1995年
MAX144キロの超高校級右腕。一試合平均奪三振は11個をマークする。オリックスとは相思相愛で、早くも「イチロー選手のサインがほしい」とか。守護神平井に続く存在として、早期一軍入りを目指す大物投手だ。
1995年
MAX144キロの超高校級右腕。一試合平均奪三振は11個をマークする。オリックスとは相思相愛で、早くも「イチロー選手のサインがほしい」とか。守護神平井に続く存在として、早期一軍入りを目指す大物投手だ。
1990年
就任三年目の武市監督が優勝への条件として強調する投手力はエース佐々木が安定し、五年ぶりの甲子園を目指す。右腕佐々木は182㌢の長身から投げおろす威力のある速球が武器。切れのいいカーブを織り交ぜ、打者を打ちとる県内屈指の本格派。不安は突如制球を乱して連発する四球病。春季大会準決勝の名西戦では二死後から4連続四球を出し、反撃の機会を与えてしまった。「佐々木は連打されることはめったにない。心配は制球力だが、四球の連発はなくなった」と武市監督は佐々木の右腕にかける。立ち上がりの力みさえなければそう点を与えることはない。
1989年
上位浮上の夢を上田好に託す。184㌢の長身から投げ下ろす速球が最大の武器。春の兵庫県大会1回戦(0-3津名)での奪三振9が非凡なスピードを証明している。
1993年
上田の交渉は午後三時から、大阪市大正区の中山製鋼で本人と両親、野球部の小坂信夫副部長と竜スカウトを交え、約三十分で終了した。上田は「大好きだった元広島の津田投手や元ロッテの村田投手のように、ファンに感動を与えられる投手になるのが目標」高校時代は無名、そして社会人でもチームで三番目だった投手は、プロのひのき舞台での活躍を力強く誓った。また、「一日も早く練習し、プロの水に慣れたい」という上田の希望で、九日から二十日ごろまでドミニカ共和国のカープアカデミーの一員としてドミニカ教育ウインターリーグに参加する予定。
1994年 粗削りながら150キロ近い速球が魅力。入団発表前にドミニカのウインターリーグに参加するなど意欲十分の即戦力右腕。
ルーキー上田は球威に見るべき面もあったが、球道が定かでなかった。初登板だから緊張もしたろうが、今後は若さをぶつける投球も必要だろう。
上田にとって思い出のキャンプ初日は、宿舎のシャドウ・ピッチングで締めた。そこで待っていたのは山本和行投手コーチのフォーム改造指令だった。「野球センスがないんです。馬力だけで押すタイプですからね。コーチから下半身の使い方を直すように指導されましたけど、呑み込めなくて…。まあこれからですよ」初日にブルペンで捕手を立たせたまま50球を投げた。その後、山本コーチから徹底的にチェックが入ったのが下半身の使い方だった。背筋力230㌔と、プロでも十分に通用する上体の強さで投げ込むだけで、ストレートは140㌔を軽く超える。だが、コントロールという課題を克服するためにも、下半身のスムーズな使い方が必要だ。「肩はしっかり出来ているから、フォームをいじることができるんだ。あの投げ方では、いくら投げ込んでもよくはならないからね。真っすぐは速くなりそうだし、楽しみだよ」昨年12月、入団発表の前にドミニカ共和国のウインター・リーグで武者修行。そこで好投したのが認められ、キャンプは一軍の沖縄組に抜テキされた。「初めての海外だったんですけど、いろいろな刺激がありました。体や肩を鍛えるのには最高だったと思います」もちろん、1月20日の自主トレから沖縄に入り、そのまま居残ってキャンプを迎えた。キャンプでは腹筋、背筋1000回という強烈メニューも用意されていたが、若手ピッチャーから「あいつの体はすごいな」と感心する声が上がるほど体力は十分だ。だが、強じんな体にもウイークポイントはあった。初日の投球練習で、両足の内転筋が弱いことを指摘された。そこで今度は相撲力士がよくやるシコを踏んで、下半身の強化に取り組んでいる。「今の段階ではまだ何ともいえない。でもいい素材だ。積極的で素直な性格だし、努力もしている。11人に残る競争に参加する資格は十分だ」三村監督から合格点も出たルーキー。社会人としての実績はないが、即戦力の期待もふくらんできた。