プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ケキッチ

2017-02-09 20:35:22 | 日記
1974年

貧打の続く後期の太平洋。初対面のスワップ野郎。ケキッチにもあっさりギブアップだった。初回二死から2四球を選んだが竹之内三振。二回は基、菊川、楠城のバットが連続で空を切る。三回は伊原の安打から3四死球で押し出し点ーとにかくノーワインドアップから投げ込む球にはコントロールのリズムがない。つまりストライクが続くかと思うと突如ボールが並ぶ、荒れるかと思うとストライクがはいる、そしてタマは「ズシンと重い」(福浦スコアラー)。ライオンズの選手たちは的がしぼれないままボールにも手を出した。「日本の投手とはタイプが違うね。みんなシュート回転してくるし重い。速いという感じはないが適当に荒れるから打ちづらいよ」後期六試合でまだノーヒットの竹之内は完全にお手上げのゼスチャア。つまった当たりの多い打球の中でただひとりスタンドアーチをかけた基はちょっと違う見方をしていた。「そう重い感じはなかった。シュートがいい、あの球にだまされるんだ」それはともかく157球を投げたケキッチに11三振も奪われて稲尾監督はおかんむり。ベンチでは前半ストライクをとられるまで待球主義の作戦を取ったり、あれやこれやと手は打ったが、結局はあれだけに幻惑されてしまったようだ。「日本に来た外人投手は来日当初で比べると一段といいようだ。スタンカやバッキーは日本でうまくなったからな、まあまずまずの投手だよ、しかしああ敵に協力しちゃ勝てんよ」つまりライオンズの選手がみなボールに手を出してケキッチを助けたというわけだ。「的をしぼりにくいこともあるが今度あったら絶対打ち崩さないかんな。いや打ち消すよ」となかば自分に言い聞かせるような口ぶり。神部、鈴木と近鉄左腕と苦手とする太平洋、またひとりのいやなやつが出て来たものだ。

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