1970年
山崎、池辺、有藤そしてロペス、榎本、醍醐…。しぶとさで名を売ったロッテ主力打者のバットが、ためらいもなく空を切った。175㌢、74㌔。小柄な愛着の左腕からひねり出される鋭いカーブは、まるで生きもののようにバットの下をくぐり抜け、宮寺のミットでハデな音をたてた。首をひねるロッテの面々。ベテランたちを手玉にとって若狭の小天狗は白い歯をみせた。すべてにひかえ目な男だから、ハデなジェスチャアはない。だが一昨年のドラフトで指名1、2位を分け合った東尾が、すでに2勝をマークした事実は重い。くやしさの重みにジッと耐えながら乗替は投げた。「どんなことがあっても、とにかく勝ちたい」それだけが頭の中にあった。それだけがマウンドの乗替のたよりだった。一年目の昨シーズンは、あせりで肩をこわした。シーズン終了前には、あわや整理選手の仲間入り?とウワサされるほど落ちぶれ果てていた。だが甲子園大会で一流の折り紙をつけられた若狭高のエースには、まだプライドが残っていた。故郷の海辺で人知れぬ猛特訓で作り直された乗替の左腕は、やがて島原キャンプで和田コーチを驚かせ、オープン戦で稲尾監督に思わず目をこすらせたほどの、すばらしいカーブを生んでいた。これまでの公式戦最長投球回は3回と3分の2(対ロッテ4回戦=東京)だがこの夜は難なく四回を切り抜けた。五回の二死二塁も浜村の美技で乗り切った。六回は二ー四番を三者凡退だ。七回、有藤に左線二塁打され、前田に送りバントを許して一死三塁のピンチを残し降板したが、リリーフの秋葉が高目球ばかり投げて大量点を失ってしまっただけに、ベンチにも悔いが残ったろう。乗替自身はどうだったか。「投球数が少なかった(88球)から疲れはなかったんです。だけど有藤さんに打たれたタマはボール1個くらい内側にはいってしまいました。きょうはスライダーがよかったんだけど…。もっとフォームが固まってきたら完投できるでしょう」と意外に明るい表情でしゃべった。インタビューの間も同僚たちから「惜しかったな」「つぎは打ってやるから」と、ねぎらいのことばが飛んでくる。そんな声にいちいちうなずきながら「とにかく精いっぱいやりました。つぎは勝ちます」すべてを包みかくして乗替は胸を張った。
山崎、池辺、有藤そしてロペス、榎本、醍醐…。しぶとさで名を売ったロッテ主力打者のバットが、ためらいもなく空を切った。175㌢、74㌔。小柄な愛着の左腕からひねり出される鋭いカーブは、まるで生きもののようにバットの下をくぐり抜け、宮寺のミットでハデな音をたてた。首をひねるロッテの面々。ベテランたちを手玉にとって若狭の小天狗は白い歯をみせた。すべてにひかえ目な男だから、ハデなジェスチャアはない。だが一昨年のドラフトで指名1、2位を分け合った東尾が、すでに2勝をマークした事実は重い。くやしさの重みにジッと耐えながら乗替は投げた。「どんなことがあっても、とにかく勝ちたい」それだけが頭の中にあった。それだけがマウンドの乗替のたよりだった。一年目の昨シーズンは、あせりで肩をこわした。シーズン終了前には、あわや整理選手の仲間入り?とウワサされるほど落ちぶれ果てていた。だが甲子園大会で一流の折り紙をつけられた若狭高のエースには、まだプライドが残っていた。故郷の海辺で人知れぬ猛特訓で作り直された乗替の左腕は、やがて島原キャンプで和田コーチを驚かせ、オープン戦で稲尾監督に思わず目をこすらせたほどの、すばらしいカーブを生んでいた。これまでの公式戦最長投球回は3回と3分の2(対ロッテ4回戦=東京)だがこの夜は難なく四回を切り抜けた。五回の二死二塁も浜村の美技で乗り切った。六回は二ー四番を三者凡退だ。七回、有藤に左線二塁打され、前田に送りバントを許して一死三塁のピンチを残し降板したが、リリーフの秋葉が高目球ばかり投げて大量点を失ってしまっただけに、ベンチにも悔いが残ったろう。乗替自身はどうだったか。「投球数が少なかった(88球)から疲れはなかったんです。だけど有藤さんに打たれたタマはボール1個くらい内側にはいってしまいました。きょうはスライダーがよかったんだけど…。もっとフォームが固まってきたら完投できるでしょう」と意外に明るい表情でしゃべった。インタビューの間も同僚たちから「惜しかったな」「つぎは打ってやるから」と、ねぎらいのことばが飛んでくる。そんな声にいちいちうなずきながら「とにかく精いっぱいやりました。つぎは勝ちます」すべてを包みかくして乗替は胸を張った。