プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大畑徹

2020-07-26 14:46:45 | 日記
1985年

両チームとも先発投手がよく投げた。大洋の大畑は丁寧にコーナーをつき、カーブとシュートの配合も申し分なかった。南海の藤本修はスピードもあり、制球もよくなった。一回、自分の失策で1点を失ったが、七回を4安打に抑える力投。

大洋の大畑が五回を1安打に抑えた。三年前のドラフト一位だが、左ひじを痛めて一軍では昨シーズン、三試合で3イニングしか投げていない。近藤新監督は「先発できる左腕」として目をつけ、投球数を減らすことでひじの酷使を避け再起をはかった。立ち上がりは力みすぎて先頭打者を歩かせたが、続く三人を三振と凡打に打ち取り、許した安打は三回、小川に右前打された一本だけだった。
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小嶋正宣

2020-07-26 14:40:38 | 日記
1981年

「早起きは三文の徳とはよくいったものですね」と白い歯をのぞかせていたのがルーキー・小嶋。というのも7月18日のロッテ戦に先発したが、午後3時開始のデーゲームとあって、起床時間をいつもより3時間早めて午前8時に起きて調整したのだ。これがズバリ的中、グラウンドでは40度を超す酷暑にもかかわらず、完封目前の1失点完投4勝目。実はこの早起き指令は梶本ピッチングコーチから出ており、当日だけでなく午前8時起床は三日間も続けられた。小嶋は「確かにつらいけど、試合中は体がシャキッとしました」と、早起きは三文の徳ーを地でいった好投に満足げだった。
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川村博昭

2020-07-26 14:30:51 | 日記
1974年

太平洋クからドラフト六位に指名された九産大の川村博昭外野手(22)=飯塚商出身、身長170㌢、体重67㌔=のライオンズ入団が内定した。二十八日午後一時から太平洋クの島原スカウトは、福岡市東区香椎の九産大体育館で川村選手と二度目の入団交渉、鶴岡同校理事と藤本野球部監督が立ち合った。二十五日の第一回交渉では、父親昭二さん(47)が「息子と話し合って決めたい」と態度を保留したが、この日の交渉で川村選手は「太平洋へ入団します」と、すんなりプロ入りを決意した。同選手は四十四年夏の甲子園大会に二年生ながら中堅手として出場。九産大では一年生の秋からレギュラーとなり、二年生の四十七年に結成された福岡六大学リーグ戦では三年間、春秋の計6シーズンで通算229打数、84安打、3割6分7厘の高打率をマークしている。ベストナインに四回選出され、7ホーマーのうち3ホーマーは、今秋の優勝を決める大事な試合で放っている。太平洋クでは「野球に対する気構え、態度はもちろん、センスがすばらしい。俊足強肩の持ち味を生かせば、太平洋クの貴重な戦力になり得る」(島原スカウト)と期待している。正式契約、入団発表は、きょう二十九日渡米する青木同球団事務が帰福してからになる。

川村選手の話 私の意志でプロ入りを決めた。太平洋では特長を生かしたい。足では難飛球を好捕、そして絶対に盗塁を成功させるような選手。肩では好送球で走者を文句なしに刺す選手になることが目標。地元ファンの期待にこたえるよう努力します。
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