1985年
両チームとも先発投手がよく投げた。大洋の大畑は丁寧にコーナーをつき、カーブとシュートの配合も申し分なかった。南海の藤本修はスピードもあり、制球もよくなった。一回、自分の失策で1点を失ったが、七回を4安打に抑える力投。
大洋の大畑が五回を1安打に抑えた。三年前のドラフト一位だが、左ひじを痛めて一軍では昨シーズン、三試合で3イニングしか投げていない。近藤新監督は「先発できる左腕」として目をつけ、投球数を減らすことでひじの酷使を避け再起をはかった。立ち上がりは力みすぎて先頭打者を歩かせたが、続く三人を三振と凡打に打ち取り、許した安打は三回、小川に右前打された一本だけだった。
両チームとも先発投手がよく投げた。大洋の大畑は丁寧にコーナーをつき、カーブとシュートの配合も申し分なかった。南海の藤本修はスピードもあり、制球もよくなった。一回、自分の失策で1点を失ったが、七回を4安打に抑える力投。
大洋の大畑が五回を1安打に抑えた。三年前のドラフト一位だが、左ひじを痛めて一軍では昨シーズン、三試合で3イニングしか投げていない。近藤新監督は「先発できる左腕」として目をつけ、投球数を減らすことでひじの酷使を避け再起をはかった。立ち上がりは力みすぎて先頭打者を歩かせたが、続く三人を三振と凡打に打ち取り、許した安打は三回、小川に右前打された一本だけだった。