1964年
迫田の評判は、自然と本堂監督の耳にもはいってくる。「どうや、迫田は使えそうかいな? 」田中二軍監督、坂本、植村、三浦、ファームを受け持っている各コーチに会うと、決まってたずねたものだ。答えは決まっていた。「もちろん使えますよ」迫田はライバル半沢とともに現在イースタンで、7勝をマークしている。最近負けがこんできて、3敗を記録しているが、開幕以来5連勝を記録したこともある。1㍍75、70㌔、プロ野球選手としては、体格に恵まれてもいない。その迫田が、なぜこれだけの勝ち星をあげられるのだろうか。秘密は、そのヒジにある。迫田は右ヒジはまっすぐ伸ばすことができない。約15度の角度で曲がっている。「高校のとき、投げすぎてヒジを痛めたことがある。それから腕がのびなくなってしまった」そのため、球がスライドしたり、落ちたりするのだ。迫田は鹿児島県照国市の出身。高校時代は無名だった。昭和三十八年春、神奈川大に進学している。そしてすぐ家庭の事情で中退。大阪にある板谷製袋という会社につとめた。この会社には四ヶ月ほどいたが、ここで軟式をやっている。硬式から軟式へー。勝手が違ったこともあったが、本堂監督は「ゴムまりと本ボールでは投げ方が根本的に違う。そのクセが硬式に持ち込まれて、くせ球が生れるのだ」といっている。「早く一軍で投げてみたい」迫田も意欲を語るが、本堂監督は慎重だ。「すぐ一軍で通用するとは思えない。スピードさえつけば、鬼に金棒だ」ともあれ、テスト生上がりの迫田が晴れの舞台で活躍する日も近い。