1960年
広島カープは十六日午前十時から広島市民球場で新人テストを行なった。応募者は三十名だったが県下の高校はじめ遠く茨城、大分県からも参加者があった。テストは走力、遠投力など各分野にわたって行なわれ、茨城高から参加した佐藤英雄選手(19)が打撃テストで外野に打ち込む強打ぶりをみせ見物中の先輩大和田選手をよろこばせた。結局打撃では佐藤選手、投手ではサウスポーの広島県神辺高田村純樹選手(18)の二人が門前コーチら審査員の目にとまったようだった。後日採否が決定される。
広島カープは十六日午前十時から広島市民球場で新人テストを行なった。応募者は三十名だったが県下の高校はじめ遠く茨城、大分県からも参加者があった。テストは走力、遠投力など各分野にわたって行なわれ、茨城高から参加した佐藤英雄選手(19)が打撃テストで外野に打ち込む強打ぶりをみせ見物中の先輩大和田選手をよろこばせた。結局打撃では佐藤選手、投手ではサウスポーの広島県神辺高田村純樹選手(18)の二人が門前コーチら審査員の目にとまったようだった。後日採否が決定される。