プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永井康雄

2018-12-01 20:05:02 | 日記
1958年

トレード選手に指名された近鉄の永井投手は十七日から南海の練習に参加している。柚木ピッチング・コーチは「ウチの中堅どころの投手と比較して技術的にはそうかわりはないと思う。だからもう少し練習を見なくてはどうなるかわからない。ハッキリした線が出るのは今月末ごろになるだろう」といっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三林清二・北畑利雄・大久保英男

2018-12-01 19:51:55 | 日記
1958年

今シーズン限りで国鉄を去る三林清二投手は三重交通、北畑利雄投手は天王寺鉄道管理局に就職、十二月一日から出社することになった。また大久保英男選手は東鉄に内定している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近藤晴彦

2018-12-01 17:45:03 | 日記
1958年

大洋ホエールズでは早大の四番打者、近藤晴彦外野手(22)=静岡高=の獲得に成功、近く契約する模様。同選手はアナの少ない中距離打者で早大の中心打者として活躍していた。一時はノンプロ大昭和製紙入りをウワサされていたが、このほど大洋球団の熱心な勧誘でプロ入りを決意したもの。

大洋・森社長の話「大昭和へ行くというウサワは聞いてたが、まだ正式に入社したわけではないようだ。本人がプロ入りを決意し、条件さえ合えばウチへ入れたい」

近藤晴彦 早大二年生の春のリーグ戦からレギュラーになり、ベストテン二位で注目されたが、昨年は病気で休んでいた。今春から再び出場、三割三厘で打率七位。今秋は二割一分三厘だった。長打力もあるが、むしろ中距離バッター、確実性のある打撃が定評がある。足も速い。1㍍73、67㌔50、右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西村修

2018-12-01 13:45:21 | 日記
1949年

セントラル・リーグ阪神タイガースでは桐蔭高校出身西村修投手と正式契約した、西村投手は廿三年春学区統一により桐蔭高校設立まで海草中学の投手として廿二年の選抜全国大会に出場、廿三年夏の全国大会では当時高校球界随一といわれた小倉高福島、西京高北本、岐阜高花井投手らと渡り合った強豪投手で、昨春の選抜大会ではコントロールに難色があったがものすごいイン・ドロの威力で兵庫高校をなで斬りにし、三振十八を奪った怪腕の持主。西村投手は当年十八、左投左打のほか典型的な強打者の素質をそなえているが趣味は読書、背番号は四六番と決定、早速甲子園の合宿に参加、コントロールの調整に努める。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤重登

2018-12-01 13:13:02 | 日記
1958年

阪神タイガースの田中監督からこのほどハワイ選手の採用を友人のダン・西村氏に依頼してきた。田中監督は日系シニア野球リーグのワイパフ軍の捕手ジョージ・藤重選手を希望しているが、同選手のほかメルビン・平野、デック・神家両選手とも話を進めている。藤重選手は昨シーズン南海ホークスで活躍、ハワイに帰った後は当市のハワイ銀行に勤務、最近桜祭りの女王モリー・石田さんと結婚したばかり、条件さえよければと乗り気である。平野選手はハワイ大在学中で同校の名投手、神家選手も同大学在学中で一昨年高校選抜軍の捕手として訪日したことがある。具体的な話は一月中旬ごろ田中監督が当地へきて交渉する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安藤治久

2018-12-01 12:51:08 | 日記
1958年

阪急ブレーブスでは十九日午前十一時大阪北区梅田阪急ビル四階会議室で、大昭和製紙の安藤治久投手(21)と契約、同日午後一時同ビル五階球団事務所で入団を発表した。

安藤治久投手 三十一年沼津市高から大昭和製紙に入社、三十一年は17勝1敗、三十二年は12勝2敗、今年は14勝2敗。ノンプロ三年間の通算成績は43勝5敗。このうち半数が完封勝利。今年六月の選抜静岡大会に優勝して最高殊勲選手になった。また都市対抗一次予選の静岡大会、同二次予選の山静大会でも最高殊勲選手に選ばれた。同後楽園大会は一回戦で丸善石油に敗れたが再試合で二十四回2/3を投げた。十月の産業対抗は準々決勝で敗れたが、二十四イニング無失点で同大会の無失点新記録を作った。右腕からの安定したカーブに威力がある。ストレートが武器の本格派投手。1㍍74、71㌔、昭和十二年四月六日生れ。実家は沼津市真砂町三十の一。家族は姉と弟の三人。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴山宗守

2018-12-01 12:03:30 | 日記
1958年

阪神タイガースでは、十八日正午から大阪市北区梅田の阪神本社内球団事務所で柴山宗守(そうし)投手(22)=関学大、1㍍79、73㌔、左投右打=と正式契約した。なおこの日は戸沢代表が上京中のため高木支配人が立会った。

柴山投手の話「今シーズン不調でずい分悩んだが、阪神は前から話があり、私も好きなチームだし阪神入りをきめた。入った以上村山(関大)をライバルに一生懸命投げたい」

柴山投手 三十年春近大付属高から関学法学部に入学。初登板は二年の秋対京大戦。一番調子のよかったのは三年で春、秋を通じて九勝をあげた。ことしは一勝もしていない。左腕からのシュートにはかなりの威力がある。

田中監督の話「テストにきたときにピッチングはみた。体もいいし、将来性もある選手だ。いますぐに使うというのは少しムリかもしれないが、うまくピッチングを仕込めば大物になりそうだ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近藤三明

2018-12-01 11:56:51 | 日記
1958年

ノンプロ日本鋼管の近藤三明投手(21)=水戸農高=はこのほどパ・リーグ近鉄への入団が正式に決定二十三日ごろ東京で契約することになった。同投手は三十年日本鋼管に入社、今春の選抜大会では日本鋼管を優勝に導き、夏の都市対抗大会では日本石油の補強選手となった。左腕からの速球とドロップに威力がある。1㍍68、64㌔。

大北代表の話「投手力強化が当面の補強目標だが、近藤君には早くから交渉していた。まだ日本鋼管との退社問題などで発表できないが、ウチへ来てくれることはほぼ確実だ。速球一本ヤリの本格的なサウスポーだからすぐ第一線で活躍できるだろう」

近鉄パールスでは、十八日午後三時から大阪市阿倍野区の球団事務所で近藤三明投手(21)=鋼管=と正式契約したと発表した。背番号は12。

今同投手の話「日本鋼管に入る前から近鉄からの話はあった。しかし自信がなかったのでノンプロでやってからと思っていた。幸いノンプロでうまく投げられたのでプロ入りを決意したわけです。ノンプロとプロとではずい分力が違うと思うので、入団後は一生懸命やりたいと思っている」

近藤投手 水戸農高から三十一年日本鋼管に入社。今年の選抜都市対抗優勝投手。また夏の都市対抗には日本石油の補強選手で、優勝の立役者。そして全日本にも選ばれた。武器は左腕からの速球、シュート、1㍍71、83㌔、左投左打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飽本唯徳

2018-12-01 10:06:13 | 日記
1954年

今年の阪急は中谷が古巣三塁にもどり、酒沢は二軍のコーチにまわったので二塁のポジションを河野(松下電器)小林(中京商)飽本三新人と旧人の内尾、野々村で争うが、キャンプでは飽本が群をぬいてよかったようだ。今度ともに阪急入りした山本投手と同じ熊本済々黌高出身昨春の選抜大会ではトップ打者として大いに活躍した。身体つきからプレーまで巨人の千葉によく似ていたので強く印象に残っている。ずんぐりとした体格で広い肩幅、それも怒り肩で、肩をふりふり打席に入り、右手にふっと息をかけるところまで千葉そっくり、しかも典型的なライト・ヒッターときているので、今でもこの千葉二世ぶりがなかなか人気を呼んでいた。どちらかといえば守備の選手である。どのポジションでもこなせるという器用さはないが、二塁守備がすっかり板についている。ボールさばきは一流だし、併殺モーションの早さ、ベース・タッチの足運びも満点。二年生のときから遊撃荒金との併殺コンビは高校生ばなれしてアカぬけていた。特に感心させられたのはどの方向のボールでも捕球と同時に送球すべき塁に身体が向かっていることで、高校生でこれだけ訓練された選手はあまり見あたらない。そしてスローイングも理想的な腕の引きなので悪投はほとんどない。守備は天才的なものをもっているといっていいだろう。ただ天才的選手に共通な軽率さがあり、特に真正面に来たゴロに弱い。選抜の準々決勝の十三回裏決勝の一点となったのは前進守備をとっていた彼の正面にとんだ強肩ゴロで併殺をあせったというより、シングルで処理しようとしてジャッグルしたものである。飽本をスカウトした丸尾マネジャーの話によると彼は上半身が異常なほど発達し、そのうえ腕力がすぐれているそうだ。昨年の九州大水害のとき一人で階下にあった米俵を二階に運んだので彼の家は一俵も被害をうけなかったという。彼のバッティングも強いグリップを生かして、上からたたきつける打法である。バック・スウィングもフォロー・スルーもないがオープン・スタンスで球をよくみきわめ、ポイントをきめてミートさせるので、ロング・ヒットこそ打てないが、確実さがあって、いい当りはすべてライナーとなるすこぶる実戦的バッティングで、そこを西村監督に買われてレギュラーに抜てきされたのだと思う。難をいえばこのバッティングでは速い球には強いが、ゆるい球に弱く、内角低目が打てない。五尺五寸たらず、十五貫と小柄なため選抜でベスト・メンバーに選ばれながらプロのスカウトにはさほど問題とされなかった阪急でもはじめ山本だけとるつもりだったが、丸尾マネジャーが熊本へ山本をスカウトにいったとき飽本を見てすっかりほれ込み、急に飽本をもとることになったという。負けん気が強く阪急の新人の中では一番早くプロ・スタイルを身につけている。十八歳、背番号40

阪急二軍コーチ 酒沢政夫氏

身体は小さいがフィールディングはすばらしくうまい。新人ばなれした球さばき、フットワークなど基本が出来ているから守備だけでも生きていける選手だ。バッティングは実戦的だが、内角低目に欠点がある。しかし素質はあるからバッティングものびる選手だ。世間ではあまり高く評価されていなかったが、うわさ以上に優秀だ。すぐに使えるので、一応レギュラーを予定している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする