プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

赤井勝利

2022-08-20 14:24:01 | 日記
1955年
赤井勝投手(右投)が攻守の中心で、直球はさして威力はないが、ドロップとシュートを内外角にきめるコーナーワークが春よりも進歩した。調子づくと恐ろしい投手で、四月の対玉島高戦では、無安打に押えた。ただ制球に難があり不調になるとあせってスローカーブを投げるので、球の曲がりっパナをしばしば痛打されている。二年生だが、年齢が大きいためことしで出場停止になるので、高校時代の最後を飾る力投が期待されている。春の大会以後ヒジを痛めていたので、夏の大会には本池ー赤井の継投策で試合に臨む(望月監督談)


赤井投手はプレート度胸満点で、大きくわれるドロップとカーブ、シュートとコーナーをつく直球、さらに配球よく打者の打ち気をそらす技を心得ている。


懸念は投手力と試合運びということになるようだ。主力の赤井は、ドロップを決め球にカーブ、シュートの変化球に、球速もある。エースらしい不敵なピッチングを示しているが、投球が粗雑で時に試合意欲に欠けるような場面がみられるのはマイナスとなっている。


1958年


赤井勝利(米南、同三十二年卒)はテストに合格して広島カープに昨春から籍をおいている。恵まれた体とすぐれた肩をもっていて大成が期待されている。昭和三十年の米南の初優勝は二年生の主戦投手としての赤井に負うところが大きい。年齢制限のため三年生の時には資格を失っていたが、真面目にフリー・バッティングの投手としてつとめた。

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大塚祐司

2022-08-20 14:14:00 | 日記
1958年
大塚は一年生のときからマウンドを踏み、今年で三年目だが、一年当時、すでに好投手との評判が高かった。それが昨年以来不調を続けてこれがチーム全体をちぢませる原因にもなっていた。そこでこれまで左腕から繰出す直球一本に頼ってきたのを改め、カーブに活路を求めたところ、これが意外な威力をみせるようになって、ようやく本来の姿に立直った。


大塚(左投、防ぎょ率0.357)はカーブとドロップを武器にしてはいるものの昔日の威力はなくなった。五十三イニングで被安打三十二、四死球三十七、奪三振三十三の成績。進境いちじるしい救援の宮本(右投、防ぎょ率0.283)にウェイトがかかり、瀬尾監督も「先発は大塚だが、宮本はショート・リリーフとしてではなくリリーフ以上に使う」方針。絶妙なコントロールをもっているが、打者のタイミングをはずす妙は大塚の方が一段上。

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薮崎博志

2022-08-20 14:02:20 | 日記
1953年
今年に期待をかけていた名投手斯波が身体をこわし退部したのは痛い。飯田部長は「五尺七寸、十七貫で斯波より一まわり身体の大きい薮崎投手を見ていて下さい。調子のよいときのシュートやインドロは全く打者を寄せつけないし、十七回の延長をやったときさえ安打六本、普通平均四、五本しか打たせていません。打撃だってバカ当りしますよ」と自信満々。

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