Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

お屋敷で New Year Party.

2020-01-07 22:17:41 | 日記19

新年も真っ青に晴れた良い天気だった。朝日を拝んだのは太陽が高く上った8時過ぎ。

娘夫婦には日本の正月の習慣など教えていないから、9時ごろ起きてきてHappy New Year !!!  と言い交して終わり。

今夕はオランダ人夫妻と日本人男性を招いて、新年会をする予定。

セヴィリアへ行った朝早く,近所のスーパーでチキンの胸肉とサーモンの切り身1Kgを買って冷凍しておいた。お正月にはスーパーは開かないし、レストランも予約なしでは何処へも入れない。

31日の夕方これも近所のスーパーでポルトガルのワインやイチジクのリキュアーなど買っておいた。

それで年の暮れからパーティのデザートにはテラミスを作る準備、肉と魚も解凍準備。

この日の献立は私が作るのは天ぷらと巻きずし。娘は茄子の田楽、トマトとニンジンを使ってトロに見立てた握り寿司、サーモンの照り焼き、赤と白の蕪の酢漬け それにヴェジタリアンコロッケ。

寿司のノリもお米も持って来なかったから、31日にスーパーで買った。寿司米と書いてあったが水加減がうまくいかず、ご飯は柔らかすぎ、ノリは中国産の品質最悪。

ロンドンから持ってきたのが寿司酢とお醤油だけ、パーティなど予定していなかったから仕方がない。

朝から準備に忙しく、オランダ人の奥さんも肉も魚も食べないから、それなりにてんぷらは茄子とサツマイモ、にんじんと長いグリーンビーンのかき揚げ、一番最後に鶏肉を揚げる。

私も娘もいつもたくさん作りすぎて残り物を数日食べることになる。

お昼に娘夫婦は川渕のアイリッシュパブへお昼を食べに行った。私たち二人昨年から(2日前から)持ち越しのあまりものを片付けなければならず、そんなに毎日出歩いて食べておれない。

午後5時にお客には来てもらうことにしていたので、オランダ人夫婦は自転車で登場。日本人は電動スクーターで現れた。酔っ払い運転にならないから大丈夫・・・・か?

オランダ人夫妻はお屋敷の大きさにどきもを抜かれ、ただただ感心するばかり。彼女からはオランダから持ってきたクロッカスとグラジオラスの球根類をプレゼントにもらった。帰国して植えたのでは遅いかもしれないけど、帰国が何時になるかも判らない。

日本人の彼は袋いっぱいの大きなレモンを持ってきた。友達の庭になっていたものを貰って来たそうな。ありがたい。

はじめは皆で大きなダイニングルームでジントニックを飲みながらおしゃべり、出来上がった寿司やてんぷらなど食べ、ワインを飲み。私が最後に鶏肉を揚げて持って行った時には皆満腹してもう食べられない。と言う。

それでも1時間もしたら私が作ったテラミスも皆喜んで食べてくれた。孫のためにはコーヒーの代わりに新鮮なオレンジを絞って入れたので、初めての食べ物に嫌がっていた彼も味見をしたら、Its super delicious, Can I have more?   もっとちょうだい はオリヴァーのセリフだ。

9時には孫とパトリックが寝てしまい、10時には酔っ払ったオランダ人のご主人の方、自転車を押して帰るという奥さんを見捨てて、16歳の男の子のように、すっ飛ばして帰って行った。彼81歳。 飲み残したワインを平らげてと日本人の彼は11時まで飲んで余ったコロッケやてんぷらも明日の食事にとしっかりリュックに入れて電動スクーターで帰宅。

やっぱりたくさん余った食事を見て、来年もまたここに来たらもっとたくさんの友達を呼ぼう。

 

 

 

 

 

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年の暮れ、正月の花火

2020-01-06 18:56:55 | 日記19

 

毎年タヴィラのジラウ河の真ん中の橋で花火が上がる。今年はこの橋が工事中でどこで花火をあげるのだろうかとはおもっていた。

 

 

この橋、ここタヴィラへ来始めた6年前からよくぞこんなひどい橋を車が通ると不思議だったが、やっとこうして改修工事にたどり着いたのはEU のお陰らしい。

31日の夜11時半になって花火を見に行こう。今回が最後かもしれないからと二人で出かけることにした。娘夫婦は10時には寝てしまった。

タヴィラの中心地はローマ橋の向こう側、いつもクリスマスツリーが立っている。ローマ橋までお屋敷から歩いて10分ほど、十分時間があると思って余裕を持って出かけた。

 

 

ローマ橋の手前であまりに多くの人出、驚いたのなんの。これでは写真を撮れるかもわからない。

 

 

いつも同じクリスマスツリーが立っていたから全然興味も持てなくて、この年は夕方一度もこのスクエアーへ来てみなかった。今年は何処のツリーと交換したのか、素敵なツリーが輝いていた。

とにかくあそこのツリーの近くまで行って見ようと、押し合いへし合い、橋の上の人々をかき分けてスクエアーまで行った。

 

 

この辺りもっとすごい人々で詰まっている。スクエアーのツリーの横にしつらえたステージではアバの音楽が鳴り響いている。

亭主にこれでは写真も写せない、大橋まで歩こうかと言ったら、もう12時になるよと言われすぐ大衆の秒読みが始まった。

 

 

 

 

 

たった5分だけだったがヤシに木の上に花火がバンバン揚がった。人込みの中でカメラを高く上げて写真を写していたが、ヴィデオに切り替えたので一番良いところはここには載せていない。

 

あっという間にフィナーレの花火が上がって終わっても人込みはほとんど動かない。皆ワインを持ってきて友達や家族で飲みあい新年を祝っている。

帰って私たちもワインを飲もうとローマ橋の人込みをかき分けて通るのに、もっと大変だった。亭主などフラフラで、人からは酔っ払っているように思われたと言っていた。

 

こんな片田舎でも頑張ってクリスマスの飾りつけをしてくれるのがうれしい。それにこの花火を楽しみにしているポルトガルの人々もこんなにたくさんいるのだ。

帰ったら1時半だった。二人でシャンペンで乾杯。静かに新年を祝った。

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2019年の年末―セヴィリア その2

2020-01-05 15:32:06 | 日記19

 

昨夜はたっぷりのお風呂に浸かって、よく寝たのに、今朝もまた朝風呂でのんびりし、さて朝食。

 

 

 

ホテルの後ろのショッピングセンターに食べに行こうと出かけた。

 

すぐ目に付いたのがこのパン屋さん。おいしそうなパンやパイなど種類も豊富。

 

ミルクコーヒーとクロワッサンやトーストを注文して満足したが・・・・・

 

こんなきれいなお店で出されたお皿でがっくり・・・・こんな縁の欠けたお皿をいまだに使かっているのに唖然とした。

 

 

パン屋さんの前のカラフルなスィートショップ。孫には見せたくない。

 

 

しゃれた飾りがたくさんあるお店、断捨離をするというのにこれは目の毒。

 

 

後ろを振り返ってみれば巨大なホテルが伸びあがっている。

 

 

巨大な鉢に植えられた巨大なオリーヴの木。

 

 

ショッピングセンターの後ろには子供の遊園地がある。日陰になっているため晴天でも寒い。

 

 

寒さなんて平気で遊びまわっている孫は娘に預けてさっさと47階へ行った。

 

 

ショッピングセンターの屋上庭園、良く手入れされて珍しい植物が植えられている。

 

 

屋上の上半分にはガラスもなく吹きさらし状態。雨や嵐の時は一体どうなるのだろうか心配になる。

 

 

 

どこを見ても水平線がかすんで見えるくらいセヴィリアは平野の町。

スペイン時間の12時ホテルを出て一路ポルトガルへ向かった。1時間でポルトガルの国境に着いた。贅沢な24時間だった。5スターのホテルなんて生まれて初めて。これはパトリックからポールへのプレゼントだった。

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2019年の年末―セビリア

2020-01-05 12:12:02 | 日記19

さてホテルでカメラを取ってきて、パトリックやポールが歩いて向かっている旧市街へ行くには、バスが一番手っ取り早い。ホテルの近くのバス乗り場で、旧市街の中心地迄1.8ユーロ。バスは町の外周を回って中心地へ入った。

 

 

 

娘が携帯でパトリックと連絡を取り合い、川渕で合流。それまであちこち歩き回って写真を撮りまくった。

 

 

スペインをムーアのスルタンから奪回したイザベル女王の像が中心地のラウンドアバウトの一角にあった。そのすぐ近くにはスペイン広場がある。

 

この塔はスペイン広場の端を飾る。

 

 

モスクのような建物だったが、中は子供たちのためのおもちゃの展示場みたいだった。さすがスペイン4時半までシアスタで閉まっていた。

 

観光客用の馬車はあちこち走りまわっている。

 

スペイン広場のある巨大な公園の熱帯の木。こんな木を見るとマレーシアを思い出し懐かしくなる。

 

スペイン広場は15年前初めて来たとき、ここの素晴らしいタイルに魅了され、タイルの写真だけで300枚くらい撮った。

 

この写真は娘が撮ったスペイン広場の一角、ここのタイルはぜひ見てほしい。

今回は以前どうしても見られなかったセヴィリアの大聖堂を見たいと亭主と二人で歩いた。

 

 

巨大な大聖堂は15年前には工事中で外壁さえも見られなかったが、今回も開いていなかった。案内嬢に明日は何時から開くかを聞いてみると11時から2時までという。

これでまた今回も中を見ることは出来ない。

この大聖堂のすぐ近くの王宮は以前一番感激したところ。もう4時半過ぎでどこも閉まっていて、たくさんの観光客がうろうろしていた。

 

 

トラムが走るメインロードの素晴らしい建物はホテルに違いない。

モダンなトラムだけれど車体全部が広告に覆われているのだけがいただけない。

 

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2019年の年末

2020-01-05 10:22:38 | 日記19

 

12月30日朝、パトリックがセビリアに安いホテルを見つけたから行こう、と言って朝10時半皆で出発。タヴィラの郊外の高速道路から真っ直ぐスペインの高速道路を走って、1時間半でスペインのセビリア郊外のホテルに着いた。

 

 

 

このユーロスター・セヴィリア・タワーホテルは47階の円柱のホテル。

いつもカセーレスからポルトガルの往復にセヴィリア付近へ来ると一番目に付くのがこのホテルで、遠くからは高い煙突が一本だけ立っているように見える。それでこのホテルの前迄来るまでここがホテルだとは思わなかった。

 

 

 

20階のベットルームに落ち着いて大感激。

 

 

 

 

20階のベッドルームから見るセヴィリアの町は高層建築が無くこのホテルが一番高い。上の写真に写っている黒い影がこのホテルの影で、真下にはショッピングセンターとその屋上は素晴らしい庭園になっている。

ホテルに入ったのがポルトガル時間の11時スペイン時間では12時だったから、しばらく落ち着いた後でお昼を食べに行くというのでカメラも持たず出かけた。

 

パトリックによればホテルから旧市街迄1㎞という。数キロ歩いてやっとお昼にありついたが、食後カメラを取りに、娘はパトリックとジュードのジャケットを取りに、2人でホテルに帰った。

その午後のセビリアは次のブログに載せる。

この夕方6時バスで帰って来た時のホテルの様子。

まだ夕がた6時過ぎショッピングセンターの通路には多くの人々が行きかう。

 

 

 

 

 

 

47階の屋上展望台に上がってびっくり。このフロアーには天井が無くて真冬の風が吹き抜ける。

この日も晴天だったが風は身を切るほど寒かった。

展望台から四方の夜景が見え必死で写真を写して凍えそうになって帰ってきた。

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今年もお屋敷でのクリスマスーその3

2020-01-04 18:57:26 | 日記19

クリスマスとその翌日にはほどんどのレストランが閉まって、外食大好きの娘夫婦も家庭料理で2日過ごした。27日には、毎年行くトーレ(Torre)のレストランへ行こうと11時には出かけたので、早く着いてしまった。

 

 

 

海岸の湿地帯を散策していると,ここにもプラスチックのごみがあちこち見られる。

娘が環境保護論者の一人として、肉食否定したためか、娘婿も触発されてあちこちプラスチックのごみを拾って歩いていた。

 

トーレのレストランは昨年まで安くておいしいと娘が特にひいきにしていたところだけれど、

今回早く来すぎたためか、たぶん火も完全に熾火になっていなかったせいだろう。

 

おおきな鯛は中が焼けていない。

 

一番楽しみにしていた小モンコイカのシチュウは焼けすぎ。

 

小イカのシチュウはおいしかったが4人半で食べるには少なすぎ、あとは魚のフライとアルコールなしで、チップも入れて100ユーロも払った。

相当がっかりして娘はもうここには来ないといった。昨年は2回も足を運んだのに。5年前に初めてここへ来た時の4人で食べた料理はもっと多かった気がするが、料金はこの日の半額だった。いつの間にはこの田舎でもインフレーションが激しい。

 

このトーレの隣町のフセタ(Fuseta)はもう15年前初めてキャンプしたところだけれど、昔はずっとひなびた田舎町だった。昨年娘たちを連れてきて以来、海が気に入ったらしくぜひここへ来たいという。

 

 

ここの海は海岸に平行して長いタヴィラアイランドが伸びているので、大西洋の荒波は直接砂浜に押し寄せることがない。水は澄んで小魚や貝が砂地に居るのが良く見える。

私も20年ぶりぐらいで足だけこの水に浸かったけれど、あまりの冷たさに震え上がった。おまけに寒冷蕁麻疹が出て足が真っ赤になりかゆくてたまらない。乾かして温まってやっと収まった。

 

 

まだ4歳半の孫は携帯で漫画を見ている時だけおとなしい。一体どんな大人になるのだろう。

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今年もお屋敷でのクリスマスーその2

2020-01-04 18:04:25 | 日記19

 

 クリスマスの朝も素晴らしい青空、娘婿と孫は借りた自転車でサイクリングへ出かけた。

 

 

 娘婿のパトリックは英国に居ても自転車でロンドンまで通勤しているほど自転車狂で,寒くて暗い雨やみぞれの中を自転車で走るほど危ないことはない。ここでは青空のもと半そでで走るくらい温かいから、毎冬やってくるのだろう。

 

 孫が出かけている間は邪魔が入らないから、娘はクリスマスディナーに数時間かけた。

彼女は英国にいる間はヴィーガンで、肉・魚はもとより、卵もミルクも食べない。けれど英国以外へ行った時はヴィーガンを押し通すと食べるものが無いため、ベジタリアンとして肉だけは食べない。それでここポルトガルでは魚は大いに食べている。

この日のクリスマスディナーには私たち夫婦とパトリックのためにビーフ・ウエリントンと呼ぶ牛肉の塊をパイ皮で包んでオーブンで焼いたものと、彼女と孫には豆腐にナッツをたくさん入れて焼いたものがメインディッシュ、付け合わせにはブロッコリーとカリフラワーのクリームソース。ローストポテトは皆が大好物。

 

 

満腹してせっかく買って来たクリスマスプディングはクリスマスディには食べられず翌日食べた。

私はクリスマスプディングが大好き、昔はこんなに甘いものをどうして英国人は食べるのかしらと思っていたのに、いつの間にか私も食事に関しては英国人並みになっている。

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今年もお屋敷でのクリスマス。-その1

2020-01-04 16:44:02 | 日記19

今年もクリスマス前に娘夫婦が4歳半になった孫を連れてポルトガルへやってきた。今年は10日間も借りたお屋敷で過ごすという。

2日前からあれほど吹き荒れた嵐が収まって待ち望んだ青空になった。

 

月曜日の朝キャンパーを運転してお屋敷に行くためにはまずキャンパーを洗わなければならない。

上の写真はキャンパーの天窓に落ちてこびりついた木の実。

 

 

キャンパーのフロントウインドーもボンネットもこんな有様。

 

キャンパーの真横にあるこの木、夏にはきれいな花が咲くのだろうが、その頃にはいないから一体どんな色の花かもわからない。冬には枯れた木の葉とプロペラの付いた木の実が落ちてくる。嵐の時にはこの小さな木の実が結構大きな音を立ててキャンパーの屋根にあたった。

ここのキャンプ場にはキャンパーも洗車できる大きな洗車場があり、それも無料だから、3月の帰国前に洗車目的で2-3泊してゆく人たちも多い。

月曜日の朝はこの洗車場で大量の水を流してこすったり磨いたり、ボンネットのフロントグラスには両手で掻き出すほどごみが詰まっていた。

さてこのお屋敷ーこちらではヴィラというが、広大な地所に平屋のトイレ、バス付4ベットルームは今年で3回目、昨年はこのヴィラの持ち主が親戚、家族を招いてクリスマスパーティをしたから借りられなかった。

 

 

フロントゲートまで50メーターくらい、キャンパーも数台は停車できるくらい広い。

娘たちがやってくるのは夕方だからそれまでにショッピングして夕食の準備くらいはしておかなければいけない。それよりも今の間にキャンパーで使ったシーツやタオルなども洗濯機を回して干しておこう。キャンプ場にも洗濯機はあるが一回に5ユーロする。すべての洗濯物を洗濯機を使うと相当な出費になる。

 

 

 

このお屋敷のメインは広大なリヴィング・ダイニングルームでこの一部屋で、我が家の玄関からリヴィング・ダイニングルーム・キッチン・ガレージがすっぽり入ってしまう。

 

この廊下も奥行き20メーター以上はあり、奥にベッドルーム4部屋(どれも大きい)。

 

私たちのツインのベッドルームにはもう100年以上は経っているような巨大なウォードローブ(洋服ダンス)貧しいと言われるポルトガルでも、金持ちはすごい金持ちなのだといつもおもわせられる。

 

 

キッチンも大きくてモダーンになっているからお料理大好きの娘にはうってつけ、着いた夜の夕食も彼女が作ってくれた。

 

前庭のプールは水が冷たく手を入れるのも嫌だったが、プール大好きの孫は毎朝一番に水の温度を手を入れて調べないと気が済まず、毎朝一人で行ってはダメ !! と叫び声がしていた。

 

 

四方がタイル張りの中庭では夏の間、ここでバーベキューなどをやる。2年前にはこの屋根はテントが張られていたが今では古くなって取り外されたようだ。12月でも直射日光は20分もすると暑くてたまらないのに真夏はこんな中庭で風が入らなければ日射病になるだろう。

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ポルトガルも異常気象

2019-12-20 17:01:00 | 日記19

この月曜日から毎日強風と大雨が続いている。これこそ地球温暖化の現象に違いない。

11月まではポルトガルは水不足と言われていた。南のある町では水道水が出なくなり給水車が廻っていたという。

とうとう今朝のポルトガルのニュースでは洪水と家屋浸水、死者まで出たとのこと。神様もう水は結構です。

 

 

 

 

キャンプサイトの道路は穴の開いたコンクリのブロックを敷き詰めてあるから、タイヤが泥の中に沈むことはない。けれども連日の雨で水が地面に吸い込まれなくて水たまりがひどい。

 

 

 

この広大なキャンプサイトは1月から3月まで予約なしで泊まれないほど、大盛況。

それでサイトの後ろの広大な空き地にもう一つサイトを作るべく塀が張り巡らされてあった。

 

 

 

その塀も昨夜一晩中吹き荒れた嵐で半分以上倒れて、サイトのメインテナンスの人たちが電気自動車で4台も来て雨の中倒れた塀を片付けていた。

私たち、2011年から毎年このポルトガル南部で越冬していて、こんなに嵐が続いたことは一度もない。一晩の雨や大風などはあったけれど、大西洋に渦巻く低気圧と不連続線が何時までも居座ることはなかった。テレビの天気予報ではヨーロッパの西側がほとんど低気圧に覆われているそうだ。

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断捨離

2019-12-18 18:45:40 | 日記19

今年8月に亭主の肺癌が確実となり、医師からは1年から1年半と言われた。

それで今まで我が家に溜まったものを、少しづつでも片付けなければならないと思った。

まず最初にガレージにある陶芸の本や道具、それに陶芸の窯、20年も乗ってない自転車等をブーツセールで売ることにした。キャンパーにあらゆるものを積んで8月後半の晴天の日曜日、いつもは買いに行く農場へ売りに出かけた。

娘からも箱いっぱいのDVDを売ってくれるよう頼まれたので、これらは3本で1ポンドの張り紙を出した。自転車は私サイズだからローティーンの子供用。喜んで買ってくれた奥さんに30ポンドで売った。20数年前は300ポンドくらいしたもの。

30年も前亭主が一人コツコツお金を貯めて買ってくれたセイコーの腕時計、バッテリーを3-4年に一回づつ変えなければならず、とうとう使わないままで置いたのは10ポンドと書いたら誰も買わず、最後に5ポンドと値下げしたら、3ポンドに値切られて仕方なく売ってしまった。

20年ほど前のディナーセット10客づつのお皿からティセットまでも20ポンドで、これは直ぐ売れた。陶芸の道具は5本で1ポンドと張り紙したらどんどん売れて、ほとんどなくなったほど。

キャンパーの横に陶芸の窯を100ポンドで売ります。と張り紙して置いたら、後日これを見た人が友達に連絡して買いに来てくれた。

売れ残ったアクセサリーやDVDなどは、数日後に近くのチャリティショップに持っていき、大きな7袋を上げた。

相当片付けたつもりだが、それでも趣味の編み物用の毛糸など3バック、縫物用に買いためた布地も4箱、これらはどうしても上げられない。捨てられない。

昔から貯めていたヴィデオテープももう見ることは無くてもどうしても捨てられないオードリーヘップバーンの映画セットなど私が死ぬまでもっているだろう。

それ以外のヴィデオテープは100本以上も捨てるしかない。今ではチャリティショップも引き取ってくれない。

外側のカバーはプラスチックでリサイクルできるから全部外してリサイクルに、中身はポルトガルへ出かける1日前にゴミ捨て場へ持って行った。

レコード100枚ほど有ったうち半分を、レコードショップへ売りに行ったら、欲しいものが無いと断られ、チャリティショップへ直行。

シリーズ物のDVDはインターネットで売りだしたら2セット売れただけ、残りをレコードショップで買ってくれた。それでも今回ポルトガルへ来るにあたって、大きな袋いっぱいのDVD をポルトガルのチャリティショップに上げるために持った来た。

それでもまだいっぱいあるが来春、亭主がまだ元気ならもう一度ブーツセールに行っていろいろ売り払いたい。捨てられないものも多くて困ったものだ。

47年前の亭主のラヴレターは全部燃やして何もない。でも写真アルバムが何十冊あることか。

亭主は私のいないとき良くこのアルバムを出してみているというから、彼の生きている間は捨てられない。

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ポルトガルへ出発

2019-11-27 21:17:42 | 日記19

明後日、29日に英国南方のポーツマス(Portumouth)の港からフェリーでスペイン・サンタンデルへ向かいます。

亭主の最終注射が11月19日に終わったので、すぐフェリーを探したが、こんなシーズンオフの時期にサンタンデルへ行くフェリーは29日まで満杯とのこと。

それならフランスのカレーから南下してスペインを通ってポルトガルへと行こうと計画し、キャンプサイトを探したがフランス北部では何処も10月末で閉まって来春3-4月までは開かない。

仕方がないから29日のフェリーを予約して、その間あちこちの博物館や、美術館巡りをした。

亭主はこの夏肺がん第3期と診断され、4か所に転移が見られるという。背骨に転移した癌だけは大きくなって脊髄を圧迫すると歩けなくなるというので、5日間の放射線治療を受けた。左肺下部に5センチ大の癌はもう何年かかかって大きくなってきたものと思われる。なぜならこの数年たまにしか合わない友達に会うと、皆そろって ずいぶんやせたね。 と驚かれていた。

肺がんは転移がある場合は薬物療法しか治療方法が無いと言われたが、亭主はガンと薬物療法を拒否。

今まで大いに楽しんできたから、いつ死んでも悔いはないという。

それでもじっと死を待つのではなく、まだ痛みや咳などの自覚症状が無いうちは例年のごとくポルトガルへ避寒に行こう。毎年10月初めにはヨーロッパへ南下していたので11月の暗くて寒い英国の天気を忘れていた。

今では一刻も早く真っ青な海と空が見たい。いつもポルトガルの青空を見ては ’” できるならこの青空を1メートル四方切り抜いてロンドンへ持って帰りたいものだ。” と願っていたものだ。

2011年に初めてフェリーでポーツマスからサンタンデルへ向かった。いつも船酔いで苦しむ私は乗船するなり酔い止め薬のせいでぐっすり眠っていくことにしている。それでもビスケー湾の荒波を超えて27時間は苦しい。

もう2度とこのコースは取りたくないと言っていたけれど、今回は選択の余地がない。

今日一日キャンパーにあらゆる荷物を積み込み、明日や明後日の食事の用意も心配しなければならない。今まで6か月近くもキャンプしていた時は朝食用のポリッジ(オートミール)を17KG 持って行った。

今回は2か月短縮するから12Kg を買い込んだ。ヨーロッパの北方ではポリッジは普通に食べられるが、南へ行けば行くほど食べる人が少ないらしい。いつも買う1㎏がポルトガルでは500グラムで、値段が英国の1Kg の倍くらいはする。キャンパーならこそいろいろなものをどっさり持っていけるから、これが一番うれしい。

 

 

 

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大英博物館のトロイ展

2019-11-26 22:33:29 | 日記19

 

V & A の翌日は友達と大英博物館のトロイ展を見に行った。

実際のトロイはもう20年近く前、トルコ旅行でトロイに立ち寄った。下手な日本語の説明案内書があったが、実地よりも今回のトロイ展の方がずーと面白く、また良く分かった。

 

 

この壺はギリシャで作られたもので、トロイの勇者アキレスがアマゾネスと戦っているところ。

トロイはギリシャに滅ぼされたが、古代ストーリーテラーのホーマーの抒情詩からギリシャではトロイ戦争やイリヤッド、オデッセイなどが絵や彫刻によって表現された。

 

このバストはローマ人による盲目のホーマー。

 

 

 

ゼウスがトロイの王子パリスに3人の美女の中で一番美しい女性を選ばせた。パリスはギリシャのスパルタ王妃ヘレンを選んでトロイに連れ帰ったことから、長い戦争になった。

一説によればゼウスは人口統制のためにトロイ戦争を起こしたという。

上の絵ではヘレンとパリスの結婚式に招待されなかった不和の女神エリスが、怒って金のリンゴを投げて、3人の女性が不和になるよう呪いをかけたという。

 

ローマ時代の彫像でヘレンがメッセンジャーボーイ・ヘルメス(ローマではエロス)の手引きでパリスと会っているところ。

 

 

 

ローマ時代に造られた石棺の周りの彫像は多くギリシャ神話から採ったものが多い。この石棺ではアキレスが友人であり愛人?だったらしいペトロクラスの死を悼んでいるところ。

 

 

 

このトロイ展でのハイライトが、アキレスが彼の弱点であるところのアキレス腱に矢が刺さって苦しんでいる様子を像にしたもの。Filippo Albacini (1777年―1858年)によってつくられた1825年の作品。

純白の大理石に美男のアキレスが素晴らしい。

 

ホーマーのイリヤッドによれば、トロイ戦争でギリシャの王子ヘクターが破れ、その遺体をアキレスは12日間馬の後ろにつないで引き回したという。ギリシャのプリアム王はアキレスに膝まづき、息子ヘクターの遺骸を返還してくれるよう頼んでいる。

この銀の壺はローマ時代AD50年ごろのもので、デンマークの指導者の墓から出土された。

 

 

石棺のレリーフでトロイの木馬を表したもの。こんなに小さい木馬に何人も兵士が隠れることが出来ない。

 

 

トロイの木馬を考案したオデッセアス(Odysseus)の像。ホーマーの詩では彼が大活躍する。

 

トロイの木馬、太古からこの話は芸術家の意欲をそそり、絵や彫刻によって表される。

 

 

オディッセウスがサイレン(誘惑者)の歌声から誘惑を振り切るためにマストに我が身を縛り付け、船乗りたちには歌声が聞こえないように耳をふさいだ。ホーマーのオディッセウスの詩から。

 

 

この小さな彫像は、アキレスの母親が彼の右足をつかんでStyx河に浸けてアキレスを無敵の体に祈願したが、つかんだ右足だけが水に浸からず、右のアキレス腱だけが弱点になった。

 

プレラファエリティのエヴリン・デ・モーガンによるヘレンとカサンドラ。

ヘレンは鏡に映った自分に見入っていて後方はまだ平和なトロイ。カサンドラには焼け落ちるトロイが見えているが誰も彼女の言葉に耳を貸さない。彼女には自分がとらわれ奴隷になり死が待って居るのが見える。

 

 

アキレスの金の盾。ローマ時代から幾多の人々によってホーマーが言うアキレスの盾を作ろうと試みた。この盾は1822年John Flaxman (1755年ー1826年)のデザインで作られた、銀とブロンズに金メッキしたもので数個造られた。

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メアリー・クワント(Mary Quant) 展

2019-11-26 18:23:29 | 日記19

 

11月の末にはポルトガルへ行くフェリーを予約したので、2週間の準備期間中になるべく文化的なことに触れておきたいと行ったのが、V & A (ヴィクトリア&アルバート博物館)の特別展。

 

 

 

 

 

この日は特に寒い日だった。V & A と自然博物館の間では子供たちのためのスケートリンクが出来ていて、素敵なクリスマスツリーと,英国で一番美しい建物と私が信じている自然博物館をバックグラウンドに、家族連れが遊んでいた。

 

 

V & A の表玄関のアドバーツメントでは、メアリークワントとCarsが出ていたが、Cars の方はこの週の土曜日から一般公開するということだった。

 

私の20代の頃はメアリークワントの口紅とマニキュアセットが大流行り、この5弁の花模様を見ればメアリークワントと誰もが知っていた。今の若い人たちではこれを見ても知らないだろうか?

 

こんなスタイルの服を着ていた思い出がある。

 

 

今ではこのようなスタイルは流行らないのだろうか?

 

 

確かに上の写真を見るとオールドファッションのような気もする。

 

 

 

60年代はミニスカートの全盛時代だった。ツイギーがもてはやされていた。

 

 

 

 

上のピンクのチェックのプリーツのスカートは確かに私も着ていた思い出がある。

 

 

 

こうしてみるとあの時代の服は普段着や、ちょっとした外出着であって、誰でも作れるようなシンプルな服が多いのに気づいた。まだ日本が世界に羽ばたく少し前、戦後の第一次出生人口増加が、日本の世界進出を大きく支えた時期で、若い人たちが皆同じようなファッションをしていたのに、今更ながら驚いた。

 

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クリスマス・マーケット

2019-11-20 19:22:47 | 日記19

先週日曜日の夕方、トラファルガー広場の近くに、バレーを見に出かけた。日曜日は電車の都合があまり良くないので早めに出かけて、待ち合わせ時間より30分以上も早く着いてしまった。

 

まだ6時ごろというのにここ英国では4時過ぎると暗くなってくる。6時など外は真っ暗。このナショナルギャラリーのあたりはクリスマス・マーケットが開かれていて明りもこうこう、すごい人だかり。

ヨーロッパの各地でクリスマス前にはこんな夜店が立つ。数年前ドイツのクリスマス・マーケットでテロリストのトラックがこんな夜店に突っ込んで、たくさんの人の命を奪ったことがあった。

このトラファルガー広場の周りは直径80センチくらいのコンクリの円筒がマーケットの周りに置いてあって、トラックが通れなくなっている。

とにかくこのようなクリスマスマーケットは英国に住んで47年、初めて見た。

 

トラファルガー広場の真ん中の噴水にも照明が当たってきれいだが、今回は携帯しかもっていなかったので写真はあまり良くない。

 

各お店はとってもカラフルで見て歩くだけでも楽しい。この店はロンドンの土産物屋さん。

 

 

このようなろうそくか電気で飾りを見せる陶器の店が3軒もあった。どれもとっても素敵だけれど、後期高齢者の私にはこれを買ってどうする?と思うととっても飾り物を買う気にはなれない。

 

 

手織りのウールのスカーフは今の時期には重宝する。それでもスカーフもいったいどれほどタンスに眠っていることやら。

 

 

これらはクリスマスツリーに下げるデコレーション。子供が小さい時はクリスマスツリーを飾るのが年中行事。親子で楽しんだものだけれど、こんな無駄は一切しなくなってしまった。

 

 

きれいなネックレスや、本革の手作りハンドバックなど見れば欲しくなるけれど、バックもどれだけあることか?

 

 

 

あの手この手で買い手の購買欲をそそる商品が多い。とってもきれいなものだけれど、年寄りには飾り物はますます縁遠くなってきている。

 

 

終わり近くのお店ではトルコの陶器がたくさん出回っていた。今から20年も前にトルコへ5回も旅行に行って、いろいろカラフルなお皿やつぼを買って持ってきた。

今ではそれらを見ても思い出しもしなくなってしまった。これらの陶器は低温で焼いたもので英語ではアーゼンウェアーと呼ばれる。色彩は素晴らしく、アラブの模様が新鮮だが、実際に使ってみるとすぐに欠けてしまうのが難。

カーブーツセールに行くと必ずこのような陶器が何枚か売りに出されていて、土産物は結局使い物にならないのがわかる。

 

これは木製品のクリスマスデコレーション。

こんな土産店ばかりでなく、食べ物のお店も何件か会って若者たちが群がっていた。

クリスマスが楽しいのは子供たちが小さい時だけ、大人になって家族が分散してくると楽しみは年ごとに減ってくる。

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庭木の剪定

2019-10-31 17:53:44 | 日記19

裏庭のイチジクの木があまりに大きくなりすぎた。今春亭主に枝卸をしてもらったが、途中で滑って後ろ向けに倒れた拍子に、電気のこぎりを両足に落として出血多量のけがをした。

それでこの秋は専門の庭師に来てもらって前後の庭を剪定してもらうことにした。この庭師はもう10年ほど前、近くの通りを歩いているときに見かけた人で、しっかり身の安全をしたうえで高い木に上り周囲に気を配りながら小出しに切っていく。それに通りに助手を配して、通行人の安全も確認していたので、これぞプロフェッショナルと確信して、以来毎年来てもらっている。

 

 

庭の4分の一を占めるほど大きくなったイチジク、枝を全部はらってもらった。

 

 

 

 

これで来春は太い幹から小枝がたくさん出てくるだろうが、来年のイチジクの実はならない。

 キッチンの窓に近い梨の木はもう古くて10年前くらいまではたくさんの収穫があった。

 

 

この庭師に診てもらったところ、古くなった果物の木は剪定しても実は余りならないと言う。

 

それでも全部切ってもらうのはかわいそうで、枝を掃うだけにしてもらった。

 

こんな哀れな姿になってしまったので来春は新しい枝が出るのだろうか?心配。

 

 

 

 

前庭の垣根は普通1年に2回切らないと伸びて大変なのだけれど、この日を待って居たので手入れしないで伸び放題。

 

 

 

 

さすがはプロの庭師、前後の木を伐り剪定し、二人で6時間働いて見違えるほどになった。

前庭の芝生に積み上げた切り取った枝葉は、翌日裁断機を持ってきてあっという間に片づけて行ってしまった。

裏庭が見違えるほどに広くなって、温室に日光が入るようになった。

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