プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤田達也

2021-05-24 14:09:36 | 日記

1978年

四十五年の春の選抜、三十九年と四十八年の夏、過去に合わせて三回甲子園の土を踏んでいる。「来年同校は普通高校と商業高校に分かれる。ことしをのがせば甲子園出場のチャンスは当分まわってこない」と谷辺部長。背水の陣をしいての県予選出場である。このカギを握るのがピッチャーの藤田。183㌢の長身からスピードの乗ったストレートと、切れのいいカーブ。外角低めのストレートが決れば、ちょっと手が出ない。九学の右田とともに本格派№1の呼び声がたかい。腰痛の持病が快方に向かっており、完全に立ち直ればことしの八代東はあなどれない。

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金子貴博

2021-05-24 12:35:20 | 日記

1991年

 

エース金子は右横手投げ。制球よくスピードもあるが、後半のスタミナが課題。

ダークホースの一角に挙げた船橋法典が、エース金子の力投と活発な打線の援護で、ついに3度目のベスト8入りを決めた。成田を初戦で破った勢いで天羽、生浜と波に乗るチームも撃破。この日の相手は、同じ無シードながら快調に勝ち上がってきた野田北という強敵だけに接戦が予想されたが、結果は船橋法典が一方的な試合運びで快勝した。やること成すことすべてがうまくいき、5年ぶりの8強を手にした二階堂克行監督の「波多野のインコースのタマにぶつかっていけ。甘いタマをセンターから右へ打て」との指示を選手が「良く守った」ことが勝利に結び付いたといえる。21日にやった野田北ー市川の一戦をビデオに撮るなど研究も怠りなかった。しかし、それ以上に選手が見せた気迫はすばらしかった。金子が「成田の時に比べれば全然だめだった」と言いながらも4回をパーフェクトに抑える力投を演じれば、打線も6回までに長短12安打で盛り立て、中盤で試合を決め、二階堂監督に「理想的なパターンで攻撃できた」と言わしめさせた。「みんなが、それぞれの役割をきちっとやった」と同監督の舌も滑らか。会心の勝利に「百点でもいい」という言葉が思わず口をついた。ベンチ内は「ヤジのかけ合い」で、時には「ケンカにでもなるのでは」と心配するほどだと言うが、逆に言えばそれだけ選手が乗っているということ。大黒柱の金子も「とにかくマリンに行きたかったので、実現できて良かった。あとは一戦一戦勝つだけ。チームワークは抜群にいい」と、急上昇ムードに笑みがこぼれる。6年前に秋ベスト4があるが、夏は未知の世界だけにプレッシャーもかかってくるが底抜けの「明るさ」でどこまで頑張れるか注目したい。

ベスト4に突き抜ける壁はあまりにも厚かった。初戦に昨年の覇者・成田を破ってチーム全体が波に乗っていた。金子が11奪三振の力投。しかし、終わってみれば・・・。何度か訪れた好機に水ものの打線は湿ったままだった。「公立高校として優勝し、甲子園の土を踏みたかった」という二階堂監督。悲願の栄冠は幻となったが「もう一つ踏み込んだ練習で一から建て直したい」(同監督)と、大きな敗北は来季への闘志をかき立てたようだ。全身を使うダイナミックな投法の金子は、風速10㍍以上で人口芝でも粉じんがまく中、奮闘よくマウンドを守った。「前半のスピードが終盤まであったら危なかった」(相手選手の話)というほど、金子のストレートにはスピードが乗っていた。しかし、それが力みにつながり、本人が認めるように「カーブが曲がらなかった」ことにつながってしまった。涙を見せまいとしてか、うつむいてさかんにタオルで顔をふいていた金子の言葉は途切れがち「疲れはしなかった」「半分ぐらいの出来」「負ける気がしなかった」と若者らしい精いっぱいの強気をみせた。「悔いはない…」と言った後「初回にゲッツーをくらいオレが流れを変えてしまって…」と悔しそうな顔をした。一回、一死後川口が三塁打、続く高橋が死球で一、三塁の先制機に金子は遊ゴロに倒れていた。風と猛暑の中、マウンドで躍動した金子。「頭がボーとしている」(金子)。金子は燃焼した。最後はマリンの人工芝で。

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白坂勝史

2021-05-24 09:44:36 | 日記

1997年

春の全国大学選手権でのピッチングは圧巻だった。1回戦の佛教大戦では8回まで毎回の12三振を奪い、2安打完封。準決勝の亜大戦でも打線の援護が得られず敗戦投手になったものの、大学球界でもトップクラスの強力打線を4安打2失点(自責1)に抑え、関東学院に白坂ありを全国に印象づけた。横浜高時代から速球派左腕として注目されていた白坂だが、桧舞台での活躍はこれまでほとんどなかったと言える。3年の時に高橋光信(国際武道大)とバッテリーを組んで出場した春の選抜高校野球では初戦敗退。関東学院大入学後も勝ち星に恵まれず、「ラストイヤー」を満を持して臨んだ今春のリーグ戦でも打ち込まれたわけではなかったが、本来の豪快なピッチングが陰を潜めて2勝止まり。エースの座を後輩の高井に奪われた形になった。「春のリーグ戦でもそうだったんですけど、これまで抑え込んでやろう、三振を取ってやろうという気持ちが強すぎて、力んで自滅するパターンが多かったんですよ」力まなければ、自分のピッチングができる。春季リーグ戦の途中でそのことに気がつき、神奈川大学リーグの優勝をかけて戦った横浜商科大とのプレーオフあたりから徐々に自分のピッチングを取り戻すことができた。とはいえ、初めてマウンドに上がった時から持ち続けてきた三振へのこだわりを捨てたわけではなかった。「マウンドに立つからには三振を取りたいという気持ちはあります。たとえ完封しても、三振の数が少ないと納得できないというか。三振を取った瞬間の何とも言えない爽快感。ホント、あの瞬間、ピッチャーやってて良かったと思うんですよ」最大の武器はストレート。精悍(せいかん)な顔つきに似合わない?しなやかなフォームから繰り出されるストレートは、MAX145㌔。ゲームでも常時130㌔台後半を記録する。球種はチェンジアップ、カーブ、スライダー、フォーク。これらの変化球は「カウントを稼ぐためのボール」と白坂は言うが、ストレートが速いだけに、バッターにとっては打ちづらい。秋の目標はもちろん、リーグ戦優勝。その後に控える神宮大会でも、「いいピッチングをするだけでなく、確実に勝利をものにしたい」と目を輝かせる。そして、子供の頃からの憧れであるプロへー。「球団はこだわりません。声をかけていただければ、どこでも行きますよ。ただ、プロに入っても、三振を取れるピッチャーであり続けたいですね」精神面での成長でひと回りもふた回りも大きくなった白坂が、今後、どんなピッチングを見せてくれるか。秋の楽しみが、また一つ増えた。

1998年

星野監督に「こんな順位まで残っているなんてまさかと思った」という掘り出し物。140㌔の直球と大きく割れるカーブ、それに魔球のチェンジアップが武器。

1999年

小さな故障で泣かされたプロ元年、二軍での登板も2試合に止まった。145㌔の速球を持つ本格派左腕だけに、まずはケガのない1年を

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国沢道雄

2021-05-24 09:27:06 | 日記

1978年

184㌢、76㌔の大型投手・国沢を前面に押し立て、初の甲子園出場をともくろんでいる。その国沢、これまでは、ただ球が速いだけだったが、最近はそれに若干伸びも加わるようになっている。また、ことしが最後の大会とあって「自分がやらねば」の自覚が生まれ、ピッチングにムラがなくなるなど、頼れるエースに変身しつつある。

国沢の球威のなかった外角球や切れの甘いカーブを捕え、国沢もろうばいするほどのパンチ力を見せた。

宿毛戦で乱打された伊野商・国沢はこの日、見事な立ち直り。宿毛戦で下がっていた腕が上に上がり、投げ下ろすストレートとカーブがびしびしとコーナーいっぱいに決まった。

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