プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

麦倉洋一

2020-07-04 17:55:39 | 日記
1991年

チーム4連敗を止めたのはなんと19歳、プロ入りしてまだ2年目の若武者だった。5月6日の対大洋4回戦(甲子園)一軍登録されたばかりの麦倉洋一投手はこの試合、プロ入り初先発でマウンドに登る前は思わず、ヒザが震えたほどだった。1回に屋鋪に二塁打された1点こそ先制されたものの、2回から6回までノーヒット。1回裏にはトラ打線の速攻5点援護があって、7回途中で降板した時にはプロ入り1勝が確定していた。「木戸さんのサインを見るのが精いっぱいでした。とにかく低く、低く投げようと思って。勝ち負けなんて頭になかった」この登板前には、妹の美佐子さん(17歳)と交わした約束があった。二つ違いの妹は栃木商のハンドボール部。全国大会にも出場するエース選手の一人だ。「兄ちゃんが勝つか、お前が勝つか。さあ競争だ」持って生まれた素質は兄妹に共通しているのか、美佐子さんも強肩。子供の頃は2人でキャッチボールしても、美佐子さんのボールは兄に負けないものだったとか。5月11日は、「栃木県高校総体」が開幕。今度は妹が速球を投げ込む。

5点のリードを背負った麦倉が七回無死一、二塁のピンチを招くと、中村監督がゆっくりベンチから出てきて投手交代を告げた。結果論ではなくこの交代は早過ぎたような気がした。まず二年目の十九歳、麦倉の力投である。味方が一回の二死満塁、三回の無死満塁を逃してもくさらずによく投げ、五回の3点はその辛抱が実った感があった。さらに五回無死一、三塁の守りでは宮里のライナーを好捕し、併殺に取っている。若い投手は必死でマウンドを守っていた。5点の得点差、さらに救援陣の力量を考えても、ここは続投が正解だと思う。そして何より麦倉がどこまで投げ、耐えられるのかを中村監督に試してほしかった。確かに麦倉は被安打は4本だが、6四球を与え、指揮官に不安が広がっていたとしても不思議はない。しかし、低迷阪神の伸びゆく若い芽である。ここは中村監督に成長を見守る「我慢」がほしかった。
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中井康之

2020-07-04 17:36:42 | 日記
1972年

春から11勝4敗。攻守にまとまっている。春季大会に十九年ぶりに優勝した。こんども最有力。そのキー・ポイントは中井の右腕。180㌢、70㌔の恵まれた身体から、低目をつく速球はのびがある。打者のひざ元に食いこませるシュートが武器。中井が好調だとちょっと手が出ない。打線も大ぶりしない。粘り強さが身上。
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菊川昭二郎

2020-07-04 17:32:00 | 日記
1970年

前半戦終了の直前から、にわかに調子をあげていた菊川が、後半戦のスタートから大あばれ。リード・オフマンの大役をりっぱに果している。とにかくよく打つ。「自分でもどうしてかわからんです」-本人が目をまるくするくらいなのだ。「まあ、振り切っとるからいいのじゃないですか。それと打球の飛ぶコースがいいようです。節制のたまものですよ」とは言うが、一番いいのはどうやら体調の回復だったらしい。「宿病のようになっていた腰痛が暑さで吹っ飛んだんですよ。スイングの前にからだが開かなくなった。それに打球のコースにも関係してますね」温度計といっしょに菊川の打率もうなぎのぼり。しかしこのトップ打者は無欲だ。「打数を知らんし、打率の計算はできんのですよ。2割5分ぐらいはいっているんじゃないですか。それよりも塁に出るほうが先です」と割り切っている。「ポジションをもらって気分的にも安定しているようですね。いまは定位置を守ることで精いっぱいです」と謙そんする菊川。ライオンズの快進撃は身長173㌢の小さな切り込み隊長のリードでいよいよ本調子になってきたようである。
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麦倉洋一

2020-07-04 17:17:12 | 日記
1991年

この日一軍に再登録されたばかりのプロ入り二年目の阪神の麦倉(佐野日大高出)がプロ初先発して七回途中まで被安打3、失点1の好投で初勝利を飾り、チームの連敗を「4」で止める立役者になった。「緊張して何も分からなかった」という一回こそ1点を奪われたが、二回以降六回までは1四球だけ。「ストレートに伸びがあったし、フォームが今までで一番よかった」と白い歯を見せた。今季は念願の開幕一軍を手にしたが、敗戦処理で3試合に登板しただけで二軍落ち。「フォームが崩れていたのを自分なりに直し、それでファームの試合(四月二十八日、中日戦)でうまくいった。あれがすべてです」麦倉は立ち直りのポイントをそう説明し「うれしいですね。一生忘れないと思います」と、初勝利の味をかみしめていた。

プロ入り二年目で初先発の麦倉が好投した。速球を主体に緩いカーブと低めに落ち込むフォークボール。好調の大洋を堂々抑え込んだ。一回、先頭の屋鋪に一塁線を抜かれる二塁打。送りバントとレイノルズの中犠飛で1点を許したが、硬さの取れた二回からは危なげなかった。七回途中の降板ではあっても、自力でつかんだ初勝利だった。
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