俘虜記新潮社このアイテムの詳細を見る |
これまでにも、戦争に関する小説や、映画や、ドラマはたくさん読んだり観たりしてきた。
どれもそれぞれに心に迫るものはあったが、やはりどこか遠い昔のこと、自分自身を投影できない他人事のように感じられたのは否定できない。
が、この「俘虜記」は違った。
こんなにも「自分のこと」として捉えられる戦争小説は初めてだった。
中年に近い年齢にして、熱帯の激戦地に送られる運命となった主人公は、敵の攻撃と疫病に苦しめられ、やがて戦友とはぐれ、力尽きたところで敵の捕虜となる。
そのときに彼が何を感じたか、考えたか。
兵隊となり、やがて「捕虜」という「兵隊ではないもの」となった知識人たる彼の主観、そして彼を通して描かれる日本兵たちの姿は、現代を生きる我々のそれとなんら変わるところがない。
事後から彼らを眺めている我々は、米軍の捕虜となることを恥辱とし恐怖する彼らの愚を知っている。
しかし、彼らは知らなかっただけなのだ。
得体の知れない米軍兵士に捕まったら、死ぬよりも酷い目に遭わされるのではないか。
生きて日本に還ったとしたら、どんな辱めを受けることになるのか。
誰ひとりそんな経験を持ち合わせていない。
彼らは想像し、恐怖に慄くしかなかった。
我々とまったく同じである。
そして、一旦捕虜として収容されるや、十分な食事と安全を与えられ、堕落していく彼ら。
作者は、彼らの姿を通じて占領下の社会を風刺する意図であったそうだが、占領下どころではない。
彼らこそ、現在に至るまで続く戦後日本の姿を象徴しているのではないか。
そう感じた。