プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

梅本正之

2016-09-22 23:26:56 | 日記
1957年

国鉄は当っているねと藤村監督がきいていたが、国鉄は試合前から元気がなかった。巨人に三連敗したシコリが残っているのかもしれない。田所は意外に球の伸びがなかった。はじめて打たれたヒットが三回一死後の山本の左前安打であったが、梅本のバントで送られたあと、吉田を敬遠して勝負した白坂の中前安打されて山本の生還を許した。吉田もチャンスに強いが、ベテラン白坂と勝負した田所の負けであった。これは五回一死梅本の右前安打のあと、田所が吉田と勝負して左翼席へ2点ホーマーされたのでもわかるとおり、田所は吉田がニガ手なのだ。阪神の先発梅本は一回鵜飼、箱田の安打を受けて不安を感じさせていた。しかし二回から長身からの外角スライダーを生かしてうまいピッチングに入った。三回鵜飼をスライダー、佐々木を内角シュート、箱田を外角低目の速球でそれぞれ三振にうちとる好調さ。今年で三年目だし、プレート度胸も満点、ゆうゆうとしたものだった。六回二死から佐藤、谷田に連安打されたのもまるで気にしていない。国鉄は梅本にのまれたみたいで、さっぱり意気が上がらなかった。阪神は六回代わった北畑にも一死二、三塁で三宅が左中間を深く破る三塁打し、この三宅も山本のスクイズにかえるムダのない攻撃ぶり。七回大島から田宮が右中間三百五十FTのホームランをたたき込み一方的に勝った。国鉄は八回箱田が左翼席へ本塁打しただけだった。

ー耐久(たいきゅう)高というのはあまり知られていないね。
「ええ、珍しい名前だよとよくいわれます。和歌山にある相撲の強い学校です。ぼくは高校のときから野球をやり投手をやっていました」
ープロ三年生といってもいままで公式戦にはあまり出なかったね。
「昨シーズン、大洋相手に二試合、合計五イニング投げただけです。ウエスタン・リーグでは昨シーズン三勝三敗ですが、公式戦でははじめての勝星です」
ー後楽園のプレートの感じは?
「そうですね、観衆が多いのでアガりました。一回佐々木さんのライナーを三宅さんが止めてくれなかったら、あそこでくずれていたでしょう」(気が弱いんです=具井マネージャー談)
ー昨年は下からも投げていたようだが・・・。
「上からも下からもおまけに横からも投げました。しかしフォームは一定した方がいいと思って、今シーズンからスリークォーターになおしたばかりです」
ーきょうの試合では球が外角にコントロールされていたところがよかった。
「外角へ入るカーブがよく曲がったのですが、内角のカーブは思うように曲がらなかった。きょうはコントロールがあまりよくなかったので、かえってよかったように思います」
ースピードはあったと思う?
「さあ、自分では、はっきりわかりません。二軍で投げればもっと速い球が投げられると思うのですが。-あのう、もう帰ってもいいでしょうか」
五尺八寸五分、十八貫、二十一歳。
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江崎照雄

2016-09-22 22:35:42 | 日記
1957年

後楽園で二度目のマウンドを踏んだ江崎は、この日はあまり好調ではなかった。「今年大学を出た南海の木村君がもう三勝をあげているので、気分的に少しあせっていたようです。どうも思うように球がいきませんでした」しかし八回一点を取られ、なお二死二塁のピンチに代打塚本を迎えたときは、2-3から全力投球でみごと三振に倒した。「あのときは夢中でした。球はスライダーです。ボールだったのかもしれません。ウチの打線が点を取ってくれたので初めて気が楽になりました」とホッとしたように笑顔をみせる。東映はルーキーに自信をつけさせたらいかんぜと九回の最後の打者松岡に保井コーチがベンチでゼスチャアたっぷりに秘策をさずけていたが、その松岡も振り遅れのファウルを連発したあと三ゴロに終わった。「プロ入り初の一勝ですからやはりわすれられないピッチングになるでしょう」という彼を大島(毎日のキャンプ地)からわざわざ応援にきた数人のアンコさんがとり囲んで大喜びだった。
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伊奈努

2016-09-22 19:12:21 | 日記
1957年

「ツキの神様や」伊奈投手は六勝一敗、ハーラー・ダービーのトップを切っている現在の調子をこんな短い言葉で表現した。「昨年よりスピードが出たわけでもないし、フォームだってたいして変わらない。球の種類だって同じや。中山の方がぼくより防御率がいい。(1・80)ぼくは2・60)。ただ勝てる試合、勝てそうな試合に出してもらっているだけやないか」という。やわらかな声、やや面長な顔に光るロイド・メガネ。ゆったりとイスに体を沈めて語るところはちょっとした英国製の紳士。「ぼくは小さいときからアマノジャクだった。人が騒いでいるときは静かにしていて、騒ぎがおさまってからワイワイやった」話の中にもそのアマノジャクぶりがちょいちょいとび出す。だがいまの好調は、たんに運にめぐまれたわけではない。もちろんみんなが調子が悪いから、逆に調子のいいところをみせてやったのでもない。フォームにも力んだところがなく触発の危機をはらんだ場面にのぞんで、たんたんとしてのびのびと投げている今年の伊奈投手には安定感がある。彼に聞いてみよう。

ー安定したピッチングをみせているが。
「昨年、一昨年とスリー・クォーターの投法が、シュートの多投から横手に代わりコントロールがなくなって苦しんだ。今シーズンはその点心配ない」
ースタミナの配分は?
「初めから全力をつくしているがただプレートの踏み変えに注意している。ぼくの場合、全力投球でインコースの低目へきまる球が武器だから、プレートの真ん中を踏んで全力投球してみて、そこへ球がきまればプレートを踏む位置が真ん中が中心になる。後半疲れてきて球が右にそれるようだったらプレートの左ハシと適当に変えていく」
ー今後マークされる不安はないか。
「別にない。ぼくが投げられなくなってもウチには大投手がいっぱいいる」
ーこれからの目標は?
「コントロールとスタミナの配分だ」
ーニガ手のチームは?
「上位球団ほど投げやすい。小細工せず力いっぱい投げられる。打たれたって伊奈なら仕方がない。ぐらいに思ってくれるだろうしね」
プロ入り五年目、もう打たれる悲しさも勝った喜びお、それをどう受けとったらいいのかちゃんと身につけている。この無感動が彼の最大の武器なのかもしれない。
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田沢芳夫

2016-09-22 18:38:30 | 日記
1957年

試合前のベンチで南海山本監督は悩んでいた。「今夜は米田だろう。野母がダメ、皆川を使ったし木村で負けるとあとが苦しくなる」というのである。そして柚木コーチと相談してメンバー表に田沢と書きこんだ。同時に戸川、中村にすぐ投げられるような肩ならしを命じた。しかし田沢は四回十二人目の打者岡本の二ゴロを野手のエラーから生かしたのがはじめての走者。九回二死後まで3四球を出しただけでノーヒットである。打者は代打滝田。南海ベンチはもう一人だ。がんばれと自分のことのように力を入れている。しかしその大記録の夢は滝田の一撃で破られた。田沢は気の抜けたような顔をしたが、それ以上にベンチは残念がった。だがこの好投で南海は首位毎日にゲーム差なしとつめよったのである。渡辺を三振にうちとった田沢は左翼の堀井がかけよってくるまでマウンドでヒザをついたままだった。ナインに肩を抱かれるように帰ってきた田沢は皆川と肩ならしをするのもつらいようだった。「とにかくこんなに疲れたことはなかった。ノーヒットとわかったのは七回ぐらいでした。九回滝田さんが代打に出てきたときはいやな予感がしたんですよ一球目外角低目に速球でいくつもりだったんですか、逆に内角の高目に入った。やはりかたくなったんでしょうね。あんなことははじめてですからね」アセを拭きながら早い口調でいう。興奮もあるだろうが、やはり九回を全力で投げとおした疲れがあるのだろう。「カーブが悪かったので思い切って直球で勝負したんです。それに内角に入るシュートをみなつまってくれた。蔭山さんなどの好守のおかげですよ。あれだけ投げられれば満足です」昨年は十五勝をあげたが、今年はまだこれで二勝目。(二つとも阪急)しかし「夏場には自信があるので、これからはがんばりますよ」
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大脇照夫

2016-09-22 16:55:52 | 日記
1957年

平井三ゴロ、ウィニング・ボールは飯田のミットへーそのとき谷田が大脇をむかえて握手を求めた。この夜の大脇は六回まで巨人を二安打に抑え、七、八回に四安打されたがとにかく最初の一点だけに抑えてよく投げた。そして今シーズン初の完投勝利を二つ目の白星で飾った。まず大脇をリードし、そしてみずからはダメ押しのホームランを打った谷田にきこう。「七、八回はヒヤッとしましたが、今夜の大脇君ならと思っていましたし、もっとも佐藤君は十時君と宮本君の長打を右左によく走ってきれいにさばいてくれましたがね。大脇君は前半はカーブ、スライダーと速球、そのスライダーを七回宮本君と藤尾君に打たれたのでその後は全部速球でした。その後は全部速球でした。その速球は最後までよく伸びていたでしょう。申し分のないピッチングです」谷田にほめられた大脇は頭をかいて「最初球の配合をおぼえたのはいままでの横手投げを上手投げに代えたのでピッチングに自信がもてるようになりました。しかしさすがに巨人はこわいですよ」といって控室へ・・・。そこでチーム・メートに肩をたたかれ、宇野監督に「よかったぞ」とほめられていた。
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山根俊英

2016-09-22 16:28:39 | 日記
1957年

南海キラーの山根が打たれ、毎日の投手回転はますます苦しくなった。問題は後楽園に四チームもフランチャイズを持っていることからはじまる。だからかき入れ時はこの四チームが分け合って後楽園を使う。今年のお盆興行は毎日にきまった。毎日はここに西鉄、南海相手の七連勝日程を組んだ。しかし経済問題とチームのコンディションは必ずしも一致しない。運悪くも毎日投手陣はいま不調だ。それでも山根は南海に強いはずだった。毎日の七勝のうち四つまで彼の力によるものだったから。しかし「六月いっぱい痛めた肩がなおってから先発ははじめてーだがどうも手首の動きが不十分だー球が沈まない―カーブが外角にきまらんーしかしだれかが球に伸びがあるといってたなーよし、速い球でつってみるかーあっーいかんー一つも伸びないじゃないか(三回無死蔭山に中前安打。二死一、三塁から須藤のエラーで蔭山生還)-点にならないエラーならいいがーああ急に疲れたーヤマ気がいけなかったのかー南海にばかり投げているとクセも覚えられるなあ」山根はさわがしい新宿区のなかではひっそりした。十二社(じゅうにそう)という町に帰る。そんな住居の選び方が彼のピッチングの一面を語る暗い通路で荒巻投手とばったり。「山根さん、調子はどうですか?ああそうですか。エラーが痛かったですね」慰めようとした真顔の冗談だったが、山根の表情は固かった。
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滝良彦

2016-09-22 14:01:49 | 日記
1957年

オールスター戦後肩をこわし不調だった滝も久し振りに会心のピッチング。この夜はとりわけコントロールがよく、無四球、内外角にシュート、カーブ、スライダー、ドロップとあらゆる球種を投げわけて技巧派投手の本領を発揮した。ベンチに引きあげてきた滝は僚友の握手攻めですこぶるごきげん。「きょうははじめから肩の調子もよく思うコースに球が入った。追い風だったので、フライを打ちあげてヒットにならないと思って安心して投げた。気分的にも味方の先取点で最後まで楽だった。ただ九回のピンチには少しばかりドキッとしましたよ。一点差ですからね。東谷さんに打たれたのはアウトコースのストレート、それでも浜田さんがスクイズをしないと思ったのでアウトコースのスライダーで攻め、つぎの前川さんはバントを失敗したので、これは大丈夫とやはりアウトコースにつり球を投げたらひっかかった。最後の毒島さんは流そうとしたのでドロップで勝負した」とこの夜のピッチングを語る。八回に代打に出た岩本監督を三振にとったときは「いやな気持でしたね。明らかにホームランをねらっているんだから。しかし2-3から思い切ってボールを投げたらうまく空振りした」という。
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布施勝巳

2016-09-22 13:28:49 | 日記
1957年

「四回でもいい。布施がある程度投げてくれれば、あとは勝てそうなら米川を出す」というのが試合前の岩本監督の話だった。その米川がウォーム・アップをはじめたのは後半、それも七回がすぎてからのことだった。一、二回危なかった布施は三回からはみちがえるほどのピッチングをみせ、今シーズンはじめての白星、それもシャット・アウトでかざった布施は「立上りコントロールがなかったので、スピードを抜いたのがあのピンチを招いた原因です。それを切りぬけられたのはツイていたんです」と流れる汗を拭いながら、この日にとっておいたような笑顔をみせる。「三回からはカーブを多く投げた。これがよかったんでしょう。南海さんは休みすぎて調子が狂っていたようですよ。四回ごろからこれはなんとかいけそうだと感じました。しかしなにからなにまでツイているんですよ」という。その横で「お前がよく投げていたのに点がとれないからね。もし負けたら気合いを入れてやろうと思っていた」と岩本監督が布施の肩をたたきながら喜んでいた。「少しまえ右人さし指のツメを襲ったのがやっと治ったところです。ナイターになれば自信があるので、これからはなんとかやれそうです」と語る。二十四歳、色白の好青年。
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伊奈努

2016-09-22 12:46:45 | 日記
1957年

背番号17をバッターに見えるほどふりかぶり、ゆっくりしたモーションから右打者のふところに切れこむシュート、速球をビシビシきめる伊奈は、左右のちがいこそあれ小型杉下といった感じ。杉下がヒジ、徳永、大矢根が肩を痛めて中日投手陣は文字どおりどん底の低調さである。天知監督は試合前投手陣の不振を幾度もタメ息まじりに嘆いていた。しかしきょうの伊奈の出来をみて天知監督は百万の味方をえた気持だったろう。それほど伊奈はすばらしかった。四安打、一点をとられただけで完投勝利をかざった伊奈は「なにもかも井上のおかげですよ。一回吉田さんに歩かれたときはまったくお先まっくらでした。一回に三点をとっていなければとうてい九回までもたなかったでしょうね。きょうのピッチングは阪神の打撃不振にずい分助けられたものでした」と自分の好投をタナ上げにして井上を先にほめた。井上選手とは高校時代の好敵手、高校地区大会では伊奈投手が豊川高で一塁で五番を打てば、井上選手は岡崎高で遊撃を守って三番打者だった。高校時代の井上選手を「あいつはあのころからよく打ちましたよ。彼の一打で泣いた試合がよくありました。いまではよくぞ同じカマのメシを食う仲になったとホッと思っていますがね」といって明るく笑った。杉下のピッチングを目標としているそうだ。愛知県出身、二十三歳、左投左打。
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後藤修

2016-09-22 12:23:08 | 日記
1957年

あげ潮の巨人の力はおそろしいあまり目立たなかった後藤までが自信をつけて国鉄を2点におさえた。試合の終わったあわただしいベンチの中で若いバッテリーはこんな話をかわしていた。
藤尾「ブルペンでナックルをよく投げておけといったろう。あれがよかったよ。ナックルが思いどおりきまったのでリードしやすかった。ナイス・ピッチングだった」
後藤「ああ、ぼくもあれがよかったと思います。速球とドロップが効果的でした」
藤尾「君は巨人に入ったときはドロップが投げられなかった。よくマスターしたな」
後藤「ええ、藤本さんや新田さんに手をとって教えてもらったからですよ。お前は球が速いからフォームはなおさなくていいからドロップを早くマスターせよといつもいわれていました。一生懸命ですよ」
11三振を奪い、5安打に抑えたこの夜のピッチングを「出だしがよすぎたので調子にのったところをポカント打たれたのがかえってよかった。あとは慎重に投げられましたからね」と不敵に笑っていた。
松竹ー東映ー大映ー巨人とプロ生活はもう六年目になる。
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長光告直

2016-09-22 12:01:13 | 日記
1957年

「予想外のワンサイド・ゲームだったらしいね」「六回までは一進一退だったんだ。五回終わっての残塁が阪急が七、南海が八だったことでもわかるだろう」「殊勲甲にはダレをすいせんする?」「長光だね。投げては一回のピンチに円子をリリーフしてから阪急を無得点に抑え、打っては四回に先取点をたたき出し・・・というと冗談めくが、ほんとうだからしかたがない」「前半の長光はかなり打たれていたらしいじゃないか」「ウン、三回は二死一、二塁、五回にも一死二、三塁とくずれかけたんだ。そのほかにこれは円子の責任だったが、一回に二死二塁もあった。その一回と三回に二度とも苦手の左打者岡本をあっさり敬遠したのがうまく成功していたよ」「アンダースローの投手は左打者に弱いからね」「ところが五回には岡本と勝負して堂々と抑えた。かんじんなところをよくしめていたな」「長光はどういっていた?」「いちばんよいと思ったのはアウトコースに落ちるスライダーだったといっていた。岡本はケムシのようにきらいで二死から歩かすつもりだったんだそうだタイムリーは真ん中高目の速球カーブが三つくればぼくなんか三振ですよと笑っていたよ。しかし最近の長光はよく打っているよ。寺田のホームランでこれは勝てると思ったといっていた」
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河野旭輝

2016-09-22 10:46:00 | 日記
1965年

「さあ、ねらい球や。河野、なんとかしてくれや」十二回表、カウント1-3。スコアボードの時計が十時十五分をちょうどをさしていた。天保コーチの声がベンチに響いたときだ。半ライナーで左中間に決勝ホーマーが消えていった。試合後、河野は手が何本あってもたりないほどの忙しさ。きわどいところで勝ち投手、18勝をあげた石井茂、西本監督、青田ヘッド・コーチらが、つぎつぎに河野の手を握り、腰のあたりをどやしていく。「一本目は内角高いボールやな。決勝打は真ん中の直球だった」河野が一試合2ホーマーしたのは今シーズン初めて。しかも15号ホーマーは十二年という良い野球生活で三十八年、中日時代の十四本を抜く新記録。「気持ちが悪いほどボールがとぶんだ。新記録を作ったんだから二十本をねらってみようかな」最近十試合で五本を打っているいまの河野のペースからすれば、二十本は楽だ。「自分ではコンディションが別にいいとは思えないんだ。食欲も普通だし、どこといって変わったところはない。ただバットが振れているな。このところ全試合出ているので、むしろ疲れ気味なんだ」目だけギョロつかせ、ほおはこけ、顔色もさえない。体重もオールスター戦4㌔ほど減っているそうだ。「とにかくヒットの出るうちにかせいでおかないと、ここでバテた、などといえないもんね。今シーズンはなんとか八分(二割八分)は打ちたいんだ。それにしても南海さん元気がないね。ゲーム差が一ケタだったらおもしろいんだがな」と急に話題をかえ、南海の独走をくやしがるのもファイター河野らしいところだ。「これから涼しくなればまた調子があがるだろう。残り三十五試合を大事にやれば・・・。栄養剤をたっぷり飲んでな」河野は阪急きっての薬好き。新薬が出れば宝塚の薬局が注文しなくても河野の家に届けるほどだ。いまでも三種類、毎日欠かさない。「若返ってきたよ」と河野はさかんにテレていた。
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