1966年
サンケイの松本雄作氏は、球団のあと押しで、広告業界にとびこんだ。東京・銀座にある第一広告の地方連絡局勤務である。仕事の内容は、民放各局を回ってCMフィルムの受け渡し、CM進行表の確認など。一月九日から勤めはじめたが、その勤務評定は、「いまはジミな仕事をしてもらっていますが、業界の様子をのみこむためには、それがいちばんいいからで、将来は広告取りにスポンサー回りをしてもらなければなりません。松本君はいかにもスポーツマンタイプで声が大きくハキハキしている。これは、どちらかというと文学青年型の多いこの社会では目だちます。テレビ局でも社内でも、松本君がいるとすぐわかりますからねぇ。おかげで第一広告に松本あり、と印象付けられるし、いいことですな」と、主任の中間芳郎氏。「入団してすぐ結婚したので、もう二つになる娘もいます。遊んでいるわけにはいかないので、話があると、すぐお願いしました。まだ、遊んでいる人も多いが、やはり独身で余裕のある連中ですねぇ。はたして新しい仕事が自分に向くかどうか迷い、また、野球についても完全にあきらめきれない。その気持ちはわたしにもよくわかるんですが、やってみないことには、自分に向く仕事かどうかもわからない。わたしとしては、思いきってとびこんでよかったですね。スタートが遅れれば、遅れるだけマイナスになりますからねぇ」はじめの間は電話に出るのもこわかったのが、いまでは相手方と少しくらいのトラブルが起きても、自分で出向いて解決できるくらい度胸もついてきたそうである。