プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

長谷川一夫

2019-05-15 11:25:09 | 日記
1962年

チームの大黒柱長谷川投手は、二十五日こそ肩ならし程度のピッチングだけだったが二十六日には百球ほど伸びのある速球を投げ込む。「二十五日は決定戦の疲れが残っていたが、二十六日には肩が軽く、ストレートも伸びています。だいじょうぶやれます」と打の中心でもある長谷川は打撃練習に打ち込む。出口監督は相変わらず勤務の関係で、土、日曜にしか顔をださないが、山崎部長、横沢四郎コーチ、それに大宮市教委の長持氏が目を光らせている。二十六日には同じ市立校のよしみで大宮北高の昼間ー石綿のバッテリーが友情出演?山崎部長も「普通のバッティング・ピッチャーにはない、生きたタマが打てるので練習の効果が上がる」と大喜び。

三振奪取王長谷川はいまや絶好調、伸びのある速球、球質の異なった大小のカーブを駆使すれば、そうそう点はとられまい。県内はもちろん、東京、千葉あたりの強豪チームと対戦して3点以上奪われたことはないという長谷川投手は自信をもっている。
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長谷川一夫

2019-05-15 11:21:42 | 日記
1962年

左では県下随一の豪球の持ち主長谷川投手を看板にした好チーム。ことしの成績は12勝3敗。苦汁をなめたのは春の大会三回戦で上尾高(4-2)と千葉商(1-0)鹿沼農商(2-0)の練習試合でいずれも1点差に泣いている。注目の的、長谷川は速球をビシビシほおり込む本格派で、難点だった制球がフォームの安定で解消しつつある一試合平均投球数が百十前後と少なく、連投も苦にならない。長谷川のカーブをねらえとは各校の合いことばだが、上位校と当たる場合、速球一本ヤリではなく、変化球を駆使するようになるだろう。しかしこの点を山崎部長はお茶をにごす。はたして、どれだけ身につけたか興味深い。「長谷川におぶさるようではダメ。あくまでも打ち勝つことだ。とにかく3点をとれば絶対勝てる」と同部長はいい切る。

十六日の対秩父高戦で三振奪取21という新記録を樹立した左腕長谷川は、この日も一大会三振奪取記録、連続三振記録を更新、三振に関する記録を全部書き変えた。一大会三振奪取は昭和三十四年大会で川越高の吉田富保投手(現早大)が奪った46三振(五試合)を上まわる50個。長谷川の50三振は三試合の記録なのでこの先、勝ち進むと驚異的な記録ができそう。また連続三振は同大会で吉田投手が二回戦の対大宮工でノーヒット・ノーランを記録したときに6連続三振を破る8連続三振。「きょうより21三振をとったときのが楽に投げられました。きょうは全力投球はしませんでした」頼もしいことをいう。七回ごろから左手の指を気にしたので聞いてみると「ツメがすぐ割れるんです」と苦笑いするが「ピッチングには影響はありません」というから一安心。横沢四郎氏のコーチを受けてからピッチングに幅がでてきた。ツメが割れたり、手の皮がむけたりするのは体質で、本人も気にしていない。いままで浦和工、秩父高、羽生実と比較的楽な相手と対戦しているので七分ぐらいのピッチングをしているが、これから真価が発揮されるときだろう。またバッティング面で五番打者として活躍している。「監督さんたちに引っぱれといわれていますが、試合になるとどうしても左の方へ流してしまいます」と申しわけなさそうに頭に手をやる。昭和二十年一月三日生まれ、三年、左投左打、身長1.73㍍、体重63㌔。
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