プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐藤英雄・田村純樹

2019-05-23 13:42:17 | 日記
1960年

広島カープは十六日午前十時から広島市民球場で新人テストを行なった。応募者は三十名だったが県下の高校はじめ遠く茨城、大分県からも参加者があった。テストは走力、遠投力など各分野にわたって行なわれ、茨城高から参加した佐藤英雄選手(19)が打撃テストで外野に打ち込む強打ぶりをみせ見物中の先輩大和田選手をよろこばせた。結局打撃では佐藤選手、投手ではサウスポーの広島県神辺高田村純樹選手(18)の二人が門前コーチら審査員の目にとまったようだった。後日採否が決定される。
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柏木国雄

2019-05-23 13:33:55 | 日記
1955年

五番を打つ左腕の柏木投手、主将で四番打者、中堅からマウンドも守る藤本、この二人が特に目につくチーム。柏木投手は新宮の前岡と同じ左腕投手。切れの鋭いドロップの決め球に最近ではシュート、カーブも身につけた。
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久保田稔・山本恒敬

2019-05-23 13:30:10 | 日記
1960年

東映ではこのほど久保田稔投手(18)=熊本鎮西高、1㍍78、75㌔、左投左打=山本恒敬捕手(20)=飯塚商ー日炭北松、1㍍76、72㌔、右投右打=の二選手の獲得に成功した。久保田は東映が二年生のときから目をつけていた逸材、コントロールがよく、速球に威力がある。山本は昨年夏の都市対抗にも出場、しぶとい打力とうまみのある投手リードを買われたもの。なお正式契約は十一月中旬の予定。

石原代表の話「久保田君は九州常駐スカウトがずっと目をつけていた。体もガッチリしているし、素質も十分もっている。すぐ使えるとは思わないが、一、二年勉強すれば第一線に出てくると信じている」
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佐藤邦宏

2019-05-23 13:21:56 | 日記
1960年

佐藤邦宏内野手はこのほど退団、姫路市の山陽特殊鋼に入社が決まった。球団では十一月二十日ごろから来シーズンの契約更改をはじめるが整理選手は七、八名にのぼるもよう。
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坪井猛・城野勝博

2019-05-23 13:18:13 | 日記
1961年

広島カープは、名古屋電工の坪井猛投手(17)身長1㍍73、体重64㌔、右投げ、右打ち。
佐賀県鳥栖工の城野勝博投手(18)1㍍76、75㌔、右投げ、右打ち。長崎県伊万里高の藤本典征投手(18)1㍍76、70㌔、左投げ、左打ち。熊本県水俣高の淵上信彦投手(18)1㍍78、75㌔、右投げ、右打ち。萩商工の沢野肇捕手(18)1㍍73、70㌔、右投げ、右打ちーの五選手と入団契約の運びにこぎつけた。坪井投手は、愛知県下で中京商の林投手とならぶ速球投手といわれ、今春の県大会で中京商から10三振を奪取した。コントロールのよい速球とドロップに定評がある。鳥栖工の城野投手は、真っ向から投げる本格派投手で、久野スカウトが目をつけ勧誘していた。伊万里高の藤本、水俣の淵上投手は将来性を買って獲得、萩商工の沢野捕手は高校生ばなれした打力を高く評価、西鉄とせり合った末、入団にこぎつけた。
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在原兵次

2019-05-23 13:11:03 | 日記
1962年

大洋ではこのほど、テスト生としてキャンプに参加していた在原兵次外野手(24)=関東高出、日野ヂーゼル=の採用を決定した。身長1㍍79、体重75㌔、右投げ右打ち。
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国貞泰汎

2019-05-23 13:05:58 | 日記
1961年

呉港高の国貞安広遊撃手(18)は、このほど南海入りが決まった。同選手は、1㍍67、70㌔、右投げ、右打ち。同校先輩の柚木コーチがはやくから目をつけ、交渉していた。
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高井準一

2019-05-23 13:01:15 | 日記
1960年

法政二高の高井準一二塁手(18)=1㍍78、69㌔、右投右打=は、このほど近鉄入りが内定。近く発表する。同選手は今夏の甲子園大会で三番を打ち、法政二高初優勝の立て役者だった。やや腰高だが、フット・ワークのいい動きは先輩の小坂(広島)ばり。二年生だが一身上の都合で近鉄入りにふみきったもの。

高井選手の話 「近鉄、大洋、広島から話があったが、いちばん熱心な近鉄に魅力がある。プロ入りについては監督さんにも相談したところ、よく考えてきめるようにいわれた。しかし、自分の気持ちはきまった」

法政二高・田丸監督の話「近鉄にはいりたいということは本人の口からも聞いた。一生の問題だから私からすすめるわけにはいかないので、家族の人と慎重に話し合うようにいっておいた。その後のことはわからない」
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釜井敏晴

2019-05-23 12:10:28 | 日記
1960年

中日ドラゴンズはこのほど上野商工の釜井敏晴投手(17)の入団を内定、三十日に球団事務所で正式契約する。同投手は今夏の三重県予選で名張高を相手に準完全試合をやったことがある。1㍍74、70㌔、左投左打。

釜井投手の話「巨人をはじめ随分プロから勧誘を受けました。しかし中日軍の練習に参加したとき、濃人さんをはじめ選手の人たちがとても親切にしてくれたので中日にはいる決心をしました」

中日ドラゴンズは来年度契約第一号として三十日名古屋市中区西川端町同球団事務所で三重県上野商工釜井敏晴投手(18)と平岩球団代表、両親の釜井孝太郎さん、誠乃さん立ち会いで正式契約を行なった。釜井投手は身長1㍍75㌢、体重68㌔、左投右打、シュートを得意として高校時代30勝7敗。今夏の三重県予選名張高との試合で準完全試合の記録をもっている。

釜井投手の話「プロ野球は実際にはあまり見ないがテレビでいつも見ており、ドラゴンズの中山投手は同じ左投手であり中京商時代からあこがれていた」

平岩代表の話「釜井君はお父さんが柔道四段、お母さんが陸上競技の選手とスポーツ一家の出で、体が非常にやわらかく一、二年ミッチリ鍛えれば伸びる可能性があり左投手の少ないウチで重要な人となろう」
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井上守

2019-05-23 11:56:07 | 日記
1961年

阪急ブレーブスは二十日午後一時半から、ノンプロの名門、日鉄二瀬のエース井上守投手(23)の入団を発表した。井上投手は昭和三十一年、福岡県鳥栖高校を卒業。日鉄二瀬にはいり、都市対抗に五回、産別大会に一回出場している。外角をつく速球とシュートが武器で、昨年以来、阪急、中日などからマークされていた。中日の権藤投手は高校で一年後輩にあたる。身長1㍍80、体重73㌔、右投げ右打ち。

井上投手の話 プロにはいってもある程度やれる自信はある。阪急のピッチングスタッフの一員として一生けん命がんばるつもりです。後輩の権藤があれだけやっているんだから、権藤に負けないような働きをしたいと思っています。
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倉高新始

2019-05-23 11:49:43 | 日記
1959年

大毎・和田代表は同大倉高新始投手(22)=1㍍82、77㌔、左投左打=獲得のため十五日午前十時十分伊丹空港着の日航機で来阪、市内北区中之島毎日新聞社内球団事務所で青木スカウトから報告を受けたあと「倉高君には会えなかったがきょうも青木スカウトが会って話はついている。あとは金銭的な問題だけになった。すぐ使える実戦向きな点が魅力だ」と倉高の大毎入りを明らかにした。同選手は平安高時代岩井投手(現明大)の控え投手、三十二年同大に進学、リーグ戦には一塁手として出場、三十五年春のオープン戦では投手として五勝一敗の好成績をのこしている。今春家庭の事情で退部、巨人、阪神、中日、大洋、大毎、東映からねらわれていた。
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斎藤誠二

2019-05-23 11:40:25 | 日記
1960年

長野県丸子実高斎藤誠二投手(18)は四日午後上田市秋和の自宅をたずねた巨人軍宇野代表と話し合った結果、巨人入りを決定した。正式契約は十一月一日上田市の自宅で行なう。斎藤投手は丸子実業のエースで外角低目をつく速球とカーブに威力があり、今度の高校野球県予選では東信地区予選で北佐農から10三振を奪っている。1㍍80、67.5、右投右打。

斎藤投手の話「野球でメシを食いたいと思っていた。巨人にはいれて夢のようだ。先輩の指導で一日も早くマウンドにあがれるようになりたい」
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坂野日出一

2019-05-23 11:24:03 | 日記
1960年

阪急ブレーブスは八日午後零時半北区梅田の球団事務所で播磨造船、坂野日出一内野手(20)の入団を発表した。同選手は兵庫県赤穂高(33年)からノンプロ播磨造船に入社、トップを打って3割5分をマーク、高校時代からの平均打率3割4分の好打者で、百㍍11秒6の俊足は定評がある。身長1㍍73、体重63㌔、右投げ、右打ち。なお、今夏の都市対抗予選で審判の判定に不服をとなえて暴行出場停止処分になっていた。

坂野選手の話 阪急へ入ることなど考えていませんでしたが、熱心な誘いを受けましたので・・・。目標など別にありませんが一つ一つ自分をよく反省し、自分で納得のいくプレーをしたい。さいわい肩と足には自信があるので、大いにがんばりたい。

岡野代表の話 坂野君の入団で内野の補強に大きなプラスとなった。足が速いうえ打力もシャープだし、なによりもファイトがあることに期待している。
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井置博文

2019-05-23 11:16:33 | 日記
1962年

阪急ブレーブスは二十四日、大阪梅田の球団事務所で、飾磨高の井置博文選手(18)の入団を発表した。同選手は、通算25本のホームランを打ったロングヒッター。投手兼外野手だが、阪急は外野手として打力を生かすもよう。右投げ、右打ち。身長1㍍79、体重79㌔。

井置選手の話 プロ野球はスタンドからみただけで、ジカにみていないから、はっきりわからないが、高校とではスピードが違うことはたしかです。ピッチャーの自信はないが、バッターならなんとかやれると思う。
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内海達雄

2019-05-23 11:08:49 | 日記
1960年

南海は二十九日松山商の内海達夫投手(18)=1㍍76、66㌔、左投左打=の入団を発表した。同投手は今夏の選手権大会四国予選決勝で西条高に延長十一回2-1で負けたが、速球投手として定評がある。一試合18三振、連続9三振などの記録をもっており、中原コーチのすすめでプロ入りしたもの。
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