プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

深代芳史

2023-09-26 12:42:41 | 日記
1964年
第一試合、沼田のスタンドに家族連れで観戦する姿があった。沼田深代投手の一家で父親の沼田市議忠さん、母親のはなさんと妹の利根商二年智佳江さん、川田中三年恵美子さんの四人家族総出の観戦は22日の2回戦高商を相手にして以来二度目。忠さんが県社会人野球の利根、沼田支部長をやってる関係で、スタンドには連盟の人たちもいっぱい。忠さんは「名もない沼田が代表決定戦まで持ち込んだのだから上等です。大差で負けたとはいえ芳史もよく投げたし、ナイン一同よくがんばった。桐生は立派なチームです」といっていた。

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井上勝巳

2023-09-26 12:29:11 | 日記
1960年
十六日、対南海戦の試合前、練習する大毎選手にまじって、眼鏡をかけた背番号「30」の見なれぬ選手が、練習にはげんでいた。兵庫育英高を中退して、大毎に入団した井上勝巳投手である。野口コーチの話によると、「すぐ戦力にプラスするとは思えないが、左の少ない大毎で小野、荒巻、三平に次ぐ投手として育てたい。若いし、体もあるし、期待の持てる投手だ」とのこと。「大毎が好きだから入りました。まだ何も分かりません。得意とする球ですか、別にありません。また、あったとしても、プロの選手に通じるはずもありません。たあガムシャラに練習するだけです。小野さん、荒巻さんを目標に頑張ります」と、記者の質問に、学生服の彼は、直立不動の姿勢で答えていた。


1961年


ことし育英高から入った井上勝巳投手。野口ピッチング・コーチは「球速の速いことはナイターにもってこいだ。スピードの点だけなら小野より速い。しかしコントロールと、打者のかけ引きはまだまだ、だから、夏場ごろから一軍に上がるようにしたいと思っている。しかし、一軍からSOSがくれば、いつでも送れるよ。井上だけでなく、長谷川もいいしね。だが一軍にやってもバッティング・ピッチャーや、ベンチばかりにおかれては、調子が狂うから、この辺がむつかしいよ。ぼくの考えからすれば、もっと練習させ、勉強してからやらせたい」と、眼鏡の奥の眼を輝かせながら語っていた。

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白滝政孝

2023-09-26 11:28:43 | 日記
1971年


中日は先のドラフト会議で第三位に指名、獲得に成功した元新日鉄広畑の強打者白滝政孝外野手(23)=1㍍76、73㌔、右投げ右打ち=と二十一日午後三時、名古屋市中区栄の球団事務所で正式契約、同四時から同事務所で本人と父親安太郎さん(56)兄登さん(31)が同席、中川球団担当から入団発表が行われた。関大時代からシュアなバッターとして知られ、ことに今夏の都市対抗で新日鉄広畑優勝の立て役者として投の三沢、打の佐々木(近鉄第一位指名)、白滝と一躍脚光を浴びた。チャンスに強いのが彼の身上。新日鉄広畑の高田部長は「予選の決勝で鐘化を3-1で破ったのは白滝の2ランホーマーによるもの。また、後楽園で第一戦の三菱重工を破ったのも彼がいいところで2ランを放ったからだ。とにかくここという大事な場面でよく打ってくれた」という。ノンプロ一年間の成績は136打数39安打、打率・289、3ホーマー、19打点。これを見ても打点が多いことで勝負強さがわかる。


一見、色白でおとなしそうに見えるが、シンはなかなかのファイター。どんなタイプの選手になりたいかーの問いに「巨人の長島さんのようなガッツのある選手」ときっぱり。外野陣は多いがーの質問には「とにかくはいったからにはみんなに負けられない。第一線に出られるように努力する」と答えた。まじめ人間で、高校時代(郡山高)から一日としてバットの素振りを欠かしたことがないという。それを物語るように、両手のヒラにはマメがカチカチに固まっている。入団発表の直後、三沢投手が姿を見せた。三沢と白滝は新日鉄広畑でつい先日まで同じカマのメシを食べた仲。しかし、一足先に入団の三沢は落ち着いたもの、緊張気味の白滝選手を暖かくかばい「しっかりやろう」と握手をかわした。三沢投手の白滝評は「いいところでよく打ちましたが、それ以上にコンスタントに打っていたという印象があります」と、巧打者であることを説明していた。中日外野陣は目下十一人と数多いが、定位置が決まっているのはレフト谷沢だけ。それだけに白滝の努力いかんでいきなり第一線出場のチャンスはある。与那嶺監督は「ウチには広島の国貞のようにしぶとい、いやらしい打者がいない。白滝がそういうバッターなら申し分ない」と楽しみにしていた。中川球団担当は「ファイトをむき出しにしたしぶといバッターになってくれることを望んでいる」といった。たしかに白滝はそうなってほしい選手だ。正月五日から三沢投手と奈良でトレーニングを開始。十日には合宿入りするという。努力家白滝の加入が、中日の外野陣にどのような新風を吹き込むか楽しみだ。背番号は36。

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星野秀孝

2023-09-26 09:44:21 | 日記
1967年


星野は軟式出身、177㌢、63㌔、左投げ左打ち。
星野投手は異色の軟式出身。今夏まで軟式でしか投げたことがなかったが、「本格派でフォームにムリがなくタマが速い。硬式に転向してもいける」と、素質を買ってドラフト会議にリストアップ、入団が決まったもの。人一倍からだは柔らかく、運動神経も発達しているという。将来が楽しみだ。


星野投手の話 高校では軟式の大会しか経験がない。硬式のボールを握るようになってから三ヶ月くらいしかたってない。しかし、一生懸命がんばります。

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相川進

2023-09-26 09:37:44 | 日記
1965年
相川進内野手(17)=佼成学園中退、1㍍81、75㌔=の正式入団が決まった。一月下旬の自主トレから練習に参加しテストを受けていたが、「体はいいし、鍛え上げたらおもしろい存在になりそうだ」という首脳部の意向で採用が決まったもの。この新人、父親がアメリカ人という混血児で、その風ぼうもむしろ外人に似ている。目の色も青い。本職は遊撃手で、なかなか粘り強い性格の持ち主。


1966年


このところ、ウエスタン・リーグでバカスカと本塁打を打ちまくって、注目を浴びている打者がいる。その名は相川進二塁手。すでに最近、ウエスタンの公式戦で四試合連続本塁打をカッとばし、相手チームの投手たちから「いいバッターだ」とこわがられている。相川は、立正佼成高を中退して、一昨年養成選手のような形で入団。キャンプでテストした結果、採用されたが、ある幹部は「将来性はある。ひょっとしたら大型選手になるかもしれない」と見込んだのが図に当り、このところ体格も見ちがえるように大きく、たくましくなった。この相川、あまり知られていないが、菱川と同じで日米の血が流れている混血選手。生活態度も、いたってまじめそのもので、首脳陣もその成長ぶりを楽しみにしている。


1970年


「アイツ、どうなってんの?突然変異とはまさしくアレだ」ナインも、担当記者団も目をむいたのが相川進三塁手(近鉄)の変わりよう。中日に四年間いたが、芽が出ず、昨年放出されて近鉄に拾われた。だが、この大男、戦力になるにはほど遠かった。ところが、ことし三塁手に予定していた松原が打撃はともかく守備がボロボロ。「気長に育てます」といっていた三原監督もさすがにシビレをきらしたのか、オープン戦中盤になって相川と交代させた。これも「変わりばえしないねえ」という状態。ところが、22日からの対巨人戦あたりから、突如相川が別人になった。快打連発、それも「ONそこのけの強烈なライナーで本塁打するンだから」という物凄さ。しかも、不得意の守備でも「長嶋ばりのダッシュで超ファインプレー」を見せる。こんな相川を見て三原監督がニンマリする。相川進、22歳、白系ロシア人を父にもつ混血である。「父はボクが小さいときに死んだので顔も覚えていません」と表情を曇らせる相川だが、野球の話になると青い目が輝く。「ええ、長嶋さんのあの思いきりのいいダッシュに魅せられてしまったのです。で、ボクもマネして思い切ってダッシュしたらうまくいって…打撃も思いきって振ってみたらよく当るので…」やっぱり天下の長嶋!近鉄にまで幸運の星を運び込んだようである。

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