プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高橋一正

2019-05-01 10:39:59 | 日記
2000年

1軍デビューは果たす。横からのスライダーに自信もつかむ。球団は「高津2世」を期待し、1軍定着が目標。
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レモン

2019-05-01 10:36:20 | 日記
2000年

メジャーの経験はないが、台湾の統一で先発、抑えとして4年間活躍。台湾では通算30勝25敗11Sを記録。3種類のチェンジアップ、スライダー、カーブ、シュートと球種は豊富。オフには小説の出版を予定している異色の助っ人。
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迫田七郎

2019-05-01 09:11:14 | 日記
1964年

迫田の評判は、自然と本堂監督の耳にもはいってくる。「どうや、迫田は使えそうかいな? 」田中二軍監督、坂本、植村、三浦、ファームを受け持っている各コーチに会うと、決まってたずねたものだ。答えは決まっていた。「もちろん使えますよ」迫田はライバル半沢とともに現在イースタンで、7勝をマークしている。最近負けがこんできて、3敗を記録しているが、開幕以来5連勝を記録したこともある。1㍍75、70㌔、プロ野球選手としては、体格に恵まれてもいない。その迫田が、なぜこれだけの勝ち星をあげられるのだろうか。秘密は、そのヒジにある。迫田は右ヒジはまっすぐ伸ばすことができない。約15度の角度で曲がっている。「高校のとき、投げすぎてヒジを痛めたことがある。それから腕がのびなくなってしまった」そのため、球がスライドしたり、落ちたりするのだ。迫田は鹿児島県照国市の出身。高校時代は無名だった。昭和三十八年春、神奈川大に進学している。そしてすぐ家庭の事情で中退。大阪にある板谷製袋という会社につとめた。この会社には四ヶ月ほどいたが、ここで軟式をやっている。硬式から軟式へー。勝手が違ったこともあったが、本堂監督は「ゴムまりと本ボールでは投げ方が根本的に違う。そのクセが硬式に持ち込まれて、くせ球が生れるのだ」といっている。「早く一軍で投げてみたい」迫田も意欲を語るが、本堂監督は慎重だ。「すぐ一軍で通用するとは思えない。スピードさえつけば、鬼に金棒だ」ともあれ、テスト生上がりの迫田が晴れの舞台で活躍する日も近い。
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