1960年
「阪神入りがきまったときには嬉しかった」豊橋工のエース牧投手は正直にこういった。根っからの野球好き。俺は野球以外に取りえがないんだときめこんでいたような彼は高校入学当初から、将来はプロで思い切り野球をやりたいという希望をもっていた。その夢が実現したのだから嬉しくないはずがない。父に話したところ、この父親も息子以上の野球狂で彼の出る試合は三年間欠かしたことがないほどだから、もちろん賛成してくれた。牧には甲子園出場の経験はない。しかし今年愛知県下では、実力№1の評があった。昨年までは左腕の鈴木(広島入り)と併用されていたが、最上級生となった今年は鈴木の故障もあって彼がエースの座を占めた。とくにこの夏の県予選では決勝まで進出。亨栄商に敗れはしたが6試合全部に完投、計60個以上の三振を奪っている。「決勝のときはもう疲れてしまって…」甲子園行きを逸したくやしさを思い出すようにもらしていた。オーソドックスな投法、低目にきまる速球は当然プロ各球団から狙われたが、その中で阪神を選んだ理由について牧は「いろいろな話を聞いたり、自分で考えてみた末、阪神が一番高校出を重視してくれそうだったから」と語る。その言葉には何よりも登板のチャンスを掴まなくては…の気持ちがうかがえ、口でこそ「二、三年の下積みは覚悟しています」といってはいるが、心の中では、一日も早くプロのマウンドでびゅんびゅん投げまくりたいと、うずうずしているに違いない。ずっと牧を指導して来た豊橋工立花監督は「勝ち気な性質で、わからない点はだれにでも聞いて、自分のものにする。今年の部員の中から十人ほど卒業生が出るが、野球に対する執着心ということでは彼が一番だ」と話してくれた。反面向こうっ気が強いことは、これまでの試合に、ときたま、打たせてとればいいところを、三振にしとめてやろうと、真正面から向かって、コチンと合わされ、カッとなって、また力んでしまう悪い面にも現れていたそうだ。しかしこれもまだ十七歳の若さ、へたな技巧に走って自分の持つスピード・ボールをころしてしまうよりはいいのかも知れない。「カーブ、シュートのコントロールに自信がなかった。プロに入ってからは、この点をしっかり勉強していきたい」と牧は自分に足りない点をはっきりわきまえている。蒲部からローカル線で入る吉良吉田の親もとを離れてこの三年間ずっと下宿生活、今年は正月と夏に帰っただけだそうだ。「はじめはちょっと寂しかった」気の強いエースもやはり純真な高校生である。身長1㍍76、71㌔、右投右打。現住所=豊橋市下地町宮前八五、牛田方。
阪神金田監督の話 大津キャンプでピッチングをみた。体もいいし、球筋も悪くない。来春のキャンプで専門コーチにつけば将来楽しめる投手。あとは本人の努力次第でチャンスをつかむことだ。ウチは二、三イニングスでも投げられる投手はどしどし一軍に上げるつもりだからチャンスはあるだろう。
豊橋立花一夫監督の話 一年生のころから割り合い安定した力を持っていた。以前はよく自信が過信となってかんじんなところで打たれることもあったが、最近はそういうことも少なくなって来た。プロの世界はきびしいし、簡単に成功出来るとは思えないが、本人もさいわい、気持ちの底からやる気になっているし、カゲひなたのない男でもありきっと多くの苦難に打ちかってくれるだろう。
父親為吉さんの話 私も野球が好きでよくみるが、勝彦にも自分の好きな道を選ばせた。なまはんかな気持ちでなく、皆さんの注意をよく聞いて、どこまでもやり抜いて欲しいと願っている。シンはとても強い子だし、きっと期待にこたえてくれると思う。