プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

馬渕隆雄

2021-05-23 22:07:41 | 日記
美濃加茂は馬渕の球が高めに浮き、カーブのきれもいまひとつ。打線も八、九回に1点を加え、追い上げたが及ばず、4回戦で涙をのんだ。
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坂本勉

2021-05-23 09:54:37 | 日記

1989年

バックネット横に、県予選開始までの残り日数を示すボードがある。残りわずか。練習にも決戦を間近にした緊張感が漂う。エースで四番の坂本を中心にまとまったチーム。坂本の出来がチームの浮沈を握るが、昨年来の課題だった下半身も安定感を増し、左腕からのインコースを突く直球、カーブに威力がある。配球は自分で組み立て、打者の打ち気をかわすテクニックも身についた。

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久保貴裕

2021-05-23 09:30:08 | 日記

1992年

エース久保は、速球で押す本格派で大崩れしない。

京都成章の久保が投げた126球目は初めて外野に舞い上がり、ライト金岡のミットに収まった。戦い終えてベンチに帰った久保は「ナインから声を掛けられて初めて知った」ノーヒットノーランの達成だ。「大会屈指」と折り紙付きの速球派に、プロ8球団のスカウトが詰めかけた。スピードガンで最速140㌔を記録した「生きたボール」(森永主審)は、「自己最高」の17奪三振を重ねた。二巡目からはスライダーを交えての頭脳投球をみせた。だが、久保は「今日は調子が悪かったので、先頭打者を出さないよう丁寧に投げた。八十点の出来」と冷静に振り返った。この落ち着きの裏には人知れぬ苦労がある。昨春から今年の三月まで、でん部の慢性筋肉痛で、一年間もボールを握れなかった。「その分、必死に走り込んでいた。努力が実を結んだ」と奥本監督が語る。昨年のエース山本良雄さん(大谷大1年)も「心身ともにひと回り成長した」とスタンドで目を細めた。七回無死、中前へ抜けるゴロを好補した二塁の古林がいう。「最後は久保のために一つになっていた」心強いナインが、十年ぶり、大会十六人目の快記録を支えていた。

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日笠雅人

2021-05-23 08:43:23 | 日記

1996年

契約金ゼロ、年棒四百八十万円のプロ野球選手が、一軍のマウンドに登場しそうだ。中日のルーキー左腕・日笠雅人投手(25)(新日鉄君津)。入団交渉時に「お金はグラウンドで稼ぐ。契約金はいりません」と宣言。「一軍に一カ月以上登録されれば、一千万円の契約金を後払いする」という出来高制で入団して話題になった。一軍に上がって来たのは三月十三日。いきなり西武とのオープン戦に中継ぎで登板、1回をぴしゃりと抑え、「いい球を投げてる」と星野監督に認められた。その後は左打者のワンポイントや中継ぎが役割となり、「データを集める余裕もなく、無我夢中のまま」といいながらも、開幕一軍メンバーとして登録された。小学生の時から夢はプロ野球選手になること。北海道・旭川竜谷高二年の春、選抜で甲子園に出場、二番手でマウンドを踏んだが初戦で敗退した。道都大に進み、これからという二年生半ばに、両親とも病気になり中退。新日鉄君津に入社し、家計を援助しながら野球を続けた。140キロの速球と鋭いスライダーが売り物だったが、腰痛に悩まされていたこともあってプロの評価は低かった。しかし「腰さえよければ、即戦力の素材」(中日・法元スカウト)とテスト生扱いの七位で指名され、夢を実現させた。落ちる球がないため、シンカーを練習中で、投球の幅が広がれば、一軍定着も十分可能。「親にはいつまでも元気でいてほしい」と、自分のことよりも両親の健康を願う孝行息子に、最高の春が到来しそうだ。

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上田好剛

2021-05-23 07:48:25 | 日記

1993年

今夏の都市対抗に初出場。昨年は伊勢大会で無安打無得点試合を達成してスカウトたちの注目を集めた。「球が速く、将来性が魅力。フォークも武器だが、ちょっと四球が多く、一本立ちまでには時間が必要」(竜スカウト)。「本格派。制球力が課題だが、角度のある速球は決め手になる。今年は即戦力投手が少なく、上田の場合も時間をかけて育てたい」と備前スカウトはいう。

2位指名で相思相愛の上田投手。まだまだ粗削りながら150㌔近い速球投げる未完の大器だ。待機していた大阪市内の会社体育館に指名直後、竜スカウトから電話が入った。広島の確約と本人の逆指名で生まれた、予定通りの2位指名を告げられ「ありがとうございました。頑張ります」ときっぱり。しかし、頭の中は真っ白だったようで「こんな高い評価、まだ信じられません」。口元が緊張で細かく震えていた。それもそのはず、上田はチーム内でも第三の投手なのだ。高校時代は甲子園の舞台も踏んでいない無名の選手。しかし、早くから広島は速球に魅力を感じていた。「一生懸命頑張って、一軍でどんどん投げられるようになりたい。目標は元ロッテの村田兆治投手、マウンドから感動を伝えたい」少し落ち着きを取り戻すと、言葉は弾んだ。広島上田はもはや揺るぎない。横浜の6位指名を受け、入団確実の同僚・万永内野手とともに同社からは初めてのプロ野球選手となる。「会社からの期待は大きい。次の選手につなげる意味でも頑張りたい」ニックネーム「カイジュウ」は燃えていた。

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森本智

2021-05-23 07:37:08 | 日記

1990年

前回、創部十年目で初の決勝進出。左腕三見を軸に勝ち上がった。その準優勝チームからレギュラー全員が抜け、投打の戦力がそっくり入れ替わった。三見に代わってマウンドに立つのは181㌢の大型右腕森本。長身から投げおろす速球と縦に割れるカーブが武器で、コースを丁寧に突く投球が身上。特にカーブの制球に磨きをかけており、本格派というよりむしろ打たせて取るタイプのようだ。

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