プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三橋豊夫

2018-08-26 19:56:32 | 日記
1976年

ヤクルトはきょう二十五日、東京・東新橋の球団事務所で若手選手全員の契約更改交渉を行う。ほとんどが年棒二百万円台のファーム組だが、その呼び出し名義から名前のもれている選手も三人いる。大型左腕と騒がれた三橋豊夫投手(27)もそのうちの一人だ。四十五年の十一月のドラフトでヤクルトから二位に指名され、ノンプロ日通浦和から鳴り物入りで入団したときは大変な騒ぎだった。球団側も球史に残る大左腕・金田投手(現ロッテ監督)が国鉄時代につけていた背番号34を用意。「金田二世として売り出す」と大きな期待を寄せたものだった。しかし、今年までの六年間で一軍のマウンドを踏んだのはわずか一回。それも入団一年目の四十六年九月六日、神宮球場での巨人戦にたった一人の打者に投げただけ(しかも四球)だった。あとはフォームをくずしたり、腰やヒジを痛めたりで、ファームの試合でも思うように投げられずじまい。病院に通って輸血をしたことさえあった。ところがー。今年六月に突然体全体に黄だん症状が表れ、食欲もなくなってしまったという。医師の診断では「血清肝炎」。多分、輸血したときに移されたのではないかといわれたという。よかれと思ってやったことが、完全に裏目に出たわけだ。入団した六年前に百八十万円だった年棒は、いまでも二百十万円。親子三人で暮らすのが精いっぱいだった男だけに、今後はいよいよ非情の自由契約の宣告が迫ってきた。毎年繰り返される悲劇の、これはほんの一部分だが、なまじチヤホヤされた選手たちが世間の荒波にこれからどこまで乗り切っていくかを心配せずにはいられない。幸い三橋投手の場合は球団がヤクルト販売会社への就職をあっせん中。今度こそ周囲の期待を裏切らずにがんばってほしいと思わずにはいられない。

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