プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

村山泰延

2019-05-25 15:10:43 | 日記
1961年

西鉄は五日、村山投手の自由契約選手、桑原、木下、高野、団野の四投手と柴田、村上捕手の退団を発表した。なお桑原は新潟電気化学、木下は八幡製鉄、村上は瀬戸内海汽船への就職がきまっている。
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島谷勇雄

2019-05-25 14:25:22 | 日記
1963年

国鉄の島谷勇雄投手(25)=盈進商出=はかねて家業(広島県・福山で鮮魚問屋を営む)をつぐため、退団を希望していたが、四日自由契約選手になった。
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妻島芳郎

2019-05-25 14:20:42 | 日記
1961年

大毎は五日午後四時半、東京有楽町の球団事務所でノンプロ日本通運の妻島芳郎投手(23)=1㍍78、70㌔、右投右打=の入団を発表した。なお背番号は未定。

妻島投手の話「会社に義理もあり、なかなかプロ入りに踏み切れなかった。好きな大毎にはいれてうれしい。何勝できるかといわれてもわからない。とにかく数多く試合に出たい。出足がよければかなりいけるのではないかと思っている。腕の位置があがっているとかフォームが変わったなどといわれることについては自分ではとくに気がついていない。しかし悪ければ直していきたい」

宇野監督の話「ウチとしては今シーズン投手陣がふるわなかっただけに妻島君の加入は大きなプラスだ。他の投手にもいい刺激になるだろう。ことしの妻島君はパッとしなかったが、ノンプロ四年間の成績をみれば、その実力のすぐれていることははっきりわかる。プロ入りを機に大いに活躍してくれることを期待している」

日大二高出身、三十二年日本通運に入社。堀本(巨人)がプロ入りしたあとのエース。外角へのスライダーと速い球が武器。昨秋産業対抗で優勝した倉敷レイヨンの補強選手として、ことしの一月台湾遠征に参加。今秋の産業対抗では優秀選手にえらばれている。
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平岩文夫

2019-05-25 14:17:27 | 日記
1960年

東映ではこのほど駒沢での冬季練習にテスト生として参加していた平岩文夫外野手(22)=名古屋商科大、1㍍75、76㌔、右投右打=の採用をきめ、近く正式契約する。同選手は愛知六大学リーグで通算打率三割二分、ホームラン15本をマークした。
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大庭清

2019-05-25 09:34:49 | 日記
1961年

午後三時、福岡市天神町の球団事務所で、阪神タイガース外野手、伊藤光四郎選手(24)の移籍による入団を発表した。また、さきに行なったテストの合格者としてつぎの四選手の入団も発表した。

大庭清投手(佐世保北高)十八歳、身長1㍍80、74㌔、右投げ、右打ち。
原正投手(黒木高卒)二十歳、1㍍77、62㌔、左投げ、左打ち。
池永浩之捕手(大分商)十八歳、1㍍74、69㌔、右投げ、右打ち。
青木勝俊捕手(博多高)十八歳、1㍍70、71㌔、右投げ、右打ち。


大庭清投手 登板日

1964年8月2日
1964年8月9日
1964年8月15日
1964年9月29日
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赤木健一

2019-05-25 08:35:01 | 日記
1963年

国鉄を退団した赤木健一氏は二十日、東京・有楽町の球団事務所を訪ね「今後は家業(東京・浅草でメリヤス問屋を営んでいる)をつぐことになりましたから、よろしく…」と森三郎常務にあいさつした。赤木氏はすでに三人の店員にまじって毎日ライトバンに乗って仕事に精を出している。「メリヤス問屋の若だんなだネ」とヒヤかされて、テレていたが、明るい表情だった。
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岩上江笠

2019-05-25 08:33:45 | 日記
1960年

関西六大学野球秋のリーグ戦で優勝した立命大のエース岩上江笠(こうりつ)投手(29)は二十四日、西京極球場で「できれば巨人にはいりたい」と語った。同投手はサイドからのシュートを得意とする速球投手で、関西六大学リーグ№1の定評がある。東映、近鉄、南海、大洋などから入団をすすめられていた。

岩上投手の話 「丸善石油が熱心に入社をすすめてくれるので、まだ断りきれないでいる。しかしぼくは野球をやるならノンプロよりプロでやってみたい。巨人をはじめ各球団から交渉があったが、一番誠意を示してくれる巨人をえらびたい。丸善石油との話し合いがつけば巨人と具体的な話をすすめるつもりだ」

岩上江笠 三十二年兵庫県八鹿(ようか)高出身。文学部四年。三十四年の三年生の春ごろからローテーションに加わり、その年の秋七試合に出て、一勝三敗だったが、今春十五試合に登板、完投勝ちばかりの四勝(三敗)をあげ注目された。秋のリーグ戦は十月二十四日現在七試合四勝(完投勝ち3)1㍍73、75㌔、右投右打。
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城野勝博・山口昌明・藤本典征

2019-05-25 07:32:58 | 日記
1962年

県高校球界のいま一つの話題は、来春卒業の城野勝博(鳥工)山口昌明(鹿実)藤本典征(伊万里)三投手のプロ入り。城野、藤本両投手が広島カープ、山口投手は南海ホークスに入団する。城野は快速球とシュートを武器とする本格派、山口も長身を利した速球に鋭く曲がる外角へのカーブ、ドロップなど多彩のピッチングでこの夏は鹿実を準々決勝にまで引っ張った。伊万里の不藤本は夏の大会では一回戦で佐商の木村と投げ合い、2-0で敗れたが、左腕特有の内角低めの速球とカーブに威力を見せた。一刻も早くペナントレースのマウンドで力投する日を期待したい。
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阿部雄厚

2019-05-25 07:30:56 | 日記
1960年

近鉄バファローでは十一日午後三時、大阪阿倍野の球団事務所で岩手県花巻商の阿部雄厚投手=17歳、左投げ左打ち、身長1㍍82、体重72㌔=の入団を発表した。同投手は中央球界にはほとんど無名だが東北球界きっての本格派サウスポーといわれており昨春、二年生当時、県の招待試合で選抜出場校宮古高の佐々木(現大毎)と投げ合ってノーヒットノーランを記録している。長身からの速球とドロップが武器で近鉄のほか大毎、大洋も入団を勧誘していた。

阿部投手の話 プロ野球はテレビでみただけなので、どれだけやれるかわからないが、早く第一線に出られるよう力一ぱいやります。スピードボールとドロップが武器です。これからはもう少しウエートをつけることと足腰を強くしたいと思います。

永江社長の話 バファローにはいいサウスポーがいないので阿部君には大きな期待をかけている。幸いからだはいいしスピードを主にした本格派なので十分期待にこたえてくれるだろう。
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辻善之

2019-05-25 07:29:52 | 日記
1966年

辻が大きなショックに打ちひしがれている。プロ入り五年目で初めて一軍のマウンドに上がったが、サンケイ打線の好餌にあってあえなくKO。「二軍で投げているときは気楽なもんですが、一軍となるとそうはいきませんがね。産経16回戦のときは上がって球が走らなかった。不思議なものですね。五年目でつかんだチャンスをフイにしたのだからショックはあるが、また出直しですよ」辻は、ショックを受けながらも、立ち直りのきっかけをつかもうと懸命だ。

登板日

1966年7月31日
1966年8月13日
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柴田晃

2019-05-25 07:25:31 | 日記
1963年

大毎・東映戦、投手難に悩む東映はこの試合で二人のプロ入り初登板の投手を送った。三回石原をリリーフした長南だが、わずか六球でKO。ロッカーに帰った長南は「イースタンでしばらく一塁をやっていたため肩をこわしてしまった。二週間ばかり休んでいたのです。きょうの救援も予定外だったのですが。とにかくショックです」とがっくり。もう一人は七回から富永をリリーフした柴田。二回投げて二安打、失点0に押えた柴田は「やはり一軍は違います。一番から九番まで全然息が抜けません。ストライクを入れるのがやっとですよ。とにかく点をとられなくてよかった」とほっとした表情。プロ入り初登板の二つの明暗だった。

二線級投手総くずれで東映は大敗したが、この試合で二人の投手がプロ入り初登板した。一人は長南、社会人球界の南関東地区で渋谷(国鉄)をしのぐ左腕投手といわれたが、どこでどう脱線してしまったのか、入団以来鳴かず飛ばずの状態で、ついこの間まで打力を買われてイースタン・リーグで一塁を守り打者転向の声が聞こえていた。それが「二週間前からまたピッチングを始めた」のは左投手不足の悩みが切実に身にしみてきたためだが、わずか二週間の練習で大毎打線を相手にするのはムリというもの。代わりバナ初球を榎本に3ランホーマーされ続く田宮にも二塁打、その間投球はたった6。もう一人は七回から登板の柴田。長南と同じく二年生で連日試合前の打撃練習で投げている。2イニング投げてまずまずでかわした。柴田は「フリー・バッティングで投げているのと、たいした違いはありませんよ」とすましたものだった。

またこれもプロ入り二年目の柴田(福岡豊国高)が七回から初登板したが、これは2安打、無失点とまずまずのデビュー。4戦目ともなれば投手陣が底をついて苦しい東映のやりくりだった。

二番手柴田とはいえ今季二度目の登板。嵯峨とどっこいどっこいだがピッチングの内容は段違い。カーブがいいというより安藤元に似たピッチング法も阪急打者がタイミングをはずされたといっていい薄氷を踏む思いだったスタートも柴田の好投で何とか持ち越した。

登板日
1963年7月15日
1963年7月18日
1963年7月29日
1963年8月5日
1964年4月24日
1965年5月9日
1965年5月16日
1965年5月21日
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