プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

竹屋三郎

2019-05-14 15:48:45 | 日記
1965年

中日は二日、市内御幸本町の愛知県産業貿易館で来シーズンの契約更改交渉を行ない、千原一塁手など三選手が更改した。また、さきに自由契約になっている竹屋三郎外野手(24)はこの日、吉江代表と話し合った結果、サブ・マネジャーとして球団に残ることに決まった。

更改 野口勝治、千原陽三郎、水谷実智郎

保留 木田優、門岡信行、佐野卓郎、法元英明、島野育夫
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入生比佐男・木村隆昭・冨田勇

2019-05-14 15:37:14 | 日記
1982年

入生(いりお)比佐男投手(18)=1㍍78、78㌔・右投げ右打ち=小倉・八幡大付属高

右腕のスリークォーター投手。春、夏の甲子園大会に出場した。

木村隆昭外野手(18)=1㍍85、78㌔・右投げ右打ち=大阪・北陽高

甲子園にこそ出場していないが、大阪大会予選では16打数7安打で、うち4ホーマーのスラッガー。肩も強く大型外野手。

冨田勇投手(17)=1㍍82、70㌔・右投げ右打ち=茨城・大宮高校

速球が武器の好投手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂野日出一

2019-05-14 15:15:59 | 日記
1961年

阪急ブレーブスは八日午後零時半から大阪市北区阪急ビル五階事務所で坂野日出一内野手(20)=赤穂高ー播磨造船=の入団発表を行った。坂野選手はノンプロ球界で好打、快走の持ち主として活躍、高校時代の平均打率は三割四分。昭和十五年三月二十五日生まれ、身長1㍍73、体重63㌔、右投右打。

坂野選手の話 阪急をえらんだ理由は別にない。ただ立派な選手と一緒にプレーしたいと思ったからだ。目標もないが、自分で反省しながらやっていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧勝彦

2019-05-14 14:26:29 | 日記
1960年

「阪神入りがきまったときには嬉しかった」豊橋工のエース牧投手は正直にこういった。根っからの野球好き。俺は野球以外に取りえがないんだときめこんでいたような彼は高校入学当初から、将来はプロで思い切り野球をやりたいという希望をもっていた。その夢が実現したのだから嬉しくないはずがない。父に話したところ、この父親も息子以上の野球狂で彼の出る試合は三年間欠かしたことがないほどだから、もちろん賛成してくれた。牧には甲子園出場の経験はない。しかし今年愛知県下では、実力№1の評があった。昨年までは左腕の鈴木(広島入り)と併用されていたが、最上級生となった今年は鈴木の故障もあって彼がエースの座を占めた。とくにこの夏の県予選では決勝まで進出。亨栄商に敗れはしたが6試合全部に完投、計60個以上の三振を奪っている。「決勝のときはもう疲れてしまって…」甲子園行きを逸したくやしさを思い出すようにもらしていた。オーソドックスな投法、低目にきまる速球は当然プロ各球団から狙われたが、その中で阪神を選んだ理由について牧は「いろいろな話を聞いたり、自分で考えてみた末、阪神が一番高校出を重視してくれそうだったから」と語る。その言葉には何よりも登板のチャンスを掴まなくては…の気持ちがうかがえ、口でこそ「二、三年の下積みは覚悟しています」といってはいるが、心の中では、一日も早くプロのマウンドでびゅんびゅん投げまくりたいと、うずうずしているに違いない。ずっと牧を指導して来た豊橋工立花監督は「勝ち気な性質で、わからない点はだれにでも聞いて、自分のものにする。今年の部員の中から十人ほど卒業生が出るが、野球に対する執着心ということでは彼が一番だ」と話してくれた。反面向こうっ気が強いことは、これまでの試合に、ときたま、打たせてとればいいところを、三振にしとめてやろうと、真正面から向かって、コチンと合わされ、カッとなって、また力んでしまう悪い面にも現れていたそうだ。しかしこれもまだ十七歳の若さ、へたな技巧に走って自分の持つスピード・ボールをころしてしまうよりはいいのかも知れない。「カーブ、シュートのコントロールに自信がなかった。プロに入ってからは、この点をしっかり勉強していきたい」と牧は自分に足りない点をはっきりわきまえている。蒲部からローカル線で入る吉良吉田の親もとを離れてこの三年間ずっと下宿生活、今年は正月と夏に帰っただけだそうだ。「はじめはちょっと寂しかった」気の強いエースもやはり純真な高校生である。身長1㍍76、71㌔、右投右打。現住所=豊橋市下地町宮前八五、牛田方。

阪神金田監督の話 大津キャンプでピッチングをみた。体もいいし、球筋も悪くない。来春のキャンプで専門コーチにつけば将来楽しめる投手。あとは本人の努力次第でチャンスをつかむことだ。ウチは二、三イニングスでも投げられる投手はどしどし一軍に上げるつもりだからチャンスはあるだろう。

豊橋立花一夫監督の話 一年生のころから割り合い安定した力を持っていた。以前はよく自信が過信となってかんじんなところで打たれることもあったが、最近はそういうことも少なくなって来た。プロの世界はきびしいし、簡単に成功出来るとは思えないが、本人もさいわい、気持ちの底からやる気になっているし、カゲひなたのない男でもありきっと多くの苦難に打ちかってくれるだろう。

父親為吉さんの話 私も野球が好きでよくみるが、勝彦にも自分の好きな道を選ばせた。なまはんかな気持ちでなく、皆さんの注意をよく聞いて、どこまでもやり抜いて欲しいと願っている。シンはとても強い子だし、きっと期待にこたえてくれると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田裕

2019-05-14 14:01:30 | 日記
1965年

ポカポカとした小春びより、カメラマンが試合中も大洋ベンチの中からパチパチ。一方両チームの主力選手も適当に野球をやるあたりはいかにも秋のオープン戦。しかし、こんなのどかな試合でも若手だけは真剣にプレーしていた。とくに大洋の山田裕はオープン戦とはいえ一軍初先発、ノーワインド・アップに近い変則モーションから懸命のピッチングをつづけた。初回こそ西田の三塁打と、池辺の中犠飛で1点を失ったが、四回まで3安打、球威はさしてなかったが、低目に度胸よく速球を投げ込んでなかなかのでき。別所コーチも「ピッチャーは力はもちろんだが、打者にのまれない心臓が大切だ。その点山田はいけるからね」といっていたが、今後の努力次第では、案外来シーズン大洋のホープにのし上がりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷川勉

2019-05-14 13:26:36 | 日記
1960年

セ・リーグ阪神タイガースは十五日午後二時大阪市北区梅田阪神電鉄ビル五階の球団事務所で戸沢社長から谷川勉捕手(21)=鐘化カネカロン=の入団を発表した。谷川選手は三十二年兵庫県立生野高卒後鐘化に入った。馬力のあるバッティングと足の速いのが特徴(ベース一周15秒)で、これを買われて入団となった。今年度の補強で阪神がノンプロ出身の選手を採用したのはこれがはじめて。昭和十四年三月二十六日生まれ。1㍍74、70㌔、右投右打。

谷川選手の話 入団した以上第一の目標は一日も早くレギュラーになること。プロ野球はテレビで見た程度だが、プロ入りしても自信はある。都市対抗で富士鉄広畑に補強されたが、腰を痛めて出場できなかったことがある。しかしその腰のねんざもすでに直っているので十分の活躍ができる。いずれにしても一生懸命働きたい。

河西スカウトの話 全国的には名が売れていないが私が見たところではキャッチングもいいし、馬力もあり鍛え方では面白い選手になろう。将来が期待できる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸勝之

2019-05-14 13:12:35 | 日記
1965年

大洋は横浜高の岸勝之投手(18)=180㌢、72㌔、右投げ右打ち=の獲得にも成功した。大洋の入谷スカウトは二十一日午後三時から、小田原市小八幡346の岸投手宅で同投手、父勝五郎さん(51)、母きみさん(47)と約二時間にわたり話し合った結果、了解がついたもの。岸投手については、今夏の甲子園大会予選で、横浜高が準決勝で敗れたため、中央には知られていないが、長身を生かして右腕から速球を投げ込むという本格派で、県下随一の好投手といわれていた。なお正式契約は遅くても二十七日(土)までに行われる予定。

岸投手の話 大洋は好きなチームです。家がすぐ近所で一年先輩の平岡さん(現大洋)とは、小学校のときからいっしょに野球をやっていました。

岸投手の父勝五郎さんの話 本人も希望していたし、われわれ家族も大洋入りには賛成しています。あとは野球部関係の了解を得るだけだと、思いますが・・・。

大洋は、二十五日東京・銀座西の球団事務所で横浜高の岸勝之投手(18)=182㌢、74㌔、右投げ右打ち=の入団を正式に発表した。岸投手はこの日正午、球団事務所で契約を済ませたもので、森代表と入谷スカウト、父勝五郎さん、恩師の笹尾監督(現群馬関東学園監督)が立ち会った。大洋にとっては、岡(保原)、石崎(仙台育英)、淵上(岐阜短大付)に次いで四人目の新入団選手である。

岸投手の話 はじめは進学を考えていましたが、大洋には平岡、畑口と先輩がふたりも入団しているし、僕自身もプロで、思い切ってプレーしたかったので、お世話になることになりました。オーバースローからの速球とカーブが得意です。

森代表の話 岸で新入団は四人目になったが、補強は順調に進んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在原兵次

2019-05-14 13:00:09 | 日記
1962年

明石に一人テスト生が現れた。在原君(24)で元横浜日野ヂーゼルの選手1㍍78、85㌔と桑田顔負けの体力が魅力。つらがまえも稲尾、葛城に似ている野球向きとあって、三原監督自らバッティングをなおしていた。川崎等々力のグラウンドにも参加していたが、この日はいきなり左翼に打ち込んだり素質十分のところをみせた。採用されるのではないか。夜七時から市内の映画館で大洋ホエールズ歓迎会が開かれ、三原監督以下ほとんどの選手が出席した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桝岡憲一

2019-05-14 11:50:19 | 日記
1960年

広島カープでは二十四日午後広島市民球場内の球団事務所で桝岡憲一投手(19)=広陵高、1㍍88、75㌔、右投、右打=と正式に契約したと発表した。同選手は今季春、夏の甲子園大会には年齢制限のため出場出来なかったが、速球投手として将来がしょく望されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊村健泰

2019-05-14 09:55:49 | 日記
1962年

近鉄バファローは九日午後三時から大阪阿倍野の球団事務所で豊村健泰投手(18)=浪商二年中退=の入団を発表した。同投手は昨年九月森宮球場で行なわれたテスト合格生。同投手は東映入りした尾崎投手と同級だった。右投右打、1㍍83、75㌔、背番号65。

豊村投手の話 どれだけやれるかためしたかった。武器は直球、早く第一線に出られるようがんばりたい。プロ野球はよく見ましたが、あらゆる点で足もとにも及ばないと思った。しかしそれに早く近づきたい。尾崎君に負けないようがんばる。

永江代表の話 豊村君は体に恵まれ、素質もある投手だ。コーチ陣の指導で伸びてくれることを望んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻野欣也

2019-05-14 09:26:54 | 日記
1962年

ディサの初練習をマークしていた報道陣が思わず目をみはった男がいる。1㍍88というから長身の小野より三㌢も高い。それがブルペンで投げはじめたのだ。保坂アシスタント・コーチがディサについていた田中コーチを呼びに来てこういった。「淡路島から来た新人です。少しみてやって下さい」そのノッポ投手は一球、二球と投げはじめた。オーバー・ハンドの正統派。浜崎真二氏がみていて思わず「いいピッチャーだ」とつぶやいた。前夜キャンプ地到着の辻野欣也投手(洲本実業、十八歳、1㍍88、75㌔、右投げ、右打ち)のキャンプ・インの風景である。保坂アシスタント・コーチが「カーブを投げられるか」と聞くと憤然とした表情でこの辻野はいった。「カーブでもシュートでもドロップでも投げられます。それではカーブを投げましょうか」「まだ変化球は暖かくなってからでいいよ」あわてて保坂はそう答えていた。いい根性の新人投手である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多田羅昇二

2019-05-14 09:19:49 | 日記
1961年

東映フライヤーズではこのほど多田羅昇二投手(18)=坂出商、右投右打)の入団を内定した。同投手は十八日からの高松キャンプに参加する予定。

東映に入団が内定していた多田羅選手(坂出商)は十九日正式契約を行ない高松キャンプに姿をみせた。44番のユニホームを着て紅白試合に出ていたが、投手としてより一塁か外野手として使う模様である。また、この日南海の自由契約選手となった野母投手がテストを受けに受高した。

水原監督の話 多田羅の方は足が早くないようなので一応一塁か外野に使おうと考えている。打撃の方はリキがありそうだ。野母は本人からテストを受けさせてくれと申し込んできた。一応このキャンプでみた上で採用するかどうか決めたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冨田勇

2019-05-14 09:12:16 | 日記
1982年

ドラフト外で大宮高の冨田勇投手(17)=183㌢、78㌔、右投げ右打ち=の入団が内定した。富田は今春から同校の右腕エースとして活躍、今夏の県大会では3回戦で太田一に敗れたものの、県内屈指の右腕投手として注目を集めていた。長身から投げ下ろす角度のある速球が武器の本格派で、将来性が買われた。同校からのプロ入りは五十三年卒業の沢幡ー菊地のバッテリー(ともに広島)以来三人目。

1983年

茨城県水戸市河和田1-1645-3

体力は投手に達していて特に腕の振り、ヒジから手首にかけて使い方がうまい。シャープな腕の振りは一流。昨年春、腰を痛めて十分な練習が出来ず不満であったが、体作りに成功すれば将来有望。一軍へのチャンスも。


登板日

1986年10月17日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする