Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

イタリア1週間のホリディー 帰国

2024-07-27 05:16:04 | 日記

水曜日はイギリスに帰る日、朝7時半にはフラットを出ると言われていたが、朝4時くらいから眠れず、起きて荷物を全部バッグに詰めて、1個だけ残っていた黄色の瓜を切って袋詰にし、飛行場で食べるようにしたが、パトリックが起きてすぐ朝食代わりにつまみ、私も一緒に食べてしまった。

7時には準備整い、マーブルの階段を降りると、隣の奥さんが待っていて私に怪我させたことを気に病んで色々話す。でもイタリア語はぜんぜんだめ。笑ってサヨナラを言ってきた。

7時ちょうどの気温は27度、車を走らせ10分後には30度になっていた。今日の出発空港はバリ(Bari Air port) フラットから高速道路を走って2時間、道路の両脇は赤、ピンク、白の夾竹桃が小山のようになって咲いている。それがほとんど切れ目なく空港近くまで咲き誇っていた。

バリ飛行場は本当に田舎の飛行場だと思い知らされたことがあった。今も水は禁止事項だと荷物検査の前に捨ててしまい、そこを通って飲水を入れようと、聞くとトイレしか給水場はないと言われがっかり。売ってるボトルの水は2.5ユーロだという。

パスポートコントロールを通って待合室が1階と2階にある。1階からはそのまま歩いて飛行機に乗れる。ところがここで2時間近く待っていて12時15分発に乗る前にお手洗いへと行った。1回の待合室にお手洗いはなく、2階へ行くエレベーターは故障して動かない。この2階へ行ってお手洗いの前には20人くらいの女性が並んでいる。聞けばトイレは男女1つづつしかないという。延々と待ってやっとトイレを出て1階まで駆け足で行ったら、パトリックとジュードはもう出かける寸前ドアのところで待っていてくれた。空港の働いている女性に、なんてひどいトイレだと文句を言ったら、彼女も そうだからいっぱい文句を書いて送ってくれ。といわれた。

飛行は快適、3時間半でロンドン郊外のガトゥイックの空港についた。

 

ロンドンは久しぶりに晴れて、窓からドーバー海峡とケントの農場や森が見える。 

線の入った農地は多分麦を刈り取ったあとらしく、緑の農地は牧草地だろう。

イギリスには山がないから、なだらかな丘と農地と小さな村が散在する。

ガトイック空港の近く、この駐車場は長期駐車の車で、当日の送迎は5-6階のビルの中にあった。

この日の新聞にはイタリア、ギリシャから東の国は猛暑、フランス・ドイツ北欧ともちろん英国は気温もやっと2桁。最高温度が20度とか。

たとえ1週間離れていても英国のニュースはやっぱり面白い。おかしな写真を2枚だけスキャンした。

ロンドンの観光客が一番集まるホワイトホースガードの一コマ、後ろに大きく   警告 近寄ると馬が蹴るまたは噛みつく と書いてあるのにこの観光客読めなかったか見なかったか、馬に噛みつかれたが実際は病院へ行くほどでもなかったという。

 

この醜いピンクの巨大な男の像はアートなのだそうだ、それでこの像が設置された後ろの家の人々は  Very unhappy (幸せじゃない)なのだそうだ。彼らの家の窓からはこの巨大な男のお尻しか見えない。・・・思わず笑ってしまった。

 

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イタリア1週間のホリディーDay 5

2024-07-25 06:03:05 | 日記

明日は帰国という火曜日、パトリックとジュードはウオーターパークへ行った。それがどこにあるかも知らないけれど、今日1日私はフリー、なな業も何時間かはフリーだ。

相変わらず太陽の直射日光はきつい、けれどこの日は湿度が低いせいか木陰や影に入ると爽やかな気がする。それで10時ころからカメラを下げてこの街を歩いて1周することにした。

この街ポート・セサリオ(Port Cesario)の街は碁盤の目のようになっていて、非常にわかりやすい。

これはフラットの玄関横に生えている小さな桃の木に鈴なりの実、大きそうなのを数個食べてみたけれどまだ酸っぱい。

フラットから海に向かってまっすぐ歩いているときに、庭の塀から突き出ていたブーゲンビリヤ、花のつき方が面白い。

 

これも通りに面したお家の庭で八重のハイビスカスが素晴らしい。

 

この海は初日に泳いだ所。遠浅でどこまで行っても足がついて立って居れるから、スノークルしても全然面白くない。ただ水がやたらと温かくて、温泉に入っているようだった。

港に立っているこの塔。近寄ってみると中は人が住んでいるような、窓が開いていて玄関に入る呼び鈴みたいなのがあった。

塔の周りに影を作っている木に、蕾なのか実なのかわからない初めて見る木だった。もちろん誰にも聞けないのが残念。

橋でつながっている小さな島は高級リゾート地みたい。

 

海岸の砂地に咲き誇っていたブーゲンビリヤ。

派手な色の花が多い中にこの純白な夾竹桃が目についた。

大きな豆鞘みたいな種が下がっているノウゼンカズラ。英国では見たことがないから種を探してみたがまだ固いグリーンでは役立たず。

この鮮やかなルリマツリ、昨日ブロ友さんのブログの写真で名前を知ったばかり。あまりにきれいでもし挿し木でついたら儲けものと15センチ位の新芽を3本取って水のボトルに入れて持って帰った。

 

 

これは一番単純なブーゲンビリヤ、小さな白いのが花で、ピンクはがくが変化したもの。

サルスベリが咲いていた。イギリスでは絶対に見られない花で、多分この花を最後に見たのが51年前の日本だった。

海岸線の小さな空き地、巨大なうちわサボテンとまだ若いリュウゼツランの葉。

 

ここでもリュウゼツランの花が咲いていた。今まで車の中から写真を撮っているだけだから近寄れなかったが、今日は初めてこの花を接写拡大して見ることができた。

日陰のない炎天下咲いているのは夾竹桃ばかり。

これは特に珍しい。ハウスプランツのアンブレラプランツにこんな実がなっている。こんな暑い国ではこの木も巨大で屋根まで届いていた。

一体どんな花が咲いたのだろうかとっても気になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後遅くパトリックとジュードが帰ってきた。ウオータースライドと50メータのプールで何十往復したとか、ジュードは興奮して話していたが、この夕街の中心街で夕食をというときには疲れ切っていた。

こんなウルトラモダンなフラット、羨ましい。

車が通らない通りの小さなレストランでタパスを食べた。タパスはスペイン料理。

小皿に少しづついろいろな食物が出てくるが、この生ハムとサラミはとっても美味しかった。

日が暮れてあたりにクリスマスのようなデコレーション。人々の往来がはげしくなってきた。夕食は8時、9時過ぎらしい。

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イタリア1週間のホリディーDay 4 PM

2024-07-23 20:44:33 | 日記

12時半でスノークリング・ボートから降り、フラットに帰ってシャワーに入った。

また午後も泳ぎに行く気持ちになれない。パトリックも疲れ気味なのか、レッチェ(Lecce)に行こうと言ってくれ、車ででかけた。

まずは街の入口近くで見つけたスーパーで、お土産を買おう。

このクッキーはシンプルな塩味でフラットのテーブルに置いてあった。3人でお腹が空くと摘んで食べていたが、なかなか美味しい。このスーパーで4袋買って帰国後私の庭に水やりして下さった近所の奥さんにお礼にあげた。空港の免税店で見たら値段が2倍になっていた。

昔イタリア人をご主人に持つ日本人女性と、オリーブオイルの話になったら、彼女はイタリア産のオリーブオイルはスペインやポルトガルよりずっと美味しいと言われた。私にはどれも違いがわからない。最近オリーブオイルが値上がりして安くないと友だちが言っていた。それでこのスーパーで2本も買ったが、ロンドンで買うより高かった。

全体にイタリアのほうが物価が高いと思う。道端でよく見かけるスイカと黄色の瓜を満載にしたバンから大きな瓜2個買ったら5ユーロだった。私がいつも行くルーシャムのマーケットであのサイズの瓜1個は1ポンド(200円)で買える。せっかく買った瓜はまだ完全に熟れてなくて甘みも少なかった。

レッチェのオールドタウンに駐車して、まず初めに見たのがこれ。⬇️

なんと素晴らしい、壁に取り付けられた鉢の上には水道の蛇口が・・・・こんなアイデアがあったとは。

このレッチェの街は2000年以上もの歴史を持つ古い街で石畳がきれいに光って素敵な街。ゴミも落ちてないしロンドンよりずっと素晴らしい。

街全体が石造りで、こんなフラットもいいな。

街角のレストランの看板が面白い。ローマ法王がイタリアの料理の宣伝。

レッチェ大聖堂は立派だけれど、入場料が高いと聞き写真だけ撮して隣を見たら、

 

大きなビルの屋根に草が生え、変なバルーンが立っていた。それにしても素晴らしい青空。

ここも歴史的建造物にちがいない。

これはもう古くて死んだような1本のオリーブの木の根元、多分1000年位は経っているのだろう。完全には死んでなくて、新芽は芽吹いている。

このオリーブの木の横にローマのアンプシアター(円形劇場)があった。これは紀元後2世紀に作られたものだという。

 

教会の多い街で中は割とシンプル、壁の宗教画以外に飾りはない。

狭い通りの一箇所においてあった古い自転車?なんだろうと見ていたらここはファギアーノ考古学博物館だった。入口は真っ暗で面白そうでもないので、スルーしようとしたらジュードがぜひ入ってみたいという。入場料5ユーロ払ってジュードとパトリックは入り30分近く出てこなかった。

出てきたジュードは目をきらきらさせて、なな、あの英語の本を買ってくれ。という。この博物館は古代からローマの遺跡や中世に至るまでのあらゆる古いものがあったらしい。とっても面白かったというから15ユーロの細かい字の本を買ってあげ、大喜びで車の中で読んでいた。

面白いイタリアのお店のディスプレイ。

 

 

 

 

 

 

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イタリア1週間のホリディーDay 4

2024-07-22 20:59:17 | 日記

月曜日、パトリックは先週からこの街の港のスノークリング・ボートを予約してあった。朝9時半から12時半だという。

8時半に歩いていくというので、カメラや水をナップサックに入れて、出かけた。

このフラットは2階で、外の廊下も階段も大理石でピカピカ、この朝となりの奥さんが水をまいて廊下から階段を掃除してた(らしい)。私はいつもの通りゴム草履でナップサックを担いて階段を降りた。下3段目にまだ水が溜まっていて,キャッという間に滑り落ちた。

右腕の肘の下を階段の角で打ったらしく傷ついて出血している。腰は3段を滑り落ちているときに打ち身で両脇に大きな青あざ(黒に近い)ができた。それでもどこも骨折しなくて幸い。私の友達皆80歳前後には骨粗鬆症の人が多い。日頃から大食い、運動も昔からしていたこの私、本当に自分でも褒めてやりたいくらい骨太、筋肉脂肪たっぷりだったから怪我も最小で済んだ。

車で薬局に行き、ウォータプルーフのプラスターと包帯を買って圧迫止血、9時半の船に間に合った。

ボートには総勢23人ものイタリア人の若い人たちが乗っていて、賑やか。おまけに彼らはこの暑い太陽で肌を焼くのがよっぽど重要らしい。

パトリックとジュードはボートに乗ってもスマホが離せない。

ボートは私達が泳いだ海岸線と平行に進んでいく。

砂浜はどこもかしこもパラソルの林立で、泳いでいる人もたくさん見える。

このタワーは多分中世に外敵を見張るために作られたものらしく、5基が見えた。

考えてみれば、現代に至るまで地中海では海賊が跋扈していて、農地や商業地の豊かな町や村を襲った、これは当時の自衛手段だったろう。

 

ボートは3回浜辺の沖合に錨をおろし、私達10-20分ほどボートの周りで泳ぐ。このボートの宣伝にはサンゴ礁でのスノークル等と書いてあるがこの地域でサンゴ礁は絶対ない。海底はやはり砂地で海藻さえもほとんどない。ただ一度だけマリア像が沈んでいるところで泳いだけれど、ちゃちな安っぽい像だった。このときだけは船からたくさんのクッキーが投げ落とされたらしく大小の魚が私達の間を泳ぎまくっていた。

12時ごろにボートではテーブルを出して簡単なスナックのようにお菓子やクッキーそれにジュース、水、赤ワインが出た。

私は赤ワインをカップ2杯のんだけど、多分ノン・アルコールだったらしい。全然酔わなかった。普通カップ2杯で寝てしまうのに。

このタラント湾の海岸線は、夏の間中どこもかしこも人口が数倍になるのだろうと思った。

腕からの出血は圧迫していても3日も止まらなかった。

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イタリア1週間のホリディーDay 3

2024-07-21 19:51:41 | 日記

イタリアにいた1週間一度も雨はふらず、気温も最低が27度(朝7時)日中気温は42度まであがった。

日曜日の朝パトリックはブリンデシの海へ行こうと車を走らせた。4日前ブリンデシ空港からフラットのあるポート・カサリオの街へついたときは夜の10時だった。それで周囲の景色は一切見えず、車の中の冷房で気温もわからず・・・だった。

この半島真っ平らで、農地らしいところは焼き畑らしく一面に黒い。麦畑なのかと思う。

途中の小さな町外れに立派な墓地、さすがカトリックの街である。

 

 

たまにブドウ畑があったり、オリーブの木がどこまでも・・・

 

全く変哲もない景色。

バリへ向かう高速道路をわたった途端から車の渋滞。なんと砂浜は高速道路から100メータほど行ったところで、駐車場が超満員。

駐車料金は3ユーロと高くないけれど、何千台の車が停車しているか?

暑い中一応バッグに水とカメラやタオルを持って炎天下砂浜へ。

まるでブリンデシの街の人達が総出でこの浜に押し寄せたようなこみ具合。パラソルなしでは5分も炎天下に座って居れず、砂浜といえども海まで10メータほど、パラソルが地面に刺さらない。親切な隣のイタリア人女性が小さなスコップを持ってきて穴を堀ってくれやっとパラソルを刺しフロアーマットが敷けた。

 

砂はやけどするくらい熱く、ゴム草履なしでは絶対歩けない。海は遠浅でまるで芋の子を洗うという形容がピッタリ。ジュードは背の立たないところでも心配なくて3人で沖の方で遊んでいたが、魚もいないし何もないところでつまらない。

多分1時間ほど泳いでいたが、あの崖のある海グロット・ゲラポエシアの方が良いとこの浜辺を出た。高速道路を走って1時間、もう3時過ぎ、お昼も食べてなくて、道端の出店のカフェーでサンドイッチと飲み物でやっと人ごごちついた。

ジュードは昨日は高さ3メーターの崖から飛び降りるのが嬉しくて何度も登り降りしていたのに、今日はもっと高い方多分7メーターくらいの崖から飛び降りたいと言ってパトリックに止められ、娘もインターネットで 絶対だめ というので午後7時ころ膨れ面でフラットに帰りついた。この夜はパトリックがスパゲッティに貝を入れたボンゴレーをクックしてくれた。

 

 

 

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イタリア1週間のホリディーDay2 night

2024-07-21 02:49:29 | 日記

日中2回も泳ぎ疲れているだろうに、パトリックは車を運転してナード(Nardo)の街へ夕食を食べに連れて行ってくれた。田舎道を40分ぐらい走った隣町らしい。

この街はずいぶん古い街で歴史もありそう。

オールドタウンには立派なお城が見える。もう8時近く、パトリックはインターネットでレストランの予約をしていて時間に遅れると急がせるが、こんな石造りの街はもっとゆっくり見たいものだ。

磨かれた石の通りにはたまに車がゆっくり走っていくが、レストランの中よりも道端で食事をということになり、レストランの入口周囲に4つのテーブルがセットされている

8時過ぎのこの街は日中の高温がやや和らいで、多分30度近く。気持ちの良い夕方だった。注文した前菜が生のえびや、小さなイカだったりでこのほうが高そう。

メインのパスタとスパゲティはイタリアにしては量が少なく、味はまあまあ。

食後オールドタウンのスクエアーへ向かった。土曜日の夜とてたくさんの人出。

屋台の店ではあまり買っている人たちはいなかったが、アイスクリームのお店はたくさんのイタリア人だった。

教会が空いていたので急いで入って写真を撮ったが、このあたりの教会はほとんど装飾がない。

 

スクエアーの一箇所でうるさい音楽が鳴り響きたくさんの人達が集まっていたが、早々に引き上げてきた。

 

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イタリア1週間のホリデイーDay 2

2024-07-20 02:36:36 | 日記

素晴らしい青空の朝、土曜日の今日はブリンディシ側の海へ出かけた。

ここ グロット・ゲラポエシア(Grotto Gellapoesia) は砂浜ではなく崖が切り立っている景勝の地、崖から見下ろす真っ青な海のあちこちにたくさんの人が泳いでいる。

はじめに綱が張り巡らされている方へ行ったら、入場料に大人2人、2ユーローを払わされたのに、あとから来るからと言って、とうとうそのあたりへは行かなかった。下の写真で見ると人々が崖の上を歩いているのが見える。

このあたり水深はそんなに深くはないが,海底一面に茶色の海藻が揺れていて、深く見える。孫のジュードはどんな深さでも平気で、泳ぎ潜り3メーターの高さの岩の上から飛び降りる。娘からは彼のそばにいつもくっついて、目を離さないようにと言われているので、ジュードが水に入っている間中、私も泳いでいなければならない。

定年退職して20年、その間キャンピングカーでヨーロッパ中周り、特にポルトガルの南で10年の冬を過ごしたが、大西洋の水は冷たく、一度も泳いでいない。90年代はシャーメルシェイクでスノークルをしていたものだが、子供相手に1日中泳ぎまくったのは初めてのこと。それでもこうして暖かくてきれいな水に浮かんでいるだけでもしあわせ。 

日本ではとっても珍しいと言われている、リュウゼツランはこのあたり車で走っていると必ず1-2本は目に付く。毎年ポルトガルの冬に行って、立ち枯れて真っ黒のこのプランツを見ていたが、花を見たことがなかったので、初めてこの黄色の花を見て大いに感激、写真を取りまくって、オランダの友達に送った。

オランダ人の彼女、このたち枯れた真っ黒の枝を切り取ってきてキャンパーに飾り付けていた。彼女もこの花が黄色だとは知らないだろう。

帰国の際、車でバリ(Bari)への高速道路を走っている途中、このリュウゼツランがひとかたまりに5本も咲いているのを見かけた。それこそ珍しいと思った。

午後一旦フラットにもどり小休憩、3時過ぎから左右にタワーの見える砂浜の海岸へ。このあたり結構な人出で夕方7時でもものすごく暑い。イタリア人は皮膚も北部ヨーロッパの人達と違って、日焼けしないのかほとんどの人たちがブラウン。

ジュードも一日2回も泳げたからご機嫌で、この午後の泳ぎはパトリックに任せた。9歳の子供に付き合って体力限界。

 

 

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イタリア-1週間のホリデー Day 1

2024-07-19 05:36:03 | 日記

7月8日の朝から娘婿のパトリックはローマに出張。孫のジュードの学校は7月11日から夏休みに入る。ところが娘が働いている学校は公立で英国全体の公立学校は7月20日から夏休みになる。

その間8日間を私がジュードの面倒を見なくてはと、心配していたら、パトリックがローマで仕事が終わる11日から1週間休暇を取って私とジュードに゙ホリデーを・・・・となんて素晴らしい娘婿!!!

11日木曜日の午後、ジュードと二人でヒースロー空港からイタリアのブリンディシ(Brindisi)空港へむかった。

イタリーとロンドンでは1時間の時差があり、4時間もの飛行時間と思っていたら、実際は3時間でブリンディシ空港についた。ちょうど真っ赤な夕日が沈む前で、まるで日の丸みたい。

 

パトリックがレンタカーをして空港で待っていた。ブリンディシ(Brindisi)はイタリアの長靴方のかかとに当たるアドリア海側で私達が過ごしたフラットはポート・セサリオ(Port Cesario)はタラント湾に面しているので、車で1時間以上もかかった。

 

イタリアは真夏で湿度も高く、あたり一面の花盛り、一番目につくのはやはりブーゲンビリヤ、それも色とりどり、ハイビスカス、ノウゼンカズラ、赤、白、ピンクの夾竹桃など。

このポートセサリオの街はまるで碁盤の目のようになっており、フラットからまっすぐの道の奥に海が見える。

空は真っ青、焼けるように暑い砂浜はイタリア人には恰好の遊び場らしく老若皆が浜辺に来ている。

海は遠浅で水は暖かく、何時間泳いでいても寒さ知らず。気温は37度くらいから42度まで、とにかく暑い。海岸のやや突き出た岬には必ず堅牢な石造りのタワーがいくつも見える。ここも昔から歴史のある街なのだろう。

夕食はやっぱりピザ、こんなのを毎日食べていたら太るに決まっている。

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英国のミゼラブルな天気

2024-07-10 18:55:37 | 日記

毎日 雨 !!気温は最高22度、此の2週間ほど前、最高温度が27-8度近くなって寒さに強い此の国の人達、ヒート・ウエーブ(熱波)がやってきたと、公園で日向ぼっこなどやっていた。

私もたった一晩だけあまりの暑さに窓を開けて寝たら、夜中の1時、寒さに震え上がった。その2日後から鼻風邪をひいて未だ完全によくならない。

今は英国のサッカーチムが準決勝に進んで、応援団が半裸で奇声を上げている。

ウインブルドンも毎日BBC1とBBC2が朝から放映しているが、屋根の設置してあるコートのプレーヤも応援団もいい。 でも屋根なしの安いチケットで入った人たちは、草原に傘を指してうずくまってみている。あれではけっしておもしろくないだろう。

先日も日中から見ていたら、我が家の周りでは弱い太陽が出ていたのに、屋根のあるコートからの実況放送では、屋根にあたる激しい雨音でアナウンサーの声も消されそうになるほど。我が家とウインブルドンは直径で言えば数十キロほどしか離れていない。それでも雨雲は我が家までは到達しなくて、見物のファンが気の毒に思えた。

昨日は一日どこも雨。午後の3時半の孫のお迎えに雨靴、傘をさして3時の電車に乗るべく出かけていったら、電車が来ない。3時15分焦って娘に連絡したら、彼女は仕事が早く終わったので、車で学校へ向かっている途中だと言う。

此の雨の中どこかの阿呆が線路を歩いているため電車が遅延しているという。本当に怒り心頭。此の国では子供11才以下は一人で通学させてはいけない。11歳までは親の責任、自宅でも11才以上の兄弟か大人が一緒にいないと、責任を問われる。子供も知っていて、僕を一人でほっといたら警察に電話すると・・・全く恐ろしい世の中。

先週の選挙投票日の1日前の新聞投書欄、保守党が入ったら僕は此の国を出る。労働党が入ったらやっぱり此の国を出る。誰が入っても僕は此の国を出る。もう此の天気だもの此の国にはいたくない。・・・全く漫画みたい。

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7月のロンドン

2024-07-05 14:48:44 | 日記

6月の半ばからベッケンナムの図書館の編み物クラブで展示していた、世界の子供たちの人形が消えた。さてはまた盗まれたのかと思っていたら、7月1日新しい編み物で作られた猫が飾られた。とっても素晴らしい。

こうして鎖でポストにつながれているところを見ると、今回も大丈夫。英国も泥棒の多い国だ。

今年の5月は雨が多かったせいか庭に植えられたアジサイが元気で株も大きくなった。

これは鉢植えで毎日水やりそれも一日2回も遣っていて、ホリデーに行く時がとっても心配。

コバルトブルーの花はとっても望めない。これでも鉢の土にブルーになる薬を混ぜたもの。

アナベルは年々大きく茂って庭の芝生がだんだん狭くなってきている。

2005年ガンで亡くなったマレーシア人の友達が好んだ白のガクアジサイ。一時は枯れてしまったと思ったのに今年は元気に咲いている。思えばもう20年も咲いているガクアジサイ。

今年もタチアオイが大きくなって各色勝手に咲いているが、私が植えたものは少なくて、どこからか勝手に種が落ちたものが多い。なんとなく薄い色が多いので道端や友達の庭の濃い色の種を貰おうと期待している。

6月末の1週間だけヒートウエーブ?と言われた気温も26℃くらいまで上がって夏がやってきたと思ったらまた急に寒くなってきた。今では日中最高気温が20℃くらい、家の中でじっと本など読んでいると夏服では寒くてたまらない。

ベッドもシーツと毛布1枚の1週間からまた厚手の毛布を上にかけて、やっと眠れる。

来週から1週間イタリアの靴のかかと部分にホリディー、たとえ1週間でも温かい夏が過ごせる。

 

 

 

 

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