予てから予定していたノルゥエー旅行を夏至前には行くことにして、インターネットでフェリーの予約や行路の計画を立てた。
2007年にはスコットランドからノルゥエー南の港町スタバンガー行きのフェリーが出ていて船中一泊どまりで翌日ノルゥエーに上陸することができた。
昨今のヨーロッパ不況の風はここでも吹き荒れていて、ノルゥエーもアイスランドへも航路が絶たれてしまった。
イギリスからスカンディナヴィアへのフェリーはサフォーク州のハーレックからデンマーク行きが出ているが、船中一泊どまりで400ポンド以上することがわかった。
どうせ急ぐ旅ではなしとドーバー・カレー間のフェリーを予約したところ日中は高めだが夕方7時過ぎだとキャンパー一台と二人で35ポンド!!!
今年が10年目のキャンプ旅行で慣れているはずだが、毎回出かけて忘れ物に気がつく。コンピューターのキャンプ用具リストはどんどん大きくなっているが、今回は一体何を忘れることかと、心配していた。昨年は一番大切なキャンパーへつなぐ電気のケーブルを忘れ、最初のキャンプサイトで買わなければならなかった。
さて6月13日、12時に我が家を出発。途中の駐車場でお昼をクックしてゆっくりドーバーの港へ向かった。3時頃には港についてしまいオフィスで3時過ぎのフェリーに乗りたいなら60ポンド払えと言わた。その次の4時過ぎなら只で乗せてあげると言われたから、4時過ぎでも文句なしと喜んでいたら、”今日は海が荒れてフェリーが遅れているから3時のフェリーをエキストラの料金無しで載せてあげる。”
この日は本当にラッキーな日だった。フェリーは遅れて4時に出発し、普通1時間半かかるところを5時には着いてしまった。初めの計画では7時過ぎのフェリーでフランスに着いたならカレーの港近くのキャンプサイトに停まる予定だったが、ヨーロッパの夏は日の暮れるのが遅い。下船するとそのままベルギーへ向かった。
フランスよりの小さな田舎町Veurne(ビューネとよぶのか?)へは1時間かからずに着いてしまった。こんな町があることも知らなかったが、大体キャンプサイトのあるところは何か見所があるからキャンプサイトがあるに違いない。
キャンピングプラッツは電気も水も無く駐車できるだけ。もうすでに6,7台のキャンパーが停まっていてその後ろは運河になっている。船を自宅にしている人たちも居て、彼らには電気をつなぐ設備があった。
船の間をたくさんのひよこ?をつれた小さなアヒルが泳いでいた。あれが全部あのアヒルの子供とは信じがたい。とはいえ彼女はよそのアヒルの子供を養子にするだろうか?
まだ日の高いうちに町の散歩へ出かけた。初めは運河のほとりを歩きまわりメインの道路の橋が船の往復に上がる装置を見て驚いた。運河の近くに巨大な木造建築物が改修中で、建物の後ろへ行ってみて初めてここが駅だと判った。ずいぶん古い駅舎らしい。
町の短いショッピング街を通り抜けると、巨大な教会2軒と市庁舎が石畳の広場に面してあった。この辺りが町のメインらしく、レストランや、パブに人々が集まっているのがみられた。小さい町ながら巨大な教会は大聖堂らしい。
市庁舎の後ろの公園は花壇の花がきれいで緑の木の間に巨大な裸婦像が立っていた。
キャンピングプラッツが無ければ決して訪れることも無かっただろうこの町だが来て良かった。又来てみたい町だ。
運河沿いのキャンピング・プラッツは日が暮れると物音もせず、快適な夜を過ごした。
早朝6時には目覚め、家に居ればそんなに早く起きることは無いが、朝食を食べてサイトを出発したのは7時半過ぎだった。
一番近くのガレージでディーゼルを満タンにして、ドイツへ向かう。
ヨーロッパはガソリンよりもディーゼルが安く、特にスペイン、フランス、ベルギーが西側ヨーロッパでは安い。ディーゼル、ガソリンとも一番高いのがイギリスで、最近1リッターで1ポンド40ペンス近くはする。
この日ベルギーのディーゼルの値段はポンドにして1ポンド12ペンスくらいだった。
先週からロンドン近辺は天気が悪く毎日どんよりとした曇り空で寒く気温が上がらない。それで出かけるときに一体どんな服が必要になるか判らないから、真冬のコートからティーシャツまでいろいろ取り揃えた。
昨日フランスに上陸した時から青空が広がり直射日光は熱い。この日も一日中青空でベルギー、オランダの高速道路を走ってゆくのは気持ちのよいものだ。このあたりの高速道路は全部無料で、特に網の目のように張り巡らされたドイツのアウトバーン(高速道路)は休憩設備も優れ何時来ても感心する。
ベルギーからオランダの高速道路の中間帯や道路わきには真っ赤な芥子の花が咲いていたり、野生の石楠花林やハマナスの花が咲き乱れていたり目を楽しませてくれた。
この日エッセンの北、Haltern am See(ホルターン・アム・シー)のキャンピングプラッツに停まる。道路の片側はきれいな住宅が連なりその向かい側が林の中の駐車場になっていて、一泊5ユーロと電気代は8時間で1ユーロ、それにしても住宅地の前にあるキャンピング・プラッツとはドイツ人は何と心の大きい民族だろう。
すぐ近くに大きな湖が広がり湖畔の散歩道はサイクリングする人達でいっぱいだった。
湖畔と反対側へ行くと、きれいに整備された墓地の前に出た。ドイツの墓地は初めてみるが、カソリックと違ってプロテスタントの墓地は機能的でポーランドやポルトガル、スペインとはずいぶん違う。金曜日の午後相当の人達が墓地の掃除や墓参りに来ていた。
町は歩いて1km、タウンセンターは高い尖塔を持つ教会と広場の真ん中に立つメイ・ポールが印象的。広場に着いたときがちょうど4時で高い建物のうえに下がっているたくさんのベルがメロディーを奏でる。ビデオにして音楽を録音したら、何時までも鳴っていて一体何分続くのかと心配になった。
この広場に面したレストランやパブは石畳の広場にテーブルやイスを並べてたくさんの人達がくつろいでいた。ドイツの町は落書き一つ無くごみ一つ落ちていない清潔な町で生活水準の高さを思わせる。ドイツへは何度も来ているがスラム街というのを見た事がない。
またこうしてキャンプ場からゆったり散歩に来れるほど、町が近くだったのも今回が2度目だ。一回目はドレスデンのキャンピングプラッツだったから。
ドイツのパンは多種類と美味しさで有名だが、この日パン屋の店先で見た巨大パンもライ麦パンだろうか。1KGで3.6ユーロと言うから量り売りなのだろう。
Haltern am Seeからハンブルグの60Km北のNewmunster(ニュームンスター)へ向かった。この日もよい天気でアウトバーンを快調に飛ばす。
北部ドイツは山らしきものが一切無く、アウトバーンの両脇は緑の麦畑やトウモロコシ畑そして牛馬の遊ぶ牧場が広がっている。
ハンブルグの西側アウトバーンも工業地帯がチラッと見えたくらいで、スムースに通り過ぎた。
ニュームンスターのキャンピングプラッツは町から外れたプールの横の空き地で電気は8時間で1ユーロを入れ、シャワー、トイレはプールの施設を使って一泊10ユーロ。
この日は土曜日でプールへ来ている親子連れや若者たちで駐車場は満員。午後早くにサイトに着いて昼食を終わるころには激しい風雨になった。
夕方一時晴れてプールの周りを歩き回って写真を写したが建物の前のタイルの壁画はなんとなくグロテスク、これもモダンアートなのだろう。
この夜はまた激しい雨が降り朝も薄暗く、高速道路をデンマークへ向かっている時も何度もにわか雨に降られた。
北へ向かうと道端の草花もすこしづつ変化し、野生ののぼりふじ(ルピナス)が群れ咲き誇っている。アイスランドでカーペットのように咲いていたのが懐かしく思い出される。
途中でキール運河を横切る。もう40年以上も前船乗りだった亭主はこの運河を通ったことがあるそうだ。この運河は北海からバルト海へ抜けるもので巨船が行き来し航路の短縮に大いに役立っている。
デンマークも2007年に来たときはアーハス(Arhus)までは行った。この町の美術館が素晴らしく今でも忘れられない。でも今回は郊外高速道路を真っ直ぐ北上して北部デンマークでは一番大きな町であるAalborg(アールボルグ)のキャンプサイトで一泊することにした。もう何年もヨーロッパ中のキャンプサイトを回っているからサイト料金の割引カードもいろいろ持っている。
このサイトでは初めに一泊54ユーロと言われショックでやめようと思ったけれど、割引カードとスカンディナヴィア・キャンピング・カーネ(14ユーロ)で一泊16ユーロになった。料金もこんなに差があっていいものだろうか?
このサイトのキッチンの設備が抜群で夕食はこのキッチンで料理することにし、6時半過ぎ行ってみるともう二組のドイツ人夫妻がクッキングしていた。ここで手作りのビーフバーガーを焼き、ジャガイモやカリフラワーとスプリンググリーンをゆでた。
スカンディナビアのキャンプサイトではこのようなキッチンの設備が整っているからありがたい。キャンパーに積んでいるガスボトルは接続部分が各国ごとに異なりポルトガル以外ガスの補充ができない。だからガスボトル2個は帰国するまで大事に使わなければならない。
夕方には今までの雨雲が消えて直射日光は熱く、日暮れが訪れたのは10時近かった。
火曜日にヒヤッセルス港からノルゥエーのクリスチャンセント行きのフェリーに乗るため港から20kmほど南の小さな町トアース(Tars)で一泊することにした。
ここにはキャンピングカーを売っているお店の後ろがキャンピングプラッツになっていて電気代込みで一泊7ユーロ、テレビはかろうじてBBCやNHKの世界ニュースが見られる。
午後早くに着いたからまだ誰も居なくて、キャンパーを停車させて町の散策に出かけた。
スーパーが2軒とガソリンスタンドが一軒それになんとなく教会らしくない背の低い教会とベルタワーがあった。
この教会の裏手が公園かと思われるほど素敵な墓地でしばしベンチに座って見とれていた。
墓石らしくない石に彫りこまれたデンマーク人の名前が、私がこの一月熱中してみていたデンマーク・テレビドラマ・ボーゲンの主人公の名前だったりしてなんとなく親しみが湧いた。
たまたま小学校から出てきた子供たちが道路を横切るに当たってきっちり行列を作って信号待ちしている。その子達のほとんどが金髪でロンドンの人種の坩堝のようなところから来てみると、このあたりはまだ純粋デンマーク人種だけなのだと思い知らされた。
只一本のメインロードには石に彫刻された男女の像が立っている。あまりうまいと思わなかったが。
このあたりの家はほとんど平屋らしい床面積の広い一軒家が多く横から見ると屋根裏部屋が造られている。
冬はずいぶん寒くなるらしく、ある家の玄関に珍しく大きな寒暖計が設置されていた。それにはマイナス30度までの表示があった。面白い・・・・。
火曜日の朝10時にはヒャッセル港で行列を作っていた。この日も晴天で北欧にしては珍しいほど暖かく、半そででキャンパーの窓を開けて2時間も待った。
この港からノルゥエーに向かうキャンパーやキャラバンはずいぶん多くてやってきたフェリーも馬鹿でかい。
乗客も多かったのに、座席はたくさん空席が見られた。3時間15分の航海、長いすに伸びて寝ていった。
ノルゥエーは上記の地図でわかるようにとにかく長い北から南まで2500KMはあるそうだ。おまけに入り組んだフィヨルドは海水が満ちた海岸だから、海岸線は計り知れないほど長い。
クリスチャンサンドのフェリー港を出たのは4時過ぎだった。まだ日は高くこの日は一日中暑い位の晴天だった。港から真っ直ぐ北のセテスダル(Setesdal)峡谷へ向かった。町を出て数キロ行くとここは憧れのノルゥエー、道の両側に湖や河が現れ写真を撮るのに忙しい。
湖も初めはフィンランドのように松や白樺の林に囲まれた平坦な木陰を映すだけのものだったが北に行くに従い山や切り立つ岩が迫ってきてフィンランドとは一味違う景色になってきた。
60Kmほど行ったところで湖に突き出た岬全部がキャンプサイトになっているホーンネス(Hornnes)で今夜は一泊することにした。まだノルゥエーの現金を持っていないからクレジットカードでよいか?と聞いて快諾。しかしノルゥエーは高いとは覚悟してきたけれどキャンプサイトはドイツやデンマークと比較にならない位い高い。
ここのサイトはWifiが只だったからそれまでのブログを更新し、二人でキャンプサイトの周囲を歩き回って写真を写した。
英国ではもう5月末に花が咲き終わってしまったライラックが今頃あちこちの庭で咲き誇っている。また石楠花も花盛りだからやはり英国よりは寒いのだろう。
名前も知らない小鳥は望遠で写してみたがこんなにきれいな羽毛を持っていた。私が近くに居ても恐れず逃げもしなかった。
このサイトで特にに目に付くのが真っ直ぐ天に向って伸びている松の木々で、日光が少ないからどんどん天に向っているのだろうかと思ってしまう。北欧の男性も2メーターくらいの大きい人が多いのも案外日光不足だったりして!!!
この日夕焼けは10時過ぎだったけれど夜中12時過ぎても空はまだ明るく、こんな南ノルゥエーでも夜は2-3時間しか暗くならないらしい。
朝キャンプサイトを出て5km行ったところのエヴィヤ(Evje)はこの地域では一番大きな町でスーパーマーケットが3軒、銀行が一軒キャシュマシーンもあり、大きな河が蛇行している。川渕の向こうには巨大なエヴィヤキャンプ場が見える。
野生の色とりどりのルピナスが咲いて道端を彩る。この日は一日中太陽が出なかったがあまり寒くは無かった。中央ヨーロッパは35度前後になったとのニュースで、その熱波がノルゥエーまで届かないのが残念。
北に行くに従い渓谷は狭くなり切り立った岩山に細い滝が流れ落ちている。湖も岩や緑の山を映し、渓谷は激しい水音を立てて流れている。
途中で渓谷くだりのトレーニングをしている若者たちを満載した4艘のゴムボートを見かけ停車した。初心者組3艘は波一つ立たないダムの上部でインストラクターの号令に従ってボートを漕いでいる。
一組だけは上級者らしくオーストラリア人のインストラクターが英語で説明していた。彼らはダム下流の白波の中に漕ぎだしてゆくに違いない。
ノルゥエーの木造建築の特筆は屋根に伸びている草で冬の寒さを和らげるらしい。
それにしてもゴミ箱の屋根から、掲示板の屋根まで全部草葺屋根だった。バス停もしっかりしたログハウスに草葺屋根が素晴らしい。
お昼ごろにたどり着いたフラットランド(Flateland)キャンピングは河の中洲で広がった草地のサイトで両側に河が流れている。ここのバンガローは全部草葺き屋根で真ん中の二階建ての建物はノルゥエー独特の穀物倉庫だと言う。でもここではこの建物を宿泊客に提供しているそうで、河向こうの農家の横には穀物倉庫が建っているのが見えた。
午後川渕を散歩して道端のかわいい花が日本では高山植物なのを見つけた、それほどこの国は寒いのだろう。
昨夜降り続いた雨も朝には止んで、谷間の朝はうす雲の間に青空が覗いている。今日は渓谷を抜けてオッダ(Odda)までのみちを行く。
道路は気がつかない程度の登り道で、いつも道路わきには清冽な水が流れる河が見える。あるときは大河だったりあるときはちょろちょろ流れる川の上流だった。
山頂の草原にはローカルのホリディーログハウスが並んでいる。まだ夏休みに入っていないようで、あまり人が住んでいるようには見えない。
長いトンネルを2度通ったが、トンネルを抜けるとあたりは雪がまだらに残る荒地だった。
大小の水溜りや湖には氷の上に雪が載ったまま溶けないで浮かんでいる。途中の雪野原の駐車場でお茶の時間をとったが、天気がよくなってきたせいかそれほど寒いとは感じなかった。
道路が下り坂になったところでトンネル工事のため、トンネルの上の一本道を工事の先導車で走ることになった。それほど車の多い道路で無いから上り,下りとも10台くらいの車が連なって走る。待ち時間も20分くらいだったからあせることも無かった。
2度ほど急坂を下りることになり、高い道路から見る牧場や町の何と素晴らしいこと。
そしてこれが上り道でなかったのは幸いだった。
オッダへ入るオッダ谷の下り坂道では大きな滝がここかしこ流れ落ち車が停められない。
只一箇所駐車場つき観光名所になっているらしいレイテ滝(LateFossの前は駐車しているたくさんの車とカメラを構えた観光客でいっぱいだった。
2箇所から激しい勢いで落ちてくる大量の水とものすごい水音に圧倒された。山頂の氷河から出る水は冷たく澄んでいて、たくさんの滝の水を集めて流れる谷川は荒れ狂っているようだ。
この谷川はオッダの町から広がるスオーフィヨルドに流れ込んでいる。海岸から内陸深くいりこんだフィヨルドは細長く奥行きも数十キロから数百キロにもなる。
スオーフィヨルドの際奥の町がオッダで相当大きな町だった。フィヨルドの沿岸の高台に住宅が並び、海岸べりにフリーのキャンピングプラッツがあってここで一泊することにした。
キャンピングプラッツの真向かいにまるでレゴランドの家を並べたようなかわいい家が積み上げられている。日中の明るい太陽の光でも素敵な眺めだったが夜11時半まだ本が読める頃に映した写真もとっても気に入った。
夕日は10時頃に高い山の向こうに隠れてしまったが、空はずっと明るく12時過ぎに満月に近いオレンジ色のつきが青い空に輝いていた。
朝8時半スオーフィヨルドの西海岸をウツナ(Utne)へ向った。昨日の晴天とは打って変わって朝から小雨の降る薄暗い一日だった。
フィヨルドの沿岸はほとんど高い岩山が海へ落ち込んでいるから住宅地や耕作地が少ない。
人々は狭い土地に重なるように家を建て段々畑のような耕作地にりんごやさくらんぼなどを植えている。それで無ければ激しい傾斜地の牧場に羊や牛馬が放牧されている。
ウツナからクヴァンダル(Kvandal)へ渡るフェリーはほとんど待つことなく出発、10分ほどで対岸へ着いた。天気がよければこうしてフィヨルドを渡るだけでも素晴らしい景色に会える。雲が低くて今日は楽しめない。
6年前ベルゲンからフラムへ向った時、ヴォス(Voss)から数キロ行ったところで道路わきに観光客が集まる素晴らしい滝を見かけた。その時は通り過ぎてしまって停められなかったけれど、今回は通り過ぎても頼んで引き返してもらい、駐車することができた。
ツヴィンデ滝はこの辺りでは一番大きく、観光名所らしく観光バスから下りた中国人の男性ばかりの団体が写真を取り捲っていた。
お土産店の絵葉書では真冬はこの滝が完全に凍り付いて氷の滝になっている。
ヴォスから30kmほど行ったところで二手に分かれた道は、一方はフラム鉄道のあるフィヨルドへ、もう一方は真っ直ぐ山越えをしてヴィーク(Vik)へ行く。
ヴィークへの山を越える道路の絵葉書があったから真っ直ぐ行くことにした。
谷川に沿って行くと谷の平野から急に長いジグザグの上りになる。その横に長い滝が流れ落ちている。もう先に上っているキャンパーが2台も見えるがのろのろ走っている。
意を決して出発、やっぱりのろのろだったけれど無事上まで行けた。山頂は緩やかな荒れ野が続き雪がまだらに残っている所から、滝や河の始点になる湖が凍っているなどまだこのあたりは冬に違いない。道端の残雪も日陰は厚さ1メーター近くになる所もあった。
山頂の駐車場で以前から行ってみたいがどうしても見つからないジグザグ道の写真を見せて駐車しているノルゥエー人夫妻とドイツ人夫妻に聞いてみたが誰も知らない。諦めてまた戻ってフラムへ行くことにした。
この緑のきれいな羊歯は今まで見たことのないもので高さも20センチほどにしかならない。たぶんこのような寒冷地に生えるからだろう。
麓にキャンパーを停めるとあたりの羊が寄ってきて不思議なことにキャンパーや車のボディをなめる。一体何が良くて?と思うが雨水をなめているのかしらとも思った。
フラムへの道でスーパーマーケットの人に聞いたらすぐに教えてくれたトロルスティゲンはこのあたりよりずっと北になるしまだ2,3日はかかりそう。
がっかりして一番近くのキャンプ場に一泊することにした。一日中雨模様だったのにこの夜は雨音が激しかった。
朝から雨、二日も降られると全くうんざりする。特にきれいな景色が雨と低い雲で台無しになってしまうとき、写真が写せなくてがっかりする。
夕べも雨の中で投宿したこのキャンプサイトは高いキャンプ代の割には設備がなってない。
朝起きてみてなるほどと思ったのはサイトの周囲の高い山から流れ落ちる細い滝の多いこと、特に一晩中雨だったから滝の数も水量も増えている。
サイトを出て数百メーターでフィヨルドの際奥へ着いた。ここではフィヨルド観光の船とバイキングの生活様式を見せるアトラクションがあった。すぐ11Kmのトンネルに入り出たと思ったらまた5Kmのトンネルと続いている。6年前楽しんだフラムのキャンプ場と港を横目にまたトンネル2つ越えたところで、ノルゥエー最長の24.5Kmのトンネルに入った。
ここは採光,換気が良く考慮され3箇所の広い幅のトンネル内にブルーの光が当たっていて長い時間の緊張や退屈感をやわらげてくれる。
普通のトンネルで7kmくらいあると”ウワー長い!!!”と思うけれどこの長いトンネル内で残り7kmになった時”後たったの7km!!”と嬉しくなった。
ノルゥエー人は長いトンネル内で平気で追い越しをするし制限速度など全然守らない。
私たちも何時の間にか早く走りすぎていたりして、このトンネルを23分で通り過ぎた。
道路はフィヨルドに面して行き止まり、フェリーに乗って対岸に渡り狭いフィヨルド脇の道路を走る。
途中で計画を変えて、6年前に行ったブリクスデール氷河の裏側に当たる氷河を見に行くことにした。メイン道路から折れて片道50km、氷河や雪解け水を集めて荒れ狂う谷川のほとりを走りに走ってやっと着いた広い駐車場の向こう、湖の対岸にヨステダル氷河の氷舌が見えている。湖を渡るボートサーヴィスがあったが、わざわざボートで見に行くほどの事もない。
ここで遅い昼食を食べ、帰り道5km先にあった氷河博物館に立ち寄った。建物が奇抜で新しく、中はお土産店とカフェー、そして地下に氷河の説明や生息動物、石器時代の人々の生活(氷河のあたりで生活していた原始人が居たのだ!!)などを見た。
氷河で生息する雷鳥やいたち、これらはスコットランドでも多く生息している。
さて3時過ぎて往復100kmを戻りメイン道路から一路オルデン(Olden)へ向う。メイン道路わきにブーヤ氷河(BoyaBreen)が見えてきて、駐車場へ乗り入れ麓まで行って写真を写してきた。観光バスが数台停まっていた。
オルデンへ行くには長く突き出た岬のフィヨルド脇を走るか、近道をして一山越えるかで、当然山道を行くことにしたがこの山頂はスキーリフトがあって、冬は忙しいらしい。おまけにベルゲンへの近道とて巨大な観光バスが行き来している。道路はだいぶ傷みが激しくなってきている。自然に放牧されている羊の群れが道路を歩いていてなかなか脇に寄らない。
朝9時から運転し続けている我亭主は疲れが出てきて、文句が多い。かって知ったるOldenの町からまた内陸へ向って25分ほど、夕方6時過ぎやっとブリクスダール氷河の麓のキャンプサイトに着いた。Oldenからの道は広い湖ときれいないろどりの家やキャンプサイトが無数にあり、高い山を映した湖は何時見てもため息が出るほど美しい。
ここは何度来ても良いところの筆頭。
ブリクスデール氷河はオルデンからバスで25分、そこからオープンカー(電気自動車ではない)で氷河の池に200メーターくらい下の駐車場につき、後は歩いて氷河湖に着く。この氷河はノルゥエーでも数ある氷河の中で観光客には一番アクセスしやすく、観光バスが連なってやってくる。
私たちの泊まったキャンプ場はこの登山口に一番近いサイトで真後ろに見える氷河はメルケヴォル(Melkevoll)氷河と言う。それでキャンプサイトもメルケヴォル・ブレツという。
サイトの横に高さ355メーターのヴォル滝が流れ落ちている。反対側はブリクスデール氷河から流れ落ちる水でこんな上流で激しい流れになっている。6年前にきたときも同じキャンプ場の同じ場所に駐車してゆっくり数日過ごした。
時間に追われない私たちは、全行程をゆっくり歩いて登る。団体観光客はオープンカーで上って行くが帰りは時間のある人達は歩いて下山してくる。片道でも歩くと道端の草花や羊などを見る楽しみも倍増する。ブリクスデール氷河からの雪解け水は中腹で激しい滝になり周囲一面の水しぶきが激しくオープンカーの観光客は水浸しになる。
道端の野の花は今年の天気がよくないせいか6年前よりもずっと少なかった。でもこのあたりでしか見られない白いきんぽうげがたくさん咲いていて嬉しかった。英語のできない2人の女性客に白いきんぽうげは大変珍しいのだと教えてあげたけど、何を言ってるのか?と言う顔でそそくさと行ってしまった。水のきれいな川渕では毛足の長い羊が愛嬌を振りまいていた。
氷河は昨今の地球温暖化でどんどん溶けてきており、1920年にはこの谷間にしっかり埋まっていたであろう氷河がすっかりなくなっている。6年前ともやっぱり氷の減退が激しく、水際まで青く透き通っていた氷の塊が消えて雪だけが残っていた。
この氷河への道は一部だけジグザグで歩いて登るのは大変苦しいけれど、上から見ると面白い道だ。歩行客はカメラを構えて結構楽しんで上り下りしている。お土産店の前には必ず飾られているこの奇怪な人形はノルゥエーの伝説の小人でトロールと呼ばれる。
この6年の間にキャンプサイトの右手の岩山に見晴台が造られた。ここからはブリクスデール氷河がはっきり見え、メルケヴォル氷河と正反対は河の水を集めた湖が広がっている。今まで見たことのない変わったキャラバンを見かけた。車で引くのは楽だろうけど住むのは不便そう。
前夜から降り続いた雨は明け方止み、出発時の9時頃にはところどころ青空が覗いていた。
高い山の中腹辺りまで雲や霧が立ち込めている。
オルデンまでの短い距離にもう3台も観光バスが登ってきた。内の2台は明らかに日本人か中国人のグループだった。
波も立たないフィヨルドは沿岸の岡や牧場や村々を映して絵を見るような美しさ。
ガムラ・ストリーヌフェルヴェンガン(Gamle Strynejellsvengen)は古い山道と言う意味で今日はこの山道を通ってやっと探し当てたトロル・スティンガン(トロルのはしごと言う意味)へ行く。
途中まで6年前に通った道で6年前も感激して写しまくった高い山からの風景は何度見ても素晴らしい。途中から63番道路に乗り入れ山頂の湖のほとりを走る。岩山に張り付いた残雪が湖に映えて面白い模様を作り出していた。
山頂から急な斜面を長いジズザグ道が七曲八曲がりして下りてゆくが、ちょうど谷間から雲が湧き上がって道を隠す。折角来たからには是非全部見たいと狭い道路わきにキャンパーを止め30分ほどお茶を飲みながら待った。キャンパー脇の草むらにかわいいアルパインの花が咲いていた。
待った甲斐あり、谷間は急激に雲が飛び去りはっきり見えるようになった。いざ出発。
ジグザグ道をゆっくり降りてゆく。2箇所から滝が流れ落ちていた。少しでも車を停められる空き地は観光客がカメラを構えている。
ゲイランゲル・フィヨルドの際奥に位置するゲイランゲルの町は小さいながら美しい町でほとんど平地がない。町を見下ろす高台でたくさんの観光客に混じり写真を撮っていたが、町の真横からまたものすごいジグザグ道が見え、まさかあそこを登るのでは?と心配していたら全くそのとおりだった。
ちょうど町に降り立った頃この白鳥でも舞い降りたようなきれいな観光船がフィヨルドへ入ってきた。ほとんど平地や駐車場が無いから真っ直ぐジズザグ道に突入、山頂近く見晴台があり道路わきにたくさんの車が停まっている。
この高台から見るフィヨルドは息を飲むほど素晴らしい。遠くに白い滝が落ちているし、観光船が他に2艘もフィヨルドへ入ってきた。
もう2度と来ることのないノルゥエーだもの、ゲイランゲルの町で一泊したかったなーと今では後悔している。
このフィヨルドを離れ一山越えると道はなだらかなまま行き止まりのエイズダル(Eidsdal)の港に着きすぐフェリーで対岸のリンゲ(Linge)に渡った。
このあたりフィヨルドがいくつにも枝分かれしている。
リンゲから20数キロ緩やかな上り道の山頂に広い駐車場とモダンなレストラン、お土産店があった。たくさんの観光客がわさわさしている。人々が向うほうへ行ってみるとここが前から探していたトロルスティンガンだった。高い崖のうえに突き出た見晴台から下を見ると豆粒のようなキャンパーやバスが長い折れ曲がった道路を上り下りしている。
ちょうど小雨が止むところに後ろから太陽が出たから見晴台のすぐ向こうに虹がかかった。
お土産店、レストランの横から流れ落ちる滝と見晴台の向こうにも長い滝が流れ落ちている。
この景色を見た後ではもう興奮するものがなくなってしまった。
この夜はアンダルスネス(Andalsnes)のキャンプサイトに停まった。夕方からまた土砂降りになり日中良い天気で楽しめたことは本当にラッキーだった。
このフィヨルドの町アンダルスネスには観光船がお客をおろし、バスでトロルスティンガンへ行く。最高の観光地だ。
昨日も一日エキサイティングな日でお天気に恵まれたが、夕方キャンプサイトに落着くとすぐ雨が降ってきた。この雨は一晩中降り続き、長靴無しではサイト内を歩けないほど一面水浸しになった。
出発時にはやや小ぶりになり、アンダルスネス・キャンプサイトの後ろを流れる大川にかかる歩道橋を写してみた。他に写すものがないほどありふれたそのくせ高いキャンプサイトだった。これもトロルスティンガンが近いせいでキャンパーやキャラバンが多いからに違いない。
アンダルスネスは入り組んだフィヨルドの港町でこの周辺は小さな島が連なっている。
トロンハイム(Trondheim)へ行くまでフェリーに.2回乗り海底トンネルも通り島と島をつなぐ大小の橋は数知れずだったが、トロンハイム近くまで雨雲が低くあまりよい眺めとは思えなかった。
目に付いたものにフェリー乗り場で見かけた穀物運搬トラック。初めはガソリン運搬トラックだと思っていたからよく見ればなるほど違う。
ノルゥエーのキャンプ場の違いは、常設されたキャラバンにしっかりしたバンガローが併設されていてバンガローは居間、キャラバンは寝室になっているらしい。北欧の人達は田舎に別荘を持つのが人生の目的であり、スティタスだと聞くが、たぶん別荘はもてないけれど自家用キャラバンがサイトに常設されていれば休暇はそこで過ごせるから安上がりなのだろう。
またどこのキャンプ場もたくさんバンガローが並んでいて、車で旅する人達には大変便利でホテルよりも格安になる。
フィヨルドは一見湖のように見えるがどんなに内陸でも外洋とつながっているため、岸辺には海草が揺らめいている。また鮭の養殖場があちこちで見られた。
トロンハイム北50KMのラベンデル(Lavender)のキャンプサイトを出て北極圏へ向った。トロンハイムは北ノルウエーの玄関口とすればこの玄関からのメイン道路は只一本しかなくて6年前も同じ道を通ってボードー(Bodo)まで行った。
今回気を付けてみればこの道路に平行して一本の線路がボードーまで続いている。時々道路と交差したり、トンネルが2つ有ったりで電車が通っていることが判るが、電車が走っているところを見たことがない。
途中の道路わきの休憩所に世界で一番有名なトナカイの絵と書いてあった。良く読んでみればボーラ川(Bola)の洞穴に等身大(約180cmX133cm)のトナカイの絵が見つかった。これは紀元前4000年前の石器時代のものであろうと推定されている。
残念ながらこの洞窟はわき道へ入ってゆくもので、今日是非北極圏へ行こうと張り切っている亭主にはお願いできない。もっと北へ行けばアルタの石器時代の絵が見られる。
太古の昔、このあたりは一体暖かかったのだろうか?そんな昔に人間が住んでいたと言うのが信じられない。
道路わきに巨大なバッグいっぱいの薪を売っているところが多く、寒い国なればこそ、今から冬の準備をしているらしい。北極圏へ入ってからも針葉樹林が多く道路わきには伐採された松や杉の材木が山と積まれていた。
まだ北極圏へ着く手前で、道端にアートギャラリーを見つけ寄って見た。草葺屋根は草だけでなく木まで生えていた。ギャラリーの中では銀細工をしているひげのおじさんと店番の中年女性が居た。銀のブローチやブレスレットなどは素敵だったがとにかく高い。ノルウエーではお土産どころか絵葉書すらも買う気になれない。なんだかとても泥臭いお店兼アートギャラリーだった。
ラベンデルから300km7時間以上かかってやっと北極圏の建物に着いた。6年前に来た時はこの周囲がほとんど雪で本当に北極圏!!!と言う感じがしたものだが今回はほとんど雪が見当たらない。駐車場にはキャンパーがずらりと20台以上も停まっていて、彼らはここでこの夜を過ごすらしい。
最後のガスボトルを使っている私たちには野外ででフリーキャンピングは極力避けなければガスがなくなると大変困る事になる。
この北極圏を真ん中に前後50Kmにキャンプサイトはおろか普通の民家も見当たらない。
ここから長い下り坂になりやっと木に行ったキャンプサイトを見つけたのは夕方6時過ぎだった。それでも白夜だからあたりは異様に明るい。
このサイトに入ってすぐ蚊の大歓迎をうけ、6年前は北極圏のあの建物の周囲での蚊の歓迎会だったのにと思い出した。ここのサイトが今までで一番安く、150クローナ(17ポンドくらい)で設備もよく整っていた。ここの受付のまだ20歳にならないような若い男の子が見上げるような巨人で聞けば2メーターあるという。まだ伸びるのじゃないかと思われる。一緒に写真を写さなかったのが残念。
モスケネスのサイトを出て北へ向う前に前回も行ったロフォーテンの道路の最南端A(おーと発音する)へ行った。前回は片道写真を撮りながら歩いていって、帰りはローカルのバスで帰ってきた。
この前にも見慣れた風景だけれどカメラを構えずにはおれないほど素晴らしい。6年前は干しだらがいたるところにぎっしり並んで干してあったのが、例年の乱獲でほとんど取れなくなったものらしい。
一箇所だけ干したらの身を見かけたが他は空の干し棚か、たらの頭を紐につないで干してある。これはたぶん捕った生のたらは英国のFish and Cipsに輸出されたか、塩たらにしてポルトガルやスペインへ輸出されたものに違いない。たらの頭は一体何に使うのか判らないけどこんなに多くのたらが捕獲されたことを思えば無尽蔵でないのがあたりまえだ。
A(おー)の長いトンネルを通り過ぎるとすぐ駐車場と土産屋兼観光案内所に着く。この駐車場には各国語でここはキャンプ禁止と書いてあるのにたくさんのキャンパーが停まっていた。主にドイツとオランダでイギリス車は一台も居なかった。彼らが一晩中キャンプしていたのは見え見え。
駐車場以降は岬の岩場まで歩かねばならぬ。ここでブリクスデールではまだ一本も咲いていなかった背丈の低いランの花があちこち咲いていた。それにコトン・グラス(わたすげ)が草むらに白い花のように生え、風に揺れている。
Aの絵葉書になっているこのあたりに若い人達がテントを張ってキャンプしている。一晩中明るいから雨さえ降らなければ快適なキャンプだろう。朝10時過ぎと言うのにこの3人はテントも張らずに眠りこけているところを見ると一晩中おきていたのに違いない。
帰り道6年前にとっても気に入った素敵な庭と、おもちゃのようにかわいい家を探しながらゆっくり走ってとうとう見つけた。亭主に車を停めてもらい急いで写真を写してきた。
私たちが通った時にお花に水やりしていた、この小さな家に住んでいたおばあさんはどうなっただろう。
白夜では朝も早くから目が覚める。7時前には起きてしまい、隣のオランダ人夫妻が起きだした8時過ぎにはキャンプサイトを出発した。ボードーまで120km、そこからフェリーでロフォーテン諸島へ行くことにした。フェリーの時間が判らないから、途中で見かけたスーパーでパンとミルクを買った。ロフォーテンではスーパーマーケットは期待できない。
ボードーまでの道も波静かなフィヨルドの沿岸を行く。遠くに見える雪山はフィヨルドの対岸の山並みらしい。この対岸の山々も今年は6年前よりもずいぶん雪が少なくなっている。
途中でフィヨルドにかかる架橋工事の真っ最中だったが、これが道路の橋か鉄橋かは判らなかった。
ボードーの港に着いたのは11時過ぎ、フェリーは全部の車を載せてまだ動かない。まだ間に合うから乗ってもよいと言われ急いで乗船、一台の小型キャンパーがフェリーの乗り口で故障して行きも帰りも出きず、出発が遅れているという。
前回フェリー乗り場で全部の車が乗り込めず、午後の部まで4時間ほど待った記憶がある。
今回はラッキー、故障のおかげで乗れたと喜んだけど、出発できたのは12時過ぎだった。
ロフォーテン諸島のモスケネスの港まで3時間。天気は良く海は凪いで気持ちよく、初めて船酔いの心配をしないでくつろいで楽しめた。
フェリーの上から見るボードーの町も北極圏内イコール田舎と言う観念とは全く違った小都会でヨーロッパのどんなところの港町とも変わらない。
フェリー内に日本人らしき男女4人が乗っていて各自大きなスーツケースを持っている。話会う機会が一度も無かったから判らないがボードーまで電車か飛行機で来て、ロフォーテン諸島をバスで回るらしい。でもあの大きな荷物はどこへ行くのも大変だろうと思った。
ロフォーテンに近づくと切り立った高い岩山と麓にへばりつくような家々、まだ雪の残っている高い山脈,やっぱり来てよかった。どこを見ても絵葉書になりそうな素晴らしい風景がひろがる。
午後3時モスケネスの港に着きすぐ前のキャンプサイトに入った。遅い昼食後、先ずは前から計画していたこと・・・・サイトの下の岩場で魚釣りをすること。
4時から1時間小魚3匹釣り、休憩また夕食前にと下りていって大きな鯖一匹、小魚3匹を釣った。こんな大きな鯖は初めて、数年前アイルランドでたくさん鯖を釣ったがこれほど大きくは無かった。
早速3枚におろして小麦粉をつけて油で揚げた。今夕のおかずは最高だった。
小魚のほうは見たこともない魚だったが頭とはらわたを除いてフライにしたところ、白身の美味しい魚で翌昼のおかずになった。
夕食後3度目の魚釣り、また鯖1匹と小魚2匹を釣り上げ、鯖は塩でしめてしめ鯖にした。
この日は特に天気が良かったせいもあり、日が暮れないから12時近くあたりの写真を写そうと岩場を歩き回っていたら、海を見ていた若い男女が”ほらKiller Whale(シャチ)”
と叫んだ。なるほどサイトの向こうの海を2匹のシャチが悠々と泳いでゆく。先ずは写真を数枚撮ってからキャンパーに駆けつけ大声で亭主に伝えたから、周りのキャンパーからも総出で見ていた。
フェリーは夜中12時過ぎボードーへ向って出航していった。彼らは一晩中働くのかしら?