プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

塩津義雄

2018-12-12 23:13:27 | 日記
1957年

毎日が最も期待している新人。中央球界ではあまり知られていないが、九州で塩津といえば強打者として押しも押されもしなかった。ことしの打率は春が6割2分、夏が4割3分、確実さでも申し分ないが、かれの本領は1㍍82、72㌔の体力をフルに使った長打力。この夏の県下予選決勝で場外ホーマーしたのをはじめ本塁打3本を記録している。毎日はシーズン・オフにかれを練習に参加させたが、そのとき山内、榎本、葛城とならんで体格はもとより、当たりの大きさ、速さも見劣りせず、ウワサ以上の強打者に舌をまいたという。別当監督など手ばなしの喜びようで「高校生では最右翼、大きい選手は概して不器用だが、かれは柔軟だし、リストの使い方もうまく、打撃は満点」とほめちぎっていた。苅田コーチも打撃ならすぐ使えるといっている。毎日は彼を遊撃手に育て、穴をこの大型選手でうめると大張切り。遊撃は塩津も初めてらしいが、バネもあり、足も百㍍12秒というから毎日待望の大型遊撃手が誕生するのも遠い日のことではなかろう。
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大賀政勝

2018-12-12 22:16:32 | 日記
1957年

小倉の大賀といえば九州はおろか全国的に有名だ。一年生から正選手となり、毎年甲子園に出場する幸運をつかんでいる。1㍍79、67㌔、大柄な割に動作が機敏なところに長所がある。足もベース一周15秒で立派だし、出足の鋭さ。ゴロにたいするカン、肩のよさ、まず守備では高校界でも一級品である。打撃も脚力抜群で豪快であるが、打球が速いので高校ではヒットになる事が多かった。苅田コーチがほれこんで大毎に迎えたという。打撃さえモノになれば内野陣の弱い大毎のことだけにすぐにでも出場のチャンスが訪れよう。
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米川清二

2018-12-12 21:41:49 | 日記
1957年

未完成だが1㍍82、73㌔の体力は将来を楽しませるに十分である。新宮高では第二の井崎(旧姓=前岡、阪神)と期待していた。春の選抜大会で米川は六回まで八幡商を1安打に完封していたが、七回新宮は橋詰に代えて失敗、逆転された。米川を続投させていたらという声もあったが、新宮高の鳴戸監督は一試合に一度はくずれる米川を危険と見て行なった処置だという。ドロップが甘く変化のないピッチングだが、体力にものをいわせた投球はかなりスピードもあるし、重いのが特徴、高校の打者には十分通用する。それが一試合を完投できないのは投球フォームに欠陥があって制球力を維持できないからだ。井崎の例もあり、阪神はフォームから仕込み直すことが必要だろう。
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坂本宏一

2018-12-12 21:39:52 | 日記
1957年

高校界では長右翼の捕手と目されている。投手の小松は巨人入りしたが、坂本は選手生活をやめても面倒を見るという大洋に入った。1㍍79、71㌔、体格も立派だが捕手プレイは捕球、送球ともに高校では一級品。春の選抜大会で高知商が決勝に進出したのはエース小松の力投はもちろんだが、病後の彼をうまくリードし、一度も盗塁を許さなかった坂本の力も見のがせなかった。打力がつけば土井に代わって出場の機会もつかめるだろう。五番を打ち、通産打率0.283と悪くはないが、まだまだ努力が必要だ。速い変化球にもタイミングを狂わせないだけの余裕をつけることだ。
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加古安宏

2018-12-12 21:34:53 | 日記
1957年

中京商から阪神入りした星山一塁手に劣らない強打の持主だと佐々木部長は加古の将来性を買っている。1㍍76、71㌔、体格も立派だし、闘志もある。バッティングは一見荒いようだが、目がよいので案外確実で鋭い。通算打率は3割2分。中京の本間投手も彼にだけは苦心の投球をしていたという。守備もたくましく、機敏で、肩はいわゆる鉄砲肩。愛知随一の三塁手という専門家筋の声も聞かれる。もちろんいまの力では現遊撃手の阿南、米山は抜けないが、野球の虫といわれるほど練習熱心だから成長は期待していい。
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内山巌

2018-12-12 21:03:22 | 日記
1957年

名門早実の主力打者で、相沢遊撃手とともに東映に進んだ。1㍍75、67㌔、左投左打で守備はいいとしても、打撃に先輩榎本、佃、醍醐ほどの凄みがないので大成までにはよほどの努力が必要だ。しかしこれは内気な性格を気にした見方で、左投手にも右投手同様に打てる器用さを持っているので、むしろ醍醐よりは打つだろうと言う先輩もいる。事実通算打率が3割3分というからたのもしい。優勝した春の選抜では三番を打ち15打数4安打、決勝では内気なはずの彼が40度の高熱をおして出場、3打数2安打して監督以下を感激させた。
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相沢邦昭

2018-12-12 20:19:00 | 日記
1957年

新人中最も身体の小さい選手で、1㍍63、60㌔。だが東映が内山一塁手とともにこの相沢を受入れたのは、岩本監督ばりともいうべき闘志を買ったもの。大試合になればなるほど活躍するのがこの相沢だ。早実が優勝した春の選抜大会で最もよく打った。18打数8安打、とくに準決勝で久留米商の好投手手島から5打数4安打したのは印象的だった。打撃は長打力こそないがボールに食いついてミートの鋭いのが特徴。守備も高校生としてはフット・ワークが一流だ。東映では吉田二世として期待している。
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島野雅亘

2018-12-12 20:12:25 | 日記
1957年

兵庫県では育英の戸梶(阪神)と並び称される好捕手。1㍍82、67㌔、捕手としてはプロでもノッポの方。これで体重でも増してくれば申し分ない。守備は捕球、送球動作にこんごの研究がのぞまれるが、肩は本人も自慢するように強く、投手に育て直した方がいいくらいだ。打撃もいい。やや強引なところもあるが通算打率3割は凡器ではない。夏の予選では4試合で13打数5安打し、スカウト連に注目された。足がおそいのが欠点だが、まず素質に不足はない。しかし土井を追い抜いてマスクをかぶるにはひとふんばりもふたふんばりもしなくてはなるまい。
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金田高義

2018-12-12 20:07:53 | 日記
1957年

国鉄の至宝金田投手の実弟である。1㍍73、63.5㌔、兄ほどの体力がないのですぐには役立ちそうもないが、右投げの投球フォームは西垣コーチもほめるほどまとまっている。スピードは高校生では一流。コントロールがよいので愛知ではかなり注目されていた。得意の球はドロップ。亨栄商で兄の正一投手を育てた芝監督は「将来体重を増し、足腰が強くなれば、投手としてのセンスがいいだけモノになるだろう」と語っている。
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槙尾達男

2018-12-12 19:31:54 | 日記
1957年

柳井商工の監督がこう言った「槙尾の将来は楽しみですよ。熊谷組にいる先輩森永の高校時代以上です」と・・・。1㍍80、75㌔、いかにも馬力型といった感じで、滅法力がある。本年の通算打率が0.376、本塁打7本というから大変な記録だ。使用バットは250匁、35インチ、これは普通の高校生が使うものより10匁も重く、1インチ長い。強引過ぎるところから変化球にややもろいが、速球に強いのが魅力である。外野守備はうまい方だが、肩が少し弱い。足は百㍍に12秒3、ベース一周15秒6だから普通。打撃フォームに柔軟性をもたせることが第一の課題といえるが「ライバルは巨人の長嶋」と言いきるあたり、なかなか鼻柱が強くたのもしい。
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大西正昭

2018-12-12 19:25:05 | 日記
1957年

1㍍73、70㌔。骨格のガッチリしたみるから捕手にふさわしい闘志の持主である。福岡京都高といっても全国的にはあまり知られていないが、強打のチームとして九州では知られている。大西はその主力打者。県予選では豊国、東筑から8点を奪って大勝、福岡大会の一回戦では修猷館に5-4で負けたが、大西らの強打で最後まで予断を許さなかった。彼はことし本塁打5本、三塁打11本を記録した。荒削りだが魅力のある長打力をもっている。足が遅く、動作がややにぶいのが欠点だが、肩も強いからいずれは阪神の長打線に加わるだろう。
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石田博三

2018-12-12 19:23:53 | 日記
1957年

三十年の春の選抜大会に一年生で登場。そのときから将来を嘱望された好投手だ。夏のヒノキ舞台には平安高にはばまれて出場できなかったが、1㍍80、70㌔の恵まれた体格から投げ下ろす速球はやはり高校では一流。三年間を通じて一試合平均12の三振を記録しているという。とくにことしは予選の決勝で平安に負けたが、二試合連続18個の三振奪取やノーヒット・ノーランのほか22三振を奪う快記録を出している。特徴は力があり、球質が重いこと。その点プロでも楽しめるが、一人前になるにはもう少しスピードがほしい。コントロールも十分とはいえない。これは投球フォームの改良から心がけるべきで、いまの石田はステップが広く、腰が早く開いてしまうので随分体力をムダにしている。腰の回転が中心の投球フォームを一日も早く完成することが大事だ。とにかく阪神の投手陣でも将来を楽しめるひとりだ。
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