そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「ダ・ヴィンチ・コード」 ダン・ブラウン

2006-12-18 23:36:46 | Books
ダ・ヴィンチ・コード (上)

角川書店

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気がつけば今年もあと2週間!
ということで、取り急ぎ読書記録を残していくことにしよう。

「ダ・ヴィンチ・コード」(角川文庫版)を読んだのは、丁度ロン・ハワード&トム・ハンクスの映画が公開された頃。
映画の評判はイマイチみたいだし、興行収入的にもメディアが期待したほどではなかったようだけど。
さて、原作の方だけど、まあ手放しで絶賛するほどではないけど、悪くはなかった。
この小説の一番いいところは、やはり「神秘」っぽい雰囲気を醸し出すのに成功していることだと思う。
キリスト教や美術の知識がある人だったら(そんな日本人はめったにいない)もっと楽しめるのかもしれないが、ルーブルを1回訪れたことがある程度の自分くらいの人間でも、宗教・美術に関するウンチクには「ふん、ふん」と興味惹かれるところはあった(右から左に抜けてもう忘れてしまったけど)。
ルーブルをはじめ、出てくる各場面の舞台設定がなかなか良い雰囲気だし。
一方でこれをミステリとして読んでしまうとやや物足りない。
特に終盤、「導師」の正体がバレバレなのに長々と引っ張るあたりは、読んでてちょっと恥ずかしくなった。

さて、小説の主人公ロバート・ラングドンは宗教象徴学のエキスパート、という設定である。
「宗教象徴学」、そんな学問があるとは、初耳だった。
少なくとも日本では聞いたことがないし、西洋では一般的なんだろうか?(まさか創作ではないよな・・・)
死者の残した暗号を、象徴学の知識を使って読み解き真相に迫っていく、という展開なんだけど、こういうのも好きな人には堪らんのだろう。
個人的にはどうも興趣をそそられなかった。
なんか主観に閉じちゃってる気がして。
バラバラだった事実の断片を組み合わせていくうちに真実が立ち現れる、ってのに比べると何となくご都合主義っぽく感じられてしまうんだよね。
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”公共心”教育への現実主義的アプローチ

2006-12-16 23:36:19 | Society
改正教育基本法が参院可決・成立 59年ぶり初の見直し(朝日新聞) - goo ニュース

改正教育基本法が成立した。
今回この改正を推し進めた、安倍首相をはじめとする人々が抱いていた思いとは、戦後リベラリズムに基づく教育による”個”の尊重がが行き過ぎたあまり社会に利己主義が蔓延したとの現状認識に基づき、教育に国家がより積極的に関与することにより、公共心や道徳心、自律を取り戻そうとするもの、と認識できる。
しかし、実際どのようなやり方を採れば、学校教育により公共心や道徳心を人々に根付かせるなんてことが実現できるのだろうか?
テレビの討論なんかを観てると、今の教師は生徒に甘すぎる、昔の教師がそうであったように、悪いことは悪いと時には鉄拳をもって厳しく教え込むような態度で臨まなきゃいかん、といった主張をしている人が多い。
自分もそういった考え方に実は共感する部分もあるのだが、一方で、これだけ個が尊重され、自由に「自分らしく」生きることを美徳とする風潮が浸透した状況で、いきなり上から価値観を押し付ける方法に揺り戻しをかけるというのもやや乱暴なような気もする。
単純に時代を遡ればよいのではなく、やはり今の時代に適合した道徳教育とはどんなものなのかを冷静に考える必要があるんじゃないかと思う。

道徳心や公共心を持つこと、社会性を身に付けて生きることは、けっして、自分を押し殺して他者を利するために生きることを意味していない。
共同体との互酬的関係を持つことにより、まわりまわって最終的には自分の利益となって還ってくるものなのだ、ということを教え込んでいく。
そういう態度が必要とされているのではないかと思う。
他人に親切にしておくと後で見返りが期待できるよ、とか、わずらわしいからといって人づきあいを怠っているといざ困ったときに誰も助けてくれないよ、とか、そういうことをわかりやすく教えてやる。
姑息な処世術のように聞こえるかもしれないが、でも実際「世の中で生きる」とはそういうものである。
教条主義を掲げたり、人間の善意に期待したりしても、所詮タテマエでしかない。
もっと本音ベースのアプローチで、社会の改善に取り組んでみてもいいんじゃないか。
現実主義者の自分は、最近そう思うようになっている。
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Winny判決への違和感

2006-12-14 00:11:06 | Society
ウィニー開発者に有罪 元東大助手に罰金150万円 京都地裁判決 (産経新聞) - goo ニュース

この判決に、どうして違和感を受けるかといえば、Winnyという新技術を開発したという「行為」を罰しているのではなく、著作権侵害を助長する「意思」を罰しているように思えるからだろう。
被告人サイドは、「今後技術開発を行なう者が萎縮してしまう」ことを問題視しているが、それよりも本質的な問題は、幇助犯成立の線引きが曖昧なままに、「反社会的」な「意思」を持つこと自体が罰せられてしまうことの危険性にあるはず。
そういう意味では非常に評判の悪い「共謀罪」とも通じる問題であるように思うし、その視点からの批判がマスコミからもっとあってもよいように思うのだが、何故そうならないのか。
それはひとえに今回の判決が、マスコミにとって何よりも大事な大事な著作権の侵害に対して厳格な態度を示しているからに違いない。

なんだか、騙されちゃいけないな、という気がする。
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寝返り、なのか?

2006-12-13 22:49:08 | Sports
シンクロの頭脳流出に選手は困惑気味(日刊スポーツ) - goo ニュース

シンクロ指導の第一人者・井村雅代コーチが中国代表チームの監督に就任する方向で話が進められているとのことで、話題になっている。
この井村コーチ、日経新聞のスポーツ面にて、各界のスポーツ関係者と並んで、時々コラムを書いている。
先週くらいだったかの井村コーチのコラムでは、このブログでも採り上げたバレーボール国際大会のあり方について疑問を呈していた。
その記事によれば、バレーボールに限らず、アテネ五輪でのメダルラッシュをきっかけに、各スポーツの国際大会のあり方が変わってきたとのこと。
従来オリンピックでもなければ世間にあまり注目されない競技までもが、テレビでキャンペーン的に大々的に取り上げられるようになった傾向を指摘していた。
確かに、最近やたらと「世界○○」という形でスポーツ国際大会を特番化するケースが目に付く。
おそらく、慢性的なコンテンツ不足に悩むテレビ局と、テレビマネーによって強化費を捻出しようとする競技団体の利害が一致しての傾向だろう。
井村コーチによれば、シンクロも例外ではなく、実際の大会で、気持ちを整えていざプールに向かおうとした選手が、テレビ中継の都合により足止めされてペースを乱してしまったケースがあったことを挙げ、苦言を呈していた。
今回の”海外移籍”についても、建て前上は「五輪開催国を指導することで日本の指導者の地位が上がる」などと主張しているようだが、実際にはそうした日本のシンクロ界・スポーツ界に愛想を尽かしての行動なのではないか、という気がする。
出て行かれる側の日本シンクロ界幹部は相当頭にきてるみたいだし、前々から確執があったんだろう。
北京五輪での日本シンクロメダル危機!みたいな報道もされているが、これで中国に負けるようなら、所詮その程度だったってことになるんじゃないかと思うんだけど。
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硫黄島2部作

2006-12-10 22:16:44 | Diary
クリント・イーストウッドの映画は大好きだ。
イーストウッドが、太平洋戦争の激戦地・硫黄島を舞台にして撮った2部作。
ぜひ観たいとは思いつつも、なにぶん映画館に出かける時間もない身、ほとんど諦めていたのだが、たまたまヨメが子供を連れて実家に行っている今週末が2作目「硫黄島からの手紙」の封切りと重なり、金曜の晩に「父親たちの星条旗」を、そして今日「硫黄島からの手紙」を観に行くことができた。

劇場で観て、本当に良かったと思う。
一番の見どころである硫黄島での戦場シーンの臨場感は物凄い。
わけもわからない間に見えないところから弾がとんできて、そこかしこで生きていた仲間が死体へと変わっていく。
恐怖を感じる余裕すらない阿鼻叫喚の世界が再現されている。
こうして多くの生命が散っていったのだ・・・。

上陸する米兵、迎え撃つ日本兵。
運命により殺戮し合う立場になった両者の視点を、2本の映画に振り分ける。
イーストウッドは、2作を「コインの裏表のようなもの」と表現したそうだが、まさにその通りだ。

一方で、自分の大きな期待に存分に応えてくれたかといえば、不十分な点もある。
「父親たちの星条旗」については、戦争で深い傷を負う若者、国家に費消される若者、というモチーフは、(重要ではあるが)これまでにも散々いろいろなところで描かれてきたテーマであり、イーストウッドならではの「踏み込み」に欠ける感は否めない。
「硫黄島からの手紙」については、よくここまで客観的に日本軍の在り様を描くことができたものだという点には賛辞を贈りたくなるものの、アメリカが「5日で終わる」と見ていた戦闘を36日間戦い切った、その「理由」がうまく表現されていないような気もする。

が、それでもやはり観るべき映画だと思う。
我々の、ちょっとだけ上の世代の祖先たちが、どのような体験をしたのか。
それが冷静な視線で描かれているこれら2本の映画により、「疑似体験」することから得られるものは少なくない。
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「会社法入門」 神田秀樹

2006-12-04 22:50:05 | Books
会社法入門

岩波書店

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今年の5月1日に施行された新「会社法」。
その平易な解説本として、この本はかなり売れたらしい。
自分も、ちょうど法施行された直後くらいに読んだ。

「会社法」は、旧「商法」の「会社」部分を独立して新たな法律とし、内容も新たに定めたものである。
株式会社の機関(組織)、資金調達(株式など)、設立・組織再編・事業譲渡などに関わるルールを定めている。

自分は大学時代法学部だったが、入学後に法律の勉強に向いていないことに自ら気づき、そこから「なんちゃって法学部」に転向、憲法や民法などの必修単位を別にすると、政治学や経済学系の科目で単位を稼いだ。
「商法(会社法)」も、最初のほうだけ授業に出たが、何となく敷居が高い気がして、結局単位を取らなかった。
でも、実社会に出てから最も役に立つ法律科目は、実はこの「商法(会社法)」である。
法曹界に進路を選んだ同級生たち(進む方向にもよるが)が最も熱心に勉強していた法律の一つでもある。
憲法や民法が法律学の「王道」だとすると、商法(会社法)は法律学の「花形」というイメージである。

素人の自分が、ここで本の内容に踏み込んで紹介しても仕方がないのでやめておくが(半年以上前に読んだので細かくは忘れてしまったというのもある)、入門書としてはとても平易でかつ退屈もせず、お勧めできる。
普段から経済関連のニュースに興味をもっていれば既知の内容もけっこう含まれているが、今日的なトピックも含め体系的に知識を得られるので、これを一回読んでおけば、日経新聞のコーポレートファイナンスやM&A絡みの記事なんかもより頭に入りやすくなる。

それから、内容的な話ではないが、この筆者の文体が非常に気に入った。
非常に論理的で客観的な文体なのに、どこか親しみがわく印象もあるのだ。
何と言うか、ロジックツリーをそのまま文章に落とした感じというか、問題提起→論じるプロセスを提示→個々の要素を説明→まとめ、といったサイクルを淡々と繰り返している。
シンプルに徹している分、親しみやすいのかもしれない。
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14年目の戴冠

2006-12-02 23:50:08 | Sports
浦和レッズ、悲願のJ1初優勝(読売新聞) - goo ニュース

Jリーグ始まって14年目、ついに浦和レッズが戴冠した。
最近はすっかりビッグクラブになってしまったけど、ご存知の通りJリーグ創成期は万年最下位争いの「お荷物」的存在。
比較的浦和に近い場所に住んでいたのと、判官びいきもあって、当時はレッズを応援していた。

今日の試合は、子守りをする傍らテレビで観ていたけど、ガンバにとっては3点差以上で勝たなきゃいけないとの相当高いハードルはいかんともしがたい感じで。
それでも先制点をとって「もしや」と思わせただけでも、十分に見せ場は作ったと言えるのでは。
やはり攻守バランスのとれた戦力の充実という点ではレッズの方が一枚上。
ガンバは宮本、山口、シジクレイの守備陣が、昨年に比べても明らかに衰えているように見え、今日もワシントン、ポンテのレッズ攻撃陣の高さとスピードに、肝心なところで太刀打ちできていなかった。
結局、シーズン通して、守備の綻びからの失点の多さが、得失点差という形で現れたことも含めて、最後に効いてしまったといったところか。

そういえば、ガンバ大阪もJリーグ開始以降暫くは下位の常連。
安定的に上位に入るようになったのはここ数年のことだ。
Jリーグ創成期は、日本リーグ時代の遺産もあり、ヴェルディの時代。
その黄金時代も意外と長続きせず、その後はアントラーズ、ジュビロという地方小都市をホームにするチームの”2強”時代が続いた。
続いてマリノスの2連覇を経て、近年はレッズ、ガンバが新たな”2強”となっている。
横浜、浦和(さいたま)、大阪・・・政令市クラスの大都市を基盤とするチームの時代。
これもJリーグが当初から標榜してきた「地域密着」が少しずつ浸透してきている証しの一つではないだろうか、という気もする。
「地元」意識を比較的醸成しやすい小都市だけでなく、大都市にも「地元クラブ」意識が次第に育まれ、それがチーム強化との相乗効果を生む。
ヨーロッパのリーグでも、例えばイタリアならミラノ、ローマ、トリノ、スペインならマドリッド、バルセロナ、イングランドならロンドン、マンチェスター・・・
リーグを代表する強豪クラブがホームを構えるのは、いずれも大都市。
Jリーグもこうして段々と成熟したリーグになっていくのかもしれない。
先月、札幌、仙台に出張したときも、地下鉄の車内だとか駅構内で、コンサドーレ札幌やベガルタ仙台関連の広告や展示が見られた。
両チームとも今はJ2だというのに。
一方で、仙台において、楽天イーグルスの香りを感じることは全くなかった(駅のお土産屋の片隅にタイアップしたお菓子がひっそりと売られていたくらいか)。
「地域密着」という点では、野球よりもサッカーの方が先んじてる感じだ。

今日、レッズの試合を観ていて気になったこと、2点。

レッズのユニフォームの胸は、相変わらず「vodafone」だった。
年間契約だからしょうがないのか。。

試合後のインタビューで、ブッフバルト監督が、「ウラワハイチバンデス~!!」と日本語で叫んでいた。
最近外国人監督のこういうインタビューが続いている(バレンタイン監督然り、ヒルマン監督然り)せいか、二番煎じ(三番煎じ)っぽく聞こえてしまうので、もうちょっと捻ったセリフを準備しておいたらよかったのに、とか思ってしまった。
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