プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

長倉大宝

2015-05-17 13:52:37 | 日記
1957年

近鉄パールズでは二十六日午後三時、上六近鉄本社で大分県中津東高の長倉大宝捕手(17)=五尺七寸十七貫、右投右打=と正式契約を結んだ旨発表した。近鉄では九州球界から宮崎大宮高校長田投手を獲得したが、長倉選手も劣らぬ好選手で強肩、とくに在学時代の通算打率は、三割四分一厘が示すようにシュアーな打棒は高く評価されていた、今季捕手難をかこつただけに同選手の将来の成長に大きな希望を持っている。

長倉大宝選手の話 球道ただ一筋を目指して近鉄入団を決意したわけですが、球界最高峰のプロ野球界で未熟な私がどこまでやれるかちょっと心配です。でも入団した以上一日も早く第一線で活躍できるよう練習に励み、皆様の期待に応えたいと思っています。
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中川原了

2015-05-17 13:51:13 | 日記
1957年

東映フライヤーズでは二十日中川原了投手(18)=三養基高=と契約した、同投手は九州地区でも全く無名だが、高校二年まで陸上競技の選手だった、五尺九寸、19貫、左投左打。
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加藤康雄

2015-05-17 13:18:16 | 日記
1957年

中大陸上競技部ヤリ投で活躍した加藤康雄投手(20)=経済学部二年=が、このほど野球に転向、巨人軍に入団することになった、同選手は。和歌山田辺高時代、野球部に在籍していたが、試合身体をこわしたためヤリ投げを始めたもので、昨年レスリングから転向した桂本(国鉄)につぐ異色ケースとして注目されている。五尺五寸、十八貫、右投右打。
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牧田政彦

2015-05-17 13:08:15 | 日記
1957年

パ•リーグ阪急ブレーブス入団が内定していた長野県伊那北高の牧田正彦投手(18)は二十五日午後一時半角田町の同球団事務所において正式契約を行った。同投手は六尺五寸、十九貫五百の体格に恵まれた巨漢投手で左腕から投げおろす快速球には定評があり、一試合平均10個という素晴らしい記録をもっており、プロ球団スカウトの注目の的であった。阪急のほか近鉄、巨人、国鉄などからも勧誘の手が伸びていた、阪急では梶本につぐ大型左腕投手としてその活躍を期待している。

牧田投手の話 阪急のほか巨人、国鉄、近鉄から勧誘を受けました、阪急にきめたのは前々からチーム•カラーが好きだったし、梶本さんというこの上ないよいお手本がおられますし、梶本さんを目標に大いに頑張りたいと思います。

木地社長の話 牧田君は上背もあるしよい素質の持ち主だと聞いているのできっと私たちの期待に応えてくれると楽しみにしている。
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山田譲治

2015-05-11 23:44:29 | 日記
1955年

山田譲治外野手…右投右打、18才、尼崎北高、五尺六寸五分、十七貫五百

高校在学中の打撃成績(20試合)が通算打率三割四分一厘、しかも二塁打、三塁打各8本、本塁打9本を放ち、47安打に対する長打数98を数え、長打率七割一分という隠れたるスラッガー、バッティングの特徴としては外角球に強く、今夏(六月)の県外試合(福井球場)では大洋入りした若狭高松井投手の外角球を叩いて400フィートの右越大本塁打を記録している。
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大木利男

2015-05-11 23:37:08 | 日記
1955年

大木利男外野手…右投右打、18才、五尺九寸五分、二十貫五百

松浦投手の同僚でもあり、高橋ユニオンズ大木護外野手の実弟でもある、甲子園(センバツ)では左翼手五番打者として俊足・強肩ぶりをみせたものだ、六尺に近い身長と二十貫を越える体重は、怪童中西がプロ入りした当時を上回る巨漢であり猛打タイガースの看板にはうってつけのスケールに恵まれた選手だ。
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荒木隆男

2015-05-11 23:32:16 | 日記
1955年

荒木隆男投手…左投左打、18才、九州学院、五尺九寸五分、十九貫

今春一足先にブレーブスのユニフォームを着た松井投手の後輩、投手を始めたのは昨秋からで、中学時代は一塁手をしていたが、六尺近い上背と荒れ球に眼をつけられ投手に転向、阪急では第二の梶本と嘱望している。プロでは西鉄、ノン・プロでは日鉄二瀬、東洋レーヨン、そのほか立教大からも勧誘をうけた大物である。
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岡田豊

2015-05-11 23:28:33 | 日記
1955年

岡田豊捕手…右投右打、23歳、尼崎工高ー近大、五尺五寸、十七貫

近畿六大学リーグ戦において本年春秋の二シーズンに連続首位打者の栄誉に輝いている、打率は春が8試合、27打数、12安打の四割四分四厘、秋が10試合、35打数、17安打の四割八分五厘、ロング・ヒッターではないが、好機に強い確実な打者、肩も強い。
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増田浩

2015-05-11 23:24:35 | 日記
1955年

増田浩選手…右投右打、20才 向陽高ー鐘化、五尺七寸五分、十八貫

近鉄パールズに入団した大石外野手の後輩、ノン・プロ球界屈指の三塁手として過日の産業別都市対抗では優秀選手となった、今夏の都市対抗では5試合に19打数、6安打の三割一分六厘、産別対抗では5試合、19打数、8安打の四割二分一厘という高率をあげている。
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早水嘉彦

2015-05-11 23:19:09 | 日記
1955年

早水嘉彦(左投左打、20才)郡山高ー元洋松、六尺、十九貫

洋松二軍に一時籍をおいたこともある、身体もあり、左打者特有の美しいスウィングの持ち主、プロへの返り咲きを期して、自分から新人テストの門を叩いた選手。
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江崎照雄

2015-05-10 22:19:32 | 日記
1956年

同選手は岡崎市板屋町の出身で竜海中出、石川克投手(中日)の一年後輩であり、中京商業では中山投手(中日)の一年先輩であった。毎日と契約した動機は「私を一番ほしがっている球団に行こうと思っていたが大映、阪急、阪神などからも勧められたが、毎日オリオンズの若さにひかれ、また別当監督の熱心な勧誘で決めました」と語り、別当監督は「リーグ戦中二、三回みにいったが、うちの中西より球は速いだろう。だが、まだカーブがものになっていないのでこれからカーブをマスターさせたいと思っている。いわば本当の未完成の投手でよその球団でもこの選手のことをよく知っているならば必ずほしがるような型の投手だ。まだまだ若いし完成していないので来シーズンは大いに期待している」といっている。また黒崎専務は「これで投手力が大分プラスになったし、あと外野ともう二、三人の投手、それから欲をいえば捕手がほしいと思っている。しかし来シーズンは二軍といったような考え方はなくして全部すぐ使えるような力量のものばかり集めたいと思っている、というのは関西ではファームリーグチームがリーグ戦をやっているが、関東ではそれをやる暇がない、それで二軍の選手も伸びるところがないのでそういうことになったのだ」と語っている。

江崎投手経歴 江崎投手は中京商出身当時から豪速球投手として定評があった。甲子園の大会には夏は出場出来ず二十六年の春二年生の時選抜に出場しただけでそれも準々決勝で長崎西高に敗れ余り恵まれなかった。しかしこの当時の速球は大学級といわれていた。二十八年日大に入学期待を集めたが、二年までは河内、それ以後は島津と東都有数の好投手の陰にかくれ、これまた恵まれた球生活ではなかった。六尺一寸、二十貫の優れた体格には似ない気性の弱さが原因していたためである。しかし今シーズン島津が前半の故障で精彩を欠くと責任を感じて好投を続け日大優勝の原動力となり最優秀投手に選ばれた。力で打者と真っ向からぶつかる本格派投手で以前から実力はあったのだが、漸く今シーズン実を結んだものである。
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上条皇裕

2015-05-10 22:00:16 | 日記
1958年

大毎オリオンズ入りを決定した足立高の主将、エース上条皇裕(たかひろ)投手(18)は二十五日午後五時から有楽町の大毎球団事務所で入団の正式契約を行った。上条投手は都内高校野球界では右腕のナンバーワン投手といわれ、すでに巨人入りした左腕の早実王投手と並び称されていた。オーバー・スローのストレートにはスピードとともに伸びがあり、本格派の投手。義兄が勤めているペプシ・コーラの日本支社支配人若林忠志氏(元オリオンズ監督)の帰国を待って、若林氏立ち合いのもとに正式に契約したもの。1㍍70、68㌔。球団に来あわせていた小野投手、葛城内野手にしっかりやって優勝しようと激励されホオを紅潮させながら次のように語った。

上条投手の話 もう市川のグラウンドに行って練習していますが、二十七日から入る伊東の合宿には小野さんや先輩の投手たちが一緒なので、楽しみです。いろいろ教えてもらっていい投手になりたいと思っています。
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平井嘉明

2015-05-05 22:55:14 | 日記
1956年

毎日オリオンズ入りを決定していた関大主将平井嘉明遊撃手(22)は七日上京、同日午後二時有楽町毎日球団事務所で正式入団の契約を行った。五尺五寸、十五貫八百と小柄な体格ながらフットワークのよさとシュアーなバッティングは関西球界でも名をはせ毎日のほかにも近鉄、大映が勧誘につとめていた。右投左打で百㍍を11秒6という俊足の持ち主。

別当監督談 足も速いし、小さいながら守備もうまく何としてでもほしい選手だった。うちのチームはちょうど積み木みたいなもので崩れるとガタガタに崩れるが平井君にはちょうつがいのような役割を果たしてもらおうと思っている。2ストライクからでもバントをやってのける選手だし、それに左打ちでもあるから一応二番を打たせようと考えている。

平井選手談 期待にそえるかどうか分かりませんが、自分としては最高の野球をやろうと思っています。小さいとよくいわれますが、自信は持っている。毎日には清水さん(清水は平安高、平井は立命館高で互いに好敵手だった)や後輩の中西君がいるので心強い。
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梅野慶志

2015-05-04 10:48:05 | 日記
1956年

毎日オリオンズ新入団契約第一号の大分県日田高梅野慶志投手(17)は母親まつさん(50)につきそわれ二十日午後五時二十五分東京駅着の急行霧島で上京、出迎えの荒巻投手ともども球団黒崎代表に入団のあいさつを行った。同選手は五尺七寸、十七貫五百の左腕投手(左打)でそのスピードはスカウトした荒巻投手もよき後継者として相当買っている。

梅野投手の話 西鉄や南海からも話はありましたが、僕はどうしても毎日が好きでした。それと毎日には荒巻さんのほか服部さんや葛城さんがいるので心強いです。立派なプロ選手となるようがんばります。
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新田法昭

2015-05-04 09:56:32 | 日記
1956年

柳井商工野球部遊撃手新田法昭選手(17)はこのほど阪神タイガースと正式契約を結び、明春卒業と同時にプロ入りすることとなった。同選手では山口県下でも傑出した選手で夏の山口県予選でも打率5割をマーク、攻守ともに定評があった。右投右打、五尺八寸、十八貫。
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