プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

平沢隆好

2020-07-05 22:12:07 | 日記
1980年

平沢が1年2ヶ月ぶりに勝利をつかんだ。16日のロッテ9回戦。2回に崩れた田村を一死一塁から救援すると球をコーナーに散らせてロッテ打線を寄せつけない。逆に味方打線は2回裏に大爆発。一挙8点を奪い鮮やかな逆転。大量点をバックに余裕を持つと平沢は、8回に奪われた1点だけにロッテ打線を抑え切った。「嬉しいですね。マウンドから胸を張って降りてこられる気分は最高。この前いつ勝ったのかもう忘れてしまっていました」この勝利、昨年6月16日の西武前期10回戦以来、なんとぴったり1年2ヶ月ぶりの白星だった。左腕投手不足の悩みを抱え、首脳陣から大きな期待をかけられながら、シーズン当初から不甲斐ないピッチングが続き、5月後半にはファーム落ち。それを機会に中原二軍投手コーチとじっくり話し合い、上手投げから横手投げにフォームを改造、コントロールの充実に取り組んだ。「いい勉強になりました。フォームを変えただけじゃなく、中原さんからピッチングのコツについても、イロハから教えてもらったんです」フォームを改造して確かに制球力は向上した。しかし一朝一夕にして完全に身につけられるものではない。再び一軍へ復帰してからも防御率は10点台をオーバー。一時はダメ投手のらく印を押されかけた。「打たれながらも実戦で投げていくうちに、フォームもしっくり身についてきました。シュートとカーブのコンビネーションがうまくいきました。これで自信もつきましたから、今までチャンスを与えてもらって果せなかった分を、取り返していきたいですね」久しぶりに味わった勝負の美酒を踏み台にして、平沢は今後へのハッスルをきっぱり誓っていた。一軍入りしたばかりの高は、まだ経験不足。それだけに首脳陣の平沢への期待は大きい。
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水谷茂雄

2020-07-05 21:52:02 | 日記
1980年

ルーキー水谷が初先発。惜しいところで初勝利を取りにがした。30日の日本ハム7回戦のことだ。過去7試合はすべてリリーフ。それも勝負がすんだ、敗戦処理の形での出番が多かった。「別にアガりはしない。でも立ちあがりが一番苦しかった。体は少々疲れたけれど、気持ちのほうは全然バテてないですよ」7回先頭打者の高代に中前打されると平沢にバトンタッチ。この時点で1点リードしていたので、うまく抑えてくれればプロ入り初勝利が転がり込んでくる。ところが金城がメッタ打ちにあい、初白星も一瞬にして消え失せた。「そんなことはいいんです。先発に使ってもらえただけで嬉しいですよ。110球も投げたんですか。そんなに投げてるとは思わなかった」初先発の感謝にひたる水谷だが、びっくりしたのは三重・四日市市に住む両親の勝雄さん(45)と直子さん(43)。「夕方、テレビのニュースで知って驚きました。テレビもラジオも放送がないので、気が気じゃなかった。勝てなかったけど、あれだけやってくれたんですからね。私達も満足です」両親にビッグプレゼントとはいかなかった水谷だが、頼もしい若タカが1人誕生した。

若タカ、ルーキー水谷が、混パの主役西武から大金星、プロ入り初勝利をあげた。「アガることなんか全然なかったですよ。この前のときは、6回で崩れているから、きょう、なんとかそれ以上投げたいと思っていました。とにかく勝てて、こんな嬉しいことはありません」先月、8月30日の日本ハム3回戦についで今季二度目の先発という水谷が、17日の西武9回戦で見事、期待にこたえたのだ。5回、長谷川に5号ソロを浴び1点。3回、一死三塁から金城の助けを借りるまで、西武打線を4安打に抑える好投。ゲームが終わると、先輩・金城に何度も頭を下げるあたりに、いかにもルーキーらしさがのぞく。水谷は昨年のドラフト4位で四日市工から南海入りした若タカ。これまでの成績は0勝0敗。広瀬監督にしてみれば、来季に備え、経験を積ませるための先発だったが、嬉しい誤算。混パから南海だけがカヤの外だけに、混パをより一層かきまわす、陰の主役になって欲しいものだ。
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1970年 阪神 テスト生

2020-07-05 21:34:53 | 日記
1970年

阪神は十四日、キャンプ地の安芸で元近鉄の山本重政投手(29)=立命大中退、1㍍77、75㌔、右投げ、右打ち=と元グローバルリーグ東京ドラゴンズの畑口健二投手(22)=法政二工、1㍍78、78㌔、左投げ、左打ち=の入団を発表した。両投手は甲子園球場での第一次キャンプにテスト生として参加していたもので、チームとともに十四日安芸入りした。山本は昨年末近鉄の自由契約選手になったが、同球団での八年間で35勝をあげている。また畑口は四十年に大洋入りし、四十三年に退団、グローバルリーグに参加していた。背番号は山本が56、畑口が54。
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1970年 西鉄 ドラフト外

2020-07-05 21:29:02 | 日記
1970年

西鉄ライオンズは十二日、テスト入団選手四人を発表した。

佐藤玖光(くにみつ)投手、左投げ左打ち、24歳、1㍍77、66㌔、九州工業高校、林建設KK出身

古屋哲美(てつみ)投手、右投げ右打ち、22歳、1㍍74、69㌔、博多工業高校、九州産業大学出身

加藤博一(ひろかず)外野手、右投げ右打ち、19歳、1㍍78、71㌔、佐賀多久工業高校出身

梅野哲徳(てつのり)捕手、右投げ右打ち、18歳、1㍍72、65㌔、別府大学付属高校出身

西鉄ライオンズでは、昨年二度にわたる新人テストを行ったが、慎重審査の結果、四人の新人が選び出された。もっとも佐藤投手は稲尾監督が目をつけ、推薦していたもので、公式テストを待たずひそかに実力を検討してたもので、左の本格派、からだも立派で、左投手の少ない西鉄だけに成長に大いに期待をかけている。
古屋投手は、一、二次のテストでいずれもトップにチェックされたもので、アンダースロー。バネもよく、くせ球を習得すれば貴重な存在となろう。
おもしろいのが加藤外野手。子供のころからのライオンズファンで運動神経は抜群だ。サッカー部から誘われてサッカーの試合に出たこともあり、中、長距離のランナーでもある。佐賀県内の高校駅伝では3㌔を9分9秒で走った。打撃がすばらしくオープン戦だけで20ホーマーを記録、打率も3割台である。すでに国士舘入りが決まっていた。
梅野捕手は大分関係者からの推薦、二度めのテストにとび込んできて、馬力のあるからだを買われたもの。四人ともまさにかくれた逸材だ。
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