Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2008年 アイスランドの旅 (1) フェロー諸島

2010-06-30 06:38:52 | アイスランドの旅 2008年



英国からアイスランドへ行くフェリーが在るかどうかを、インターネットを駆使して調べた結果、スコットランドの北端スクラブスターから出ることを突き止め、予約しようにもインターネットでは不可能、とうとうアイスランドまで電話をかけたところロンドンのオフィスを紹介されました。
フェリーはデンマーク国籍で、6月半ばから8月半ばの2ヶ月間だけ(アイスランドの夏のみ)航行しているのです。

毎週水曜日の朝6時スクラブスターを出て同じ水曜日の夕方にはスコットランドとアイスランドの中間にあるフェロー諸島の首都・トゥショーヴンに着きます。フェロー諸島という名前もこの旅を計画するまで知らなかったのですが、当地の観光案内によれば今年の"ナショナル・ジオグラフィック "の雑誌で今一番行きたい島の一位に選ばれたとのことでした。

往復のフェリー料金も、素晴らしいキャビン(写真1)を入れて1350ポンド(27万円)アイスランドまで30時間の旅です。水曜日の朝は港には出発の2時間前に着くようにとのことでした。夜中の3時に起きると隣に居たドイツのキャンパーはもう出かけていませんでした。まるで皆が競争で狭い港に2列に並びフェリーが到着するのを待っていました。


 

 

早朝6時過ぎに出発したフェリーでは酔い止めの薬を飲んでほとんど一日中寝ていたので、夕方トーショーヴンに着くまでデッキに行くこともなく、フェリーが港に入って初めて外にでてみたのです。巨大なフェリーの上からはトーショーヴン(写真2)のほとんどが見渡せました。アイスランドの帰りにはこの島で3泊しなければなりません。
フェリーはここでも多くのキャンパーや自家用車を乗せ (彼らはヨーロッパからの旅行者でもうすでにこの諸島で3泊している) 夕方9時半に出航しアイスランドへ向かいました。
船室に戻ると直ぐアナウンスがあり"今からしばらくフェロー諸島のフィヨルドの間を通ってゆくので、景色をお楽しみください" とのこと。船酔い気味など忘れて夕日が沈んだ11時過ぎまで写真をとりまくって居ました。


 

 

 

 



 

 

 



 

 




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アイスランドの旅 2 セイデスフョルド(Seydisfjordur)

2010-06-27 20:11:46 | アイスランドの旅 2008年




朝9時過ぎ船室の窓からはるかに連なる雪山が見えてきました。フェリーはアイスランドの東海岸セイデス・フィヨルドの最奥の港セイデスフィヨルドンにむかいます。強風は冷たく、にわか雨が降ったりやんだり、気温は0度ぐらいでしょう。船客はほとんどがデッキに出て写真を撮っています。
皆冬装束で、キャンパーの中にアノラックを置いてきた私たち二人、寒さに震えながらデッキと船内を行ったり来たりしていました。


  

 




フィヨルドの奥に進むに従い両側の険しい山が迫ってきて、雪山から流れ落ちる滝や、水際にポツンと建っている小さな家や野原を一面に青く染める野の花が見えてきました。隣で双眼鏡を覗いていたドイツ人の女性にあの花は何の花だろうかと聞きますと、見てごらんと双眼鏡を貸してくれましたがやはり遠くて何だかわかりません。

  

 

 

  

 

 


 

 




フェリーはお昼の12時にセイデスフィヨルドンの港に碇を下ろしました。そしてあの青い花は野生のルピナス(登り藤)だと判りました。周囲の山がパッチワークのように青く彩られているのです。


 

 

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アイスランドの旅 3 デティフォス(Dettifoss)

2010-06-26 22:07:25 | アイスランドの旅 2008年




フェリーから先頭に降り立った私たちは,税関で乳製品を持っていないかと聞かれ、イギリスのチェダーチーズ2パックと卵1ダースを取り上げられました。今でも税関職員は1週間に1度のフェリーで取り上げた食料で楽しんでいるのかも知れないとひそかに思っています。

ロンドンでフェリーの予約をしたときはアイスランドにどれほど見所が在るか判らず、1週間で帰国予定にしていたのですが、フィヨルドの景色で大感激、それにフェリーの中で1週間ではアイスランド一周は無理と言われ、税関から解放されると同時に、港のフェリー会社に駆け込んで2週間に変更してもらいました。

 




人口730人のセイデスフィヨルドンの町には銀行もガソリンスタンドも1軒づつあり、キャシュマシーンでお金を下ろし、燃料も満杯にし(他のキャンパーも同じで行列を作っていました)午後2時過ぎに町を出発しました。町を出ると同時に急な登り坂で、途中にグフフォス(写真2)の滝が、又振り返ってみた町は小さく(写真1)、フィヨルドの最奥の感じが良く判ります。
高さ7-800メータの山頂に出ますとあたりは雪景色(写真3)遠くの山並みは真っ白です。一山越えて約20Kmでエイギルスタディル(Egilsstadir)の町(写真5)が眼下に広がりました。人口4600のこの町は長い橋のかかる河で分断された気候穏やかな町で、ここからアイスランドを丸く一周しているN1の国道にのります。

 

 




N1の環状道路で110Km 程過ぎた地点で右手にデティフォスのサインを見つけた私たちは、今まで素晴らしい景色を見、舗装された道路を走っていたので,勢いついてこの地方最大の滝を見に行くことにしました。
片道27Kmすぐそこと思って行ったのが、1Km 位で舗装道路がなくなり、まるで洗濯板の上を走っているみたいです。4輪駆動や自家用車は早く走れる(写真6)のですが、家具やあらゆる生活用品を積んでいるキャンパーは全体が激しく揺れ、とっても早く走るのが無理です。27Km を1時間5分かけやっとの思いでたどり着いたデティフォスの駐車場にはキャンパー数台と観光バスが2台止まっていました。

 

 

 

 



 




火山岩の荒れた山肌に時々鮮やかな芝桜の花が咲いています(写真11)。この花は直径10-20センチの丸く盛り上がったこけ様で荒れ果てた野原や岩の間にへばりついて色鮮やかに咲き誇っていました。
デティフォス(写真9,10)は苦労して行った甲斐ありのすごい迫力、高さ44メートル毎秒212トンの水が流れ落ちています。

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アイスランドの旅 4 ミーヴァートン湖付近(Myvatn)

2010-06-26 10:20:05 | アイスランドの旅 2008年




さてデティフォスからの27Km を苦痛を感じるスローさで、やっとN1の環状線にたどり着いた私たちは、35Km 先のキャンプサイトを目指しました。
途中の道では周囲の山が異様な黄色さで山麓は火山地帯、山の向うは地熱発電所がと "あー"と”おー"の連続、それでも停まらず明日は必ずと心に決めてキャンプサイトに向かったのです。

キャンプサイトはミーヴァートン湖畔でキャンパーのための平地は少なくほとんどがテントのための草地でした。草地の2-3箇所にお皿を洗うためのシンクがあり温泉から引いたお湯は硫黄のにおいがします。男女共同のトイレ、シャワーは暖房が良く利いて気持ち良く、シャワーはやはり硫黄の匂いがきついお湯が滝のように出る素晴らしいものでした。テントで電気の使えない若者たちは洗面所の電源でカメラのバッテリーを充電したり、ラップトップに写真を移したりしていました。またテントの人たちのためにキッチンが完備されていました。

 

 



アイスランドは北極圏より南に位置し真夜中の太陽は見られませんが、6月末のこの夜は夜中12時過ぎでも白夜でした。
ミーヴァートンとは”ぶよの湖”と訳される名前で夏はぶよで大変らしいのですが、暦では夏といってもこの寒さ、虫も出てこれなかったものと見え何処でも一度も見かけませんでした。


 

 




アイスランドで気がついたのは、どのような観光地でも監視人も居なければ入場料や駐車場料金などを払うこともなかったことです。
キャンプサイトのあるレイキャヒルス(写真3)は人口200人の村ですが、それでも大きな観光案内所があります。この付近はアイスランドでも有名な観光地帯なのです。
翌朝昨日来た道を引き返し、地熱発電所(写真4,5)が真下に見える展望台に行きました。ここからはミーヴァートン湖(写真6)も見渡せます。

 

 


昨日見た道路際のナマヒャル(Namafjall)は日本で言う地獄地帯、熱湯が湧き出ていたり、泥がぶつぶつ膨らんで割れたり、水蒸気が吹き上がっていたり、そしてここにも監視人は誰も居なくて観光客は自分の責任で自分の安全を確保するだけです。それでもこの朝買ったアイスランドの観光書によれば年間事故が多発していると書かれていました。
この日は私たちにとってアイスランドでは一番の寒さで、道路上に時々設置してある時間と温度の掲示板ではマイナス4度からプラス4度までを記録しました。歩き回っている観光客は防寒服に身を固めていますね。私たちもアノラックの下にコート2枚、ズボンも2枚はいてそれでも強風に身を縮めていました。
この地域では100年もの昔から硫黄が採集され海外に輸出されているとのことです。

 

 



 

 


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アイスランドの旅 5 ミーヴァートン湖付近 その2

2010-06-26 04:43:43 | アイスランドの旅 2008年

 



ナマヒャルの地獄から北方にクラフラ(Krafla)へ行くローカル道路があります。あのデティフォスへ行くような未舗装道路ならすぐ引き返そうと思いながらキャンパーを進めました。途中の道路わきは荒々しい火山岩がそそり立っていて、もし道に間違ってこんな中に迷い込んだら絶対に通り向けられないだろうと思われました。


 

 



すぐクラフラの地熱発電所が見えてきて、山の中腹の見晴台からは発電所の全景(写真1)が見渡せます。この発電所は1974年に操業開始しましたが1975年から1984年まで 2Km先のレイルニュクル(Leirhnjukur)の広大な地域が火山活動を初めその存在が危ぶまれたのです。
1986年に国営から私営に替わり現在に至っています。

この見晴台から数百メータ北に行ったところにビティ(Viti)という名の火口(写真2)があります。ビティとは地獄と訳されますがこの直径300メータの火口湖は常温30度を保ち夏には観光客が泳ぎに来ています。(泳いでいる絵葉書が販売されています。)この火口湖から見る周囲は全く地獄の様相を示していて、遠くに見えるレイルニュクルの火山には観光客が歩き回っているのが見えます。

 

 

インフォメーションもないまま駐車場に行って見ますと観光バスやキャンパーや自家用車がたくさん停まっていて、人々はこの荒々しい活火山のあたりを歩き回っています。歩道は整備され指定の歩道から踏み外さないようにとの注意書きが在るだけ、時々にわか雨と強風の中、まだ煙の出ている火山地帯を歩き岡の頂上 (写真6)まで1時間以上も見て廻りました。写真8の焼け爛れた平野は1977年の観光絵葉書であたり一面が真っ赤な火の海なのです。

 




24年前かまたは昔の火山活動で出来た火山岩が冷えてその上にコケ類が生え、その間にこのようなかわいい草花が寒さにめげず咲いていました。


 

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アイスランドの旅 6 ミーヴァートン湖付近 その3

2010-06-25 19:26:15 | アイスランドの旅 2008年

 

 



ミーヴァートン湖畔のキャンプサイト・ビャルグ(Bjarg)を出発して2-3Km のところで、道端に観光名所のマークを見つけ行ってみることにしました。
写真1-2は ディムヴォルギル(Dimmuborgir)と呼ばれる過去の火山の跡地で、広大な平野一面に奇石奇岩がいっぱいで、自然が作った芸術作品を1時間以上も歩き回って楽しみました。
この岩山にはアイスランドの国鳥である世界一大型の隼(はやぶさ)のつがいが数組住んでいるそうで、写真3は遠くの岩の上に停まっている一羽を見つけ望遠で写したものです。



 

 




このディムヴォルギルの近くにクヴェフェル(Hverfell)(写真4)が優美な姿を見せています。ここは高さ312M、火口の直径が1300Mの休火山で火山灰が盛り上がったような(写真5)もろい山肌ですが、写真6の様に観光客が後を絶ちません。
火口の中(写真7)はどうなっているのだろうと大いに期待して行きましたが、なあんだと言う気持ちと同時にあの火口の中に降りてゆく勇気はないと思いました。ここでは落書の替わりに、石を集めてイニシャルやハートマークが真ん中の火山灰の上に描かれています。
写真8でこのあたり一面が過去の火山地帯だったことが良く判ります。

 

 




ミーヴァートン湖畔から50Km ほど西に行ったN1の道端に氷河からの水を集めて流れ落ちるゴダフォス(Godafoss)が見えてきます。滝の高さが余りないので遠くから見ると大して衝撃は受けませんが、近づいて見ると水量の豊かさそれに水のきれいさには驚かされます。


ゴダフォスとは神が落ちた滝と言う意味だそうです。紀元1000年にアイスランドがキリスト教に改宗した最、それまでの土俗信仰の神の像を滝に投げ落としたと言い伝えられています。

 

 





 

 

 

 

 

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アイスランドの旅 7 アークレイリ(Akureyri)からオクシュナダルー(Oxnadalur)

2010-06-24 19:50:30 | アイスランドの旅 2008年

 

アイスランドの北部中心地のアークレイリは人口16,650人のアイスランド第四の都市です。フィヨルドの奥に面したこの町には東から来ると、フィヨルドの沿岸を走り(写真1)フィヨルドを横切る橋を渡ってすぐ町の中心地へたどり着きます。

キャンプサイトがセンターに位置して居たので落ち着くとすぐ歩いて町の探索に行きました。大変モダーンな教会(写真2)があり、お土産店だけが数軒開いていてこの日が日曜日の夕方だと気がつきました(写真3)。

 




冷たいにわか雨が何度もやってくるので、入ったお土産店で亭主にアイスランドの純毛のカーディガンを買いました。寒い国の羊毛は毛足が長く毛も雨をはじく為タフで直接皮膚に触れるとシカシカして気持ちの良いものではありません。アイスランド特有の手編みのセーターも、何処へ行っても売っていますが、手触りが固くやっぱり買うには躊躇してしまいます。カーディガンは直接肌に触れることがないので、寒さに震える亭主にはぴったりでした。


 



 

  


この夜は一晩中雨が降り続き、翌朝も雲が低く小雨が降って居ましたが、先へ進むことにしました。郊外に出たときから前方の雲にかすんだ山が見えてきました。同型の山並みで晴天ならどんなに面白いでしょう。
道の両側の高い山は雪を抱き素晴らしい景色です。道の両側の山が迫ってきて雪がだんだん山下へ降りてき、とうとう道まで雪が積もっていました。このあたりはオクシュナダルー(Oxnadalur)と呼ばれる狭い谷間で35Kmの山間の道なのです。雪は昨夜降ったらしく途中で除雪車が出動していました。


 

 

 

道端には雪の中を羊の群れが餌を求めてゆっくり動いていました。


 

 

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アイスランドの旅 8 ブロンデュオスとヴァーマランド

2010-06-23 20:53:59 | アイスランドの旅 2008年



オクシュナーダルーの雪山を過ぎた後は、西南に向かってゆくに従い気温も上がってきました。時々にわか雨の後には太陽が顔を出したりして気持ちも明るくなります。道は川沿いの平野を行き, 通り過ぎる小さな村に小さなかわいい教会が有ったりします。
アークレイリから150Km 程行ったところでブランダ河で二分されたブロンデュオスの町に着きました。この町は人口850人、町の入り口に超モダーンな教会が建っています。教会の周囲の写真を撮りながらこっそり教会の中へ入ってみました。


 


教会の正面に飾ってある絵(写真4)をひと目見てすぐ "此れはムンクではないか "と思い教会の片隅に静かに座っていたおじいさん(牧師ではないような気がする)に聞いたところ唯一言" Yes" それで "写真を写しても良いでしょうか" ”Yes” と顔もあげないで、まるで大きな声を出してはいけないとでも云うようにそっと答えました。
どうしてこの絵がこんな片田舎の教会にあるのかが不思議でしたが、おじいさんにそれを聞いて答えてくれる雰囲気はなく、そそくさと教会を飛び出しました。

 

 

南西に下りてゆくに従い平野が広がり、火山岩で作られた岩山がそびえ立っていました。
キャンプサイトのヴァーマランドは温泉地帯、公共のプールの横にあるサイトはプールの受付で料金を支払い、管理人はいません。シャワーもプールの男女別のシャワー室を利用するのです。ここのシャワーも硫黄くさい温泉の湯が滝のように落ち、温泉に浸かったくらいにいい気持ちになりました。
このヴァーマランドからほど近いところに、アイスランドでも一番活動的な温泉(写真9)があるというので行ってみました。遠くから湯気が激しく上がっているのが見え、何箇所からも100度の熱湯が吹き出ています。

 

 


  

温泉の周囲には熱湯を利用した温室が立ち並び、温室で採れたトマトが無人の店で売られていました。太陽光線で熟れたトマトでないのでその実の酸っぱい事、野菜の採れないこの国はそれなりに苦労しているのですね。
この熱湯は太いパイプで近隣の町へ送られているとのことですが、大量の湯で流れ落ちる川からも湯気が上がっていました。

 

 

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アイスランドの旅 9 レイキャヴィーク

2010-06-21 23:04:51 | アイスランドの旅 2008年



アイスランドの首都レイキャヴィークは西のフィヨルドに面する港町で、アイスランドの全人口約31万3千人のうち、約20万人が周辺の町村も含めてこの地域に住んでいます。
北から南下してくると気温が上がってくるのが感じられます。周囲の山や農場などもほとんど雪は見られず、いたるところに馬が放牧されています。
N1をたどってくるとアイスランドで初めて造られた6Kmの海底トンネル(有料)を通り(写真3)ます。このトンネルのおかげで首都への道が47Kmも短縮されたそうです。 途中で休憩した海岸からレイキャヴィークの町が望めました。
レイキャヴィークの町外れは何処もルピナスの花で青く染まっています。





 



レイキャヴィークには街中と郊外に2箇所のキャンプサイトがあります。街中のサイトを探していったところ、電気をつなぐ場所は満員でこの日一晩だけメインの電気なしで停まることにしました。キャンパーにメインの電気がひけないと、コンピューターやカメラのバッテリーが充電できません。
夜、受け付けの差込を使って充電しました。
午後はバスで町の中心地へ観光に行きました。中心地は地図を片手に歩きまわり、子供たちがスケートボードをしていた広場の床が暖かく暖房されているのがわかりました。町で一番高い教会への道は、ちょうど道路や各家の暖房を更新するための工事中で温泉からの熱湯が道路下を流れて冬も道路に雪が積もらないようにしてあるのです。
各家に送られる暖房装置にはメーターが取り付けられているのを確認し、この素晴らしい設備は決して無料でないことを知りました。


 



アイスランドで一番大きなモダーンな教会は外側を工事中でした。中はステンドグラスもきれいで、大きなパイプオルガンが備え付けられていましたが北欧のモダーンな教会と大して変わったところはありません。
町の建物の壁にタイルでバイキングの絵が描かれていました。大きな絵でアイスランド人のデザインでドイツで製作されたものだそうです。
又街角の大きな壁一面の子供たちの顔は面白い趣向だと思いました。繁華街は小さくて、気温は15度にも上がりましたが冷たい風が強く、首都の観光も半日では大して見られなかったのですが、翌朝レイキャヴィークを後にしました。




 

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アイスランドの旅 10 レイキャネス半島 (Reykjanes)

2010-06-20 20:32:18 | アイスランドの旅 2008年



レイキャビークから南西に突き出た半島には、首都への国際空港ケプラヴィークとレイキャネスの有名なブルーラグーンがあります。

私たちはレイキャビークのキャンプサイトを後にすると一路ブルーラグーンを目指しました。国際空港や有名観光地があるため道路は環状路N1を外れても非常によく整っており、周囲の荒れ果てた火山岩の平野に直線道路が延びています。



ブルーラグーン(写真2)は、すぐ近くで地熱発電に使用された後の熱湯を流し込んで作られた温泉プールですが、写真1で見られるように、ラグーンの周囲に広々と流し込んだ湯の冷却水と熱湯を混ぜたものがラグーンの一部から流れ込んでいます。その温度が39-40度くらい(中心部のみ)で温泉好きの日本人にはややぬるめ、おまけにこの地は海に近く、一年中風が強くて寒くがっかりしました。
水着を着て入りますが、観光バス等で行くと時間制限があって体が温まる前に出ないといけないので、全く欲求不満になることでしょう。この日も観光バスが5台駐車していて中国やヨーロッパの観光客がたくさん入浴していました。入場料も二人で22ポンド50ペンス位(4500円)単に入浴のためには高いと思います。
私たちには時間制限がありませんから、1時間半ほどもゆっくり浸かりおまけにサウナにも入って温まったので、この日の寒風にもめげず夜まで気持ちよく過ごせました。




唯このラグーンに併設した美容マッサージやヘルスセンター等が、お金持ちの観光客にとっての楽しみなのかも知れません。このラグーンの玄関や建物の中に使われていた火山岩を使った壁(写真3)には、なるほど素晴らしい利用方法だと感心しました。





このレイキャネス半島は今も地下火山活動が激しく、いたるところに水蒸気が上がり、地熱利用の工場が見られます。又海鳥が多く海岸線では英国では見られない鳥を見かけました。

又レイキャネスではストーレ・サンドヴィーク(写真6)がアメリカ大陸とヨーロッパ大陸との接触地点なのだそうです。地球の亀裂が北から南に走っていて地表に現れた割れ目がこの土地だそうで、割れ目にかかる橋に説明書きがかかっていました。観光バスは一台も見られず、道端の観光案内も目立たず簡単に見落としてしまいそうな表示でした。
このあたり一面も火山活動が激しかったようで、写真7で見られるように一度醒めた溶岩が又地下からのガスの噴出で盛り上がった様子が良く判ります。





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アイスランドの旅 11 シェルトゥン(Seltun)

2010-06-19 23:15:11 | アイスランドの旅 2008年




ブルーラグーンの一番近くの町グリンダヴィーク(Grindavik)のキャンプサイトは小さいながらもトイレ、シャワー、キッチンそれに配電設備もありますがサイトには管理人がいませんでした。
キャンパーが2台とテントが数個張られていて、キャンプ料金はどうするのかと聞くとそのうちに誰かが集金に来るでしょうとのことでした。
でも翌日9時過ぎまで待っても誰も現れず、結局このサイトは只で泊ったのです。物価の高いこの国で安かったのはキャンプサイトと純毛の毛糸だけでした。


 

グリンダヴィークから海岸沿いに東に行くとシェルトゥンの温泉地帯に着くとのインフォメーションで、キャンパーを走らせると数キロ行ったとたん写真1の悪路です。道端は火山岩にコケが生えたり、むき出しの荒々しい岩山であちこちで羊が草?を食んでいるほかには何も見当たりません。
シェルトゥンまで23Km の悪路をやっとの思いでたどりついて、泥地獄や澄んだ熱湯が吹き出ている温泉地獄を楽しみました。



 




この観光地にも管理人は一人も居ず、泥地獄の一角に人の足跡があるのを見つけて、何処にも馬鹿な人がいるものだとあきれました。
シェルトゥンの周囲1Kmの道路は舗装されていてそこから道は3方にはしっています。
海岸に沿って東に42Km行けばレイキャヴィーックからのN1に合流する近道と思い、5Km 位行ったところで例の悪路にぶつかり、又引き返してレイキャヴィーックへ行く国道42号線を行くとやっぱり真っ黒の火山灰で固められたがたがた道(写真8)でした。

 



もうやけくそで車を走らせ、空港と首都を結ぶ幹線道路にたどり着いたときは、どんなに嬉しかったことでしょう。
只この地域は草木の生えない火山地帯とは言え、雄大なすばらしい景色だったことがせめてもの慰めでした。


 

 

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アイスランドの旅 12 グトルフォス(Gullfoss)-黄金の滝

2010-06-18 23:38:35 | アイスランドの旅 2008年




レイキャヴィークから環状道路N1で80Km南東のキャンプサイトで一泊した翌朝、サイトから近いウレダフォス(写真1)へ寄ってみました。
滝というには恥ずかしいほどの落差でしたが、この河はアイスランドでは最長の230Kmでこの国の真ん中に位置するホフス氷河から流れています。
このあたりはアイスランドでももっとも気候穏やかな農耕地帯、といっても穀物・野菜の実る気候ではありませんから何処もかしこも牧草地の平野です。写真2の遠くの山並みは太古の外輪山らしく真平らでした。
内陸に向かって多くの観光地が散在し、レイキャヴィークから日帰りの観光バスが走り回っているので、道路は中々快適でした。


 

 




道端に観光案内のサインを見つけて立ち寄ったのが写真4のファキシの滝です。ここの水は素晴らしくきれいで、滝の横に鮭が登れるようサーモンラダー(鮭の梯子)と呼ばれる設備がありました。此れが設置された後はこの河の上流で鮭釣りが可能になったとのことです。
観光バスはこのようなチャチな滝には見向きもせず、グトルフォス(黄金の滝)をめざします。(写真5、6、7)


 

 




ゲトルフォスは落差が2段になった幅広い滝で、この滝と近くのゲイシールと呼ばれる間欠泉がこの地の観光目玉商品とあって観光バスや自家用車、レンタカーなどで駐車場はいっぱいでした。
ここも風が強く滝からの水しぶきでカメラが心配、一応水際まで行って写真の撮り合い、余りの寒さに震え上がり急いでキャンパーに帰ってきました。

この駐車場でお昼にしようと、フライパンを暖めやかんでお湯を沸かしているときに、4人の日本人が通りかかり、思わず手を振ったのです。向うも嬉しそうに手を振って彼らの車に向かいましたが、その中のおじいさんらしい人がキャンパーのドアの方に廻ってきて話しかけました。
彼は私たちがここでサンドイッチを作って売っていると思ったらしく聞いてましたが、キャンパーでアイスランドを一周していると知って、”ホーいいですね。私たちは横浜から45日間のクルーズです”と言いました。”アイスランドは何日廻りますか”と聞くと”一日だけ、今夜発ちます。とのこと、その間1分彼はさよならも言わず待ってた車に乗った途端に出発してしまいました。
たったの一日でアイスランドをどれだけ見られるのかしらと気の毒になりました。彼らには一分も惜しかったのでしょうね。


 

 



滝を見下ろす崖の上からは遠くにラング氷河(写真9)が白く横たわっているのが見えます。また近くの山並みはルピナスの花で青紫色に染まっていました。


 

 

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アイスランドの旅 13 ゲイシール(Geysir) と ケリオ(Kerio)

2010-06-17 00:06:21 | アイスランドの旅 2008年

 



黄金の滝から5ー6Km南に世界でも有名なゲイシールの間欠泉があります。ここも管理人はいなくて、もちろん無料、観光客であふれていました。
広範な周囲の岩からお湯が湧き出ていたり水蒸気が上がったりしていますが、メインの間欠泉は穴の開いた平らな岩の回りに綱を廻しただけの安全圏をぐるっと観光客がとりまいてカメラを構えています。写真1-4の間欠泉は5分間隔で10メートルくらいに吹き上がります。


 



このゲイシールで有名だった間欠泉は写真5の大きなものですが、今世紀の初め頃に心無い観光客が岩を投げ入れた為半分窒息状態でほとんど噴出せず数年に一度くらいだそうです。 吹き上がると60メーターになるとのことで、さぞやすごい眺めだろうと残念でした。
ゲイシールのインフォメーションセンターにはお土産店やレストラン、それにリサーチと教育センターも設置されています。このセンターの外側にはもろい火山岩で出来たレンガが積み上げられていました(写真6)。中々面白い試みだと思います。



 

 

 

ゲイシールから同じ道路ナンバー35の南60Km にケリオの火口湖があります。まだ朝9時前なのに駐車場はほとんど満杯、観光客でいっぱいでした。この火口湖は約3000年前にこの地域の多くが噴火し出来た丘のひとつで、水深55メーター、青空を映して大変きれいな湖です。
火口の周囲の丘を一回りしても大して時間もかからず観光バスはひっきりなしに離着していました。


 



ここの絵葉書によりますと、夏には(多分8月)この湖にいかだを浮かべてプラットフォームにし、ポップコンサートが開かれるとのことでした。
観客は湖の傾斜の激しい崖に座って楽しむのですが、全く自然のアンプシアターになって音響効果が素晴らしいとのこと、なーるほどと唸る思いでした。


 

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アイスランドの旅 14 ロードナンバー32

2010-06-16 02:03:40 | アイスランドの旅 2008年




今までの滝や間欠泉、火口湖のある地域はリジョン3(ホフス氷河から流れるショーサ河の西)と呼ばれ、観光地も多くて立ち去りがたく、落差122メートルの滝ヘアーホスがロードナンバー32にあるというので一日キャンパーで走り回ったのです。




ケリオから一面緑の牧草地帯を走っているうちに、真っ白のかなり大きな教会が見えてきてキャンパーがたくさん停まっていました。スコルホルト大聖堂は11世紀からの歴史を持つ教会ですが、現在の建築物は新しく、教会の横に古い教会の基礎石が保存されていました。
教会の中では男性二人がチェロの練習をしていて中々いい雰囲気、彼らの邪魔にならないよう誰もが音を立てないようそろそろ動き回っていました。
ロードナンバー32はショーサ河にそって北上し景色も素晴らしく、右手の遠方に純白のヘクラ山、左手はアイスランドのグランドキャニョンがと、またもや感嘆詞の世界が展開していました。


 



この道路がロードナンバー26と交わる最終地点までの60Kmを北上しましたが、ヘアーホスは見つかりません。昼食を食べようと道路際の広場でキャンパーを止め、近くに停まったアイスランド人の家族連れに聞きましたら、歩いて2時間かかるか、近道は4輪駆動の車以外は行けないとのことであきらめました。

 



 



この広場でクッキングをしていると遠方から数十頭の馬が駆けてきました。先頭に騎馬女性が一人、列の最後に男性が二人騎馬姿で、道草しようとする馬を追いかけていました。どの馬も素晴らしくきれいで、たてがみが特に長く目が隠れています。多分この地に多い小さくすばやい蝿から目を守るためだと思われます。蝿を避けるためにはキャンパーの窓もドアも開けられませんでした。
途中から九十九折の山を登って行くと、眼下に見えた草葺の建物には帰りに立ち寄ってみました。この地域は12世紀に右手の雪山ヘクラが噴火して火山灰に埋もれたものを再現した百姓屋と教会でした。

 




ロードナンバー26は私たちが向かうリジョン2(ショーサ河の東)へ行ける近道なのですが川を挟んで平行に走っている道路からは車が通るたびにすごい土埃が舞い上がっていて、環状道路N1にたどり着くまでの62Kmもがたがたゆられてはたまったものではないと、あきらめてもと来た道を引き返したのです。
この夜のキャンプサイトはリジョン2のスコガフォス(60メータの滝)の畔を予定し、メイン環状道路N1を東に向かいました。



 

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アイスランドの旅14の2 Eyjafjalla 氷河

2010-06-15 03:49:16 | アイスランドの旅 2008年

 

メインの環状道路1から60Km西に行ったところにあるのが、今全世界を騒がせているEyjafjalla 氷河と火山です。この山は標高1666Mで100平方KMの氷河に覆われ過去には1612年と1821-22年の二回噴火してそれ以降200年近くも休火山だったところです。


 

 



2008年の6月ここを通ったときには雄大な景色に、牛が草を食むのどかな草地が広がり、メイン道路からは氷河も見えません。

 

 



 



セルヤランド滝(Seljalands)はこの氷河に源を発し、遠くメイン道路からもしっかり目に付くきれいな滝です。今回2010年4月の噴火で氷河はとけテレビで見るとあのきれいな滝は真っ黒の水が流れています。
急激な解氷で農地は大洪水、たった一本の道路は寸断されているそうです。


 

 



セルヤランド滝の滝壷の後ろの崖に細道があり水しぶきにぬれながら一周できます。この時は初めから水中カメラケースを取り付けてブルーのレインコートを着込んで一回りしました。写真10の私が見えますか?


 

 

 

以前見たナショナル・ジオグラフィックのテレビ放送では、18世紀にアイスランドの火山の大噴火で噴出したガスが北半球を覆い、太陽光線を通さなかったため大変な冷害を起こしたという。英国、アイルランドのみならずその影響は遠く日本にも及んだとのことで、調べてみると江戸時代に1700年代3回の飢饉が発生している。ヨーロッパからアジアまで飢餓で亡くなった人たちは何百万人にも上ったという。

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