著者は日本近現代史の研究家で、当事者の証言を重視する立場での研究姿勢に特徴がある(本著の冒頭でも自認している)。
本著は、太平洋戦争の最終盤、戦局の悪化が究極的に進む中、連合国によるポツダム宣言の提示から受諾に至る期間(昭和20年7月下旬~8月上旬)にスポットを当て、当時の政治家・官僚・軍人・民間人などの残している手記を読み解いている。
対象となっている手記は以下の通り。
寺崎英成(御用掛)による「昭和天皇独白録」
藤田尚徳(侍従長)による「侍従長の回想」
下村宏(国務大臣)による「終戦秘史」
宇垣纏(第五航空艦隊司令長官)による「戦藻録」
迫水久常(内閣書記官長)による「機関銃下の首相官邸」
陸軍省軍務課による「機密戦争日誌」
東郷茂徳(外務大臣)による「時代の一面」
高見順(作家)による「敗戦日記」
山田風太郎(医学生)による「戦中派不戦日記」
※()内は終戦当時の肩書き
ポツダム宣言諾否に関して、天皇や鈴木首相・東郷外相などの受諾派と陸軍を中心とした徹底抗戦派の間に激しい攻防が繰り広げられたこと、広島・長崎への原爆投下とソ連参戦といった事態急変の中、最終的に天皇の聖断をもって降伏の決断を行なうに至る経緯については、知識はあったもののこうして当事者自身の証言を眺めるとその状況が生々しく立ち現れてくる。
我々のように歴史を後から眺めていると、降伏・敗戦という結論は必然的な帰結であるようにどうしても思ってしまうが、けっしてそんなことはなく、一つ間違えれば戦争継続を選択し、日本と日本人が今とは全く異なる姿になっていた可能性も十分にあったのだ、と実感できる。
軍部の保身・自己擁護という意味合いはもちろん強いが、一般民衆も含め抗戦派は抗戦派で、それぞれの立場で真摯な主張ではあったのだ。
広島・長崎への原爆投下は、日本が降伏という選択をするにあたって本当に大きな誘因であったのだな、ということも強く感じられた。
その意味でアメリカが主張するように「原爆が戦争を終わらせた」というのは事実としては正しいように思える。
(ここから先、本著のレビューからはやや離れる。)が、それは倫理的意味において正当性を持つわけではない。
日本が戦争へとのめり込んで行ったのは、もちろん一義的には道を誤った日本の指導者層および日本人自身の責任であるが、一方で欧米列国によりそのような道を歩まされたという面もあるのではないかと思っている。
もともとは東アジアで植民地獲得を競っていた欧米列国がいつの間にか手を引き、日本だけが悪者にされ、最後は原爆を落とされて大量の生命を奪われ、国土をずたずたにされた、という構図も成り立ちうるのではないか。
被害者面するのは明らかに間違っていると思うが、一方的に加害者であるとしてしまうのも同様に行き過ぎであると思う。