プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

安藤元博

2023-09-07 19:53:02 | 日記
1962年
東映の新人安藤元は東京六大学リーグでもまれてきた投手だけあって、ふてぶてしいほどのピッチング。ときたま打者をなめきったようなスローボールをまじえシュートやカーブもコーナーぎりぎりに決まっていた。六回投げ、被安打2で無失点。

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橋野昭南

2023-09-07 19:49:42 | 日記
1962年
左腕巽、橋野が先発、ともにシュート、カーブに落ちるタマをまぜて投げたが、巽はスタミナ不足で四回西鉄に長短打を浴びた。二番手の荒川もドロップがやや良かったが、そのあとの配球が悪く3連続安打されて加点された。西鉄の橋野は球速もあり、四回まで国鉄打線を無安打に押さえたが、五回徳武に内野安打されたあと、一塁けんせい悪投で動揺、土屋に二塁打されたあたりまだ若い。走者を出したあとのピッチングが今後の課題だ。

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岩崎忠義

2023-09-07 19:42:30 | 日記
1981年
テスト生として自主トレに参加していた前ロッテの岩崎忠義外野手(32)の採用が沖縄キャンプを前に1月30日決定、契約が行われた。推定年棒540万円、背番号「49」。14年間在籍したロッテを、不振と私生活上の不祥事から昨年暮れ自由契約になった同選手の死にものぐるいの努力が認められたものだが、大沢監督は、こういうギリギリまできた男の心機一転の心意気を大いに買う監督。とりあえずは守備要員ということになるだろうが、岩崎の努力の具合によっては打の成長も期待される。「今までの自分は余った。生まれ変わって出直します」という岩崎の瞳にルーキーの輝きを見た。岩崎が新天地でどんな働きを見せるか、楽しみだ。

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葛川健司

2023-09-07 19:32:13 | 日記
1986年
葛川健司氏(元日本ハム・外野手)は人命を預かる病院へと、一大転身を遂げた。昨年10月28日に受けた自由契約通告。「まだ続けたい」と思う反面、「7年もやってモノにならなかったんだから、転機の時機かも」という気持ちが交錯した。迷った揚げ句、醍醐寮長に相談したところ、同寮長がかつて働いていた東京・板橋の「板橋中央総合病院」を紹介してもらった。仕事の内容は、健康診断や人間ドックのセールス。学校や会社などの団体が相手で、まずはお得意様回りから始め、慣れてきたら新規開拓をすることになる。板橋中央総合病院で2週間の研修を積むと、グループの横浜旭中央総合病院が勤務先となった。「まだ野球がやりたくなるかもしれない。でも草野球だっていいですよね。プロ野球界にいたことは、いい思い出にすればいい。それに、仕事にだって生かしていけばいいんですからね」人の健康を守るのが葛川氏の新しい使命となる。

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長谷川達栄

2023-09-07 19:23:30 | 日記
1986年
長谷川達栄氏(元日本ハム・投手)は福島(南会津郡只見町)に帰り、実家が営む「長谷川農場」に勤務。主に苗木やキノコの缶詰を栽培、製造しているが、雪の深いこの地方では春になり雪がとけなければ仕事が始まらない。昨年、解雇者が発表になったとき、長谷川氏の名前はなかった。「ようし、来年こそなんとか一軍へ!」と気合を入れた矢先、突然1人追加の形で解雇通告を受けたのだ。振り返れば入団の年(58年)、ファームでいきなり3勝をあげ、その右腕を嘱望されたものだが、その後は尻すぼみ。「ヘンないい方ですが、1年目は運がよかったんですよ。その運を持続できなかったんです。でも、これからは人の胃の中に入る物を作るだけに、神経を持続させなくては、親父の手ほどきを受け、一から勉強です」長谷川氏の第二の人生は、雪解けとともにプレーボールされる。

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