プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井置博文

2023-09-21 21:55:13 | 日記
1961年
阪急ブレーブス入りを決めていた飾磨高校の井置博文投手(18)は、二十四日午後二時三十分から大坂の事務所で正式契約をした。同投手は今年29勝6敗の投手成績を収める一方、打っても打率四割三分、本塁打16本を数え、三年間を通じて25ホーマーを記録しているスラッガー。兵庫県下でも屈指の強打者として注目されていた。身長179㌢、体重79㌔、右投げ、右打ち。

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八重沢憲一

2023-09-21 21:22:47 | 日記
1969年
県立三沢高校野球部の八重沢憲一遊撃手(18)=身長175㌢、体重70㌔、右投げ右打ち=が、プロ野球東映フライヤーズに入団することが決まった。正式発表は、二十五日午後に字から三沢市幸町一丁目の「向陽園」で球団スカウト立ち会いのうえ行われるが、同選手は昨年夏、ことし春、夏の三回甲子園大会に出場、再三のチャンスに好打する勝負強い打撃を見せた。このため、ネット裏から切り込み隊長のニックネームで呼ばれ、東映のほか二、三の球団が入団交渉していた。

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下須崎詔一

2023-09-21 21:14:55 | 日記
1962年
鹿商高野球部の四番打者として活躍した下須崎詔一君(18)は五日西鉄入りがきまった。外野手として登録される。下須崎選手は一年生からレギュラーで外野がポジション。からだがやわらかく、内外角を打ち分ける器用な打者。身長174㌢、体重72㌔で右投げ右打ち。鹿県下では大物打者として知られ、県大会、九州大会などで好打をとばし、ことしの甲子園大会地区大会では四割五分を打って鹿商の優勝に大きな役割を果たした。甲子園大会では大会直前にスライディングで右足首を骨折、出場できなかったが、国体ではセンターを守り、五番を打った。熱心なクリスチャンで人望もあり、主将をつとめていた。足の負傷も回復しているし、高校生選手の育て方のうまい西鉄だけに今後の活躍が期待される。


下須崎選手の話 西鉄にはいりました。足の負傷で甲子園ではくやしかったですが、プロにはいった以上、努力して早く一軍選手になりたいと思っています。

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