1991年
チーム4連敗を止めたのはなんと19歳、プロ入りしてまだ2年目の若武者だった。5月6日の対大洋4回戦(甲子園)一軍登録されたばかりの麦倉洋一投手はこの試合、プロ入り初先発でマウンドに登る前は思わず、ヒザが震えたほどだった。1回に屋鋪に二塁打された1点こそ先制されたものの、2回から6回までノーヒット。1回裏にはトラ打線の速攻5点援護があって、7回途中で降板した時にはプロ入り1勝が確定していた。「木戸さんのサインを見るのが精いっぱいでした。とにかく低く、低く投げようと思って。勝ち負けなんて頭になかった」この登板前には、妹の美佐子さん(17歳)と交わした約束があった。二つ違いの妹は栃木商のハンドボール部。全国大会にも出場するエース選手の一人だ。「兄ちゃんが勝つか、お前が勝つか。さあ競争だ」持って生まれた素質は兄妹に共通しているのか、美佐子さんも強肩。子供の頃は2人でキャッチボールしても、美佐子さんのボールは兄に負けないものだったとか。5月11日は、「栃木県高校総体」が開幕。今度は妹が速球を投げ込む。
5点のリードを背負った麦倉が七回無死一、二塁のピンチを招くと、中村監督がゆっくりベンチから出てきて投手交代を告げた。結果論ではなくこの交代は早過ぎたような気がした。まず二年目の十九歳、麦倉の力投である。味方が一回の二死満塁、三回の無死満塁を逃してもくさらずによく投げ、五回の3点はその辛抱が実った感があった。さらに五回無死一、三塁の守りでは宮里のライナーを好捕し、併殺に取っている。若い投手は必死でマウンドを守っていた。5点の得点差、さらに救援陣の力量を考えても、ここは続投が正解だと思う。そして何より麦倉がどこまで投げ、耐えられるのかを中村監督に試してほしかった。確かに麦倉は被安打は4本だが、6四球を与え、指揮官に不安が広がっていたとしても不思議はない。しかし、低迷阪神の伸びゆく若い芽である。ここは中村監督に成長を見守る「我慢」がほしかった。
チーム4連敗を止めたのはなんと19歳、プロ入りしてまだ2年目の若武者だった。5月6日の対大洋4回戦(甲子園)一軍登録されたばかりの麦倉洋一投手はこの試合、プロ入り初先発でマウンドに登る前は思わず、ヒザが震えたほどだった。1回に屋鋪に二塁打された1点こそ先制されたものの、2回から6回までノーヒット。1回裏にはトラ打線の速攻5点援護があって、7回途中で降板した時にはプロ入り1勝が確定していた。「木戸さんのサインを見るのが精いっぱいでした。とにかく低く、低く投げようと思って。勝ち負けなんて頭になかった」この登板前には、妹の美佐子さん(17歳)と交わした約束があった。二つ違いの妹は栃木商のハンドボール部。全国大会にも出場するエース選手の一人だ。「兄ちゃんが勝つか、お前が勝つか。さあ競争だ」持って生まれた素質は兄妹に共通しているのか、美佐子さんも強肩。子供の頃は2人でキャッチボールしても、美佐子さんのボールは兄に負けないものだったとか。5月11日は、「栃木県高校総体」が開幕。今度は妹が速球を投げ込む。
5点のリードを背負った麦倉が七回無死一、二塁のピンチを招くと、中村監督がゆっくりベンチから出てきて投手交代を告げた。結果論ではなくこの交代は早過ぎたような気がした。まず二年目の十九歳、麦倉の力投である。味方が一回の二死満塁、三回の無死満塁を逃してもくさらずによく投げ、五回の3点はその辛抱が実った感があった。さらに五回無死一、三塁の守りでは宮里のライナーを好捕し、併殺に取っている。若い投手は必死でマウンドを守っていた。5点の得点差、さらに救援陣の力量を考えても、ここは続投が正解だと思う。そして何より麦倉がどこまで投げ、耐えられるのかを中村監督に試してほしかった。確かに麦倉は被安打は4本だが、6四球を与え、指揮官に不安が広がっていたとしても不思議はない。しかし、低迷阪神の伸びゆく若い芽である。ここは中村監督に成長を見守る「我慢」がほしかった。