1955年
赤井勝投手(右投)が攻守の中心で、直球はさして威力はないが、ドロップとシュートを内外角にきめるコーナーワークが春よりも進歩した。調子づくと恐ろしい投手で、四月の対玉島高戦では、無安打に押えた。ただ制球に難があり不調になるとあせってスローカーブを投げるので、球の曲がりっパナをしばしば痛打されている。二年生だが、年齢が大きいためことしで出場停止になるので、高校時代の最後を飾る力投が期待されている。春の大会以後ヒジを痛めていたので、夏の大会には本池ー赤井の継投策で試合に臨む(望月監督談)
赤井投手はプレート度胸満点で、大きくわれるドロップとカーブ、シュートとコーナーをつく直球、さらに配球よく打者の打ち気をそらす技を心得ている。
懸念は投手力と試合運びということになるようだ。主力の赤井は、ドロップを決め球にカーブ、シュートの変化球に、球速もある。エースらしい不敵なピッチングを示しているが、投球が粗雑で時に試合意欲に欠けるような場面がみられるのはマイナスとなっている。
1958年
赤井勝利(米南、同三十二年卒)はテストに合格して広島カープに昨春から籍をおいている。恵まれた体とすぐれた肩をもっていて大成が期待されている。昭和三十年の米南の初優勝は二年生の主戦投手としての赤井に負うところが大きい。年齢制限のため三年生の時には資格を失っていたが、真面目にフリー・バッティングの投手としてつとめた。
赤井勝投手(右投)が攻守の中心で、直球はさして威力はないが、ドロップとシュートを内外角にきめるコーナーワークが春よりも進歩した。調子づくと恐ろしい投手で、四月の対玉島高戦では、無安打に押えた。ただ制球に難があり不調になるとあせってスローカーブを投げるので、球の曲がりっパナをしばしば痛打されている。二年生だが、年齢が大きいためことしで出場停止になるので、高校時代の最後を飾る力投が期待されている。春の大会以後ヒジを痛めていたので、夏の大会には本池ー赤井の継投策で試合に臨む(望月監督談)
赤井投手はプレート度胸満点で、大きくわれるドロップとカーブ、シュートとコーナーをつく直球、さらに配球よく打者の打ち気をそらす技を心得ている。
懸念は投手力と試合運びということになるようだ。主力の赤井は、ドロップを決め球にカーブ、シュートの変化球に、球速もある。エースらしい不敵なピッチングを示しているが、投球が粗雑で時に試合意欲に欠けるような場面がみられるのはマイナスとなっている。
1958年
赤井勝利(米南、同三十二年卒)はテストに合格して広島カープに昨春から籍をおいている。恵まれた体とすぐれた肩をもっていて大成が期待されている。昭和三十年の米南の初優勝は二年生の主戦投手としての赤井に負うところが大きい。年齢制限のため三年生の時には資格を失っていたが、真面目にフリー・バッティングの投手としてつとめた。