1991年
エース金子は右横手投げ。制球よくスピードもあるが、後半のスタミナが課題。
ダークホースの一角に挙げた船橋法典が、エース金子の力投と活発な打線の援護で、ついに3度目のベスト8入りを決めた。成田を初戦で破った勢いで天羽、生浜と波に乗るチームも撃破。この日の相手は、同じ無シードながら快調に勝ち上がってきた野田北という強敵だけに接戦が予想されたが、結果は船橋法典が一方的な試合運びで快勝した。やること成すことすべてがうまくいき、5年ぶりの8強を手にした二階堂克行監督の「波多野のインコースのタマにぶつかっていけ。甘いタマをセンターから右へ打て」との指示を選手が「良く守った」ことが勝利に結び付いたといえる。21日にやった野田北ー市川の一戦をビデオに撮るなど研究も怠りなかった。しかし、それ以上に選手が見せた気迫はすばらしかった。金子が「成田の時に比べれば全然だめだった」と言いながらも4回をパーフェクトに抑える力投を演じれば、打線も6回までに長短12安打で盛り立て、中盤で試合を決め、二階堂監督に「理想的なパターンで攻撃できた」と言わしめさせた。「みんなが、それぞれの役割をきちっとやった」と同監督の舌も滑らか。会心の勝利に「百点でもいい」という言葉が思わず口をついた。ベンチ内は「ヤジのかけ合い」で、時には「ケンカにでもなるのでは」と心配するほどだと言うが、逆に言えばそれだけ選手が乗っているということ。大黒柱の金子も「とにかくマリンに行きたかったので、実現できて良かった。あとは一戦一戦勝つだけ。チームワークは抜群にいい」と、急上昇ムードに笑みがこぼれる。6年前に秋ベスト4があるが、夏は未知の世界だけにプレッシャーもかかってくるが底抜けの「明るさ」でどこまで頑張れるか注目したい。
ベスト4に突き抜ける壁はあまりにも厚かった。初戦に昨年の覇者・成田を破ってチーム全体が波に乗っていた。金子が11奪三振の力投。しかし、終わってみれば・・・。何度か訪れた好機に水ものの打線は湿ったままだった。「公立高校として優勝し、甲子園の土を踏みたかった」という二階堂監督。悲願の栄冠は幻となったが「もう一つ踏み込んだ練習で一から建て直したい」(同監督)と、大きな敗北は来季への闘志をかき立てたようだ。全身を使うダイナミックな投法の金子は、風速10㍍以上で人口芝でも粉じんがまく中、奮闘よくマウンドを守った。「前半のスピードが終盤まであったら危なかった」(相手選手の話)というほど、金子のストレートにはスピードが乗っていた。しかし、それが力みにつながり、本人が認めるように「カーブが曲がらなかった」ことにつながってしまった。涙を見せまいとしてか、うつむいてさかんにタオルで顔をふいていた金子の言葉は途切れがち「疲れはしなかった」「半分ぐらいの出来」「負ける気がしなかった」と若者らしい精いっぱいの強気をみせた。「悔いはない…」と言った後「初回にゲッツーをくらいオレが流れを変えてしまって…」と悔しそうな顔をした。一回、一死後川口が三塁打、続く高橋が死球で一、三塁の先制機に金子は遊ゴロに倒れていた。風と猛暑の中、マウンドで躍動した金子。「頭がボーとしている」(金子)。金子は燃焼した。最後はマリンの人工芝で。