Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ヨーク(York)の町

2022-02-20 23:53:50 | 英国内旅行

珍しく雨の降らなかった火曜日の朝、ドンカスターから北東70Km 近くのヨークを目指した。

ヨークの町には過去2回訪れたことがあって、巨大な大聖堂とこれまた巨大なパイプオルガンの修理中だったのにドキモを抜かれたことしか、記憶にない。

駐車場が市街を取り囲む城壁の外側にあり、ここから歩いて市内に向かう。

 

 

この門を通ってもすぐ町の中心地へは行かない。

 

 

門の中には城壁を歩ける階段があるが、町の中心地は大きな川を渡った旧市街でここにも大聖堂を囲む城壁がある。

 

 

旧市街は全く中世の街並みで、狭い道に観光客が詰めかけていた。 昼食はポーランドのレストランで、餃子に似た厚い皮で包んだ肉料理、ボリュームがあってお腹いっぱい。

街並みよりひときわ高いヨーク大聖堂が見えてきた。

さすが巨大な建物、威風堂々とはこのこと。

この正面右に有ったのがローマ皇帝 コンスタンチン The Greatの像、彼は西暦306年この地で西洋初めてのクリスチャンの基礎を作った。

 

孫や娘は大聖堂には興味も持たず、二人でチョコレート工場の訪問へ行ってしまい、パトリックは車に充電するため駐車場へ向かった。

 

大聖堂の裏庭にはクロッカスの花が咲いていたが、風は非常に冷たかった。

 

 

大聖堂を囲む城壁の上を歩く。たくさんの人たちがのんびり歩いていて、こちらが気がせくからサッサと通り越してゆく。

 

城壁を降りて17世紀の旅籠屋兼パブなど見て歩き、娘と落ちあって、この日最後のバイキングの博物館へ。北欧から南下してきたバイキングはこのヨーク市に落ち着き、ローカルの人々共に勢力を誇ったという。

 

1時間ほど見て回って出てみればもう夕闇迫る5時過ぎ。

 

近所の教会のタワーに明かりがついた。

 

 

 

 

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ブロッズワース ホール(Brodsworth Hall)

2022-02-19 23:07:31 | 英国内旅行

2月14日月曜日、この日もほとんど雨で寒い。娘婿のパトリックはこの日はインターネットで働くそうで、私達3人で出かけた。

孫のジュードが行っている学校の宿題が、ビクトリア時代に関する物事を書きなさいとのことで、このブロッズワースホールがちょうどよかった。冬の間は閉まるというこのマンションも、スノードロップが咲いているときは一階のビクトリアキッチンと庭が開いている。

ドンカスターから北西5マイルにあるヴィクトリアン・カウントリー・ハウスは1791年、奴隷貿易で財を成したピーターテルッソン(Thellusson)がジョージアンスタイルの家を建てたが、1861年彼のひ孫にあたるチャールス・テルッソンが現在の屋敷を建立。

1990年この建物と広大な庭はEnglish Heritage に買われ現在に至っている。

上の写真の右側一階は召使、使用人住居になっており、この部分しか開いていなかった。

 

ビクトリア時代のオーブンとクッカー手前の楕円形の蓋つき容器は、馬車の中で足を温めるのに使用された。

お客接待用の巨大オーブンと右奥の縦長のはパンを焼くためのオーブンだった。

ミスターベルによって発明された初期電話。

敷地内の教会、周囲には墓石がたくさん建てられている。

 

 

 

English Heritage が購入した当時は荒れ果てた庭園だったが、専門の庭師の努力で、素晴らしい庭に再現された。

 

ここはアーチェリーを競技する一角でその距離約200メーター、奥の建物に目印を置いて競技したとの説明、女性も200メーターの目標を撃っていた。

 

この地が奴隷貿易で財を成したことを忘れないため、最近飾られたこのモニュメントは、西インド諸島でお茶栽培に使役した奴隷を表している。

過去2年ほどアメリカで発生したBlack liveMatter ( 人種差別反対)運動で英国でも奴隷売買で財を成した人たちが標的になっている。その一つに英国西方のブリスタルでは奴隷売買で財を成したエドワード・コルストン(Edward Colston)は国会議員にもなりその財産を慈善事業に寄付し、大学を作りと善行したため彼の死後1895年に町の中心地に像が建てられた。ところがBLMの運動が盛んになった2020年4人の白人大学生によってこの像は引き倒されて、海に投げ込まれた。ブリスタル市では器物破損罪で4人を起訴したが、無罪判決になり、これが黒人学生だったら無罪だっただろうかと議論されている。

こんな富裕層の人たちが善行を施して、その名前が通りの名前や建物の名前になっていたのが、抹消された。どんなことをしても歴史は変えられないのに。

 

 

 

 

 

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ウエントワース・ウッドハウス マンション【The Mansion of Wentworth wood house)

2022-02-18 21:51:50 | 日記21

コニスボロー城を見終わったころにはちょうどお昼、車でロザーハム(Rotherham )の村へ行き、村のティハウス(パブ)で昼食に。

このパブはとっても大きく前玄関周りにこんなテーブル椅子の食事処が2か所、ここは裏庭に面している。

私達が食事を終わるころには相当のお客が入っていた。

ビーフバーガーとチップス

ミートパイとチップス

ヴィーガンの娘が注文したヴェジタブル・パイ

このパブの広大な庭にはおよそ100人は座れそうなテーブル・ベンチが設置されていて、夏にはものすごい観光客が訪れるのだろう。

このパブを出てしばらく行ったところに

この立派なマンション、建物の前面が200メータ 18世紀に建てられたロッキングハム侯爵のお屋敷で1948年に第8代フィッツウイリアム伯爵が飛行機事故で亡くなるまで、個人の邸宅だった。

(こんなお屋敷をマンションと呼ぶので日本人がマンションに住んでいるというのは恥ずかしい)

 

1734年に建てられた屋敷内のチャペル。

Pillared Hall 

 

2階へ上がる階段のデコレーションなどすべてが、ジョージアンスタイルとよばれる。

 

 

 

18.19世紀には王や王妃が泊ったこともあるという。

 

このお屋敷のハイライトは何といってもこのマーブルサロンと呼ばれる20メータ四方のホールで天井の高さも13メーター、英国1の華麗さと言われ、2019年の ダウントンアビー(Downton Abbie )の映画ではこのホールでダンスパーティーの模様が撮影された。

 

伯爵の死後このマンションは人手に渡り、乗馬学校だったり、第2次大戦時には兵舎に使われたりしていたが、2017年Preservation Trust (保存維持財団)に買われて、屋内や庭園の保存、開発を進めている。

雨模様の一日それでも広大な庭に繰り出し、スノードロップのカーペットや早咲きのシャクナゲを楽しんだ。

 

 

 

 

ウィッチヘーゼルの花

 

赤のウィッチヘーゼル

 

 

 

庭の一角にこのような芸術作品?が10個ほど円を描いて並べられてあった。

雨降りの中の庭園散策でブーツは泥だらけ、それでも誰にも出会わなかったから、コロナの心配もあまりなかった。もちろん屋内ではマスクをしていたが。

 

 

 

 

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コニスボロー城(Conisbrough Castel)

2022-02-18 05:03:44 | 日記21

13日日曜日は朝から激しい雨。雨具を持ってなかった私にパトリックはほねが1本だけ折れた大きな傘を貸してくれた。

 

雨風の激しい中をコニスボロー城へ、このお城外観は崩れ落ちた城に見えたが、城壁内のタワーだけは新しくみえた。

このタワーは1170年代に建造され、タワーを囲む城壁内には城内で働く人たちのアパートや大きなキッチンが建てられていた。

城内のあちこちにこのような説明案内が見られる。

10-15世紀はこの城壁内で、たくさんの人たちが生活し、戦の計画を練ったり、御馳走を食べたり結婚式をあげたりしていた。

タワー内の壁に投影されたスチュアートがこのベースメントの歴史を語る。

タワーの一角に作られたトイレ、人間が生きていくうえで絶対必要な設備だが、この城へ来るまで、一度も 城内の昔からあったトイレを見たことが無かった。

どんなに古い建築物でも必ずあったのが、城内のチャペルでここは小さいながらしっかり保存されていた。

 

 

この説明版は当時の城内の建築物の模型を示したもの。

タワーの最上階から見た城壁と町の様子。城壁内は草原の様になっているが、過去にはアパートやキッチンが作られ賑わっていたという。

1819年に発売されたウオルタースコッツのアイバンホーはこのお城が舞台だったという。

10-12世紀のレィディと呼ばれた人たちの服装。

この城は18-19世紀には廃墟になり、現在は English Heritage に管理されている。

 

このお城の近くに南ヨークシャーでは一番古い セイント・ピーターズ教会がある。8世紀からこの地に建てられた英国国教。

英国国教(Church of England)の内部はステンドグラスのほかは特に派手な色彩もなく、デコレーションはシンプル。

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ホリディー ドンカスター(Doncaster)

2022-02-18 00:48:51 | 日記21

2月14日からの1週間は学校のハーフターム(休暇)で娘夫婦は南ヨークシャーのドンカスターに4泊5日のホリデーに行くことにした。

 

このところロンドンは天気が良く、日中は14-15度にもなる日が続いていて前庭の野生のクロッカスがきれいに咲きだした。このクロッカスは種で増えるのが初めて分かった。と言うのは庭の石畳の間から数本花が咲きだしていて、球根など植えても居ないし、掘り起こせない。裏庭のラッパ水仙も咲きだした。

これで雨になるとは夢にも思わず、レインコートも傘もすっかり忘れて、パトリック運転の電気自動車で出発した。片道4時間半、お昼ごろに出発したから借りたお家に着いたのが夕方だった。

 

 

古い石積の塀に囲まれた真新しいお家には、パトリックの会社のブランチで働いて居る女性とそのご主人の住む母屋があり、

私達が借りたお家もまだ新しい。

 

玄関へ入ったとたんにドキモを抜かれる巨大なスヌーカーテーブル。よくパブなどで見るスヌーカーテーブルは小さくて、こんなフルサイズのテーブルは初めて見た。

 

 

どこもかしこもウルトラモダンでいたく感激、友達にスカイプで家の内部を見せてあげて、ほんとに上には上があるものだねーと驚きあった。

 

 

2階の2つのベッドルームにはテレビが壁に設置され、トイレ、洗面所、シャワー、バスが一室づつついている。これまたすごいモダンで暖房が効いて暑くて、寝る前にはラジエーターを止めて、窓を開けて風を入れなきゃ暑くて眠れない。

階下のリビングとキッチンにはラジエーターが見当たらないが、ここも暑くてセーターなど着ておれなかった。床暖房らしい。

私達代わりばんこに玉突きをしてみたけれど、へたな者同士ゲームは一向に進まなくて、飽き飽きした。

 

 

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ジョルーサレム・アーティチョーク (菊芋)

2022-02-05 20:32:52 | 日記21

昨年の髭爺さんのブログに菊芋が載せられていた。

https://blog.goo.ne.jp/21434higejiisann3/e/bf87a1714f86fe7e075dc1bc7e187975

以前から娘は珍しい食品好きで、ジョルーサレム・アーティチョーク なるものを食べさせてくれた。

その時はいったいどんな植物など知らなかったし、インターネットで調べて初めて、よく日本で昔からあった背の高い黄色の花と知って植えてみたいとおもっていた。

昨年9月インターネットで15個の種イモを12ポンドで売っているサイトを見つけてオーダーした。ところがそれが到着するのが11月10日前後、香港からだとのこと。

11月末になっても来ない。とうとうしびれを切らしてアマゾン経由だから、アマゾンに返金の申請をした。インターネットで何度かのやりとり後、返金された同日、その種イモが届いた。5センチ四方ぐらいの小さな封筒に5ミリぐらいの種イモ?15個入っていた。

開封時の感想・・・えーこれが種イモ? アマゾンで見た写真との落差があまりに大きかった。

その話をロンドン北に住む日本人の友達に話したところ、あんなもの私たちが野菜を植えているアロットメントにたくさん生えているよ。 と言ってくれ, つい最近その苗を貰ってくれたと連絡があった。

1昨日娘の家での夕食時にまたジョルーサレム・アーティチョークの生のスライスがサラダに出た。あれは生でもオーブンで焼いても煮ても食べられるそう。生では食感が缶詰めのウォーターチェスナッツ(ヒシの実)に似ていてシャキシャキする。

娘に友達からこの苗を貰って植える話をしたら、植えてもそのイモを持ってきてくれるな、いつもインターネットで配達してくれる野菜の箱に、一年に一度これが入ってくるからそれで十分。これをたくさん食べるとおならが出て大変!!!。そんなへー害があるとは知らなかった。

昨年冬のテレビでは英国王立植物園キューガーデンの一年間を写してくれた。その中にクリスマス時期にはこのジョルーサレム・アーティチョークを掘り起こして、クリスマスディナーをクックして職員全部が楽しむとあり、なるほどこれからは英国でも普通に食べられるようになるのだと思った。

髭爺さんのブログにはこの菊芋が長野では大量に栽培されているとのことで、日本でも健康食として普通に食べられるらしい。

以前 NHK Worldのテレビで、北海道の夕張炭鉱あとを報道していた。閉められた炭鉱口から周辺一面に繁殖した黄色の花をみて、あれだけ茂っていたら、掘り起こして売りにだせば、地域活性化になるものをと思った。誰かそんなことを伝えてあげられる人はいないだろうか?

 

コメント (2)
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