それでそこカズ

2007年05月18日 | 健康・病気
カズ「自分はサッカーが仕事」参院選出馬辞退のシンプルな理由(サンケイスポーツ) - goo ニュース

カズはえらい。
そうでなくっちゃ。
Jリーグ最年長でがんばっているのを見ていて、
応援していた。
それが、自民党の誘いにのって夏の参院選なんぞに立候補したら
おれは三浦知良を軽蔑しようと思っていた。
サッカーのことはよくわからないが、これからも、
カズのことはずーっと暖かい視線で見守っていきます。

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子猫

2007年05月17日 | 健康・病気

朝、私の仕事場に行くと、何かの鳴き声がする。
子猫のような小鳥のような切ない鳴き声だった。

私の仕事場はコンパネの上にクランプが
転がっている殺風景なところだ。
コンパネの上には埃が積み重なっている。
外との仕切りはビニールシートです。
屋根は波形トタンだ。夏は地獄のような暑さだろう。

私が三連クランプを袋に詰めていると、
雨音に混じってその鳴き声がるす。
ビニールシートの隙間から見ても見えない。

午後、やっとその姿が見られた。
雨にずぶ濡れになった子猫だった。
それをUに話してるときに、Kの叫び声がした。
「なんだよー。チョーびっくりした。
 こんなとこに猫がいるよ~」

おれが急いで行くと、倉庫の中に小さな子猫が3匹いた。
黒と白と茶の混じったのだった。
みんなが集まってきた。

「クランプ小屋の外にも子猫がいるよ」おれがいうと、
みんなでだらだら私の職場に移動した。
子猫を発見したTが背筋をキリっと伸ばしていった。
「海猿、登場!!」
Tはビニールシートをはずし外に飛び出した。
そして雨に濡れてふるえている子猫2匹を救出した。
まるで海で遭難した美少女を救い出したように。

そのころ雨はやんでいた。
タオルでやさしく濡れた身体を拭いてやった。
みんなでしばらく5匹の子猫を中心に、
子猫の生まれてからのこと、将来のことを語った。

とりあえず元の場所に戻した。
親猫は帰ってくるのか。
この子猫たちの未来はどうなるのだろう。


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おかの「海猿」たち

2007年05月17日 | 健康・病気
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ソーラン節

2007年05月16日 | 健康・病気
会社に行く前、いつものようにベランダで煙草を吸っていると、
目の下の小学校の校庭に、かなり沢山の児童が集まっていた。
そのうち、伊藤多喜雄の「ソーラン節」が流れた。

多喜雄の「ソーラン節」を私は30何年か前から好きだった。
あの訛りのある歌い方が好きだ。
先日、ラジオに出ていて、
現在、娘も歌手としてデビューしてるといっていた。

踊っていた小学生は何年生なのだろう。
私は踊っている子たちを見ていて、胸が熱くなった。
手足をいっぱいに動かして
「ソーラン、ソーラン」と叫んでいた。
私は、食器を洗っているお義母さんに見せたくて急いで呼んだ。

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Aくんの誕生日

2007年05月15日 | 健康・病気
今日、5月15日は私の勤めていた作業所のAくんの誕生日だ。
私が20日なので毎年一緒にお祝いしていた。
お祝いといったって、2人で「おめでとう」といいあうだけですが。

ダウン症の彼はもう38歳ぐらいになるのかな。
所沢駅の送迎車のところまで送って来るお母さんが私にいっていた。
「Aが小さいころ、寿命は5、6年と医者にいわれたので、
 可哀想と思い甘やかしてしまった。
 ここまで生きるとわかっていたら
 もっときびしく育てればよかった」

Aくんのことはこれまで九想話に何度も書いている。
現在、私が一番気になる人です。
今日、ケーキでも家に持って行ってやるかな、と考えた。
仕事が終わってから彼の住む団地のスーパーまで行った。
電話をしてお母さんに住所を聞こうと思った。
作業所にいたときは彼のことで母親と連絡をとることが多かったので、
携帯電話に彼の家の電話番号が登録されていた。

電話をすると、
「現在この電話は所有者の都合で通話ができません」
というアナウンスが流れた。
何かあったのか、と心配になった。
家に帰って、施設長にメールを打った。
すると、
おそらく電話代を払ってないからだろう、ということだった。
Aくんは今日の昼休み、
「今日はボクの誕生日です」とみんなにいっていたという。
どうせ誰も聞いていないんだろうな。
お祝いの言葉などいわないんだろうな。
あの子たちは、自分の誕生日には異常に執着心があるのだが、
他人のそれには無関心だ。

「Aくん、誕生日おめでとう」
大きな声でいってあげたかった。

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楽な仕事なんてあるのか

2007年05月14日 | 健康・病気
日曜日1日しか休まないとなんか休んだ気がしない。
できれば2日休みたい。
そんなことを思いながら会社に行く。

新人の車がなかった。
まだ来てないのかなと思ったが、
始業の時間になっても来なかった。
Nさんがフォークリフトでやってきた。
67歳の元気なおじいちゃんだ。
孫のような一緒に働く青年たちから、
「ジー」とか「ジーさま」と呼ばれている。

「Yさんから『辞めさせて下さい』と電話があったらしいよ」
「やっぱりだめでしたか。
 土曜日帰るとき『月曜日来ないかも知れないな』
 って、おれにいっていたんですよ」

「正社員じゃなくてもいい。楽な仕事をしていきたい、
 ここの仕事はきつい、身体が続かないですよ。
 ビルの清掃とかの仕事でもするかな」
なんていっていた。
彼は、川越の自宅に1人で住んでいた。
借家ではないので家賃がいらない。
扶養する家族もいないので
それほどの収入がなくてもいいらしい。

先週の水曜日、一緒の仕事をしていたときに私が訊いた。
「趣味はなんですか?
 おれは、音楽が好きで楽器をやるんです。
 最近なかなかできないんですが。
 今日は、仕事が終わってから陶芸教室に行くんです。
 まだ1年ほどしかやってなくてうまくできないんだよな。
 俳句もいたずらで作っている」
「おれは何もないな」
それで会話は終わってしまった。

彼は私と昼休みや休憩時間などに一緒にいると、
世の中のこと、生活や仕事のことを話すとき、
いつも溜息をつきながら否定的なことを話した。
聞いていて私の気持ちまでも暗くなり厭だった。
まったく、生きていることに対して
“前向き”な姿勢が感じられなかった。

彼はまた職安通いが始まるのだろう。
“楽な仕事”が見つかるといいが…。


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2007年05月13日 | 健康・病気
陶芸展を見てから新所沢に戻った。
今日は、午後3時からキャンプの反省会があるという。
みんなはいくつか反省会をしている。
私も帰った夜、反省会はしている。
今日は、全体の反省会のようだ。
みんな反省会という名目で酒を飲みたいだけのようです。

O家にぞくぞくと人は集まった。
合計何人来たのだろう。20名ぐらいか。
ある人が犬を連れてきた。
最初犬のことを話題にして飲んでいた。
私はあまり犬に興味がない。

その犬がみんなの興味から離れたとき、私のところに来た。
私の右足のすねは、仕事で金属にぶつけてしまうので傷がたえない。
かさぶたがあり、それがとれた痕がある。
ジーパンを上げてそこをさすっていたら、犬がきて舐めてくれた。
長い時間舐めてくれた。
私はそんな犬を見ていて涙が出て来そうになった。
最近、私の傷を癒してくれたのはこの犬しかいない。
この犬がかわいいなと思った。

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陶芸展の写真、へんな色してますね。
照明のせいかな?


コメント (2)
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陶芸展

2007年05月13日 | 健康・病気
所沢のミューズで開催されている
陶房入間野作品展にきている。
私の師匠、みっちゃんが以前いたところだ。
勉強になる。

それはそれとして、
楽家のメンバーが5、6人きている。
これから飲み会になるでしょう。
まだ、昼の1時すぎです。
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保証人

2007年05月12日 | 健康・病気
仕事を終えて家に戻ると義母(はは)が、
「Kから電話来た?」という。
なんでもKが引っ越すという。
それで保証人になってもらいたいらしい。
携帯電話を見ると不在着信があった。
女房からのメールもいくつかあった。
あいつも今日は仕事だった。
おそらくKは不動産屋に行って、おれに電話し、
女房にも電話して、出ないので、義母に電話したのだろう。

おれは仕事中携帯電話は持たない。
仕事中持っていても電話してもかまわないのだが、
あのちっちゃなケータイが重くて持っているのがイヤだ。
ほこりっぽい中での重労働なので、
まして今日なんか暑くてTシャツで働いているので、
携帯電話を入れておくところがない。

Kに電話すると、
「保証人として記入することをメールするから書いてくれ」という。
すぐケータイにメールが来たので、携帯電話で書くのは面倒だから、
パソコンからKのケータイにメールした。

  生年月日  1952年5月20日
  勤務先名称 (株)*****
  所在地 TEL
  担当業務  構内作業員 
  資本金   1000万円
  業務内容 とび・土木工事業
  勤続年数 2ヶ月 役職 なし
  総所得 300万円ぐらい
  これで保証人になれるのかな?

9時前、女房が会社から帰ってきた。
おれが風呂に入っているあいだにメシの用意をしてくれた。
「Kからメールきたよ。
 あれじゃ保証人“微妙”だからM子さんの親に頼んだって」
風呂から出て第3のビールを飲んでいたおれに女房がいう。

悲しいですね。
勤続年数2ヶ月、試用期間の構内作業員、所得があれではね。
おれがというより、こんな親父を持った息子が悲しい。
嫁の父親は公務員です。
おれとは月とすっぽんだ。
われながら呆れてしまう。
なんでこんなことになってしまったのかな?
一所懸命生きてきたんだけどな…。

それはそれとして、
息子たち(特に孫)が所沢に引っ越してくることは嬉しい。
何かあってもすぐ駆けつけられる。

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テレビの処分

2007年05月11日 | 健康・病気
先々週の日曜日、
ハードオフというリサイクルの店にテレビを持って行った。
義母が引っ越して来たときに持ってきたテレビだ。
たしか20インチの大きなテレビで、
押し入れに入れておいたものだ。

3月まで住んでいた家では私の部屋においてあった。
今のところに引っ越してきて、
私の部屋が狭くなったので押し入れにしまった。

しかし、押し入れにおいておいてはその空間がもったいない。
でも、処分すると2835円かかるようだ。
それで考えたのがリサイクルショップです。
といっても、テレビを持って行っても引き取ってくれないときもある。

とりあえず電話をしてみた。
製造年式を訊かれた。
OKだった。
店に持って行って15分ほど待たされた。
テレビの状態を調べていたようです。

結果は、明日の九想話で…、
なんてことはいいません。
1000円でした。
1000円で売れたのです。
ありがたかった。
引き取ってもらえなかったら、2835円かかるのです。

2011年の7月にテレビ放送は地デジに移行する。
(3月6日の九想話に「アナログ放送停波」を書いた)
ブラウン管のテレビなんかもう引き取らないかな、と心配した。
それにしても地デジに完全移行すると、
日本中に廃棄されるテレビがあふれるんだろうな。
つくづくもったいない話だと思う。

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