プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中村邦弘

2023-09-02 20:45:17 | 日記
1960年
パ・リーグの大毎入りに内定していた倉敷工の中村邦弘右翼手(17)は、二十五日夜、倉敷市旭町のダイヤ旅館で大毎オリオンズと正式契約した。同夜、中村選手の父朋一さん(44)をはじめ球団側から三宅宅三専任スコアラー、藤原同校野球部長、小沢監督、同選手の育ての親、田中徳三郎、三並弘文両氏が立ち会った。中村選手は身長1㍍73、体重73㌔、右投げ左打ち、走、投、打ともバランスのとれた好選手。とくに昨年のハワイ遠征でホームランを打ち、つねに三番を打ち続けたという強打の持ち主。今シーズンは四割二分四厘という高打率を残している。


中村選手の話 大学への進学も考えたが、同じ野球をやるなら思い切ってプロでやりたかった。大毎入りは先輩の三宅さんもおられるし、山内などよい選手のいる恵まれた打撃チームで自分を磨いてもらいたいと思い入団を決めた。


小沢監督の話 東京六大学で活躍して、母校の名誉を上げてほしいと思っていたが、先輩の三宅さんの要望もあり、また本人も大毎入りを希望するので任せた。打撃の天性を存分に発揮してもらいたいと思っている。


三宅スコアラーの話 ハワイで猛打をふるった選手が郷土におり、将来有望だという話を聞いた。自分の目で一度本人の技術を見てからと、二回ほど試合や練習ぶりを見た。左バッターという利のあるうえに、球にさからわず、バッティングのくせがないので、よいバッターになると思っている。

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中村弘道

2023-09-02 20:25:52 | 日記
2003年
25年前、エースとしてチームを引っ張り、甲子園の土を踏みしめた、静岡県富士市横割、人材派遣会社員、中村弘道さん(42)=80年卒。「甲子園のマウンドで、あまり緊張はしなかった。自分が投げないと試合は始まらない、という気楽な気持ちだった」と、当時を回想。「今年のチームは、2年生が中心。投手陣が、中盤まで1、2点に抑えて、終盤まで接戦に持ち込むパターンがつかめれば、上位進出も十分可能だ。悔いのない試合をしてきてほしい」と話した。

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伊藤博之

2023-09-02 11:57:56 | 日記
1982年
三次工高の伊藤博之投手(17)=177㌢、86㌔、左投げ左打ち=がドラフト外で入団。同投手は10月に行われた新人テストで合格した本格派。球団では「しっかり体作りをして、大野のようなタイプになってほしい」と期待し、本人は「ちょっと目標は大きいけど、度胸のいい江夏サンのようになりたい」とキッパリ。契約金200万円、年棒240万円。

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矢ノ浦国満

2023-09-02 11:23:12 | 日記
1969年
ことしは自由契約が三人、任意引退が一人。そのなかで一人の大物がいる。大物といっても、もう往年のといってもいいかもしれないが矢ノ浦国満内野手(27・9年)がそれ。矢ノ浦は手薄な内野陣の事情から牧野コーチの推薦で昨年入団したばかりだが、近鉄、産経を退団する原因だったやくざっぽさが巨人でもぬけ切れずクビの宣告。川上監督は「土井、黒江と競争させる」と嘱目して台湾キャンプにも特別参加を許したほど期待されたのだが、シーズン中も相変わらずギャンブル癖が直らず、練習も無断欠席するなど早くから失格の烙印が押された。本人は「まだプロでやれる」と強気だが、一度ならず三度も指をつめられてはね。まだ声がかからぬ。

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堀田徹

2023-09-02 11:07:31 | 日記
1982年
京都商の堀田徹内野手(19)=182㌢、78㌔、左投げ左打ち=がドラフト外で巨人に入団することが決まり、三十日、伊藤菊スカウト次長が京都商を訪れ正式契約を交わした。契約金八百万円、年棒二百四十万円で、巨人の正式契約第一号。堀田選手は昨夏の甲子園に三番打者として活躍し、京都商を準優勝に導いた。甲子園では17打数4安打といまひとつだったが長打力があり、高校三年間では通算4割2分8厘をマーク。そのうえ、遠投120㍍の強肩の持ち主で、巨人が早くから注目して交渉を行っていた。正式契約となったこの日は、本人をはじめ母親のスエ子さん(45)、勝山五郎同高野球部監督らを交えて条件面を話し合ったが、スムーズに交渉が運び、一気に正式契約となった。堀田選手は「中畑さんのように、ガッツあふれる選手を目指したい」と、力強く抱負を語っていた。

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田辺修

2023-09-02 10:56:06 | 日記
1970年 
田辺修は三百万で中日移籍が決定した。正確にいえば現場だけの意見で田辺は移籍したのではない。フロントもそれなりの取材、調査をやっていた。「実は二年前に田辺は美代子夫人と結婚したのです。それからは、これまでの弱気、ひっこみ思案がかなり消えてきたという判断をもったので、こちらはそれに賭けたんですよ。バクチといえばバクチですがね」近鉄時代、三原監督から「あの男は、技術はいいのだが、本番になるとイクジがなくなる」といわれた田辺。中日入団後はどうして、やることなすことバカに気前がいい。今春、赤ちゃんが生まれた。田辺は名古屋市内の公団上飯田アパート2号棟815号に住んでいるが、広い住まいではない。八月中旬のある深夜、田辺は市内向島にある中日合宿にやってきた。若手組が聞いた。「どうしたの田辺さん、夫婦ゲンカでもして追い出されたの」田辺の返事が泣かせた。「実はこどもの夜泣きがひどくて熟睡できないんだ。女房のヤツがオロオロするのを見ると、かえってかわいそうなので、オレが出てきたよ」女房もちの選手が深夜、マクラ一つ持って合宿へ泊まりにきたのは中日球団史上、この田辺がはじめてだろう。その夜から田辺は自宅ー合宿間を往復することになったが、さらに九月上旬、とんでもない話を美代子夫人に持ち出した。「オレは今季に野球生命を賭けている。だから心おきなくプレーしてみたいと思う。こんどの四国遠征から、お前はしばらくこどもを連れて実家に戻っていてくれないか」要するに、男一人で、死ぬか生きるかのセトギワに、女房、こどもといっしょにいたのでは気合がはいらないというのである。そして現在、まだ田辺は臨時独者を通している。だが田辺が11勝5敗も稼ぎ、いまやエースにのしあがったのはこの気合だけではない。水原監督のアドバイスがあったことも忘れてはならない。ある日、田辺と川畑が並んで投球練習をしていた。スピードはどちらもほとんど同じである。水原監督は二人にこんな話をしたそうだ。「むやみにスピード競争しても意味ないよ。川畑の特徴は高めにはいるスピード。田辺のは逆に低めに飛び込むスピードだ。スピード競争して真ん中にはいったら、あぶはちとらずになる」田辺はこの話を聞いたとき、自分の特徴は低めのストレートだと気がつき、それ以来ひどく自信をもった。ところでいま、水原監督の周辺には、こんな怪情報までうずまいている。「水原の監督の座がつながったのは、この移籍者田辺のおかげではないのか」と…。水原は昨年、三年契約で中日入りした。だから、契約期間そのものからいえば、まだ一年残っている。だが就任一年目は監督生活二十年のうち、初のBクラス、今季もまた五位が決定的ーそうなれば解任ということにもなりかねない。「水原は来年どうなる」と一時はずいぶん注目された。それがわずか300万円で買った安い商品をエースにのしあげた手腕を評価され、来季もまた監督と決まったというのである。ほんとうかどうかはわかならいが、田辺の成長が、天下の水原茂の首を、よりしっかり安定させたことは事実だろう。女房、こどもを実家に帰した田辺、いうことも二十六歳にしては生活実感が漂っている。「1試合にたった1球だけで、自分の運命が決まるーいや生活が安定するか、つぶされるかということがある。そんなとき、ぼくはこう胸の中でつぶやきます。カアちゃん見ててくれ」できれば水原茂を救った?ほどの男だから、これからは女房、こどもといっしょにいても、これぐらい勝ってほしいものである。
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田中調

2023-09-02 10:26:06 | 日記
1968年
田中調投手(東映)は香川県木田郡三木町で家代々の菓子屋を営む三男坊として生まれたが、まったく甘いものは嫌い。土地では評判のまんじゅうも彼はひとつしてつまみ食いをやったことがないという。そして東映では張本とはり合うほどの酒豪をもって知られている。

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中出謙二

2023-09-02 10:21:56 | 日記
1978年
「肩も抜群だし、バッティングもいい。野村の抜けたアナをりっぱに埋めてくれる」社会人№1捕手として全日本のメンバーに入り、先のニカラグア遠征にもやってきた。社会人の公式記録は、通算3割4分5厘の好アベレージ。しかも7ホーマーをかっ飛ばしているだけに、当然の評価といえる。この中出捕手も、高校までは無名に近かった。野球は小学校6年生からリトル・リーグ「和歌山リーグ」に所属。和歌山市の伏虎中、和歌山工と進んだ。が、この間、11歳の時に父親の義雄さんを、交通事故で失った。そのあとは母親小夜子さん(46)の手で育てられている。それだけに、中出の夢は、お母さんを幸せにすることと、妹らもいっしょに生活すること」であった。妹の佳子さん(21)は大阪府松原市のおばさんの店を手伝っており、家族そろって生活することが念願だった。このため、高校3年生の夏、大会が終わった後野球をやめようとしている。だが、その野球が新日鉄堺への就職につながった。そして、メキメキと頭角をあわらしはじめた。「新日鉄に入ってからですね、プロでやってみたいなアと考えたのは…」中出捕手は、当時を振り返ってみてポツリというが、会社の引き留めもあり、プロ入りは難航した。中出捕手自身も「会社への恩もあるしよく話し合って決めたい」といっていたがその実。母親に心配をかけまいという気持ちもあった。が、小夜子さんから「好きな道を選んだらいい」とアドバイスを受け、ようやく決心している。好きなプロ選手は、巨人の高田。「あの人は一生懸命やっているというところがみられますね」という。中出捕手自身もハデさはないが、グラウンドではガッツをみせる。そんな共通点が、高田ファンになっているようだ。親会社の南海電車の沿線で生まれ育った中出にとっては、もっとも身近なしかも親しみのあるチームだった。それだけに感激も大きいのである。「まさか野球を職業にしようとは、思いませんでしたけど」デコのニックネームがついた大きなひたいを輝かせながら語る。そんな中出捕手に、広瀬監督は「大物ルーキーだからね。大いに期待している。ぜひ入って欲しかった人だし、とても喜んでいる。これからは自分の努力次第だ。がんばってもらいたい」と激励。中出捕手も「野村さんの抜けたあとだけに、チャンスはあると思う。同じドラフト1位の山倉(早大)ら同期連中には、負けたくないですからね」と大張り切り。生活派中出には、おおいに期待できそうだ。

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