1957年
三平投手は今春秋田商高から日鉱日立に入社したばかりの新鋭で今季後楽園で行われた産業大会で15三振を奪う快投を見せ一躍クローズ・アップされたものである。三平投手の獲得戦には大毎のほかパでは近鉄、セでは大洋が積極的で、特に大洋では産業大会以前から勧誘に乗り出していたが、周囲の事情が大毎に非常に有利であったことがポイントと見られている。大毎はさきに川崎トキコの鈴木投手の争奪戦で大洋にやられたがこれで左腕投手の補強ができたわけである。大毎の投手陣はこの補強で十九名の大勢力となったが、左投手が三平を加えると荒巻、小野、和田、青山、野口と六名になりプロ球界でも珍しい左腕投手陣ができるわけだ。三平投手が入団早々のシーズンどれだけ活躍をするかわからないが一時獲得有望といっていた大洋の迫畑総監督は案外鈴木よりやるかも知れないと見ており別当監督もシュートがないがフォームがよい。ちょっと中日の中山といったタイプと評している。
秋田商から今春日鉱日立に入社した新鋭。高校時代は慶大に進んだ三浦とともにマウンドを踏んでいたが、三浦にくらべて安定感がないために起用されることが少なく、三浦ほども中央に知られなかった。つまり左腕にありがちなコントロール難のため真価を発揮できなかったものだが、日鉱入りして砂押監督の指導を得てからめっきり進歩した。下半身の弱かった欠点をランニングで矯正、夏の都市対抗当時までは基礎練習一本で鍛えられた。公式戦に初めてデビューしたのが十一月初旬の産業野球大会の対東洋紡富田戦でこの初登板に奪三振十五本の大会新記録をつくりにわかに脚光を浴びた。武器はひざ元をつく直球で内外角ともよい伸びをもっている。シュート、カーブはまだ甘いがこれはまだ本格的には練習をつんでいないためで、周囲も彼に直球一点張りで押すようにすすめていた。それだけに本人もスピードには自信を持っておりプロの水になれれば意外な躍進を見せるかもしれない。左投げ左打ち五尺七寸五分、十八貫。
迫畑大洋総監督の話 うちは産業野球前から三平をマークしていた。私も直接本人とあったこともあるしその時は大洋へいきたいともらしてくれた。しかしその後大毎や近鉄から話があったようで特に大毎には彼の周囲が強くすすめていた気配もあった。十一日本人と話をし、その時に大毎入りをうすうす感じ、うちとしてはがっかりしたところだ。三平が入れば鈴木に次いで左投手が四人になると考えていただけに全く残念だ。
三平選手の話 大毎オリオンズのほかに大洋と近鉄からも話がありましたが、僕は東北出身なので在京チームへ入ることにしました。そのなかからオリオンズを選んだのはチーム・カラーと別当さんの人格にひかれたからです。スピードには自信を持っていますが、ドロップにまだまだ甘い点があるのでこれから一生懸命勉強して早く第一線に立てるよう努力する。