プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

豊村健泰

2019-05-22 19:46:37 | 日記
1962年

近鉄バファローでは、九日午後三時大阪アベノ球団事務所で、浪商二年中退の豊村健泰投手(18)の入団を発表した。豊村投手は浪商で野球部に在籍したのは一年生当時だけ。昨年九月の新人テストに合格、その後藤井寺での練習に参加して年末には野口コーチらのメガネにもかなって入団がきまったもの。東映入りした尾崎とは同級生で、身長1㍍83、体重75㌔、右投げ右打ち、背番号は65。

豊村投手の話 個人的な理由で野球部は一年生でやめたが、尾崎とは机をならべて勉強した仲だ。部はやめたが、野球はやりたかった。あらゆる点で足元にも及ばないがなんとか努力して早く第一線に出たいと思います。そして近い将来尾崎に負けないような投手になるつもりでガンバリます。
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落合勤一

2019-05-22 17:23:54 | 日記
1965年

東映は来シーズンの新入団選手を五人予定。荒井健スカウトが交渉しているが十五日、このトップをきって落合勤一投手(18)=右投げ右打ち、身長1㍍81、体重83㌔中野実践高=の入団をきめた。落合は十五日午後五時三十分から、およそ三十分、東京・新宿西大久保の「第三松田ビル」で母親のフミさん(46)とともに荒井スカウトと最終的な話し合いをし、東映入団を了承した。契約金は推定三百万円。なお正式には十八日、落合の卒業試験が終ったあと契約書にサインをしたとき発表される。落合はスピードボールを武器としてナチュラルなスライダーを投げ、高校時代には五番を打っていた。八王子市元本郷町二の三五の自宅で母フミさんと弟公夫君(16)の三人ぐらし。
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高岡英司

2019-05-22 17:17:52 | 日記
1965年

中日ドラゴンズは十五日午後零時三十分から名古屋市中区南外堀町の同球団事務所で、大沢常務、近藤コーチ、柴田スカウトの立ち会いのもと、ノンプロ富士鉄広畑の左腕投手、高岡英司(たかおか・えいじ)選手(26)=東筑高出、1㍍72、62㌔=の正式入団を発表した。高岡選手は今夏の都市対抗では松下電器の補強選手として出場、準々決勝で八幡製鉄に1-0(エラー)で敗れたが、大昭和製紙、立正佼成会戦で力投、24イニングで自責点1と好投。球速があるうえ、シュート、カーブに威力があり、現役時代の荒巻投手(前阪急コーチ)そっくりのフォーム。

近藤コーチの話 「貴重な左腕投手だ。根性もあり、すぐ戦力になるものと期待している」

高岡投手の話「野球をやるならプロでとかなり前から考えていました。これからは野球がすべてなので、やりがいがあります。力いっぱいやります」
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