唐さん 2

2007年05月10日 | 健康・病気
新人はずーっと会社に来ている。
しかし、悩んでいるようです。
今の職場の仕事を自分がやれるのかどうか、ということを。

私だって現在もそれはある。
はたして自分の体力が続くのかどうか。
それでなくても私には腰痛という持病がある。
30キロのクランプの袋を1つ持つだけで腰が痛い。
それを1日イヤんなるほど運ばなければならない。

私が今日まで今の仕事をやってこられたのは、
中国人の唐さんのおかげだ、と思っている。
(九想話「唐さん」は、3月28日に書きました)
彼は若く体力も私なんかよりはるかにある。
しかし、彼が3年前に日本に来たときには、
日本語もわからなかった。
それでも仕事を覚えてやってきた。
そのことを考えると、おれだってがんばらなきゃ、と思った。

彼の場合、会社とか仕事を選べなかった。
派遣されたところでやるしかなかったのだ。
天津から船で神戸まで来て、
なんとか研修センターというところに1ヶ月いて
日本語を勉強したそうだ。
それからそれぞれ日本中の会社に派遣されたらしい。

唐さんはアパートと会社を自転車で通っていた。
30分ほどかかるらしい。
朝8時から夜は終わるまでだ。
3月私が入ったころは毎日23時過ぎまでやっていた。
年末の忙しいときは深夜2時までやったことがあったそうだ。
土曜、日曜日も休まない。日曜日は午後からの出勤だが、
3月は1日も休みがなかった。
それでも月に15万円ほどの収入だったらしい。
(残業代の加わった金額はわかりません)
日本に来た1年目は6万円だったそうだ。

会社の勤務時間は朝10時から19時までが定時です。
今、私はこの時間で働いているので朝はゆっくりだ。
家を9時20分に出てまにあう。

唐さんはアパートに帰ってから自分で食事を作って食べる。
昼は休憩室の炊飯器でご飯を炊いてそれを食べていた。
昼飯に1合食べていた。中華どんぶりに1杯です。
おかずは家で作ってきたものを3日続けて食べていた。
見るからにあまりおいしそうではなかった。
中国にいる奥さんと子ども(8歳)のために働いていた。
そして、家を買えるほどのお金を貯めて中国に帰っていった。

こんな人と一緒に働いていて、文句などいえない。
扱う物が重いだとか、埃がひどいとか、寒いとか。
話す言葉も通じない外国に来て働くということは、
大変なこともあったろう。
いじめなどもあったかも知れない。
それでもイヤだとか、仕事を辞めたいなどとはいえない。
ふるさとの国に帰るお金もない。
アパートに帰って愚痴をいう家族もいない。

彼のことを考えたら私なんて恵まれている。
だからこんな過酷な仕事はイヤだ、辞めたいなんでいえなかった。
唐さんのおかげで今日まで会社の仕事をやってこられた、と思っている。


コメント
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