Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2015年ヨーロッパ旅行ーラジオ体操とファド

2016-02-28 15:02:06 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

キャンプサイトのコーナーのジムで毎日楽しんでいるラジオ体操もこの日はステファニーの最後の日。ステファニーは75歳の元気な人で今年で結婚52年目、昔は学校の先生だったというインテリで旦那様は電気技師だったそう。オランダ人のマーリッシャのキャンパーの電気系統がおかしくなって3日も停電が続いたときに、電気技師のジョンが行って直してあげた。これも一緒にラジオ体操をしていておしゃべりして友達になっていたため。

湖水地方から来ているマイクは最近この体操に来るようになった人、彼の住んでいる村にはたくさんの退職者が住んでいる。5年前に英国人男性が日本人の奥さんと娘を伴ってこの村に落ち着いた。日本人の奥さんはこの5年間決して外出することもなく、村の人たちは彼女の顔を見たことが無いという。60歳前の人で娘さんが家から数十マイル離れたカレッジに行くようになって話し相手はご主人だけという。

マイクに帰国したら村の人たちとラジオ体操をはじめ、日本人のその女性に体操を教えてもらいなさいと話したところ良い考えだと喜んでいた。

小柄なフランス人のミシェル(フランス人の名前は英語と違って男女の名前が逆転する)はもう2ヶ月以上も毎朝来てラジオ体操をしているが今まででこんなに覚えの悪い人には会ったことが無い。彼は75歳で自分でも覚えられないと言ってるけど、2か月もすれば体が覚えるのじゃないかと思う・・・・。ひと月くらい毎朝5分間だけ個人レッスンもしてあげたけど、とうとう諦めた。本人がそれでも楽しんでいる様子だからまーいいか。

ラジオ体操が終わるとすぐに帰って朝食をとっていたのは昨年までの事、イギリス人が増えるに従いおしゃべりする時間が長くなり、このところ毎朝30分はおしゃべりに時間をとられ、みなもそれを楽しみに来ている様子。お互いいろいろな情報や冗談も尽きず、楽しい日々だ。

 

 

土曜日の夜6時半からショッピングセンターのフードコートで無料のファドのコンサートがあるというので出不精の亭主を連れて出かけた。

これは観光案内所の後ろにあるファドセンターのプロモーションで、この夜は若い男性一人に女性2人の歌手とギターとポルトガルギターの演奏者2人 が出演した。フードコートはポルトガル人がいっぱいで、彼らには知っている歌を歌っているらしく、歌の終わり近くになると拍手が沸いて終わりが判る。

 

 

 

金髪の女性が一番うまく彼女の写真が後ろのファドの看板に使われていた。たった1時間の公演だったけれどヴィデオにも収め、雰囲気も良くて楽しくキャンプサイトへ帰ってきた。

 

 

 

オランダ人夫妻の隣人マーリッシャはどこからかこんな情報を集めてきて教えてくれる。彼女はこの夜、次に町の中心地の旧シネマで行われたファドにも行ってきて、帰ってきたのが真夜中だったという。

 

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2015年のヨーロッパ旅行-アヤモンテ(Ayamonte)日帰り旅行

2016-02-27 22:26:13 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

  

 

 

タヴィラから電車で30分、国境の町ヴィラ・リアルの川渕には巨大なキャンパーストップがあり、キャンパーの多さには本当に驚かされる。こんなにびっしり停車していれば日向ぼっこをする場所もない。

気に入らない隣人が居たらどうしょうもない。

             

このヴィラ・リアルの川渕の港から対岸のスペインの町アヤモンテまで一時間に一本フェリーが運航している。乗っている時間は20分くらい、したがって対岸の白い町はしっかり見える。たった河を渡っただけで1時間の時差がある。

 

 

 アヤモンテからはっきり見えるのがポルトガルのカステルマリムの新旧の城壁でやっぱり雄大だ。

 

 アヤモンテの港から旧市街はまっすぐできれいな町とスペイン特有のタイルで飾られたスクエアに着いた。

 

 ムーアの影響を受けたきれいなタイルはセビリアを思い出させる。そしてこの坂道の石畳を設計した人はいったいどんな頭脳をしているのか。

 

ずらっと並んだお店でひときわ目立つのが少女用のフラメンコのドレスで、これはポルトガルには無い。ヤシの木に囲まれたスクエアには色とりどりのタイルのベンチが備え付けられている。

 

 

旧市街から住宅街は急な坂道になっていてこんな坂道とも階段とつかない芸術的な場所があった。

 

 

 

ポルトガル語でオルテンシオと呼ばれるピンクの花はアジサイくらいの大きさで、花は木からぶら下がっているが、こんな大きな木は見たことが無い。こんなきれいな花なのに枯れても茶色のまま下がっているのがいただけない。きれいなピンクの花には小鳥が逆さまになって蜜を吸っていた。

 

 

 観光案内所の隣に無料の動物園がありトイレを探して入ってみた。うるさく鳴き騒ぐオウムのケイジの隣に一頭のライオンがいた。かわいそうに精神不安定な様子でこちらを見るでもなく、イライラと同じ場所を休むことなく歩き回っている。数頭の鹿は飽き飽きした様子で寝そべっていて生気がない。

 

この南国の花が一番イキイキした鳥のように見える。ウイークディの日中誰もいないこの動物園は生きている動物が哀れに思える。

 

  

 観光案内所で教えられた美術館は入場無料、監視人一人も居なくて写真の撮り放題。久しぶりできれいな絵をたくさん見て嬉しかった。

考えてみればポルトガルでは一度も美術館へ行ったことが無い。アルガーヴに美術館があるかどうかも知らない。

亭主はカラフルな風景画が気に入り、私はきれいな女性の絵が一番気にいった。

 

昼食に入ったレストランで、隣に座って食べているカップルのお魚がおいしそうで、同じものを注文した。ポルトガルでいろいろ魚を食べているがこんなにおいしい子カレイのフライは食べたことが無い。一皿10ユーロでポルトガルのようにチップスやサラダは付いてこない。

別料金で注文しなくてはならないのでポルトガルよりずっと高いのが良く分かった。でも忘れられないくらいおいしかった。

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ーサイトの仲間達

2016-02-27 20:58:19 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

2月21日日曜日、サイトで知り合った英国人21人に日本人1人は飲み物、食べ物を各自持参でパーティを開くことにした。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

殆どが自前のサンドイッチや、サラダなど作りワインボトルとジュースなどそれに各自のワイングラスもテーブルクロスも持ち寄ってタヴィラランチクラブなるものを立ち上げた。

 

 

私も土曜日にご飯を炊いて巻き寿司を10本も巻いたが、残念なことにポルトガルのお米は粘りが少なく特に一夜置くとご飯がパラパラになってしまう。一晩おいて切り離すとほとんどがばらばらに崩れてしまった。仕方ないから煮込んで寿司リゾットと称して味見してもらったが助かった巻きずしは初めて食べる人たちには好評だった。

キャンパーの中でもオーブンで料理する英国人ならこそ、ケーキも焼いて食後のデザートも完璧、初めて出席した2組の英国人たちが大感激していた。

食べることになると一致団結してしまう英国高年者、恐れ入ります。

 

 

食後は日向に出ておしゃべりに興じる。もう金婚式を過ぎたカップルも2組もいるが、話題はキャンパーの事とゴルフの事。孫や病気の話は出ないのが英国人年寄りのいいところかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ータヴィラのレストラン

2016-02-27 16:28:11 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

12月に2回訪れたこのレストランはタヴィラから電車で一駅そして20分くらいは歩かないといけない辺鄙なところにあり、レンタカーを持っているピーターとメアリー夫妻がぜひ行ってみたいとのことで、車で訪れた。このレストラン名前が判らないので私と亭主の間ではタワーレストランと呼んでいる。近くに目立つ石造りのタワーがあるからだ。毎回期待に漏れず出てくる量がすごい。 

私のオーダーした焼きイカも2匹の大きなものだがメアリーのオーダーした焼き魚が5匹も入っていて二人で半分づつ食べたがどうしても食べきれなかった。12月に来たときはサラダやチップスが多すぎて3皿も手つかずで豚の餌になってしまい、今回はレストランのほうで加減してくれた。食いしん坊のピーターが大喜びで、2週間後にロジャーやディヴたちを誘って又行った。

 

2月末から英国人仲間達が帰国したり、よそのサイトへ移って行ったりするのでお別れパーティを兼ねて以前からひいきのレストラン・サイクリスタへいくことにした。

集まったのは16人、サイクリスタの前で12時半ということで予約してもらい、ある人は車で半数は30分も歩いて出かけた。幸い風は冷たいが晴天でほとんどが冬装束。

 

英国人でイカやタコを食べる人は少なく、半数は子牛肉のソテーにマッシュルームソースを注文、これはピーターのおすすめ料理で、以前食べたのが素晴らしかったという。ところが今度は脂身とスジが多くて大不評だった。私がオーダーしたモンコイカのガーリックソース煮込みは最高。隣に座ったロジャーに少し味見をさせてあげたところ、あまりのおいしさに悶絶状態。次に来たときはこれを注文するという人が数人現れた。

2-3日前から風が強くて漁師が漁に出られなくて、レストランには新鮮な魚が少ないという。昨年来た時に大きな皿に3匹の焼き魚と1匹の焼きイカが載っていて驚いたものだが、この日は一匹だけだったそうで、これでサイクリスタは10人以上の顧客を失った。

 

 

 

  

 

サイクリスタで不満だったピーターの提案で三々五々いつものケーキショップのヴェネズエラに集合。ここでコーヒーに大きなケーキを食べて不満解消。話が盛り上がった。

考えてみれば2月に店の前のテーブルでお茶を飲むことなど英国では考えられないことだ。

 

 

きれいな青空の下では純白の家々がことのほか素晴らしく見える。 帰り道のラウンドアバウトではまたサインに車が突っ込んで倒れていた。これで何度目だろう。狂った運転手ほど怖いものは居ない。

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2015年のヨーロッパ旅行-タヴィラ・フォレスト・ウオーク

2016-02-26 12:59:05 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

2月上旬、英国から帰ってきてすぐ、ファーロ病院の請求書をもって支払いに行った。11月から数回行っているが、今回は受診でないからカメラを持って行って病院敷地内のすごい木の根を写してきた。これほど地表に伸びている根を見ると地震が来ても地割れすることが無いだろう。それと周りをコンクリートで固められた木の根もまるで地表に出て酸素か水を欲しがっているようだ。

 

 

 病院の支払い事務所に置かれた古い金庫?様のもの。全体に模様が施されていて古き良き時代を思わせる。それにしちゃ駅の停まっている落書き列車はどうだ。窓がペンキでおおわれているから外が見えない。夏には太陽光線が入ってこないから暑さをしのげるかもしれないが、一車線路の列車では海側しか太陽が入らないから、落書きするにしても考えてほしいものだ。

NHKのテレビで新幹線にも車両に派手な模様が描かれているそうだけどこんなものじゃないだろう。

 

 

翌日も晴天、タヴィラの森へ散歩に行こうとコーヒーとサンドイッチを準備した。カエルが鳴きわめいている小さな池にいつも一匹ぽっちの亀さんが甲羅干しをしている。お友達かだれか欲しいだろうに、住民の誰かがペットの亀をこの池に離したのに違いない。オレンジ畑は今年も大豊作、安くて新鮮なオレンジは毎朝欠かせない。この地に居る間だけの贅沢。

 

 

 オリーヴの実は収穫を終わり今は休憩期、辺り一面バミューダバタカップが花盛り、これだけ野生の草地で夏にはいったい何を植えているのだろうかと不思議だ。

 

 1月末から花盛りのトランペットフラワーは11月二日にタヴィラに着いた時も真っ盛りだったから、いったい一年に何回花が咲くのだろうか。誰か知っている人はいませんか?

 

 3月にはあたり一面を埋め尽くす白い花シスタスはまだはしりであちこちぽつぽつと咲いているだけだった。今日の散歩道は高速道路の下のトンネルを通って高速道路と平行に伸びている林の中を東に向かっていくことにした。

 

 遠くに見える小さな村へは3月に入ってから野生のラヴェンダーフィールドを見に行くときには通っていく。誰にも出会わないこの道では遠くに高速を走る自動車の音が聞こえるだけ、小鳥もあまりいない。

 

 

 みちの両脇にはミモザの花が咲き終わりかけ、花の終わりかけはあまりきれいには思わない。やっぱり桜やアーモンドの花のようにぱっと散るのが一番きれいだと思う。森のはずれのメイン道路に近くたくさんのポストボックス。でもほとんど家があるように見えない。

 

 

 

 野の花やよその庭のきれいな花を愛でながら11kmの散歩で疲れ果てて帰ってきた。素晴らしいタヴィラの春。

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2015年のヨーロッパ旅行-タヴィラのエンターティンメント

2016-02-16 22:55:19 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

昨年11月2日にタヴィラに着いて以来、ショッピングセンターの中のシネマではボリショイバレーとロイヤルオペラハウスのオペラを数回見に行った。

ボリショイバレーの椿姫とくるみ割り人形・・・・どちらもまあまあというところ、毎年数回画像でバレーを見ていると ”わー素晴らしい” と歓声を上げたくなるのも中々無いものだ。プレビューで3月半ばにバレーのスパータカスがある。これがすばらしい、ぜひ見なくちゃと期待している。

オペラハウスのオペラでは12月に有ったカバレリア・ラスティカーナとパリアッチが最高だった。昨年4月末帰国してすぐメトロポリタン・オペラの同じ出し物を見て十分楽しんだものだけど、オペラハウスの舞台装置や2つの全く違う作曲家のオペラを上手につなぎ合わせた工夫など音楽だけでなくすべてに感激ものだった。

昨年春イングリッシュ・ナショナル・オペラの椿姫ではあまりにがっかりさせられたから、今年2月初めに有ったロイヤルオペラの椿姫は興味を失って見に行かなかった。この国ではオペラのサブタイトルはポルトガル語だから興味削減も多々ある。

 

 

 

 

 

1月に入って以来、英国人のキャンパー仲間が勢ぞろいしたおかげで、毎週土曜日に教会で開かれるコンサートへ出かけるようになった。

毎週半ばにロジャーがチケットを買いに行ってくれるおかげで、舞台の真ん前の座席を予約済みにしてくれ、満員でも座席が確保されているのはありがたい。夕方6時から7時までの1時間だけのコンサートで夕日が傾くころにサンタ・アナ教会に着いた。1月30日はジョシュアー・ヌネスのギターで彼のアレンジによる独奏が25分以上も続いた。彼がアンコールで弾いた”禁じられた遊び”だけが知っている曲だった。

 

 

 この日はトータル12人で鑑賞に行ったが、翌週聖セバスチャン教会でのピアノ演奏の時は16人も一緒に行った。そして前の座席を確保してあったから、当日券で入ったポルトガル人に申し訳ないような気持ちになった。狭い教会が超満員で入れない人たちがたくさんいた。

 

 

 

これらのタイルは17・18世紀の古いものでサンタ・アナ教会の少ない壁飾りである。

 

 

 

 

2月13日はベラ・アカペラという混声合唱団の公演でまた聖セバスチャンであったが、女性10人ほどに男性3人でのポピュラーミュージックの合唱は素人より少しましな位でがっかりして帰ってきた。

このの合唱団は昨年も聞きに行ったことがあるがこれほどではなかったと思う。やっぱり期待が大きすぎたかもしれない。

昨日2月15日に英国人のピーター・メアリー夫妻と一緒にシネマにRevenantという映画を見に行ってきた。この映画日曜日の英国バフタ賞を総なめにしたとのことで興味を持って行ったが、これでもか、これでもか、というくらい残酷シーンが続き、おまけにほとんどが雪山の中、レオナルド・デ・カプリオも堂々中年のひげもじゃで感激には程遠い。ストーリーは最後まで退屈させないけどもう一度見たい映画ではない。今年のアカデミー賞の候補に挙がっている。

 

 

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2015年のヨーロッパ旅行-1月の花々

2016-02-14 22:37:29 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

昨年暮れから日本も英国も暖冬と言われているが、ここポルトガルでも例外でなく冬から春の花が一ヶ月は早く咲きだした。

 

 

野原や道端も畑地をも真っ黄色に染めるバミューダバタカップは12月から咲き始め、1月半ばではすべてを飲み込んで真っ黄色に咲き誇っている。

 

 

 

アーモンドの花も濃いピンクとやや白っぽいピンクがあるが1月半ばの青空のもと満開になった。

 

 

 

たぶん時季外れに違いないこのサボテンの花は今までで初めて見たもので、たぶん夏に咲くものらしい。年中派手な色どりのブーゲンビリヤは実際は小さな白い花の周りのガクに過ぎない。

 

 

 

晴天の1月末田舎道へ長距離散歩に出かけた。コウノトリも昨年からの古巣を修理してつがいで納まっている。4月までにひなは還らないらしく、ひなに餌を運んでいるところは見たことが無い。

 

 

 

英国では園芸店で売っているこのブルーの花はここポルトガルの林の下草でまるで星のよう。

 

 

塩田の中に一塊のフラミンゴが餌をあさっている。彼らは非常に臆病な鳥で少しでも近づこううものなら少しづつ後ろづさりして間を取っていく。塩田の中の潮の流れが太陽の光を浴びて輝いていた。

 

 

 

 

 塩田の中のあぜ道を歩き回り遠くに見えるタヴィラの白い町や塩の山とバミューダバタカップの花に見とれていた。

海岸近くの砂地は白のエニシダが雪のように咲き誇っている。

 

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ージュードの洗礼(クリズニング)

2016-02-13 20:43:13 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

1月1日に英国に帰った娘夫婦から、1月23日に北アイルランドでジュードの洗礼を受けるという連絡が入り、こんな寒さにどうしてと思ったものの、可愛い孫のためならと北アイルランドへ行くことに決めた。

娘婿が北アイルランドのベルファーストの出身で、ロンドンデリーの教会の神父さんが彼の叔父さんにあたる。あまりに急な話で娘の友達は誰も出席できないという。ポルトガルのファーロ空港から直接ベルファーストへ行く飛行機もあるが、出席するのにジーンズにTシャツではまずいだろうと、いったんロンドンの我が家へ帰ることにした。

1月20日早朝電車とバスを乗り継いでファーロ空港へ行き9時50分発のロンドンガトウィック空港へ飛んだ。3時間近くでガトウィックに着き、晴天であまり寒くないのに驚いた。何しろもう6年以上も英国の冬を経験していない。電車を乗り継いで娘の家へ行き夕方娘が我が家へ送ってくれた。長い間空き家にしていた家は冷蔵庫の中にいるように完全に冷え切ってセントラルヒーティングにガスストーヴもつけているが温まらない。結局寝るまで着ていったオーバーコートが離せなかった。

帰宅して良かったことは前庭の花壇いっぱいにからし菜がすくすく伸びてちょうど食べごろ、4月に帰国していれば花が咲いて種になっているであろう。全部引き抜いて,湯どうしをして蓋つきの容器に入れて塩を振り素晴らしいからし菜の漬物ができた。3等分し娘と彼女の家に来る掃除婦に上げ、3分の1はポルトガルへ持って帰った。

 

裏庭の畑のポルトガルキャベツは暖冬のせいで花が咲きだし、つぼみのを全部取って、ブロコリーの代わりにゆでて食べた。これも4月までには種になっているはず。前庭の小さな柿の木にまだなっている柿の実が熟柿になり、ブラックバードが1日中つついていた。

翌日は私はベビーシッターに使われ亭主はショッピングで夕方二人で早い夕食、私は久しぶりのバービカンへロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏を聴きに行ってきた。

 

金曜日朝からまたガトウィック空港へ行き、12時過ぎの飛行機でベルファーストへ飛び立った。1時間5分でベルファースト空港へ着いて、娘婿パトリックのご両親が車で迎えに来てくれた。彼らはベルファーストの郊外のカリックファーガス(Carrickfergus )に住んでいる。娘がホテルを予約してくれていたのがカリックファーガス城のすぐ近くの港のあたり。

  

土曜日の朝ホテルへ迎えに来てくれたパトリックが遠回りをして彼の家の向かいの高台の慰霊塔へ連れて行ってくれた。いかにもアイルランドの冬にふさわしい天気で今にも雨が降りそう。でも雪にもならずやっぱり地球温暖化を感じる。

ベルファーストからロンドンデリーまで約100kmの道のりをパトリックのお父さんジュードが運転して連れて行ってくれた。

パトリックは彼の息子に父親と同じ名前を付け、私たちの孫は両方のおじいさんからもらった名前でジュード・ポールという。

ロンドンデリーのレストランで昼食を食べている時に、我が孫ジュードのゴッドファーザーになるトムさんがたどり着いた。彼はパトリックの学級親友で旧ユーゴスラヴィアのモンテネグロで働いている。金曜日に飛行機でイスタンブールまで飛んで1泊し土曜日早朝南アイルランドのダブリンに着き、レンタカーを駈ってやっとロンドンデリーにたどり着き間に合ったと大喜びだった。

 

 

午後3時過ぎ雨の中を教会に向かう。灰色の小さな教会の印象で中に入ってびっくり、きれいで立派な教会だった。

 

 

洗礼用の白い服を装ったジュードは長い退屈なお祈りの間も泣きもせず、頭に聖水をかけられたときに一声上げただけで行儀のよい子だった。

ジュードにとっては初めての4人の祖父母に囲まれた記念写真。

 

日曜日のお昼娘夫婦はもう空港へ出発し、私たちはパトリックが昔通った中学・高校の前にある高級レストランで、パトリックのご両親と一緒に昼食を食べ空港へ送ってもらった。写真の後ろがパトリックの通った学校。

月曜日1日また子守に使われて火曜日の早朝6時半の飛行機でポルトガルへ帰ってきた。なんと忙しいしかし実りのある1週間だったことか。

 

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2015年のヨーロッパ旅行-タヴィラの1月

2016-02-11 16:38:29 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

クリスマスから1月1日の間に昨年からの友達だったフランス人のほとんどがこのサイトにやってきた。

エドモンド夫妻は3年前に一緒にラジオ体操をした仲間でそのころご主人はやっと歩けるようになりジムの機械によろめくようにしがみついていたものだけれど、話に聞けばその前年スキー事故で医者から回復不可能・二度と歩けないと言われたという。

それが昨年はよろめきもせず歩けるようになり、エドモンドもラジオ体操の代わりにご主人に寄り添って毎朝長距離散歩に出かけていた。

何と今年は二人とも大きなバイクにまたがり、ヘルメットとサングラスでさっそうと走り回っている。歩けない頃にはほとんど見えなかった笑顔で、言葉は通じないがとっても嬉しそう。フランス人であまり英語のできる人は居なくて、エドモンドだけが会話ができる。

もう一人英語のできるフランス人はフーベー(英語読みではハーバート)で彼の奥さんのジョセリンは一言も英語ができない。昨年こんにちは(How are you?)という言葉を教えたがフランス人にはHの発音ができないから(アウ アーユー)となり難しいものだ。この夫妻も新年に入ってすぐやってきて、キャンパーの向かいに停車した。英語ができないジョセリンがとっても親密で出会う度に抱き着いて両頬にキスするのだけがどうも苦手、あと二組のフランス人夫妻も同じで頬のキスは毎日のこと。

 

 

 

1月10日までにイギリス人のキャンパーが勢ぞろいした。彼らはクリスマスは子供たちや孫たちと自宅で過ごして、2月か3月までここポルトガルで過ごすグループで、もう何年もこのサイトでの友達同士だという。私がメール交換をしているロジャーとペニー夫妻はもうこのサイトに7-8年来ている。この夫妻はフランスの港に20メーターのヨットを持っていて、5月から11月まではヨット上で過ごし、ポルトガルは1月から3月までと忙しい。

たいそうなお金持ちだがそれを鼻にかけることなく、だれとも気さくに話す面白い人たちで、この1月キャンパー団の首領格。

 

 

 

 

2月初めに昨年も皆で出かけたチコーというレストランでのお食事会にもロジャーが音頭をとって出かけた。総勢14人で飲んで食っておしゃべりして、最後は近くのケーキ屋さん・ヴェネズエラでケーキとコーヒーを飲んで話が盛り上がった。

ロンドンでは日本人の友達が多く、近所の英国人の友達とも親しくしているが、冬の数か月は全く種類の違う友達に恵まれ、こんな生活ができることをとっても幸せに思っている。

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2015年ヨーロッパ旅行ータヴィラの年末

2016-02-10 11:10:59 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

年の暮れ5時近くタヴィラのローマ橋へクリスマスデコレーションを見に出かけた。もう2年も年末をこの街で過ごしていたが夜に出歩くことが殆ど無いからこのようなデコレーションがいつからあるのかわからない。

 

 

 橋の湾曲から両川淵まできれいに豆電球が飾られローマ橋の次の古い橋の上にはこの夜12時に上がる花火の準備がしてあった。たったの5分間だけしか上がらない花火だけれど橋の両端を埋め尽くす花火の箱は相当のものだった。

 

 

 

 町の広場にはこれまたモダーンなクリスマスツリーが光り輝いて、日中見ると何でもないツリーが素晴らしい。

ツリーの横手では音楽バンドのステージが作られ、今夜は長時間激しいロックバンドの音が町をこだますだろう。

ジュードの生活リズムに慣れてしまっている娘夫婦は9時過ぎに寝てしまい。私と亭主は12時からボンボン上がった花火を借家のベランダから眺めていた。5分間とはいえフィナーレはどこにも負けないくらい派手な光の饗宴だった。

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2015年ヨーロッパ旅行ークリスマス

2016-02-09 15:19:43 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

12月22日から娘夫婦が生後7か月の私たちの初孫を連れてここタヴィラへやってきた。クリスマスからお正月までの飛行機もホテル代も異常に値上がりし、飛行機代は普通の安い料金の3倍、ホテル代も2倍はする。彼らは10日間4ベッドルームの一軒家を借りた。このほうが自分たちでクッキングも出来るし自由だから。

この家はイギリス人夫妻が10年前に買った家で、彼らはほかにも家を持っていてそちらに住んでいるという。電気は太陽熱発電によるもので風呂もシャワーもこの電気から加熱されている。

裏庭に小さなプールがあり、娘はすごく期待してきたが、水温は15度、とっても冷たくて泳げない。夏にはこの日陰のプールは一番の憩いの場所になるだろうが、いくら暖かいとはいえ冬のポルトガルでは気温も15度から22度くらい。特に室内が夏用に作られているため、暖房なしでは寒くて楽しめない。

 

 

 娘夫婦はファーロ空港でレンタカーをして、夕方7時くらいにやっとたどり着いた。小さな赤ちゃんのいる家族は赤ちゃんの生活リズムに沿って一日が過ぎてゆくので、夜7時にはベッドへ入っているジュード(孫の名前)のため夕食やふろの準備で大わらわ。

ジュードが寝付いて大人4人が夕食を始めたのは8時半過ぎだった。

 

 きれいな家で床がタイル張りのため夏には涼しくて気持ちよいだろうが12月には寒すぎる。地下にはスヌーカーテーブルからダーツまで準備されているが、タイルの家は2階へ音が響くためジュードが寝付くまでは大きな声も出せない。

 

 

 

 クリスマスディナーは娘が七面鳥の丸焼きをクックしてくれ、ポルトガルのクリスマスケーキを食べて何年振りかの一家そろってのクリスマスを祝った。娘はポルトガルで魚を思いっきり食べたいとやってきたのに、娘婿の腹具合が悪くおまけにクリスマスや正月はレストランが閉まっていて何度も見逃してしまった。

 

 

 

 この借りた家はキャンプサイトから歩いて20分ほどの新興住宅地にあり、きれいな街だが、こんな町外れでも車の行き来が激しい。周囲を散歩してみると英国ナンバーの自家用車が多いのに気が付く。

 

 

 

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2015年ヨーロッパ旅行ーレストラン探訪

2016-02-08 17:15:53 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

12月22日から娘夫婦が初孫を連れてここタヴィラへやってくるというので、彼らのためにもとレストランを探して食べ歩きに出かけた。タヴィラの町中にもいろいろなレストランがあるが、郊外に良いところがあると聞き、以前には1日がかりのウオーキングに行ったところを途中まで電車で行き、駅から30分の田舎道を海岸道路へ向かった。

 

 

 途中の道端に数本のコルク樫の木が並んでいる。ほとんどは以前に皮をむかれて今が再生期に当たるところだが右の木のように皮が自然にはがれかかっているのも見られる。

 

 昔の水道ポンプでこのような仕組みは田舎道へ行くといたるところに見られる。今も水が出るのもあるがこれは出なかった。

 

 海岸通りは家屋らしいものがほとんどなくこの単独のレストランだけがやたらと賑わっている。以前にも数回前を通ったことがあるがレストランらしくない雰囲気に今でも名前が判らない。通りはこのレストランをめがけて来た車でいっぱい。

 

 

何しろ初めて来たレストランで英語もたいして通じない。亭主はミックス・ミート私はいかの炭焼きを注文したところ出てきた量にびっくり仰天、肉の大盛、大きな焼きイカ2匹にこの量のサラダ、いかなる大食いの私とてこれが全部食べられるとは思えない。

前菜に出たパンとオリーヴを食べなければよかったと悔いながら、下が向けないほど食べて飲んで、トータル30ユーロだった。 

 

  

帰りの駅へ向かう道は腹いっぱいで歩くのもつらい。道端に這っている朝顔の花を写したり住宅前庭のカエルの置物を眺めたりしながらやっと駅に着いた。

 

 

 

1時間の待ち時間に駅の近くをそぞろ歩き、この巨大なヤシ科の植物に可憐な花が咲いているのを見つけた。

 

 

 

明日も晴天を約束するような夕焼け空を背に帰り道、住宅地の前庭にパパイヤの花が咲いているのを見つけて大感激。

 

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2015年のヨーロッパ旅行-11月のお月さま

2016-02-08 16:10:12 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

 

 11月15日まだ夕闇が訪れる前の薄明りの空に下弦の月が浮かんでいた。昨年春まで使っていたカメラは3月頃の実ったビワをもいでは食べたその手でシャッターを押していたところ果樹で望遠のレバーが動かなくなってしまった。修理に出したところ新品とほとんど変わらない値段というのですっかり諦め、新しい機種にしたところ、これが望遠117倍にもなる。

すっかりうれしくなって毎晩変わりゆくお月さまを撮るのが日課になってしまった。

 

 夕暮れの薄明りでも月の表面のあばたが見える。

 

 

 

117倍を画面で見るとお月さまの表面がはみ出てしまって全部を入れるのに苦心した。 

 

 11月はずーっと晴天か続いていたから毎晩月が出てくるのが当然みたいだったけど、これって本当にラッキーだったのかも。

 

 

 下弦の月から10日後は満月、夕暮れの東の空にオレンジ色に近いお月さまが昇った。うっすらとかかった雲でまだらに見える。夕暮れ後10時真っ暗な空に月だけが青白く輝いていた。

 

 この秋初めてのうろこ雲が空一面に出て、見とれている。

 

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2015年ヨーロッパ旅行ー右肘骨折

2016-02-07 17:22:56 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

タヴィラのキャンプサイトに着いた翌日から、キャンパーの後ろに積んで来た折り畳みの自転車でショッピングやキャンプサイト中を乗り回していた。10月中ごろから亭主は昨年も出た坐骨神経痛に悩まされ、ショッピングにも出かけられない。

11月21日夜キャンプサイトの急な坂道を登り詰める前に途中で停まろうとしたところ、ほんの些細なところで自転車が前に倒れた。右肘と右ひざを打ち痛いながら自転車を押してキャンパーに戻った。この日は土曜日で痛みも大したことが無かったから一晩眠り翌朝タヴィラの病院へ行くことにした。

タヴィラの病院はキャンプサイトとは正反対の町外れにあり、タクシーで乗り付けたのが11時ころ、病院の救急センターにはドクターが一人しかいない。患者は8人くらいいたが2時間待ってやっとドクターに会えた。レントゲンを撮った結果、右肘関節のすぐ上がまっすぐ折れている、すぐファーロの救急病院へ行きなさいと言われた。

明日電車で行くと言ったら今すぐタクシーで行きなさいと言われた。

この病院の支払いだが、EUのメディカルカードを見せたところ、10月で切れていると言われてがっかり、現金で払いますと伝え39.5ユーロを支払ったところ、これでファーロの病院でも払わなくてよいと言われあまりの安さに驚いてしまった。

病院の受付の人がタクシーを呼んでくれやってきたタクシーが朝乗ってきた同じ運転手だった。もう2時半過ぎで運転手は大いに同情してくれ、ファーローまで1時間とばしてくれた。

ファーロの救急外来は建物も古びて、待合室の椅子も半分壊れたり破れたり、おまけに患者がわんさといていったいどうしてよいのかわからない。2時間辛抱して待ったが亭主に受付に言って聞いてみてほしいと頼んだところ、すぐ帰ってきてあたり一面車いすとストレッチャーの患者で受付までいけないという。これが日曜日の救急病院の現状だと深く感じ入った。

辛抱切らしたころやっと若いドクターに会えタヴィラから電送されたレントゲン写真を見てすぐ手首から肩まで石膏で固められた。終わって受付に行ったところ明日また来て整形外来で3週間後の予約をするように言われがっかり。

帰りも病院から駅までタクシーであまり頻繁でない電車でキャンプサイトにたどり着いたのは8時半だった。お昼も食べていなくて駅のキオスクでコーヒーを一杯づつ飲んだだけ、疲れ切ってキャンパーにたおれ込んだようなものだった。

3週間後に石膏が取れまた3週間プラスチックのサポーターをつけている間は縄跳びもラジオ体操もできない。運動しないでいると気力、体力、知力ががたっと落ち、落ちなかったのは食欲だけ。

病院の治療費が3回のコンサルタント料も含めて全額65ユーロくらい、だからこの国は貧しいのだなどと思ったが、1月22日に1週間帰国した折、我が家に130ユーロの請求書が届いていた。結局メディカルカードの更新をしていたからこの請求書は無料になったが、それにしても病院の治療費が安いと思う。

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2015年ヨーロッパ旅行ーポルトガルの11月

2016-02-07 16:41:50 | ヨーロッパキャンプ旅行2015年

  

ポルトガルのキャンプサイトに着いたのは11月2日だった。このタヴィラのキャンプサイトは今年で3年目。友達や知り合いが沢山できて、ほかのサイトへ行こうなどとは全然思わない。

 

11月1日はこのポルトガル南部が大雨に襲われ、タヴィラの西方アルブフェーロは大洪水に見舞われた。私たちが駐車したサイトは斜面になっているから赤土の地面もたいして泥に埋まることはないが、サイトの中心(下の写真)は低地で水はけが悪くぬかるみに埋まったらキャンパーが動けなくなる。

  

 

昨年はサイトの半数くらいがフランスのキャンパーで埋まっていたのに、11月初めはほとんど来ていない。それで昨年と全く同じ場所にキャンパーを停めることができた。サイトの入り口から右手の高台のこの場所はトイレ、シャワー、キッチン、洗濯場も近くにあり便利だが電気の差し込みが2か所しかなく、私たちが停まったところが一番近くて6-7メーターくらいしか離れていない。ほかのキャンパーは20-30メータくらい電気のコードを引っ張って電気をひく。

11月2日には私たちのキャンパーのほかにスエーデンのキャンパーが2台停まっていた。

 

着いた翌日から例年の縄跳び1000回、ラジオ体操、ジムの機械を使っての筋肉体操を始めた。昨年も一緒に楽しんだ人たちがどこにいるのか、まだ来ていないのかが判らなくて数日一人で体操などしていたところ、イギリス人のメアリーやオランダ人のジェラルド、マリアン夫妻に出会い、翌日から彼らが参加してきた。

 

11月6日まで天気はすぐれず小雨模様だったり、曇り空が続いていたのに6日に急激な気温上昇と晴天が続きだし丸30日間空は晴れ渡り暑い日々が続いた。キャンパー内には冷房がなくて窓を全部開け室内温度が28-30度くらいになった。この11月はポルトガルでは30数年ぶりの高気温レコードだったという。

  

色とりどりの花が咲いていて、本当にここは南国を感じさせる。

 

 

昨年も何度か行った魚のおいしいレストラン・サイクリスタへ行きまたも焼き魚を注文。

慣れてくるとあまり感激しなくなった。

 

それで魚市場へ行って新鮮な鰹1本、8ユーロで買い、大喜び、やっぱり自分でクッキングするのが一番だ。

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