1984年
シーズン・オフに厳しい粛清の嵐が吹く。今オフも、161人中30人が何らかの事情でユニホームを脱いだ。そのひとり南海二軍外野守備コーチだった寺田吉孝氏(31)が語る。「解任を言い渡されたのは、今月の9日です。前日、球団事務所に来いと言われたときに、うすうす感じましたけどね。プロ入りして14年、コーチに就任して2年ですが、毎年、そうなったときの覚悟はしていました。残れないかなと思う反面、大丈夫じゃないか、という気もしてたんです。だから、他のコーチらと語らって、秋季練習の計画を12月20日すぎまで組み立てていたほどです。今後のことですか?いまはまだ分かりません。他の球団からもお話はありませんね。さしあたって、福岡の実家に帰るつもりです。引越しが12月6日に決まったんで、いま、その準備で忙しいんですよ。郷里では、母がタバコ屋をやっているんです。私も、そこで職を探すつもりです」しばらく野球のことは忘れますー寺田氏は、第二の人生に賭ける決意を、こう表現してくれた。
シーズン・オフに厳しい粛清の嵐が吹く。今オフも、161人中30人が何らかの事情でユニホームを脱いだ。そのひとり南海二軍外野守備コーチだった寺田吉孝氏(31)が語る。「解任を言い渡されたのは、今月の9日です。前日、球団事務所に来いと言われたときに、うすうす感じましたけどね。プロ入りして14年、コーチに就任して2年ですが、毎年、そうなったときの覚悟はしていました。残れないかなと思う反面、大丈夫じゃないか、という気もしてたんです。だから、他のコーチらと語らって、秋季練習の計画を12月20日すぎまで組み立てていたほどです。今後のことですか?いまはまだ分かりません。他の球団からもお話はありませんね。さしあたって、福岡の実家に帰るつもりです。引越しが12月6日に決まったんで、いま、その準備で忙しいんですよ。郷里では、母がタバコ屋をやっているんです。私も、そこで職を探すつもりです」しばらく野球のことは忘れますー寺田氏は、第二の人生に賭ける決意を、こう表現してくれた。