Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

渡り鳥の旅 ジブロルタルへ

2012-11-23 20:38:17 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

  


ロンダのキャンプサイトは一面のオリーヴの木の間にキャンパーを停めるように成っている。一月はオリーヴの収穫期で今ではほとんど採りいれられるほどつややかでふくよかな実が鈴なりになっている。それにしてもこのサイトのオリーヴの木の年季の入っていることには驚かされる。ほとんどの木が曲がりくねり太い瘤のような根元で何十年も毎年実をつけてきているのだろう。

このオリーヴが主産業のアンダルシア地方では想像も着かないほどのオリーヴの収穫があるのだろう。寒い英国ではオリーヴの木は育っても実の収穫は望めない。それでも庭に一本植えてみたいと思っている。

  

  

さてロンダをでると次に目指すはジブロルタルで道路もカーナビに頼らずに行ける100km。ここも道路が良くて深い山並みを曲がりくねって南に下りてゆく。遠くに見える山や深い谷間にもあちこちに白い村の塊が見える。

  

  

これらの村を見ながら旅するうちに谷間の真珠という言葉が浮かんだ。本当にこの深い山間や谷間にどれだけの小さな村があるのだろう。そして人々はどんな生活をしているのだろうか?



ジブロルタルに後2-30kmくらいになると辺りは平野になりオレンジの畑が広がりだした。そして見かけるようになったのが電信柱に巣作りしているコウノトリの夫婦。
彼らも集団生活をするらしく周囲の電信柱に全部コウノトリの巣が載っていた。

  

もう何度もジブロルタルにやってきているから珍しくも無いが、港の向こうにモロッコの岩が見える。ギリシャ神話では力持ちのハーキュリーがジブラルタルの岩とモロッコの岩を二つに割って古代ギリシャ世界の門にしたとの物語。アフリカがこんなに近くに見える

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渡り鳥の旅 ロンダ(Ronda)

2012-11-23 14:34:14 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013




オルヴェラからロンダまでは山間の道を走って一時間で着く。ここは2年前にも来て3泊したところだけれどもどうしても見たい(写真を撮りたい)ところが有ったのに行けなかった。
今回は高い石橋を谷間から撮る為に同じキャンプサイトに一泊することにした。ロンダの周辺には3箇所のキャンプサイトがあるが、このサイトが町から一番近く歩いて2Kmほどで旧市街に着く、そして一番値段の高いサイトでもあるわけだ。一泊23.5ユーロもする。

  


午後1時頃にキャンプサイトに落ち着くと2時には町へ向かって歩いていた。谷間に下りてゆくから亭主には観光案内所の前で会う約束をして城門の手前で石畳の細道を左に折れた。
この石畳がことのほか歩きにくい。こんな時には底の厚いスポーツシューズが一番いいが、今回の旅では持ってこなかった。
曲がりくねってどんどん急坂を下りてゆくと、スペイン人のおじさんがこの坂道を駆け上るトレーニングをしている。見下ろす私から見るとまるでよたよた歩いているようで、どんな年寄りかと思ったら、まだ30代の若い人だった。

  

  


誰も居ない道をどんどん下ってやっとオリーヴ畑の間にロンダの一番有名な石橋が見えて来た。この写真は当地の絵葉書と変わらないであろう。この辺りから谷間を覗ける崖縁まで歩いて写真をとりまくった。その崖の上10メーターのところに低い石塀が見えるがその上がどうなっているかわからないからまた同じ道をたどって、あのランナーのように息も絶え絶え城門にたどり着いた。

  

石橋の上から見るこの谷間も素晴らしい。このニューブリッジは18世紀に造られた。写真を撮りながら観光案内所まで行くも亭主の姿が見えず、近くの見晴台へ行った。

  

ここで素晴らしいカップルがハープとギターで演奏、女性が歌っていた。彼女の澄んできれいな歌声に魅了されとうとうCDを一枚買ってしまった。そのCDには良く知っている曲がたくさん入っていて、中のアニーズ・ソングをリクエストしたら彼女の歌声に合わせ、彼のほうはパン・パイプで伴奏やっぱり知っている曲はなじみがいい。二組の男女が寄ってきて一緒に聞いて皆で盛大な拍手をした。

ここロンダは有名な観光地であり日本人団体客も多い。皆ぞろぞろ列を作ってゆくが、この素晴らしい演奏にカメラを向けても立ち止まって歌を聴こうとする人など一人もいない。

  

観光案内所の近くにハルタ・ミキさんという日本人画家の記念碑が立っていた。
このハルタさんは1925年から1995年の人でよほどこの地に縁があったか、この地で亡くなったか、でもこの観光一等地に記念碑があるということはきっと有名な人に違いない。

  

さて亭主と出会って旧ブリッジへ行こうと通りを行くとここも急坂、そこで太鼓や笛の鼓笛隊と幼稚園児が仮装した一団に出くわした。皆キリストを慕う牧夫や尼の姿で、子供たちがかわいい。
急坂で数珠つながりの自家用車が立ち往生をしていて、事故が起きなければ良いがと心配した。

  

旧ブリッジは11世紀に建設されアラブ・ブリッジと呼ばれる。この橋の近くにアラブの風呂跡があり外から写真を写してゆっくりキャンプサイトへ帰ってきた。

  

サイトの玄関の石の絵が面白いからストーリーがあるのかを聞いたら、この地域には昔ロビンフッドのような義賊が多くていろいろなストーリーがあるという。それで自分の父母と祖母をモデルにして絵にしてもらったとサイトのオーナーが話してくれた。

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渡り鳥の旅 オルヴェラ(Olvera)

2012-11-23 09:59:31 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

  

山頂で迎えた朝はまたとない晴天、オルヴェラの町に朝日がさして来る。一日中撮ってもあの町は違った顔を見せてくれる。

キャンプサイトで聞いた道を間違って町の西側道路から入ってすぐ、この町の全景を真正面から見ることが出来た。とおりは静かで駐車もしやすく、亭主は近くの自動車修理工場へ用事に行くからと町の麓で別れた。

一人通りを教会、城砦へ向かってゆく。通りは急坂で年寄りにはつらい道だろう。メインショッピングの通りを外れて坂道を登っていたら、観光案内の看板が立っていた。
英語でもしっかり書かれていたからやっとこの町の歴史がわかった。というのはこのような小さな町や村がこのアンダルシア地方の山中にはゴマンとあり、この町はロンリープラネットにも載っていない。

  





オルヴェラはカディス山脈の北東に位置し、ヨーロッパでも一を誇るグリフィン禿げ鷹の生息地だという。グリフィン禿げ鷹がアフリカの禿げ鷹とどう違うかわ判らないけれど、ヨーロッパに禿げ鷹が居るというだけでも驚き。今年3月ポルトガルからスペインを通って英国への帰国途中に、パンプローナの北の山中で禿げ鷹の群れを見かけた。我が目が信じられなかったけれどこうして書かれてあると納得がいく。


  


オルヴェラ(Olvera)はアラブ人がこの地に城砦を築いた12世紀、オリーヴ(Olive)の木にちなんでオリヴェラ(Olivera)と呼ばれていたのが自然に i が落ちてオルヴェラと呼ばれるようになった。


  


山頂に立つパリシュ教会は2ユーロを払って入ってみたけれど、スペインのどこの教会とも変わることなく、ステインドグラスもささやかなものだった。

城砦は12世紀末アラブ人によって建設された。ここはグラナダ王国の城砦として建設されたもので、併設された博物館にはこのような城砦がこの地域に5箇所あるとの地図が展示されていた。城砦の内部には家具は一切なく上下2室の石のだだっ広い部屋とグラウンドに作られた貯水池くらいだがこの城砦から見られる周囲の景色が素晴らしい。4方の山々の麓を走る自動車道からきれいに耕され規則正しく植えられたオリーヴの林、白壁にテラコッタの色の屋根を持つ町の通りなど見下ろして飽くことをしらない。


  


  

小さな博物館を出てみると、教会広場で亭主が待っていた。急坂に息も絶え絶えだったという。下り坂も狭い石畳の道を通る車をよけながら降りてくると大きな団体客ではここには来られないだろうと思った。

中腹にそそり立つ岩の上にキリスト像が立っていた。


  

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渡り鳥の旅 アンテクエラ(Antequera )と オルヴェラ(Olvera)

2012-11-22 20:22:25 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013




  

マリア山中からグラナダの西、アンテクエラの北部まで300kmをゆく。
この日は大西洋の低気圧が激しい嵐となって、今冬私たちが滞在予定のアルガーヴに洪水を起こし大変な被害をもたらした。
低気圧は衰えることなくスペインを襲い、激しい雨を降らせている。
この朝、昨日と一変して、雨雲が低く山中では霧が発生して、道路わきがぼんやり見えるくらいだった。霧の中から山道の脇に変わったオブジェが現れる。なんとなく不気味な小悪魔の感じだった。



マリア山中から150kmほどは道路わきにアーモンド畑が連なり、春のピンクの花の咲くころにはもう一度通ってみたいところだった。途中からオリーヴ畑に替わり銀色のオリーヴの葉が雨風に激しく揺れている。



最後の50km地点で雨雲から開放された。やっぱり青空はいい。行くところあちこちの畑地が大きな水溜りや湖のようになり、かもめが畑地の水溜りに浮いていた。この辺り海からは60-70km内陸の盆地なのにかもめはどこにでも繁殖できるらしい。



2年前に出来たばかりのキャンプ場はモダンできれいなサイトだけれど、やっぱり雨が激しかったから水はけが悪い。通路にキャンパーを停めた。
嵐が去った翌日から天気が回復し、洗濯物を干して周辺を散歩する。道端にへちまが下がっていて、へちまなど見るのは一体何十年ぶりだろうかとふと考えてしまった。
歩道にひょろひょろ伸びているのはオレンジの木でまだ青い実がなっている。飾りのオレンジは実が実っても甘くないのはもう何回も経験済みだ。

アンテクエラはロンリープラネットに拠れば、知られていない掘り出し物の観光地とのことだった。キャンプ場からはバスが出ていないからキャンパーで行くしかない。
カーナビをつけていったところが旧市街の狭い一方通行の道ばかり、大きなキャンパーを停めることが出来ない。結局駐車場探しで町の中をぐるぐる回って、ストレスが溜まるばかり。諦めて次のキャンプ場オルヴィラへ行くことにした。



スペインの道路はどんな田舎道でも素晴らしく良い。たぶんスペインがEUに加入した際もともと貧しい国だったのに潤沢な借入金を道路や住宅,それに風力発電、太陽熱発電など設備投資に使ったものと思われる。それの元の取れぬまに、今その付けが回ってこの国は経済不振と不況にあえいでいる。

  

  

オルヴィラはアンテクイラから山道を上がったり下がったりした挙句着いた盆地で真ん中に高く突き出た岩山全体が町と教会と城砦のこれぞ隠れた観光地だった。おまけにキャンプサイトが町から離れた小山のてっぺんを全部占めており、見晴らしの良いことはいうまでも無い。見渡す限りオリーヴの木が規則正しく並んで植えられ、あちこちに散らばる白壁の家々はとってもかわいい。

  

キャンプサイトのシャワートイレ、キッチンなどは新しく清潔で、こんな環境のサイトはあまり経験していない。トイレの男女のマークがさすがスペインを思わせる。

 






夕日が山の向こうに沈む頃は幾重もの山並みが色とりどりに変わり只ボーゼンと岡に立ちつくし神秘的な世界を眺めていた。
夕焼けの最後が燃え尽きる頃でも、わがキャンパーが天空にうかんでいる。

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渡り鳥の旅 マリア山脈

2012-11-17 15:10:34 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



カータヘーナから今度は北上してグラナダへの直線コース国道A91へ向かう。



海岸線のラウンドアバウトでは飾りも海にちなんで面白いメタルの船のオブジェだった。





ロルカ(Lorca)までの周囲は平地でアーテチョークの栽培が盛ん。たぶん来春果実を出荷するのだろう。国道A91から北へはほとんど岩山と思えるほどの荒々しい土地で2000メータ級の山並みが続く。

キャンパーはローギアでずんずん山道を登って行き、雲が低いから眼下の町はうす雲に溶けてゆく。
この山全体がアーモンド林で3月にここを訪れたらどんなに素晴らしいだろうか。まるで今年1-2月のモロッコや、ポルトガルの春みたいだろう。



国道から20Km北上した標高1000メーター以上のキャンプサイトは気温が低く、キャンパーを降りると空気が冷っとする。大きなキャンプ場なのに今夜の飛び込み客は私たちだけ。
今日は天気予報に反して午後から晴れ渡り、夜は星が降るほど天空を埋めている。



国道へ入る道が通行止めで、走り回った挙句にたどり着いた道路わきのホテル。まるでレゴを積み重ねたみたいだ。





子供の頃奥能登で食べたしいの実に似ているから採って食べてみたら、ちょっと渋いけどコルク樫のどんぐりだった。このどんぐりはポルトガルのマーケットで売っていて、一山買って食べたが大して美味しいものでもなく、今年4月に鉢植えにしたらうまく芽が出てきた。一鉢に5本ほどがもやしのごとくよろよろ生えている。大きくしたら大変だから、盆栽コルク樫なんてできないかなー。

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渡り鳥の旅 カーターヘーナ(Cartajena)

2012-11-17 14:49:00 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



  


海岸を南へ行く道は8年前に通ったところで、今回は少しでも行ったことのないところをとロンリープラネットを調べたところ、真っ直ぐ南の海岸にカーターヘーナを見つけた。

カーターヘーナは紀元前223年北アフリカのカルタゴ軍が占領し,新カルタゴと命名した。その後ローマ軍の侵攻、アラブ人の侵略繁栄と歴史の変遷が見られる。アラブはこの地に農業を起こし、イスラムがキリスト教徒に滅ぼされた13世紀まで栄えた。




年間3000時間の太陽照射に恵まれ、現在では温室での野菜の促成栽培が盛んで、畑地では多くの農業労働者が見られる。
彼らは北アフリカからの季節労働者が多く、警察のパトロールカーがヴィザなしの不法労働者の取締りを強化していた。

  




キャンプサイトはカーテーヘーナより西海岸にあり、細い田舎道から一山越えた見晴台の景色が素晴らしい。一面に広がるビニールハウスの向こうに山の斜面を利用して段段畑のように整地された広大なキャンプ場が見える。

  

  

ここはスペインの平均温度より5度は高いとのことで、キャンプ場は多色のブーゲンビリアや、ハイビスカス、他いろいろな花で彩られている。

  

  


キャンパー、キャラバンの駐車場が330以上も有って、北ヨーロッパの元気な老人たちが人生を謳歌している。サイトの一番上手には鉄のボールに当てるゲームが盛んで、下手の大きなプールでは男女が水しぶきを上げている。
オランダ人のキャンパーが多く、小国の人達は自国でひしめき合って暮らしているから社交上手。朝から晩まで隣近所とおしゃべりを楽しんでいる。何処で会っても必ず英語で挨拶してくるのがオランダ人だ。



ドイツ人夫婦のキャンパーの周りに飾られている風車はペットボトルで作られていて、なるほどと感激した。あれなら私も作れそう。

明日はポルトガルからスペイン西を覆う低気圧が張り出しているとの天気予報。一日中うす曇りだけれど、暖かくてティーシャツ一枚で十分。夏はたぶん40度以上になるのだろう。

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渡り鳥の旅 スペインの温泉

2012-11-17 14:23:05 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



  

ヴァレンシアの悪天候は翌日も居座って、朝から雨。雨雲が低く道路を覆っているから暗くて陰気、キャンプサイトの周囲で見られた水田は高速道路まで行くと見られなくなり替わりに目に付くのが、背は低いけれど巨大な実をたわわにつけた柿畑だった。

 

初めはオレンジの畑だと思っていたがオレンジはまだほとんどがグリーンで葉陰で見えない。葉の色もオレンジの濃い緑とは異なる。これほど柿が実っていてもスーパーマーケットで買っても大して安いと思えない。この大きな柿が3個で1ポンドくらい、イギリスのスパーで買うのよりは安いがストリート・マーケットで買うと安いから現地スペイン産も結構高い。
今年は6月頃からロンドンのマーケットに柿がたくさんで回った。一箱20個も入っていて2ポンドくらい。これは南アフリカからの輸入物だったがこんなに安くて生産者はやってゆけるのだろうかと心配になったくらいだった。

 

200kmほど南下し午後早めにフォーチュナーのキャンプサイトに着いた。近くに温泉があるのをキャンパー内から見つけ、是非行きたいと思った。
キャンプサイトの受付の人はイギリス人で、温泉は今日は天気が悪いからもっといい日にしたらと言う。ちょうど雨も小止みになり空には青空が見られるようになった。

夜は満天の星で明日はどんなに良い天気になるだろうと期待していた・・・・が朝から暴風雨。夕べの星空は嵐の目だったに違いない。
折角見つけた温泉は何としてでも入ってみたいと、キャンプサイトで20パーセントの割引券を買って入る。ヨーロッパの温泉は水着を着なければ入れない。いつもは持ってきているはずが見つからなくて下着とショートパンツの組み合わせで入ってみた。髪の毛が落ちないよう水泳帽着用が義務付けられている。

  

大きくてきれいな温泉プールは一箇所だけが室内でほとんどが屋外プール。
外は風が荒れ狂い、時折激しいにわか雨、これでサイトのイギリス人が言った良い天気に・・・の意味が判った。
水温は38-39度くらいで日本の熱い温泉を熱望している身にはぬるすぎる。しかしどれだけ入っていても決して湯のぼせするような温度で無いからじっくり1時間15分も浸り続けた。
この温泉はローマ人によって開発されたそうで、塩辛いお湯にはあらゆるミネラルが含まれリューマチに良いとのこと。このぬるさはアイスランドのブルーラグーンとほとんど同じくらいで、暖かいお湯が出てくるプールの出湯口から離れられなかった。ブルーラグーンでも真ん中の湯が出てくる岩の周りから離れると寒くて居れなかったが。

温泉を出てシャワーに入ろうと思ったがこれが水だったから急いでキャンプサイトへ駆けつけサイトの熱い湯で洗い流す。
それ以降は何と体がホカホカして寝るまで気分良く過ごせたから、リューマチの人には薬効ありと確信した。一回が8ユーロだからもっと安ければ、毎日入りに行けるのに残念だった。

 

キャンプサイトを出た月曜日の朝、温泉の前に小さな市が立ち水着のオンパレード、小さな町にはやはり小さな教会があった。

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渡り鳥の旅 ヴァレンシア

2012-11-12 17:57:42 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

 

朝から曇っていたが、まさか雨が降るとは思っても見なかった。昨日まで良い天気だったし何しろ暑かった。昨年今頃この町へやってきて只1日だけ観光に来て大雨に降られ、ひどい目に会った。そしてまた今年も同じケース、バスで町の中心に当たる駅近くへ着き、闘牛場の前からかって歩いた町の散策に出かけたところ”あーまた雨”小雨の間に昨年感激した陶器博物館の前で素晴らしい外観を写真に撮る。

  

ここは昔アグアス伯爵宮殿を改造して博物館にしてあるもので中も素晴らしいけれど,二回見て歩くほど時間が無い。

 




雨はだんだん激しくなり建物の軒先をたどりながら、昨年見逃したロンハ(Lonja)へ逃げ込んだ。

ロンハは中央市場の向かいの15世紀の巨大なホールで、当時のストック・イクスチェンジにあたる。現在では世界遺産に指定されている。この日が日曜日だったことを忘れ、中央市場やスーパーマーケット、ほとんどの店は閉まっていたが、ロンハは週末は入場只だと言う。雨宿りも兼ね、たくさんの観光客があちこち写真を撮っていた。



やっと小止みの間に近くに開いているストリートマーケットで一番安い折りたたみの傘2本を買って(キャンパーの中には4本も傘が納まっている。)、地図を頼りに博物館へ。
まず入ったところが、考古学博物館で本当はトイレを借りたかっただけ。
受付の女性がにこやかで、親切だったから断れなくて全館見て廻ることになった。石器時代から青銅器、ローマ時代などの遺物が奥行き200メータくらいの2階に渡って展示され、途中で親切な案内の女性から英語の案内書など貰い、ゆっくり時間をかけることになってしまった。



なかなかきれいな博物館で、考古学も良いがその反対側のヴァレンシア・カルチャー博物館がとても良かった。展示に趣向を凝らし、床から壁がヴァレンシアの地図の映像だったり、過去からの男女の衣服など興味深い。この博物館の中庭に巨大なゴムの木は2本生えていてすごーい迫力。この博物館は入って良かった所だった。

  

この博物館の裏側のIVAM(Institute Valencia of Art Modern)が目的地だったがほんとにモダーンアートというのは判らない。
建物の地図を下さいと言ったらくれたのが各部屋に展示されている画家のブローシャーで5枚もくれた。
フリオ・ゴンザレスの作品はオブジェなのだけれどそれぞれタイトルがついている。この作品は判らないながらも面白く、ハーレクィン(ピエロ)だと書いてある。なんとなくそんな気もするが・・・・

一部屋が中国人リャン・ビンビンの作品で巨大な塔や長骨などが張子のようになっていて中から明かりが灯っている。亭主は何だコリャ。と言っていたけれどたいしたものだと私の感想。

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渡り鳥の旅 ヴァレンシアへ

2012-11-12 17:55:28 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

バルセローナのキャンプサイトには4泊して晴天には一日洗濯物を干し、マタロの町へショッピングに行ったりとのんびりした。

さてバルセローナのキャンプサイトは11月7日で閉まる予定だったが11日まで延ばしてくれたからのんびり出来たものの、また南へ行かねばならぬ。(これぞまさしく南へ向かう渡り鳥と同じ。)
バルセローナのサイトの受付の若い女性二人は、英語、フランス語、ドイツ語も達者で、英語などよどみが無い。スペインは4つの言語からなる多民族国家で、このカタロニア地方はカタロニア語、スペイン語はマドリッドが中心、他に2ヶ国語がある。1977年のフランコ将軍の独裁政治が終わるまで、スペインではスペイン語以外の使用を禁じられた。
最近ではバスク地方(北東地方)がスペインからの独立を求めて戦っている。



このバルセローナからヴァレンシアへの通りの表示がスペイン語とカタロニア語で書かれている。テレビでも地方の放送局はカタロニア語のニュースを流し、すこしスペイン語の判る亭主が全然わからないとこぼしていた。

  

途中の海岸線で一泊したけれど、町から遠く散歩にしてもオリーヴ畑と崖のもろい海岸線で行くところが無くて翌日ヴァレンシアの南5kmのキャンプサイトへ落ち着いた。



  



ヴァレンシアは昨年、このモダーンな建築群の一角の水族館を訪れたが、キャンプサイトはこの前の道路を通って車で15分の田舎にあり、何とこの周囲が水田になっていた。




昨年イギリス人からこの地域で稲の栽培をしていると聞いていたが、彼もそれが水稲なのか陸稲なのかは知らなかった。
スペインのパエリヤに使う米は丸くて大きく、やや日本米に似ている。従って水田なのが実際に見てわかった。

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渡り鳥の旅 バルセローナ カタルニア・ナショナル美術館

2012-11-12 17:53:21 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013


  

  


この広大な美術館は1920年代エキスポの為に建設された。建物内部を見るのなら入場料はいらないと言われて入った。期待しないで入ってみたが、玄関の広い空間にはとっても気持ちの良い黒皮のソファーがあちこち置かれ、疲れた足を休めるには最適。
最奥には大聖堂の様にきれいな天井と大きなパイプオルガンが設置されている。大きな天井を支える太い柱はすべて彫刻が施されて過去の栄華を思い起こさせる。



2階のドームの天井は最近の絵らしく今までいろいろな教会や大聖堂で見かけたドームの絵よりモダーンだった。

最近の公共建築物はほとんどが有料だが、ここスペインの美術館はは65歳以上は入場無料とのことで、大喜びで入った。

初めに入った部屋が近代、モダーン・アートだった。多くの絵や彫刻のほとんどがスペイン人、特にバルセロナ出身の画家や芸術家の作品で19世紀半ばから20世紀半ばの作品が多い。
過去8年間、機会あるごとにヨーロッパの各国美術館を巡り歩いて感じたことは、どこでも1850年から1940年位までに描かれた作品が一番心に残っているし、受け入れやすく自然な絵が多い。中世までは宗教画のみだったし、ルネッサンスと言われる16から18世紀ごろまでもバイブルをベースにした想像画が圧倒的に多い。

19世紀半ばから宗教を離れた自然の風景や、人物像などが描かれそれも爆発的にヨーロッパ中の地方の画家によって描かれた結果かと思われる。それと当時の芸術の中心であったパリでは印象派が大活躍していたためだろう。


  

この2枚のパネルはガスパー・ホマーと言う人の1909年の作品で多種類の木をモザイクにして絵にしたもの。この時代はアート・ヌボーの盛んな頃、典型的な絵。

2枚目の絵はラモン・カサス(バルセローナ出身、1866年ー1932年)の題名”タンダムに乗っているラモンとペレ・ロメウ”1897年の作品で私が一番気に入った絵、まるで漫画のようでユーモアがある。当時では革新的な絵だっただろう。

  


3枚目の作品は特に好きなわけでは無いが、どうやって毛皮の毛の感じが油絵で出せるのだろうか?と接写してみたが判らない。バルセローナ出身のフランシス・マスリエラ(1842年ー1902年)の1882年の作品。



このぼろをまとった男の子が泣いている彫刻は哀れを誘うのになぜか微笑みたくなる作品で、バルセローナ出身で後にブエノスアイレスに移住したトルクアット・タソー(1852年ー1935年)のブロンズ像。泣いている表情がとてもうまい。

  

このテラコッタの女人像は高さ30cmくらい、衣類の細かなレースの浮き彫りにあっけに取られた。どうやってこのような作品が生み出されるのだろう。この像もバルセローナ出身のロッセンド・ノバス(1841年ー1891年)の作品。



この天使の絵はロンドンのテート・ブリテンの美術館にとっても似通った絵がある。
画家はArcadi Mas I Fondevila(1852年-1934年)でバルセロナー出身。 来年帰国したらテートへ行って是非確かめてみたい作品。 どなたか興味のある方は行って見て下さいませんか。



この絵は一目見てアルフレッド・シスリー(1839年ー1899年)の絵と判る。彼はパリ出身の画家で印象派の一人、セーヌ川ぶちやイギリスの通りなど静かな絵を描いた。私の好きな画家の一人。



このイスはアントニ・ガウディ(1852年ー1926年)のデザインによるもので、この天才設計士、家具デザイナー、芸術家だった彼は、あらゆる家具調度品のデザインを試みた。
それがまた素晴らしいデザインばかりで、このような天才の頭の中はどうなっているのだろうと思ってしまう。



 
今では誰でも一目でわかるピカソの作品が一枚だけこの美術館にあった。マラガ生まれのパブロ・ピカソ(1881年-1973年)は生きている間に有名・財を成したまれな画家で子供時代から絵の天分あり、このようにグラフィックされた絵を描くようになったのは後年になってからだ。若い頃の絵はまともだけれど真似が出来ないほどうまい。



このキリストの彫刻は1500年代に無名の彫刻家によってアレマニアで作られた。いかにもスペイン人によると思われる作品。

こうしてみると好みの作品がやっぱり19世紀から20世紀にかたまってしまう。しかしこの美術館にはにはロマネスク(11-13世紀)、ゴシック(13-15世紀)ルネッサンス・バロック(17-18世紀)の絵画、彫刻が数知れず展示されている。

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渡り鳥の旅 バルセローナ2日目

2012-11-12 17:51:20 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

  


2日目も10時にカタルニア広場に着いた。すぐ地下鉄の駅に行く。この地下道が長くて一体本当の駅はどこにあるのだろうと思った。雨降りの日には地下道を歩くのはいいかもしれないが、秋晴れのこの日、地下鉄で移動するのは早いけど、外が見えないのはつまらない。

地下鉄で4つ目の駅でおりた。ここからエスカレーターが山に向かっていると言うから歩けども歩けどもなかなか行き着かない。急な坂道を行くと最初のエスカレーターは壊れていたらしい。前を行くおじいさんは足が悪くびっこを引きながら息を切らして急坂を登っていった。

途中からエスカレーター3回に乗り継ぎ頂上に着いたのはグエルーパーク。ガウディが設計し世界で只一つの変わった憩いの場だ。ここも8年前に来たことがあるが公園の頂上まで登ったのは初めて。バルセローナが一望に見渡せる。若い日本人の男の子が堂々漫画を読んでいて、我が亭主はこんなところまで来て如何して?と不思議がっていた。

    

  

色とりどりのタイルを細かく砕いてモザイク状に張り合わせた公園のベンチはアイデアが素晴らしい。雨が降ると水はベンチの外の溝から小さなガーゴイルに流れ落ちるように設計されている。

  

今日もたくさんの観光客がこの公園で憩い、アフリカ系の物売りが警察の目を盗んでお土産、小間物売りにいそしんでいる。
黄緑色にブルーの羽を持つコクツー(オウムの小さいもの)は今ではヨーロッパのほとんどの国で見られるが、ここでは椰子の木に巣を作ってその姦しい事。この鳥オリジナルはオーストラリアだと思うが、ヨーロッパの気候にうまく順応して増えに増え、南国スペインからドイツまでどこでも見られる。

  

この公園の一角にガウディが住んでいた家があり今では博物館になっている。今回はゆっくり探して見ることが出来た。スペイン1の設計士、芸術家であったガウディにしてはつつましいくシンプルな家で、この机でサグラダ・ファミリアの設計もしたのかと感に打たれた。



午後早くカタルニア広場へ戻り、スーパーで昼食用のパンやハム、サラダなど買い、観光案内所でオリンピックスタジアムへ行く地下鉄駅を聞いたところ、地下鉄2日券はバスも乗り放題。バス55番がそこまで行くと言う。

  

明るい日差しの中、スペインの町並みや広場をバスの窓から見ながら、バルセローナ南西の岡へ登っていった。終点がオリンピックスタジアムで、すぐに中を見渡すことが出来た。ロンドンのオリンピックスタジアムを知らないから見比べることが出来ない。なんとなくなーんだ、このサイズか。と思ったのは不遜か。それにしては警備の人も居ず、誰でも通りすがりに見ることが出来るスタジアムはいいのだけれど、いつも使われていないのは無駄ではないか?スタジアムの近くのテレコムタワーはデザインが素晴らしい。さすがスペイン。

  

ここから歩いて数分、素晴らしい建物に行き着いた。初めは教会か大聖堂かと思ったのにこれがカタルニアナショナル美術館と知って大喜び。いいところへたどり着いたものだ。

  


美術館内部の写真は次回に譲って、夕方5時過ぎ美術館を出るとゆっくり下界へ降りていった。本当に美術館内で世間を忘れて素晴らしい絵を見ている時は、天国にいるみたい。

  

  


美術館から町へ降りてゆく途中にはマジック噴水なるものがありこれは時間が限られている。これは1929年のエキスポに作られたもので、噴水と同時に音楽もなるらしい。冬は金、土曜日の7時から9時まで4回と書いてあるから相当なショウのようだ。



これはカタロニア広場の噴水

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渡り鳥の旅 バルセローナ1日目

2012-11-12 17:18:55 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



 


8年前に訪れたこの地を図らずもまた訪ねることになった。キャンプサイトからバルセローナのカタロニア広場までキャンプサイトの無料バスが往復している。
朝9時15分サイトを出発して約45分で広場に着き、夜7時にバスが迎えに来てくれる。

その間各自それぞれ自由に町の観光に出かけてくる。ヨーロッパを車で自由に旅行したい人には、キャンプサイトのバンガローに宿泊してこのような無料バスを利用できればずいぶん安くて楽しいたびが出来る。

 


カタルニア広場へ着くとすぐに見つけた観光案内所で地下鉄2日券(13ユーロ)と地図を貰い、まずは近くにあるピカソ博物館へと歩いた。途中にバルセローナ大聖堂がありミサの真っ最中。ここは大きくて、ミサも後ろの入り口のほうは見えないからあちこちにテレビが備え付けられて中継していた。この聖堂はつい先週見たフランスの大聖堂2軒より豪華、巨大で高窓のステインドグラスが素晴らしい。

そこから歩いて10分ほど、ピカソ博物館へ着いてみてびっくり。狭い通りに面しているチケット売り場に延々と並んでいる観光客。私があっけに取られている間にも列はどんどん長くなってゆく。11月になって一体どこからこんなに観光客がやってくるのだろうか?

  

すっかり諦めて、地下鉄でもう100年前から建築中のサグラダ・ファミリアへ行った。
8年前に来た時は後20年もすれば出来上がると言われていたが、そのときは床も完成していなくて天井を作りかけており、ステインドグラスは入り口の両サイドだけだった。
それでも教会嫌いの亭主が、”これが完成した時にもう一度見てみたいものだ”と言ったのを今でもおぼえている。

地下鉄駅を出てみる切符売り場の前から長ーい行列、これじゃピカソ博物館のほうが良かったかもと悔やんだけれど行列の最後尾に着いた。昨夜インターネットで調べてみたがこのサグラダ・ファミリアがバルセローナで一番観光客が集まるところだと言う。真夏の炎天下で1時間以上も長い行列を作る人のため、水と帽子を忘れないようとの注意書きがあった。11月でも太陽が出れば結構暑い。もちろん帽子も飲み物も持参で列を作った。

いらちの亭主はこんなところで1時間も並ぶのは嫌だ、とごねていたけれど”私にはここを見るためにわざわざバルセローナまで来たのだから、貴方が嫌なら好きなところへ行ってきたら?後で時間を決めて会いましょ。”と言ったもので諦めて黙ってしまった。

  

  


行列は思ったよりも割りと早く、35分ほどで、門をくぐることが出来た。正面玄関のモダンなキリスト像は8年前にも出来上がっていたから目新しいものではなかったが、玄関の扉を入ったところであまりの明るさ、華麗さ、あふれる色彩と光の調和、素晴らしい完成度に大感激思わず涙があふれた。わずか8年で教会内部は95パーセントは出来上がっており、天井も周囲のステインドグラスも祭壇もどこを見ても言葉に出来ないほどの素晴らしさ。

  

2年前の11月バチカンのローマー法王、ベネディクト16世によってここサグラダ・ファミリアは神に捧げられバシリカに成った。

  

  


この8年間どんなにたくさんの人が建築に加わったのだろうか。日本人の彫刻家がここに加わっていると報道されていたことは知っているが・・・。ヨーロッパのあらゆる国で多くの町で教会や大聖堂を見て歩いたが、これほど明るくモダーンでそして荘厳な聖堂を見たことはない。これぞ21世紀の聖堂だが、設計したガウディは90年近く前に亡くなっている。

  

  

1926年交通事故でなくなったガウディは身寄りが無くあまりにみすぼらしい姿のため3日間ホームレスの人達のように身元不明で安置所に置かれたそうだ。
そんなことを思いながらこのバシリカを見て周り今もガラスにステインドグラスを取り付ける工事中の人達の写真を撮りながら、ガウディがどんなに喜んだことだろうと思い巡らした。

あれほどごねた亭主が”やっぱり来て良かった。8年前を思い出した。あの時とはなんと言う違い、あの時は工事現場だった。”と感激していた。

  

裏の外壁の彫刻の中になんとなく日本人の親子のような顔が見えるが、もしかして日本人の彫刻家の作品かも知れない。

バシリカを出た午後2時半、切符売り場の行列は5分の1に短縮していた。これじゃピカソ博物館もあまり人がいないかも知れぬと思い立ち、昼食もそこそこに博物館へいそぐ。
途中に素晴らしい建物を見つけた。

  

なんとなくアラビア又はトルコ風なデコレーションで、地図に拠ればミュージカル・シアターと書いてある。残念ながら閉まっていて内部を見ることは出来なかったが、通りかかる観光客が皆立ち止まって写真を写していた。

ピカソ博物館は彼の子供時代からの作品が展示され、天才は子供時代からなのだと思い知らされた。以前は彼の歪曲した人物画などを見て如何してこれが良いのだろうと思ったものだが、今では感心してみている自分に驚く。

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渡り鳥の旅 ルーケイト(Reucate)からスペインへ

2012-11-05 17:53:29 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



カレーからフランスを縦断するにしても、なるべく行ったことの無い行路を選んでいる。この地図で見ればお分かりと思うが、今年のコースはフランス中央部を真っ直ぐ地中海沿岸へ向かって南下したもので、中央部オーリオンから海抜1000メータ前後の山間を上下する長距離コースは無料の高速道路が無ければ幾日かかるか判らない。
渓谷のキャンプサイトを後にしたものの、カーナビに頼らないでと思って間違って全く反対方向へ行き、往復50k以上も無駄にした。しかし山頂から見下ろした山間部は素晴らしく、遠くにヨーロッパで一番高い橋を眺められて、不幸中の幸い。

  

高速道路で100km近くも雲の中を走っていたらしくあたり一面霧雨で暗かったが南下して地中海が近づいてくるにつれ、空も明るくなってきた。8年前に来て1週間も滞在したルーケイト(Leucate)のキャンプサイトで今回もゆっくりしようと夢見てきたのに、キャンプサイトは閉まっていた。天気も怪しげで強風、小雨がちらつく寒い夕方になってしまった。

  

幸い海辺にキャンピング・プラッツがあり一泊7.2ユーロ、すべてがオートメ化していてクレジットカードを入れて操作するだけ、泊まっても電気も無く、キャンパーの自分のバッテリーを使い自分のトイレを使う。今夜はテレビもコンピューターも見ないで編み物をしたり、数独をしたり。


  

今朝目覚めてみれば夕べの雨雲は強風に吹き飛ばされて、空は真っ青、南国の空の青さは英国の11月の暗い空からは想像も出来ない。ルーケイトの町並みも白壁にテラコッタ色の屋根が美しく密集して,蛎やムール貝を養殖している内海は空の色を写して真っ青だ。



  

内海の向こうに雪をかぶったピラニー山脈が伸びて、昨年あの山を越えてアンドラ国へ行ったことなど思い出した。ここからそんなに遠くないそうだ。
フランスの国道からスペインにかけてどれほど多くのキャンパーを見かけたことか。10月末は帰国して自国でクリスマスを迎えようとする人達と、私たちのように暖かい天気を求めて南下する北ヨーロッパの人達で、キャンパーが行ったり来たりしている。スペインの国境を越えるまで前に4台のキャンパーが走っていて、彼らもこの冬スペインでの滞在組みか。

ところでフランス南部やスペインの高速を離れると、あちこちで見かけられるのが道端に立っている若い女性たち。彼女たちは売春婦で車でやってくる顧客を待って派手な格好で立ったり座ったりしている。売春が公認されているわけではないだろうけど、只立っているだけでは逮捕も出来ないだろうから難しいのかもしれない。それとも公認か?


  

スペイン国境を過ぎると暫らくして周囲一体の山や林や森の木が真っ黒に焼け爛れて、これは今年の春か夏に山火事が有ったらしい。あたり一面が火の手が上がったらどんなに恐ろしいだろう。そしてどうやって消火したものかと思ってしまう。それにしてもものすごく広範囲だった。車で10分以上走ってもまだ周囲は黒木が林立していたから。

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渡り鳥の旅 ミヨー(Millau) 

2012-11-05 14:36:01 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



ボウシュから南へ下る国道N144は真っ直ぐで、これらの道の基本はローマ時代に作られたことがわかる。起伏は仕方が無いとしても、どこまでも真っ直ぐな道だと、私でもキャンパーを運転してみようかななんてフット思ったりするが、これが危ない。八年前、リオンへ南下する真っ直ぐな道で亭主の道案内で運転したら、町の通りへ入ってしまった。後ろには車が数珠繋ぎ、これには冷汗物でそれ以来絶対ハンドルは握らない。




ヨーロッパもイギリスも通りには四つ角と言うのが少ない。ほとんどラウンド・アバウトと言う中央が丸く、自分の出発手前に車がいなければどの通りからでも出発できる。ここフランスの国道はほとんどそれで、真ん中のデコレーションがしだれ菊のハンギングバスケットだった。



国道の途中素晴らしい古城を目にし近くの駐車場に停めてもらって写真を写す。ロッシェ城の説明案内が張り出されていたがフランス語で読めなかった。



南下するうちに天気もすこしづつ明るくなって、高速道路の周囲の景色が素敵に見えてくる。先日友達がフランス北部のアルザス地方を1週間旅行してきたが、彼女の言葉を借りればやっぱり田舎はイギリスが一番きれいね。私にはノルウエーの田舎が一番だけど。




高速道路の休憩所から見える聖マドレィン教会とシャレー村は久しぶりの南欧の景色で絵になる風景。







ミヨー(Millau)で高速を降りてキャンパーは狭い田舎道へ入っていった。片側崖が急で”下を見ないでゆっくり走って ”、とわたしも必死。またカーナビにこんなところへ連れてこられたと亭主の怒ること。
1時間後にやっときれいな渓谷のキャンプサイトに着いた。
このサイトは河ぶちまでの崖を削って平らにしたところにキャンパーやキャラバンが停められるようになっているが急な坂道でトイレやシャワーに行くのがつらい。




しかしこのサイトの設備の素晴らしさは今まで8年間廻ったサイトのうちでも上の部に入るものだった。洗面所も大人と子供が使えるように工夫され、シャワーなど親子で同時につかえるように一室に高低のシャワーが設置されている。
素敵なサイトだったけれど、私たちにはもう一度来ることは無いだろう。きっと夏にはこのサイトが満員になるに違いない。





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渡り鳥の旅 ボウシュ(Bourges) 

2012-11-05 14:07:18 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



200kmほど南東へ行ったボウシュ(Bourges)はほぼフランスの中央に位置する小さな町で、ロンリープラネット(英語版地球の歩き方のような本)にも町の説明が載っていない。

  


また朝から雨模様で、辺りはグレイ。午後2時頃に着いたキャンプサイトでここから1kmで大聖堂に着くと言われて町の散策に出かける気になった。

1kmも行かないうちに降り出した雨の中、この一角に48時間無料のキャンピングプラッツを見つけた。停まっているのはフランスのキャンパーばかり。一泊するには最適な場所だ。またここに来た時の為に記憶しておこう。

 

   

町の中心は13世紀の聖エティエン大聖堂、ゴシック建築の巨大な建物で、内部はほとんど真っ暗な状態。只入った時に奥の大きなパイプオルガンが荘厳な曲を奏でていて、久しぶりポーランドの教会を思い出した。

  

ここも一面のステインドグラスが張り巡らされて、一枚一枚の絵にストーリーがあるのだろうけど、これだけ細かく多色を使ってごちゃごちゃしていると暗い中で色彩もにごってしまう。あまりきれいに見えない。

  



雨の石畳を歩いている人達は明らかに観光客ばかり。雨の中で冷たい風もだんだん強くなってきて寂しさが増してくる。
この町は辻の飾りもハンギング・バスケットもすべてが菊の花で、このような飾りははじめてみた。

  


古い建物の飾りに、雨どいを口にくわえている獣、その上のガーゴイルも犬らしい。建築物の守り神?または獅子脅しみたいだ。ヨーロッパの古い教会や英国の古い建物のほとんどにこの守り神がとりつけられている。

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