明治維新150周年ということで各地でさまざまな催しが開催されています。国会議事堂前の憲政記念館では、昨年から四回に分けて、ペリー来航から帝国議会開設、大正デモクラシーから政党政治の始まりまでを特別企画展として開催しています。目下、明治の帝国議会開設前後の企画展が行われています。
今秋9月から開催予定の第Ⅳ期の企画展で、赤松小三郎が島津久光に提出した建白書「御改正口上書」のレプリカが展示されることに決まったそうです。
ほとんど知られていませんが、日本最初の近代立憲主義的憲法構想である赤松小三郎の建白書。島津久光が大切に保管し続けてくれたおかげで、鹿児島の鶴丸城址の黎明館に現存します。しかし通常は一般公開されていないので、鹿児島で現物を見ることはできません。上田の赤松小三郎記念館にレプリカがありますが、土日しか開館しておらず、現物を見た人は少ないと思います。その幻の建白書が東京の人目につくところで展示されるのは初めてのことです。 . . . 本文を読む
昨晩(2018年1月3日)の「英雄たちの選択」、全国放送で初めて赤松小三郎が、ほんのわずかの時間ですが紹介された。
イギリスの外交官のオリファントが、留学中の薩摩の寺島宗則に向かって「イギリスの掲げる自由貿易とは、じつはお前たちの国から徹底的にむしり取るためのものなんだぜ」と公然と語っていたエピソードなど、英国の自由貿易帝国主義のダークサイドについても言及されていたのは良かった。TPP問題な . . . 本文を読む
全国放送で赤松小三郎を取り上げるという決断をしたNHK「英雄たちの選択」のスタッフの皆様にも感謝を申し上げます。薩摩の先進性を取り上げる番組なので、その薩摩が教えを請うたほどの赤松小三郎の思想の先進性という文脈での紹介になると思われ、倒幕側の「闇」には踏み込まないと思われますが、おそらく視聴者のほとんどが知らないであろう小三郎の存在が紹介されること自体に、大きな意義があります。 . . . 本文を読む
今年は大政奉還150周年。上田市立博物館では、大政奉還150周年にして、赤松小三郎が暗殺されてから150周年になる今年、「赤松小三郎 ―幕末の先覚者」という企画展を行うそうです。ふだんは一般公開されていない博物館所蔵の赤松小三郎関係資料を一挙に公開するようです。この機会にぜひご覧ください。
詳しくは以下のサイトをご覧ください。
http://museum.umic.ueda.nagano. . . . 本文を読む
ほとんど誰も認識していないとことであるが、本日(2017年5月17日)は、日本で初めて議会制民主主義の憲法構想が提唱されて150周年記念日になる。旧暦と新暦の違いはあるが、ちょうど150年前の慶応3年(1867年)5月17日、信州上田の松平伊賀守家中の下級武士・赤松小三郎が、先の越前侯にして公儀・政事総裁職でもあった松平春嶽に「御改正口上書」を提出した。
松平春嶽の政治記録書である『続再夢紀 . . . 本文を読む
昨年末に出版されました拙著『赤松小三郎ともう一つの明治維新 -テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)、東京新聞、信濃毎日新聞、しんぶん赤旗に続いて、今度は毎日新聞の1月11日の夕刊コラムで、著名な江戸文化研究者の田中優子先生(法政大学総長)が紹介してくださいました。感謝申し上げます。
記事の一部を以下に掲載させていただきます。
『毎日新聞』2017年1月11日(夕刊)
田中優子先生は . . . 本文を読む
拙著の中では、赤松小三郎の存在が維新史において無視されてきたのも、戦前の「皇国史観」も、戦後の歴史研究をリードしてきた共産党系の「講座派マルクス主義史観」も、ともに薩長中心の歪んだ明治維新神話を信仰してきたからだと批判しています。つまり明治維新の解釈が歪められてきた、その責任の一端は共産党にもあるのだと書いたのでした。それにも関わらず、しんぶん赤旗の一面のコラムで拙著が紹介されているのですから、書いた本人としては驚かないはずがありません。共産党系の歴史学者の中には、拙著を読めば怒る方も多かろうと思います。その拙著を評価した「しんぶん赤旗」には抗議が寄せられるかも知れません。これを機に共産党としても、従来の講座派理論に対する見なおしの動きを活発化させて下さることを、外野の人間として期待させていただきます。 . . . 本文を読む
「歴史の闇から救い出されたこの人物が、いま我々に明治維新の《再解釈》を迫っている。」佐々木 実(ジャーナリスト、新潮ドキュメント賞・大宅ノンフィクション賞受賞)
坂本龍馬に先駆けて議会政治を唱え、その先進性を西郷隆盛・大久保利通らが恐れ、ついに暗殺された赤松小三郎。これまで歴史の闇に葬られてきた。しかし、大政奉還150周年に向けて、歴史の真実に注目が集まっている。本書は、赤松の知られざる生涯を最新の研究成果とともに紹介し、幕末に彼の唱えた議会政治が現在の日本国憲法の理念と較べて何ら遜色のない内容であり、社会的支持も得ていた事実を明らかにする。 . . . 本文を読む
赤松小三郎の葬儀には、薩摩の門人40人が参列し、彼ら薩摩の門人たちが、小三郎の棺を運んで金戒光明寺に葬ったと記録されている。小三郎の葬儀のためにカンパをし、いわば葬儀の実行委員として参加した40人の中に、上村も東郷も含まれていた様子である。かねて一つの議論があった。それは、この薩摩の門人40人は、暗殺が薩摩の手によるものであることをカムフラージュし、偽装するために参加していたのか、それともこの40人は、暗殺が中村半次郎らの手によるものであることも知らず、心からの供養の気持ちで参列していたのか、というものである。東郷平八郎と上村彦之丞の談話からうかがわれることは、彼らは、噂として中村半次郎の犯行を知っていたかも知れないが、もとより暗殺計画の存在など知らされておらず、葬儀の実行委員を買って出たのも、心からの気持ちだったということである。 . . . 本文を読む
本日の『信濃毎日新聞』(2016年6月1日付)に赤松小三郎に関する新事実発見の記事が掲載されました。「赤松小三郎 幕府にも建白」という記事です。
歴史作家の桐野作人氏が発見したものです。日本で初めて議会制民主主義の建白書を提出した赤松小三郎。これまで越前の松平春嶽と薩摩の島津久光に提出したものが知られていました。今回の発見は、小三郎は、島津久光に出したのと同じ内容の建白書を徳川公儀(幕府)にも出していたというものです。歴史作家の桐野作人氏が、盛岡藩の記録である『慶応丁卯雑記』の中から発見したものです。 . . . 本文を読む
来年2017年度は大政奉還150周年。京都市がそれを記念して大政奉還150周年プロジェクトを始動させています。その公式サイトができているのですが、なんと冒頭のトップページから赤松小三郎の写真が掲載されていました(涙)。ようやく赤松小三郎の存在は無視されずに、歴史に位置づけられるようになってきたのです。
ホームページは以下です。
http://www.taiseihokan150.jp/
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「輿論政治」という言葉は、今日では死語になってしまった。日本語として是非とも復活させねばならない概念だ。「輿論(ヨロン)」という概念は、今では「世論(セロン)」に置き換わってしまったのであるが、本来は全く違った意味で使われていた。「民主主義」とは、決して移り変わりやすく流されやすい世論に迎合することではない。私欲に流されず、道理を明弁する国民代表により、議会の場で公に議論して政策を練り上げ、形成し、執行していくことである。これこそ小三郎が理想とした「輿論政治」の姿なのである。
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赤松小三郎が島津久光に提出した建白書の原本が、島津家に大切に保管されていたのでした。島津版で注目点なのは「万国普通公平の御国律(=民主憲法を指す)の制定を、頭を地面につけて首を投げ出す心でお願いいたします」といった「後記」が残されていることです。
これこそ、日本最初の議会政治・立憲民主主義の建白書であり、本来であれば国会の憲政資料館に展示されるべき史料です。
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昨年11月に佐倉市の国立歴史民俗博物館で開かれていた『大久保利通とその時代』展に行ってきた。展覧会は先月の12月6日で終了している。その中で赤松小三郎に関する史料が一点、展示されていたので紹介したい。以前なら、赤松小三郎に言及されている史料などスルーされていたと思うのだが、国立歴史民俗資料館が、「大久保利通展」において、あえて赤松小三郎に関する史料を出してきているところに、主流の歴史研究者も赤松小三郎の存在に注目し始めているという変化が感じられる。昨年は英雄・真田幸村の死から400周年であったが、真田丸が終了した翌年(2017年)は、知られざるもう一人の上田の英雄・赤松小三郎が死して150年周年になる。真田丸が終わって、上田は灯が消えたようになってしまうかも知れない。赤松小三郎暗殺150周年に向けて小三郎再評価の取り組みをしなければならない。 . . . 本文を読む
今週号(2015年11月6日号)の『週刊朝日』。大河ドラマ真田丸のスペシャル特集「真田家3代と最強家臣団の末裔たち」が組まれている。内容は、真田幸村(信繁)の直接の末裔である仙台真田家当主の真田徹さん、松代城主真田家の14代当主の真田幸俊さん(慶応大学理工学部教授)、幸村・信之の姉の村松殿とダンナの小山田茂誠の末裔である小山田恒雄さん、北条氏滅亡のきっかけとなった名胡桃城事件で悲劇的な死を遂げた . . . 本文を読む