プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

金子哲夫

2023-09-15 20:47:30 | 日記
1960年
1メートル69、65キロの体はプロとしては小さい方ですが、夏の甲子園大会で、四日間に43イニングを投げ通した体力の持主。「体は小さくても、プロに入った以上、そんなこといっていられません。いま、シュート、カーブ、スライダーが投げられますが、今年のキャンプでは、その球の配合を研究したいと思います」と、いうこともハッキリしています。そのため、いま毎日、四千メートル走ることと、ナワトビを続けています。

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長野哲

2023-09-15 20:42:38 | 日記
1968年
三十日午前、東京・丸ノ内の球団事務所でドラフト会議で5位に指名した長野哲投手(19)=宮城・佐沼高、熊谷組、178㌢、74㌔、左投げ、左打ち=との正式契約を発表した。長野投手はことしノンプロで14試合に登板し3勝2敗、防御率2.16の成績を残した。

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大坂雅彦

2023-09-15 17:48:08 | 日記
1958年
甲子園球場でホームランを打った徳島商の大坂雅彦遊撃手の母親京子さんから、このほど、高萩署(茨城県)へ五年前行方不明になった雅彦君の父肇さんが、高萩市にいるかも知れませんので探して下さい、という手紙が届いた。手紙によると雅彦君が準決勝戦でホームランを打ったとき、高萩市本町一ダイボシ履物店大阪昇さん(50)から、祝電とお菓子をもらったので、もしやというもの。同市でただちに調べたところ、ダイボシの主人は大の野球ファン同姓のよしみで応援したもので涙の再会もあっけなくチョン。

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塩津義雄

2023-09-15 17:09:44 | 日記
1964年
塩津は33年大毎に入ってきたとき「これはスラッガ-になるぜ」と別当監督を喜ばせたものである。それから六年、キャンプのたびにことしのホープには必ず名前を連ねるのだが、いつも一シーズン70打数までいったことがない現実、そこに塩津のウィーク・ポイントが出ているような気がする。つまりキャンプの王様、バッティングはぞくにいう観兵式で実戦的でないのだ。気も弱い。


1986年


「久びさに鹿児島から大物打者登場?」と話題になった塩津義雄外野手だ。長距離打者育成では定評のある別当監督が惚れこんで、キャンプでのフリーバッティングを見ていると壮観だった。だが、いざ実戦になるとモロい。またキャンプの季節がくると強打をもって鳴る大毎オリオンズの主力打者、山内や榎本や葛城といった面々でさえ「あいつには負けるよ」という豪打をみせる。今度こそ…とみていると、実戦ではまたも練習のようにはいかない。256試合出場374打数84安打、7ホーマー、打率・225で終わった。

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佐藤竜一郎

2023-09-15 16:58:47 | 日記
1973年
電電東京の佐藤竜一郎外野手(22)=東京農大出、178㌢、73㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。佐藤は昨年のドラフト会議で大洋から6位指名されたが、勤務先の事情で入団せず、大洋はさきの産業対抗野球大会終了後、再度入団交渉を続けていた。技術的にはまだ未熟だが、パンチのある打撃で将来性を買われている。


ノンプロの電電東京からプロの大洋ホエールズに移った佐藤竜一郎外野手(23)=国見町出身=は福島三中、保原高時代にピッチャーとして活躍、俊足でも知られていた。県警本部警察学校に勤める父親の佐藤善一郎さん(51)と母親の照子さん(51)は「本人も相当の決意だろうと思う。活躍を見守ってやりたい」と話している。

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