プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

茂木忠之

2015-05-24 20:00:53 | 日記
1956年

国鉄入り内定と報じた群馬県伊勢崎高の茂木忠之投手が本決まりとなった。同投手は六尺の長身、しかもサウスポーとあり、早くも「金田二世」の前評判が高い。今夏の予選では太田高を相手にノーヒット、ノーラン・ゲームを記録している。
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三平晴樹

2015-05-20 21:55:43 | 日記
1957年

三平投手は今春秋田商高から日鉱日立に入社したばかりの新鋭で今季後楽園で行われた産業大会で15三振を奪う快投を見せ一躍クローズ・アップされたものである。三平投手の獲得戦には大毎のほかパでは近鉄、セでは大洋が積極的で、特に大洋では産業大会以前から勧誘に乗り出していたが、周囲の事情が大毎に非常に有利であったことがポイントと見られている。大毎はさきに川崎トキコの鈴木投手の争奪戦で大洋にやられたがこれで左腕投手の補強ができたわけである。大毎の投手陣はこの補強で十九名の大勢力となったが、左投手が三平を加えると荒巻、小野、和田、青山、野口と六名になりプロ球界でも珍しい左腕投手陣ができるわけだ。三平投手が入団早々のシーズンどれだけ活躍をするかわからないが一時獲得有望といっていた大洋の迫畑総監督は案外鈴木よりやるかも知れないと見ており別当監督もシュートがないがフォームがよい。ちょっと中日の中山といったタイプと評している。

秋田商から今春日鉱日立に入社した新鋭。高校時代は慶大に進んだ三浦とともにマウンドを踏んでいたが、三浦にくらべて安定感がないために起用されることが少なく、三浦ほども中央に知られなかった。つまり左腕にありがちなコントロール難のため真価を発揮できなかったものだが、日鉱入りして砂押監督の指導を得てからめっきり進歩した。下半身の弱かった欠点をランニングで矯正、夏の都市対抗当時までは基礎練習一本で鍛えられた。公式戦に初めてデビューしたのが十一月初旬の産業野球大会の対東洋紡富田戦でこの初登板に奪三振十五本の大会新記録をつくりにわかに脚光を浴びた。武器はひざ元をつく直球で内外角ともよい伸びをもっている。シュート、カーブはまだ甘いがこれはまだ本格的には練習をつんでいないためで、周囲も彼に直球一点張りで押すようにすすめていた。それだけに本人もスピードには自信を持っておりプロの水になれれば意外な躍進を見せるかもしれない。左投げ左打ち五尺七寸五分、十八貫。

迫畑大洋総監督の話 うちは産業野球前から三平をマークしていた。私も直接本人とあったこともあるしその時は大洋へいきたいともらしてくれた。しかしその後大毎や近鉄から話があったようで特に大毎には彼の周囲が強くすすめていた気配もあった。十一日本人と話をし、その時に大毎入りをうすうす感じ、うちとしてはがっかりしたところだ。三平が入れば鈴木に次いで左投手が四人になると考えていただけに全く残念だ。

三平選手の話 大毎オリオンズのほかに大洋と近鉄からも話がありましたが、僕は東北出身なので在京チームへ入ることにしました。そのなかからオリオンズを選んだのはチーム・カラーと別当さんの人格にひかれたからです。スピードには自信を持っていますが、ドロップにまだまだ甘い点があるのでこれから一生懸命勉強して早く第一線に立てるよう努力する。
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岡田忠弘

2015-05-20 06:04:49 | 日記
1957年

東京六大学準硬式野球部随一の折紙つきの岡田投手の、東映フライヤーズ入りのきっかけとなったのはことしの八月末のことだった。駒沢球場で対毎日戦をまえに激しい東映の練習が行われていた。この一団の中で岩本監督、米川主将の注視を浴びてテストを受けていた一人の選手がいたが、これが岡田選手だった。このときこの岡田選手はこう語っている。ボクは絶対の自信をもっていたのですが、やっぱりプロ野球の監督さんのみつめている間ではあがってしまいました。しかし、このとき岩本さんから君のボールはシュートがきいている。どうだね、やってみるかねといわれ、米川さんもスピードもあるし、努力すれば使えるだろう。まだ腕だけで投げている感じだが、ランニングをやってバネをつければ…。といわれたときは本当にうれしかった。これよりさき、ノンプロの明電舎からも引っぱられていたが、岡田はノンプロよりもプロに魅力を持っていた。もともと彼は硬球の出身で、二十八年の選抜大会を前に彼のいた栃木高は県下シード校にあげられていた。しかし投手兼遊撃手として大活躍したが彼一人ではどうにもならず敗れた。そして二十九年春明大の準硬式野球部に入った。硬式に入らなかったのは勉強したかったからといっている。そしてその年の秋のリーグ戦から明大準硬式野球部のエースとしてのリーグ対法大戦では三振十七個を奪うノーヒットノーランをやってのけた。彼のピッチングはあくまでも正統派でスピードを武器としている。スリークォーターから投げられる球は打者の手元へきて自然にシュートがかかる。自分では全く意識していないという。この点を岩本監督もかったものだろう。大学を通じリーグ成績は42勝20敗を記録している。五尺八寸、十九貫、右投右打と野球選手としては決して大きいとはいえない。しかし、その度胸のよさは輝くものだ。というのはボクシング選手としても一流の彼なのだ。二十八年の第八回国体には栃木県代表選手に選ばれ、フェザー級に出場した。ついさきごろ明大体育祭ではフェザー級チャンピオンを獲得した。プロ入りとこの優勝で学内の人気を一身にうけている。一月十五日から伊東でやるキャンプに入るのが待ち遠しいです。大橋さんの例もありますしボクとしても負けられません。一年ぐらいは二軍でみっちりやりたいと思っています。カーブをマスターしたいと思っています。幸い体には自信はあり、やれるところまでやってみるつもりです。と抱負を語る。この金の卵が温かい東映フライヤーズの中にかえり、育てられる元気な姿をみせるのもそれほど遠くはあるまい。
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手銭善之

2015-05-18 22:52:41 | 日記
1956年

近鉄パールスではこのほど島根県大社高の手銭善之投手の入団を決定した。手銭投手は昨秋の中国秋季大会を含む14試合に三振109個を奪った速球投手、ドロップの切れ味もよく巨人も熱心に勧誘していた。
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古城守

2015-05-18 22:16:18 | 日記
1956年

来シーズンの陣容強化に乗出した西鉄ライオンズでは二日村山投手(戸畑高)城戸三塁手(常盤高)とともに九州球界の豪速球左腕投手の古城守(三池農)の入団を発表した。古城投手は身長こそ五尺六寸六分と欠けるうらみはあるが、十九貫というがっちりした体格の持ち主で、切れのよいカーブと速球にはかなりの威力をもっている。福岡県予選には一試合平均10の三振を奪い、早くからプロ・スカウトの眼にとまっていたもので、このほど西鉄入りが決定した。
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大島明佳

2015-05-18 22:02:25 | 日記
1963年

大島明佳投手(18)…三年、1㍍78、69㌔、右投右打、日大一高

大島投手は日大一高のエースではなく、リリーフ専門であるが、サイド・スローから投げる球にはクセがあり、いま阪急にいる足立投手とよく似ている。阪急岡野代表は「面白い投手だ」と期待をかけ、かりに投手としてダメの場合でも、打力がいいので打者に転向しても通用する選手。日大一高は、今夏の甲子園大会では一回戦で徳島商高に敗れたが、大島は五回からエース石井投手をリリーフ、打っては2打数1安打、1打点を記録した。
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小木曽紀八郎

2015-05-18 21:53:28 | 日記
1963年

中日ドラゴンズは十一日午後中日ー広島戦が降雨で中止となった後中日球場内のプレス・ルームで、先に入団を内定していた大昭和製紙の小木曽紀八郎三塁手(23)=豊橋工高出=の入団を正式発表した。同選手は右投げ、右打ち、身長1㍍82、体重90㌔で、大昭和製紙では六番を打ち、今春静岡で行われた選抜都市対抗静岡大会で優秀選手に選ばれている。大昭和での通算打率は102打数33安打で、3割2分をマーク、今夏の都市対抗山静大会では本塁打1を含む35打数12安打で4割8分を記録した。

小木曽選手の話 好きで入った以上一生懸命がん張る。幸い中日には河村君や伊藤君ら高校時代の同僚がいるだけに心強い。

高田代表の話 小木曽君は高校時代から知っている。体が柔かいのと、素晴らしい力を持っているのが魅力で、私は彼を母校の中大に入れようとさえ思ったことがある。大昭和で活躍してたのが同一人物だとはつい最近まで知らなかった。大型内野手として期待している。
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日野美澄

2015-05-18 21:44:10 | 日記
1957年

早慶戦再度にわたる安打を放ち、神宮のヒーローとしてクローズ・アップされた慶大の日野美澄遊撃手(鳴門高出、二十二才)はかねてからプロ入りの希望をもらし、毎日、大映、東映、西鉄などと交渉があったが、六日西鉄入り希望の態度を明らかにした。はじめ新聞社を志し、これから毎日の線がでたが、話はまとまらず大映の熱望に一時は大映入りの噂もでたが、二塁手に適材を得ない西鉄ががぜん本腰を入れて乗りだし、宇高スカウトの熱意が今回の西鉄内定にまで進んだもの。なお正式契約はオール早慶戦終了後東京で行われる。
同選手は鳴門高時代から大型遊撃手として甲子園で名を馳せ、特に打力には将来を嘱望されていた。慶大に入ると一年生の春早くも三塁手として神宮にデビュー、秋からは遊撃手としてレギュラーの一角をしめ、二年の春には三割八分強を打って首位打者となり、勝負強さを発揮していた。特に学生野球最後の早慶戦には遺憾なく勝負師らしいところをみせ、この好打でベスト・ナインにも選ばれた。

日野選手談 就職の話は随分あったが、どうしてもプロでやりたかった、毎日を希望していたがダメになり、大映、東映からも話があり、特に大映は永田社長夫人の熱望もあり、はじめから在京球団を望んでいたので考えていたが、西鉄の宇高スカウトから条件のいい話があり、強いチームという魅力もあって西鉄入団を決意しました。二塁ということですが、どこまでやれるかやってみなければわかりません、バッティングもフィールディングもいたらぬ点ばかりなので、みっちり練習をやり直して恥ずかしくない働きをしたいと思っています。九州でのオール早慶戦が終ってから正式契約をするつもりです。
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岩上江笠

2015-05-17 23:15:19 | 日記
1962年

岩上江笠投手(24)…丸善石油、立命大出、右投右打、1㍍75、74㌔、背番号58

岩上投手も立命時代からスカウト合戦の渦中にあったほどの役手、しかし、昨年丸善石油に入社してからは練習不足などから十分の活躍が見られなかったが、素質は十分あり、近鉄の戦力になるものと期待されている。

岩上投手の話 江田さん(スカウト)が熱心に誘ってくれましたので、プロ入りにふみ切りました。プロでは自分なりに十分やれる自信はもっています。近鉄を選んだのはやりがいのあるチームだと思ったからです。
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塩津義雄

2015-05-17 22:57:47 | 日記
1957年

毎日オリオンズでは有楽町の同球団事務所で鹿児島商の塩津義雄選手(18)=六尺、十九貫五百、右投右打=と正式契約を行った。塩津選手は九州球界では長距離打者として定評があり、高校時代、四割六分四厘の驚異的な打率をマークしたスラッガー。
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山本公士

2015-05-17 22:12:45 | 日記
1963年

阪急ブレーブスでは十三日午後三時から大阪市北区梅田阪急航空ビル五階の球団事務所で、山本公士外野手(21)=身長1㍍64、体重58㌔、右投右打、熊本工ー三菱長崎造船=の入団を正式発表した。背番号未定、研究期間は50試合である。同選手は阪神山本哲捕手の実弟、小柄だが俊足巧打の持ち主である三菱造船時代の成績は37年35試合124打数40安打10打点、打率三割二分三厘、盗塁19。38年は9試合23打数8安打、三割四分七厘の打率を残している。彼の場合、巧打もさることながら、100㍍11秒2という足の早さが魅力だ。阪急はこの点に大きな期待をかけている。
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白野清美

2015-05-17 21:48:13 | 日記
1957年

南海ホークスでは連日午後十二時半より約二時間中モズ球場においてトレーニングをつづけているが、きのう十三日の参加選手は先月二十二日に帰国した藤重捕手、今月七日堺市綾野町の田上病院で盲腸手術を行って入院中の皆川投手、自下感冒のため自宅で療養中の木村投手ら三名を除く総員37選手で、このほか新人テストで採用された白野清美内野手(18歳、鳳高ー大和川染工、5尺8寸、20貫、右投右打)が背番号65のユニフォームをつけて、練習の仲間入りをしていた。この白野選手は九月二十四の両日大阪球場において行われた新人テストにパスした5新人中の一人で、テストのときには中村大成投手の投球を左翼席に叩き込んだ怪力の持ち主である。
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小木曽紀八郎

2015-05-17 21:23:22 | 日記
1963年

社会人球界の大型三塁手といわれた大昭和製紙の強打者小木曽紀八郎選手=豊橋工出=が中日ドラゴンズへ入団を決定した。同選手は身長1㍍81、体重73㌔で高校時代は一塁手だったが、大昭和製紙に入社してからフット・ワークのよさと柔軟さを買われて三塁手に転向。今季静岡で行われた社会人野球大会では健棒をふるい、優秀選手に選ばれている。この大会以来にわかにプロ球界から脚光を浴び、地元の中日はじめ大毎、阪神から誘われていたが、プロ攻勢に大昭和の具志監督は「小木曽はいまのウチにとっては手ばなせない選手だ」と誘いの防波堤になっていた。しかし中日本多スカウトの熱心な誘いに本人もようやく納得して、中日入りを決意した。

本多スカウトの話 多少打撃に荒さはあるが、ツボにきた球は80%オーバー・フェンスする力の持ち主だ。将来チームの主力打者になる素質は十分持っている。

小木曽選手の話 プロでやるなら地元の中日でやりたいと思っていた。家族もボクの意思に任せるというので、大昭和に入社するについてお世話になった瀬古さんに了解を求め中日に返事したい。
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佐藤一誠

2015-05-17 21:06:53 | 日記
1963年

国鉄スワローズは、二十八日東京有楽町の球団事務所でさきに国鉄入りを内定していた神奈川大の佐藤一誠外野手(19)=左投左打、八王子学園高卒=の入団発表を行った。背番号は54。同選手は1㍍76、体重75㌔で、一年生ながら神奈川大の四番打者として神奈川五大学春季リーグ戦に優勝し、大学選手権に出場した。選手権は三回戦まで勝ち進み、8打数4安打で五割の高打率をマーク、巨人、大洋、中日からも勧誘をうけていた。百㍍12秒の俊足の持ち主だけに左打者不足の国鉄にとっては貴重な戦力となりそうだ。

佐藤選手の話 高校と大学では高校があまり有名でなかったので花やかな球歴はない。それだけにプロで自分の持っている力を試してみたいと思っています。先日の千葉大会と、二十四日飯田市での対明大戦では石岡投手からホームランを打ったことがあります。
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木村軍治

2015-05-17 20:59:53 | 日記
1956年

東映フライヤーズでは二十一日豊川高木村軍治(18)遊撃手と正式契約したむね発表した。同選手は五尺七寸五分、十七貫五百、右投右打、豊川高一年生のときからレギュラーとして出場、最終学年度には三番打者で三割四分の好打率をあげており、百㍍を12秒で走るという快脚の持ち主、本年度高校全愛知の二塁手として選ばれている。東映では好守好打の遊撃手としてすぐに使えると大きな期待をかけている。
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