1960年
1対1のまま迎えた八回一死後、矢ノ浦がたたいた一打は三塁線いっぱいにころがる二塁打になった。これが勝ち越し点を生んだわけ。島田が三塁打して2点を追加したときは、スタンドのお客さんも帰りじたくを始めた。またスコアボードに並んだ0の列を最初に乱したのも矢ノ浦。五回二死後、好投する井上善のシュートを右中間に三塁打。一塁走者の川上をかえし先取点をあげた。西鉄、花井の打球が中堅川上のグラブにおさまってゲームが終ると、矢ノ浦はうつむき加減でベンチに走り込んできた。汗ひとつ流さず、いまからゲームを始めるような元気さだった。さっそく記者たちに囲まれ質問を受ける。てれくさいのかスパイクにくい込んだ土をはらいのけながら「八回に打ったのはインコースのまっすぐで、ゆっくり入ってきた。五回のときはねらっていた」と素直に答える。矢ノ浦はこの春東筑高から入団したルーキー、近鉄選手のなかでも童顔がひときわ目立つ。「やはり平和台は地元ですからね。ぶざまなプレーはできません。ファイトがわきます」という。選手たちがベンチから引き揚げたあと矢ノ浦は大きな袋をさげて、練習で使用した球を一生懸命につめ込む。グラウンドではベテランなみの働きをする矢ノ浦もプロ選手としての第一歩から鍛えあげられている。
1対1のまま迎えた八回一死後、矢ノ浦がたたいた一打は三塁線いっぱいにころがる二塁打になった。これが勝ち越し点を生んだわけ。島田が三塁打して2点を追加したときは、スタンドのお客さんも帰りじたくを始めた。またスコアボードに並んだ0の列を最初に乱したのも矢ノ浦。五回二死後、好投する井上善のシュートを右中間に三塁打。一塁走者の川上をかえし先取点をあげた。西鉄、花井の打球が中堅川上のグラブにおさまってゲームが終ると、矢ノ浦はうつむき加減でベンチに走り込んできた。汗ひとつ流さず、いまからゲームを始めるような元気さだった。さっそく記者たちに囲まれ質問を受ける。てれくさいのかスパイクにくい込んだ土をはらいのけながら「八回に打ったのはインコースのまっすぐで、ゆっくり入ってきた。五回のときはねらっていた」と素直に答える。矢ノ浦はこの春東筑高から入団したルーキー、近鉄選手のなかでも童顔がひときわ目立つ。「やはり平和台は地元ですからね。ぶざまなプレーはできません。ファイトがわきます」という。選手たちがベンチから引き揚げたあと矢ノ浦は大きな袋をさげて、練習で使用した球を一生懸命につめ込む。グラウンドではベテランなみの働きをする矢ノ浦もプロ選手としての第一歩から鍛えあげられている。
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