氷雨

2010年01月07日 | 健康・病気

2、3日前、ラジオ深夜便を聴いたら、この曲が流れた。
日野美歌がうたう「氷雨」だった。
ゲストの小説家山本一力がリクエストした曲だった。
懐かしかった。

むかし、この歌をいいなと思った。
どっちかというと私は、佳山明生の歌のほうがよかった。
こんどカラオケをうたうことがあったらうたってみよう。

今、ネットで調べたら1983年に流行ったようだ。
ということは息子たちが3歳のとき、私が30歳の頃だ。
そのとき私はT電気製作所という町工場に勤めていた。
3年ほど前、その会社のあった板橋の小竹向原に行ったら会社はなかった。
(以前、九想話に書きました)
その会社には、製造として入った。
半導体製造の過程で使われるガス流量制御機器(マスフローコントローラー)
というものを造っていた。
最初の半導体の好景気のときで、造れば造っただけ売れた。
そのうち私は、製造から資材課に配置転換になった。
それから会社は変わっても、資材課という仕事を私は45歳までした。

資材課には、私より1歳上のYという男がいた。
Yは、社長の甥で、他の社員より優遇されていた。
大学は早稲田を出ていた。
高卒の私は、そんな彼を羨ましく思っていた。
彼とはよく飲んだ。
会社の近所でも飲んだが、おもに、彼の住んでいた
中央線の高円寺あたりの居酒屋・スナックで飲んでいた。
そこまで行くとだいたい私は所沢まで帰れない。
彼のアパートに泊まり、翌日2人で出社ということになった。

彼とはよく討論をした。
会社の運営、政治、社会、文学、女、恋、愛などなど。
彼の友人が経営していた「オールディーズ」というスナックによく行った。
(もちろん高円寺にありました。10年ほど前に行ったらその店はなかった)
そこに行くとカラオケをうたった。
彼は「氷雨」をよくうたった。
私は、長渕剛の「とんぼ」だった。
彼は、会社の経理担当の41歳の独身の女性に恋していた。
彼女は彼をまったく相手にしてなかった。
飲むと、Yの彼女への恋心をさんざん聞かされた。
いろいろありました。
このへんのことを書くと長くなるので、もうやめます。

33歳の頃か、半導体不況がやってきた。
会社は不景気になりボーナスなども少なくなり、社員が次々に辞めていった。
Yも辞めるという。
私も会社に希望がなくなり辞めることにした。
あ…、書いていくとキリがない。
やっぱり、このへんで書くことをやめます。
 

コメント (2)
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