1955年
今シーズンのカードで三度延長にもつれ込んだのが全部十一回で西鉄の勝ちとなっている。毎日にとってこのニガ手の延長に初の勝星をたたき出したのは新鋭有町昌昭遊撃手の二百五十球目、三十三㌔半の白バットだった。有町は九回から岡田に代わって出場したので彼として初の打席。しかもその前に島田の右前安打が出ながら二塁からルイス(四球出塁)が本塁に刺されていた「打席にはいるときは足がふるえてどうしようもなかったです」と童顔をほころばすプロ二年生である。だがカウント1-1で川崎から大津に代わったときはこれはとむらむらと野心がわいたそうだ。「川崎さんのチェンジ・オブ・ペースよりは大津さんの力で勝負して来る方が打ちやすいような気がした。その前の1-0でヒット・ランのサインが出ていた。つぎの球が外角はるかにはずれて手が出なかった。あのときはしまったと思ったが捕手の永利さんがおよび腰でとったので二塁に投球出来なかったのでツイていたんです」とけんそんする。「大津からファウルを一つねばった2-1後の四球目、カーブを予測していたがカーブではいって来るコースから曲がらずに真直ぐ来たので夢中で振った。あるいはウエストの投げそこないかもしれない」(有町選手談)そうだ。小倉高出身、五尺四寸、十七貫、右投右打、二十歳。
今シーズンのカードで三度延長にもつれ込んだのが全部十一回で西鉄の勝ちとなっている。毎日にとってこのニガ手の延長に初の勝星をたたき出したのは新鋭有町昌昭遊撃手の二百五十球目、三十三㌔半の白バットだった。有町は九回から岡田に代わって出場したので彼として初の打席。しかもその前に島田の右前安打が出ながら二塁からルイス(四球出塁)が本塁に刺されていた「打席にはいるときは足がふるえてどうしようもなかったです」と童顔をほころばすプロ二年生である。だがカウント1-1で川崎から大津に代わったときはこれはとむらむらと野心がわいたそうだ。「川崎さんのチェンジ・オブ・ペースよりは大津さんの力で勝負して来る方が打ちやすいような気がした。その前の1-0でヒット・ランのサインが出ていた。つぎの球が外角はるかにはずれて手が出なかった。あのときはしまったと思ったが捕手の永利さんがおよび腰でとったので二塁に投球出来なかったのでツイていたんです」とけんそんする。「大津からファウルを一つねばった2-1後の四球目、カーブを予測していたがカーブではいって来るコースから曲がらずに真直ぐ来たので夢中で振った。あるいはウエストの投げそこないかもしれない」(有町選手談)そうだ。小倉高出身、五尺四寸、十七貫、右投右打、二十歳。