だろうよ。とにかくタイムリーが1本もなかったんだからね。なんとかしてでもと思っていたのがあんな大それたことになって」大下コーチは「技術的にいう必要はない。田中はていねいに打ち出せば絶対三割打者になれる」とキャンプ中にいっていたことがある。三割打者にはほど遠いが「ことしは力をいれずミート打法に切りかえた。一球一球が勝負のつもりで気合いをいれているんだ。昨年まではあのカーブが打てなかった」2-1からの低目のボールを前で合わせただけ。大下コーチは「あれでいいんだ、あれでいいんだ、忘れるな」と何度もいっていた。
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五井孝蔵

2016-09-05 21:26:35 | 日記
1955年

さきに近鉄の任意引退選手となった五井孝蔵投手(28)=立大出身=は十二日日本コロムビアに入社した。同選手は昨年暮ごろから阪急、ユニオンズへの移籍交渉が行われていたが、プロは性格にあわないとノンプロ入りを希望、日本石油、トキコ、コロムビアなど十数チームの中からコロムビアを選んだもの。

五井選手談「好きな野球が出来るプロに期待をもって入ったが、五年間やってみてやはりプロは肌にあわなかった。その意味でユニオンズの浜崎さんから好意ある話があったがおことわりした。いままでの派手なプロと違ってこれからは苦しいだろうが、倉庫番をしてでも茨の道を切り開きたい。ノンプロに入ったからにはそこで一生をおくる覚悟で、現場などを見た結果、世間には知られていない地道な仕事のあるコロムビアを選んだ。選手としてはいま一度プレートで花を咲かせたい」
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山本久夫

2016-09-05 21:07:58 | 日記
1961年

頭のうしろに小さなハゲがある。八回ボックスに立ったとき、それをひどくヤジられた。「なんという人ですかねえ。杉下さんとならんで見てた人ですよ」緊張した試合のなかでヤジった相手の顔をちゃんと覚えている。相当な心臓だ。プロへはいるとき両親たちは「オマエみたいなおとなしいものにプロの選手はつとまらん」と、とめたが、一面「いったんこうと思い込んだらなかなかかえん方です」という勝ち気なところもある。八回の安打はイン・コース高目のストレートだったそうだ。「いま右ワキ腹のスジを痛めていてコンディションはよくないんです。ツイていたんです。あの安打だってバットの根っこにあたったヤツで・・・」まだ方言が抜けない。山口県徳山出身、実家はそこで三十人ほどの職工を使って造船業をやっている。五人兄弟の末っ子。からだが小さいので野球をはじめてから手首をきたえ続けた。プロへはいっても手首の運動をしたり、マスコット・バットで素振りをしたりしていた。いまは筋肉を痛めたのでやっていないが、キャンプ、オープン戦中は毎晩バットの素振りをかかさなかった。水原監督お気に入りのルーキーで稲垣、松岡、武井の先輩をぬいて遊撃を守ったり、二塁へまわったりしている。「毎日めんくらってばかりいて・・・」と頭をかく。同じように小柄な内野手だった佐々木信也氏は「野球のセンスがある。足、肩がいいうえに頭がいい。きっといい内野手になりますよ」とタイコ判を押している。
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中川隆

2016-09-05 20:15:49 | 日記
1961年

1㍍75、65㌔の体はきゃしゃな方だ。中川は昭和二十九年プロ入りすると「力で対抗してもかなわない」からすぐ変化球の研究に没頭した。1年目のシーズンが終わると郷里の滋賀県彦根市へ帰り、高校生を相手にピッチングにうち込んだ。それも回転がはっきりわかるように自分であみ出したスミで色分けしたボールを使っていた。そのおかげで中川はフォークボールをマスターした。フォークボールを投げる投手は当時は中日の杉下(現大毎)と彼くらいだった。2年目は18勝11敗で防御率第一位(2・08)投手になった。その後は鳴かずとばずでファンからも忘れられようとしていた中川だった。ところがこの夜の中川は「リバイバル・ゲームだからね。たまにはやらなきゃ」とカラカラと笑うほどのでき。8年目のベテランでありながらまるで新人のように慎重なプレートさばきで、九回若生にバトン・タッチしたものの杉下が「打者に転向しろよ」とひやかすくらい打撃にもハリをみせた。「打ったのは高目の球かな。本塁打はあとにも先にもこれがはじめて・・・。投手はあまり打つものじゃないからね。投げる方はカーブがよかった。しかし審判はまん中へはいったカーブをとってくれないからいやになったよ。あれじゃ十人を相手に野球をやっているのと同じだ」と主審不信論(?)をトウトウと語る。中川はこれで3勝目、調子のよいころのピッチングに近づいてきたようだ。田中コーチは「いいですよ。ショート・リリーフならいちばん安定していますね。スライダーぎみの速いカーブがとくにいいですね」とやたら中川をほめていた。
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張本勲・金山勝巳

2016-09-05 19:52:35 | 日記
1960年

南海に逆転勝ちした東映ベンチはナインの笑い声でいっぱいだ。その中でも岩本監督のハリのある大声がはずんでいた。「張本の四安打がうれしかったな。金山もいい出来だった」と相好をくずす。その打の殊勲者張本が岩本監督に負けず劣らず大声でうれしそうに語る。「六回の二塁打?遠目のカーブやった。内角へは投げないとわかってたから、はじめから外角を予想していた。あとのヒットは忘れてしもうた」この日四安打、これでベスト・テンの二位にのし上がった。「実はゆうべ松木さんから注意されたんです。南海は下手投げの投手が多いからワキを少しかためて打つようにと。それを注意した」というのがこの日の大当たりの原因だという。「ベスト・テンのトップまでもうちょっとやな。いっちょがんばったろうか」と、相かわらず二年生とは思われぬ向こう気の強いところをみせ「そやけど、本塁打の出えへんのがくやしいな。きょうなんかええ風が吹いていたのにな・・・。ヒット四本打てたのはうれしいけど、本塁打が出えへんのがくやしいよ。あれはどんな負け試合でもいい気持ちやもんだ」というのを、先輩の山本(八)がおどろいた顔できいていた。一方金山はあいそのいい張本とは正反対「あまりよくなかったです」とダッグアウトのすみで静かに立ち話。「でもスライダーがいいところできいたと思う。一番つらかったのは八回の野村に打たれたとき。終盤だし、左の長谷川がバッターに出たからね。山本(八)は内角の速い球のサインをだしたけど、疲れてきたときだから自信がなかった。結局シュートを投げて打たれたけど・・。まあ寺田君が内角のシュートに手を出してうれたんで助かった」胸をはってナインの後を追う張本にくらべ、金山は「まだやっと三勝ですからね。大きなことはいえませんや」と、まるで失策をしたような態度で引きあげていった。
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