Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2014年の越冬旅行ーフランス・シャンボール(Chambord)

2015-05-04 15:11:37 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

このロワール河畔のキャンプサイトへやって来たのは、今年のキャンピングブックによればロワール川に数多くあるお城の観光に便利とかいてあったからでそれもユネスコのお城があるという。そこでこのユネスコのお城へはどうやって行くのかと聞いた所、なんとここからロワール川の上流100km2時間かかると言われた。

 

 

  

せっかくここまで来たからにはぜひそこまで行こうと決心し、翌朝サイトを出発、すぐ立派な古い橋を渡ってロワール川の北岸を上流に向けて走る。確かに川の岸から遠くないところにいろいろなお城が見え隠れしている。特に感心したのが北岸の崖の中に住居が存在すること。以前スペインで見つけて感心したものだが、ここフランスにもあるのだ。

 

 

 

このシャンボール城は1519年弱冠24歳のフランソワ1世が愛する狩猟のためにこのシャンボール城の建設に着手したが、彼の32年間の統治生活でここで過ごした日数は72日しか無い。主塔の中心部分に3つの階を結ぶ2重螺線階段があり互いの階段から相手の姿を見ることができないという。この中央階段の傑出した設計にはフランソワ1世が1516年に招いたレオナルド・ダ・ヴィンチが関わっているのでは無いかと言われている。

 

 

 

 

フランソワ1世が1547年に死去するまでに完成していたのは主塔と王室のみで、彼の死後息子のアンリ2世とルイ14世によって現在の姿の整えられたという。主塔の周りに4つの高い塔があり螺旋階段になっている。17-18世紀当時の王室の居室を垣間見ることができるが、王室の興亡によりこのお城は何度も廃墟の憂目に会い、1930年フランス政府がシャンボール伯爵の後継者からここを買い取り、ユネスコ世界遺産に指定されている。

 

 

6箇所の出入口のある全長32kmの壁に囲まれた総面積5440ヘクタールの敷地はパリ市の大きさに匹敵するという。

 

 

 

 

 

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2014年の越冬旅行ーフランス

2015-05-04 09:38:36 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

ポルトガルを出て4日め、パンプローナのキャンプサイトは町外れでフランスへの道筋にあたる。本当はピレネー山脈の国境あたりで数日過ごしてみたいと思っていたがエンジンがこの調子ではいつまた問題が起きるか判らない。一番無難なスペイン・イルン(Irun)の海岸線へ出てフランスへ北上することに決めた。海岸線へ出るまでの道路はトンネルが多く山頂は何処も霧か雲に覆われていた。

フランスへ入った頃から青空が張り出し、この日以来帰国するまで晴天が続いた。この日はバージョラックまでの300km.カーナビは近道をセットしているわけでは無いがどんな狭い道でも近道を行こうとする。賑やかな町の中の交通量の激しい通りを指示しまた郊外に出てメイン道路を走ったりで、亭主は怒り心頭。

キャンプサイトは昨年行ったオランダ人経営のキャンプサイトの近くだったが、オランダ人のサイトはまだ閉まっていた。このサイトはきれいな湖のほとりで周りにシャレーが並んでいて夏のウイークエンドは素敵なキャンプが出来るだろう。トイレやシャワー、キチンの設備があまり良くなく長期滞在には向かないが一晩だけなら我慢できる。サイトのオフィスにWIFIがありここで帰国のカレー・ドバー間のフェリーを予約した。スペインフランスはポルトガルよりも1時間の時差があるため、この夜は9時過ぎて夕闇が迫ってきた。そして辺りが暗くなるまで遠く・近くでカッコーが鳴いていた。

 

翌朝は素晴らしく澄み切った空で気温も10度に届かない。朝食前に湖の傍まで行って写真を写しまくった。対岸には男性2人が魚釣をしている。

 

キャンプサイトを出発してはじめにたどり着いた大きな町ペリギュ(Perigueux)に素晴らしい建物を見つけて停車してもらった。

 

 

まだ寒いのに半袖ショーツでカメラを抱えて素晴らしい大聖堂の周りを走り回った。入り口に物乞いが2人屯していたがカメラ以外持っていない。急いで中に入り写真を撮してまた半周、その間5分以内だっただろう。亭主は町中の駐車が不便だから極端にいやがるがこの街では大聖堂の近くの川縁に無料の駐車場があった。

 

このサン・フロン・ペリギュ大聖堂(Saint Front In Periguex)は6世紀からあった教会が1120年に焼失後何世紀にもわたって大聖堂が形作られて行ったものだとのこと。この記事が書けるのも走っている途中の歩道に落ちていた英語の説明書で、靴跡が付いているがこれぞ神の助け。何しろフランス語では名前も読めない。

大聖堂の近くに立っていたこの変わった建物は倉庫か穀物庫のようなものではないだろうか。足元が高く細いところを見るとネズミよけのためでは無いかと思われる。

 

この町からルアール側沿いのキャンプサイトまで380km、道路は田舎道ながら綺麗で直線道路が多く、フランスがローマ人によって開発されたことが実際目に見えてうなずける。こんなかわいいシャトーが途中の道路脇にあった。

 

4月半ばのロワール川のキャンプ場はほとんど開業していて、今夜のサイトは川縁の小さな村外れ平野の真ん中に作られた真新しいサイトだった。子供たちがサイトの庭のプールで大騒ぎをしていた。

 

村の果樹園で見かけたこの梨畑、枝が上手に手入れされて編み込まれ前後から収穫されるようになっている。

 

 

 

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2014年の越冬旅行ースペイン プエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)

2015-05-03 16:48:09 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

さてスペインの3日め、天気も良く気温はポルトガルほどでも無いが、小春日和、今夜のキャンプサイトは以前に停ったことのあるパンプローナ、一度行ってしまうと興味も薄れてあまりエキサイティングでは無い。ただ帰国途上の宿泊地になってしまう。そこで亭主がパンプローナの郊外にプエンテ・ラ・レイナと言う町が面白いと言った。なんでも古いローマの橋があるという。

 

そこですぐ行こうと賛成。途中までの道は昨年春行ったオリーテ城の道筋、テファラ(Tefalla)から細道に入った所、平野の中に教会を中心に小さく固まる村や高い塔がにょきにょき建つ町などを通り過ぎた。まるでイタリアの小さな町・村を想像させる。

 

プエンテの町はなんとも変わった町で、メイン道路には脇道に駐車するところがふんだんにあり問題は無い。特に観光案内所あるわけでもなく町自体が4階建ての堅固な石造りの住居が隙間なくびっしり建っている。そしてどの住宅にも一階に当たる住居地に窓がなく人を拒否する堅固なドアがあるばかり。2階3階には窓もベランダも有って生活の基盤は2階以上というところらしい。

 

どの家も通りも古そうで開いているところがレストランと教会だけ、多分シアスタにかかったせいかと思われるがお店らしいショーウインドーも数軒見えるだけで何処も開いていない。

 

12世紀のサンチアゴ教会が開いていて、中に入ったが2-3人の観光客がいるだけで、町の人も教会の人も見かけなかった。

 

石造リの家々は見あげれば4階の屋根のひさしに立派な装飾が見られ貧富の差をここで表しているように見える。

 

立派なローマ橋は歩行者のみ、この橋がいつ頃できたものかインフォメーションが一切ないのが残念。

 

川縁の家やメイン通りの家なども人気がなくて静か、通りを歩いているのはカメラを構えた旅行客ばかり、一軒のレストランで昼食を注文したがメニューにあるカラマレは無いと断られ美味しくもない昼飯で何を食べたか思い出せない。

この町の印象はよそ者を受け付けない、多分外敵からコミュニティを守るために一階の入り口を堅固にした長い歴史があるに違いない。ロンリープラネットにも書かれていないこの街。もっと知りたいものだ。

 

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2014 の越冬旅行ー帰国の途 スペイン

2015-05-03 11:52:57 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

ポルトガルから帰国予定日は4月10日と決めていたが8日から天気は悪化するとの予報で、雨の中2日も待っていても仕方がないから水曜日8日の早朝キャンプサイトを出発した。この日は早くから小雨模様で結局スペインのプラセンシアのキャンプサイトへ着く頃まで、降ったりやんだりのイヤーな天気だった。

移動の際は何時も違った道をゆくことにしていて今回はスペインへまっすぐ東に向かいセビリアからまっすぐ北へ向かうか、その途中に斜めに走っている道路を行くかでカーナビをつけてみたところ、3角形の2辺に当たるセビリアよりも斜めに走る3角形の1辺のほうが50kmも短縮できるので決めた。

ところがこれが間違いの元、この短縮道路は片側深い谷間の山道で曲がりくねり登り降り激しく村もほとんど見つからない。全く不運なことにポルトガルへ着く前に入れた汚いディーゼルでエンジンの調子が悪かったことがあったが、この日も同じことが起きた。坂道を登るのに全くパワーがなくてやっとのろのろ走っているので巨大なトラックなどに追い越されてしまう。下り坂になると我がキャンパーのほうが軽いから今まで追い越されたトラックを追い越して走る。

これを何回か繰り返しているうちに、トラックの運転手も私達がふざけて遊んでいると思ったらしい。下り坂で追い越そうとすると嫌がらせに横に出てきて進行方向を塞ごうとする。とうとう諦めてのろのろトラックの後を走って午後遅くプラセンシア(Plasencia)のキャンプサイトへ着いた。ここまでの山道ではまだ南の温かい気候、ポルトガルとほとんど変わらないから道端にはラヴェンダーとシスタスの花が咲き乱れていたが、何処もかしこもグレイの空の下カメラを取り上げる気持ちにもならなかった。

翌日は雨こそ降っていないがこれまたグレーの世界、50Shade of Grey という本が数年前に有名になったが、これは中・老年男の髪の色のことらしい。

 

 

 

 

ここでは本当に50色もの違う灰色(グレイ)で彩られた谷間の道を北東へ向かう事になった。この国道110号は数年前にも通ったことがあったと来てから気づいたがモウ遅い。数年前は3月半ばで曇り空でものすごく寒く、1275メーターの山頂では雪が降りだした。

この日はまっすぐ流れる谷川の両側の斜面は白っぽいサクラの花で覆われている。この地方はさくらんぼの生産地で山頂から川岸まで見事に耕かされた段差の激しい土地。天気が悪いためとサクラにピンクの派手な色がないため、歓声を上げるような素晴らしい景色は見られなかった。

谷間の最奥から山へ登るジグザグ道が長く続いており、パワーのないキャンパーは喘ぎ喘ぎ登ったが、この道はトラックの運転手にはよほど知られた道らしく一台も追い越されもせず、出会いもしなかった。

たどり着いた台地から左に見える高い山はまだ真っ白の雪におおわれ、ここから北東にほぼ直線に伸びる国道110号はスペインの高台を縦断する。海抜1000メータ以上のこのあたりは気温も低く4月半ばでまだ一桁。もう3ヶ月も温かい海辺の町で過ごした身にはこの寒さが応える。

 

 

今夜のキャンプ予定地まで300km以上もあるのにこのパワーの無さはどうだ。どこかの修理工場で見てもらおうとカーナビをセットし、高原の町アヴィラ(Avila)へ進んだ。町の入口には素晴らしい城壁が長く伸びていた。モウ過去2回もこのメイン道路を走っているが、メイン道路は市街地を迂回しているから今まで見たことがなかった。

止まって見て歩きたいものだが、今はそれどころじゃない。カーナビで大きな街を縦断して反対側の工業地帯に修理工場を見つけた。

それが12時半、30分ほど待って電子器具を持った修理工が2人やって来ていろいろ調べた結果、修理は4時から始めるという。

そうここはスペイン、シアスタが有って2時間以上もあちこち閉まってしまう。またキャンパーで出かけたならば同じ道へ戻って来られなくなるからじっと我慢、キャンパーの中でお昼を食べ本を読んだり昼寝までして彼らが帰ってくるのを待った。

 

4時から彼らはフィルターやパイプを変えて5時ころに完成した。料金も英国の半額ほど、大喜びで今夜のキャンプ場を目指す。空が少しづつ明るくなってきて気分が良い。エンジンの音も非常に軽く感じられる。坂道も前よりずいぶん早く走られそうなと亭主はいうがこの国道110号の前方に急坂はもう無い。

今回が3度めの高級キャンプサイトCamping Riazaへついたのは7時だった。

 

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2014年の越冬旅行ータヴィラの植物

2015-04-27 14:41:18 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

南ポルトガルの4月は野の花も1-2月とは全く違う花が見られるようになる。

 

 

道端に咲く名前も知らない小さな花やピンクのヒルガオ、1-2月に満開だったアーモンドの花が終わった後でもうふっくらとしたアーモンドの実が大きくなりつつある。ラヴェンダーの花はピンクか紫色との固定観念を打ち破る黄緑色のバタフライラベンダー、花はほとんど香りがしないが葉はラベンダーそのもの。

 

 

コルク樫の花は綺麗とは言いがたいがここから大きなどんぐりが出来る。野生のグラジオラスは荒れ地や畑地に無造作に生えていてこの派手な色がどこからでも目につく。

 

道端の雑草にもこんなかわいい花が咲く。オリーヴの花はこれから咲くと言ってもこの花、ほとんど目につかないが6ヶ月以上をかけてオリーヴの実が実る。

 

これらはどれも小さな雑草でほとんど目につかないうちに消えてしまう。

 

ピンクの花は白のシスタスと同じ仲間だが花の大きさはずいぶん小さい。

 

 

 

大きな木一面に咲き誇るこの花、今まで見たことがない。

 

ポルトガルのいたるところで見かけるビワも4月がシーズン、でも実はあまり大きくならない。この実がびっしり付いているいちじくはポルトガルの特産、乾燥イチジクがおみやげになっている。さすがに温かい国だ、4月半ばに帰国して我が家の庭のいちじくはまだ芽も出ていなかった。

 

レストランの前庭を飾るこのコスモス、コスモスといえば秋の代名詞みたいなものなのに、全く季節感を失わせる花だ。

 

細い木に咲いているこの花、サクラのようでもありそうでないような気もする。誰か知っている人がいないものかしら。

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2014年の越冬旅行ー再びキャリスシへ

2015-04-05 18:28:30 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

あと一週間でこのキャンピングサイトを去る。この日12月末以来初めてキャンパーを動かし、同時にガスボトルを充満し帰国の準備を始めた。

 ガスステーションはオルニャオの近くのモンカラパッチョ(Moncarapacho)にあり、そこまでキャンパーで30分ほど。やっぱり車はいい。あっという間にガスを入れてもらって、オルニャオのスーパーで食料や水を買い込み、昼食も済ませた。

  

オルニャオは以前2冬もキャンプサイトに滞在し、町を歩き回ったので、この町の落書き(グラフィティ)がどんなにたくさんあるか知っていた。最近読んだアルガーヴの英語の雑誌ではオルニャオの町役場がお金を出して描かせているという。

確かにこの旧教会全面を絵にした人は優れた才能を持っているに違いない。それでもこのグラフィティー・アーティストはスプレーペンキの吸引で肝臓をダメにしてしまったというから恐ろしい。

 

せっかく車を動かしたのだかどこか行きたいところは?という亭主の問で、3月初めに行ったキャリスシ(Carricos)の村のラヴェンダーを見たいと言った。

キャンプサイトから6kmの上り坂で、熱波の中を歩くよりどんなに楽なことか。

  

 

高速道路の下のトンネルを過ぎるとそこは全く別世界、道路脇の高低の丘はシスタスの白い花で覆われている。そしていたるところにラヴェンダーの茂みが紫の花を風に揺らせている。特にキャリスシの村の入口の丘の斜面は上から下まで紫色!!!

  

 

 興奮して写真を撮りまくり、数本の枝をドライフラワーにするべく手折って来た。

パルムサンディーで踏みつけ歩いていたラヴェンダーはドライフラワーで、乾燥した花が良く匂う。

 

キャリスシへの1km手前で分かれ道は丘の上に長く伸びてポルトガルの北の田舎の村へ向かっている。丘の上の道を走っていると辺りが全て見渡せ、キャリスシの村の全景が見下ろせる。波のうねりのような丘また丘に縦横に走っている農道は最高にいい散歩道だ。

  

途中にBarragem (ダム)のサインを見つけて脇道へ降りていった。あまり大きなダムではなくて農家への給水を目的にしているのかと思われる。この所もう2週間も熱波に襲われていて、どこを見ても乾燥した土が丸出しの山肌なのに、どこからこれだけの水が集まってきたものかと思う。

   

 

ダムの近くの小さな村を通り過ぎしばらく行ってみたが何処もラヴェンダーとシスタスの花に覆われた田舎のけしきで、車を止めて写真を撮り楽しみつつ明るい午後を帰途についた。

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2014年の越冬旅行ーカステロ・マリーム(Castero Marim)

2015-04-03 11:58:48 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

 

この所アルガーヴは熱波が押し寄せて毎日30度を超える暑さ、3月30日も早朝から朝日が暑い。帰国まであまり日もないから今日は電車でポルトガルとスペインの国境へゆくことにした。国境の町はヴィラ・リアルだがここは昨年2回も来て海岸をモンテ・ゴードまで歩いたりした。でもまだカステロ・マリムへは行ったことがない。

 

スペインから入国するとまずはカステロ・マリムを通ってヴィラ・リアルへ着く。何時も通りすぎるのに道端に堂々と聳える2基の城塞を見ながら先を急ぐ。

今日はゆっくりお城を見てみようとヴィラ・リアルの駅で電車を降りた。土曜日の脱水状態で懲りたから、すぐ近くのスーパーへ行って水1.5リッターとクロワッサン4個を買ってリュックに入れた。

  

 

カステロ・マリムまで車がビュンビュン走る国道を歩いて30分ほどだが、途中の道端に細い自転車、散歩道を見つけそちらへ折れた。すぐに水がたっぷりの大きな川沿いになり、そこから塩田が広々としている。遠くにフラミンゴが餌をあさっているのが見える。塩が濃い水は赤茶色をしている。

 フラミンゴは臆病な鳥らしく、私達が近づくにつれ少しづつ塩田の中央へ動いて行き私達と10メーター以上も間をおく。それにしてもここの塩田の広いこと、遠くにメイン道路と橋が見えてきたので、私達が歩いている道のそばを流れる川があの橋の下を流れているのだろうと思った。ところが橋が近づくと、道は全く反対方向に向いていてそばには運河が淀んでいる。ずいぶん遠回りしてやっとメイン道路に辿り着いた。

  

道路の向こう側の牧場に山のようなオレンジが捨ててあり牛たちは見向きもしない。

一体どんな理由であんなにたくさんのオレンジを捨ててあるのだろうか?オレンジを収穫するのに人手も時間もかかっただろうに、出荷する費用が出せなかったのだろうか?などどいろいろ考えてしまった。それにしてももったいないことだ。

  

橋からカステロ・マリムの町まで約2km、水とクロワッサンで2時ごろまで歩いたから疲れきって町中のカフェでサンドイッチとコーヒーを注文した。

このサンドイッチが小さくてまずく、亭主はがっくり、レストランが見つからなかったのだから仕方がない。

  

町のメイン道路は2基の城塞の間を通っていて、古い城しか開いていなかった。

新しい城は改装中だとのこと、また来年来てみなければなるまい。

 

古い城塞は2重構造に成っていて、外壁は13世紀クリスチャンのアルフォンソ3世によって造られたものだが、内側の高い塔を持つ4画の城はムーアによって作られ、いずれも近くの港の防御のためだったという。城の中の1室には発掘されたツボや、容器のかけらなどが展示されている。

  

4隅の高い塔から見る景色は息をのむほど素晴らしい。東側には広々と塩田が広がりその向こうは大きな川を挟んでスペインのアヤモンテ(Ayamonte)の町並みが白く見える。その北方にはスペイン・ポルトガルを結ぶ高速道路と橋が見える。

 

城から南方面にはヴィラ・リアルやモンテ・ゴードの高いホテルがはっきり見える。

 

 

城下町は小さいながら綺麗で、特に城の南に面する小さなチャペルが素晴らしい。

 

城壁内の小さな教会では、イースターのためのミニチュア人形や景色をセットしたものを見せていて、キリストが処刑される丘の上なども上手に再現されていた。

 

帰りに見かけた崖下の五本の柱が崖の上のチャペルの一部であることを知った。

 

疲れきって駅に辿り着き一時間以上も電車を待ったが、やっと来た電車を見てがっくり、よくもこれだけ落書きしてと腹が立ってきた。

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2014年の越冬旅行ーパルムサンディ(Palm Sunday)

2015-04-01 19:43:05 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

カトリックの強いポルトガルではイースター1週間前の日曜日はパルムサンディと呼ばれるミサと行列が行われる。

 

キャンプサイトから近くて大きなパルモ教会は1年に一日この日だけ開かれ、ミサとこの教会から行列が始まる。

日曜日の午後4時から開始されるとのことで、友達のメアリーと出かけた。彼女は子供の頃カトリックの学校で学んでいたからパルムサンディも知っていて、キリストがこの日、十字架の上で死に1週間後に蘇ってきたことから復活祭が行われると言う。

 

何時もは広大な駐車場になっているパルモ教会の広場には、乾いたラヴェンダーの花茎が敷き詰められ、行列はこの花を踏んで出かけてゆく。消防士の一団も今日は行進の一部に加わるらしい。写真を採ったら大喜びしていた。

パルモ教会の中は祭壇側の天井から両脇はロココスタイルのデコレーションがなされ、中には9体のキリスト像やマリア像が飾ってあった。

  

教会の周りもローカルのポルトガル人から観光客までたくさんの人達がパレードを待っている。4時半過ぎ教会の左上の3つの鐘が鳴り出し、十字架を持った若者に続き、次々信者のグループらしい人たちが行進して行き、数人の成人男子が肩にかずいた受難のキリスト像が次々運ばれてきた。

  

  

 

どの像の足元にもきれいな生花が飾られている。ここではオペラ、カヴァレリア・ラスティカーナの復活祭の音楽がなったらどんなに盛り上がることかと思ったけれど、受難のキリストでは望めないこと。

   

 

   

  

9体の像が運ばれたあとから吹奏楽団が続き、周りに辛抱強く待っていた人たちがぞろぞろとその後に付いて坂道を降りていった。私達はこのまま帰ってきたからこれらの像がどこに運ばれたか知らない。

でも1週間後にお城の近くにあるサンタ・マリア教会で復活祭のミサがあるからこの教会へ行ったのではないかと思う。

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2014年の越冬旅行ータヴィラ島縦断

2015-04-01 11:02:06 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

毎日素晴らしく暑い日が続いている。この日も天気予報では気温30度になるとのこと、フラスコに入れたコーヒとハム・チーズサンドイッチをリュックにかずいて出かけた。タヴィラの町中も真っ白の壁が青空に映える。旧魚市場には土曜マーケットが開かれていて見て回ったが、タヴィラの産物,干しいちじくや、蜂蜜などのおみやげ品が多かった。

 

 

 

タヴィラの町の一角、この素晴らしいオレンジの並木や塩の山を見ながら、タヴィラの町を通り越しサンタ・ルジアへと歩く。サンタルジアの町家の庭に桃の花が満開だった。なんと1ヶ月遅れの花もあるのだ。

 

 

サンタルジアを通り越したどり着いたタヴィラ島への橋まで1時間半、炎天下を歩き、橋を渡った。

タヴィラ島はタヴィラの海岸からサンタルジアまで平行に伸びている細長い島で、元は海底が隆起したものらしく、砂と貝殻から成る。タヴィラ側からはフェリーで渡れるが、サンタルジア側にはこの細い橋が架かっている。

橋を渡ったところに小さな駅が有って、島の中央の休憩所やお店まで小さな玩具のような電車が走っている。線路脇の細道を歩いても30分もかからないが、家族連れや若い恋人たちは電車から手を振っている。

 

砂浜が伸びる海岸線は日向ぼっこの人たちや気の早い海水浴客が楽しみ、レストランやおみやげ店にもたくさんの人たちが群がっていた。

 

ここの砂丘に並べられたたくさんの錨は昔マグロ漁に使ったもので、過去のマグロの乱獲により、地中海のマグロはほとんど全滅状態。スペインの海岸線でもこんな錆びた錨が並べて見捨てられていた。

砂浜の砂は歩いても足首まで潜ってしまい、とても縦断できるものではない。島の左側、サンタルジアの町が見渡せる側は、砂地も固く丈の短い雑草が生えて歩くのも可能だった。道無き道を1時間半せっせと歩いて島の反対側へたどり着いた。砂漠のような地にも時々お花畑のように花が咲いていたり、塩田散策で始めて見かけた黄色の花が至る所砂の中からろうそくを立てたように生えていた。

 

 

 

フェリーの桟橋近くの木陰でやっとサンドイッチを開いてみれば暑さのせいでチーズは溶け、コーヒーをがぶ飲みしたにもかかわらず、ふたりとも脱水状態。

キャンパーに帰ってからも喉の渇きに悩まされた。

 

 

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2014年の越冬旅行ーレストラン・サイクリスタ

2015-03-29 12:56:59 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

私達が12月末にこのタヴィラのキャンプサイトへやって来て、昨年とは正反対の丘の上にキャンパーを停めた頃は、周りのキャンパーはスエーデン人が多かった。彼らは2月初めに次々ポルトガルの西やスペインの南のキャンプ場へ移動して行き、代わりにフランスのキャンパーが辺りを占めた。

昨年からフランスのキャンパーは彼らの昔の植民地だったモロッコへのキャンプが難しくなったため、物価の安いポルトガルへなだれ込んだ。

このタヴィラのサイトでも全体の半数以上がフランスのキャンパーで占められているが、ワイルドキャンピングしているキャンパーはほとんどがフランス人。彼らはモロッコでも水さえ確保できればどこでもワイルドキャンピングをしていて、キャンプ料金や駐車料金の出費を嫌う。ポルトガルの各田舎町の空き地に無料駐車して一冬過ごそうとする人たちが多い。

 

毎週金曜日出版の英字新聞によれば、このようなキャンパーが集まっているところは、その町村の経済を豊かにするとのことで喜ぶ人もいれば、ゴミやトイレの始末をしない人が多いため、嫌う住民が多いとのこと。実際このサイトで見ていてもフランス人はゴミの分別を一切しない。ワインの瓶も水のプラスチックボトルも紙も全部ゴミ箱に捨ててそれで終わり。自分勝手な人や公共観念が発達していないのかもしれない。

 以前から不平不満の声が上がっていたが、とうとう警察が取り締まりを強化して、各地のワイルドキャンピングのキャンパーに罰金を課し、追い払っているとのことだった。

 3月に入って私が親しくしていたイギリス人やオランダ人たちが次々帰国や移動し始め、ラジオ体操も今では2人だけになってしまった。周りのキャンパーのフランス人たちも次々帰国し始め、英国車は私達だけだったのに、最近急に5台も英国車が増えた。新しく知り合った人たちとはまだ一緒に食事や体操などするはずもない。こうしてみると一番仲よくなれるのが何語でも話すオランダ人だとわかる。

  

3月の初めの晴天のある日、午後から空一面にうろこ雲が広がり、夕方にはうろこ雲に夕日が反射して素晴らしい夕べになった。どうしたらこのようなうろこ雲が発生するのか知りたいものだ。

  

321日は私達の結婚42年目の記念日で、お昼近くにタヴィラの町の高台にあるCamera Obscuraへ行った。ここは水のタワーを改造して、天井に360度回転するカメラを取り付け下の大きな受け皿状のスクリーンに外界が映し出されるもの。ローマ橋を歩いている人や、道路に車が走っているのがよく見える。

海抜100メーターだから一応どこよりも高く北方面には車の通る橋、鉄橋、国道125号線と3つの橋が見下ろせる。とっても良く出来ており感心した。2年もタヴィラにいながら今回が初めてだった。

 

  

ここをでたのが12時半、昼の白っぽい三日月が中天に浮かんでいた。この日も青空だから、タヴィラの純白の建物がどれも明るく輝いている。

川縁の公園の高い木の枝と電柱にたくさんの運動靴がぶら下がっている。これもアートだと言うのかしら。

  

この川縁の国道125号線の下のレストラン・サイクリスタで、結婚記念日を祝うことにした。ここは2月末タヴィラに来てくれた友達夫妻と行って素晴らしい焼き魚を楽しんだ所でこのお昼も焼き魚を注文した。前回よりは小さい魚ながら,2匹に名前を知らない白身魚とモンコいかの炭焼き、湯でじゃがいもにサラダ付き、ワインで乾杯した。一人分が10ポンドくらい、この地では普通の値段だけれどイギリスでは到底望めない。それに新鮮な魚がない。帰国前にもう一度来ようと話し合いながら満足して帰ってきた。

 

町のスクエアにもレストランがいっぱいで、たくさんの人達が食事を楽しんでいるけれど、彼らはきっとサイクリスタを知らないんだろう。

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2014年の越冬旅行ーバランコ・ダ・ノーラ(Barranco da Nora)

2015-03-20 10:15:48 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

2月15日以来一度も雨がふらず、晴天が続いていたが天気予報では明日から天気が崩れると聞いて出かける準備を始めた。

何時も同じ通りでは面白く無いと新地開拓のつもりで国道125を西に1.5kmそこのラウンドアバウトから右に折れてサンタマーガリータへむかった。

 

 

国道125号の道端はもうすぐ終わりを迎える春の花が咲き乱れている。あざみのピンクもこう集まって咲くととっても可愛い。

 

 

通りの脇に1軒だけ素晴らしい花盛りの庭があった。オレンジとレモンも庭の飾りの一部になっている。

 そしてこのトランペット・フラワーは1月に満開でその後花は完全に終わってしまったのに、また3月に入って多くの蕾が付いて2回めの満開を迎えている。

 

 

 

 

ポルトガルの街角にはこのようなマリア像のタイル飾りが見られる。サンタ・マガリーダの村を過ぎてなおも北へ向かっていったところで、高速道路が見えてきた。このあたりの道端には白い野生のアイリスが満開。タヴィラの道路脇にもところどころ白いアイリスが咲いていたがここほど密生していない。そこに右に折れる道があり、道路標識バランコ・デ・ノーヴァを亭主が覚えていた。

 この間空の滝へ歩きに行った時、滝近くの4つ角にこの道路標識が有ったと言う。ということはこの道を行けばまた水のない滝にたどり着けるだろうと予想した。

 

 

ほとんど車も通らず人影も見かけない田舎道をたどると道端の野の花が色とりどり、空は青いしなんてラッキーな人生だろうと一人喜んでいる。

バランコ・デ・ノーヴァはみかん畑の広がる谷間に住居が数軒集まっている静かな村で、ここでも番犬が吠えるばかりで人影は一人も見えない。

 

  

この村から滝への4つ角は近くて、この前亭主が見かけた2匹のカワウソをもう一度見ようと足音を忍ばせてほとんど水の流れのない橋の袂へ行った。たまり水が淀んでいる縁の葦に大小の亀が4匹も日向ぼっこをしていて、カメラを構えた途端4匹とも落ちるようにダイビングしてしまった。やっと小さいのが息切れしたように水面に上がってきて、葦の上に登ろうとあがいていた。

  

帰りの道端に去年も今頃満開だったミニ・アイリスが満開で、この高さ10-15cm丈のアイリスは道端にてんてんと生えていて楽しみながら見て歩く。

  

途中の野原に羊飼いが羊と山羊の群れを放していて、この野生の菜の花を山羊が嬉しそうに食べていた。このあたりの山羊は立派な角を生やしている。

  

 

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2014年の越冬旅行ー塩田散策

2015-03-19 15:11:26 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

 

タヴィラの町を流れるジラウ川の北側の海岸までの散歩道は左右に塩田が広がる。もう1ヶ月近くも雨が降っていないから、冬の間はってあった海水が干上がり、あちこちに白く塩が広がっている。一夏中海水を入れては乾かしまた入水しを繰り返して、塩が厚く積もったところでブルドーザーで塩と砂をかき集める作業が行われる。

これは気温40度を超える夏仕事で、今はところどころに集めた塩と砂の山が捨ておかれている。

  

 

ほんの少しだけ海岸までの散歩をと思って出かけたが、海岸にフリーキャンピングの車がたくさん駐車しているのを見て、亭主は海岸線の道無き道を塩田へと向かった。元は砂浜か海底だったところが干上がって雑草が生え、今まで見たことのない変わった花が咲いていた。葉が一切なくてどんな植物なのか興味がある。

 

何の動物の骨かは判らないがまるで墓標のように砂に突き刺してあり、周りにかわいい桜草のような花が咲いて墓標を飾る。遠くの砂浜であさり取りをしている人達が見える。私達の隣のキャンパーのフランス人はこのあさりをせっせと採ってきてお昼にフランス人のパーティーを開いているが、砂をかんでいるはずだから砂取りが必要なはず。

塩田のあぜ道をゆくと塩田中に動物の足跡がいっぱいついていて、野犬が歩き回ったらしい。

  

 塩田は平坦で遠くのタヴィラの町がはるかに見える。

海鳥が群れて餌をあさっている塩田や野の草花が咲き無駄れるあぜ道を行き、結局2時間半も歩きまわった。

  

砂浜に打ち上げられていた古い木の根っこと野の草を集めてきて、キャンパーのそばに生花を飾った。

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2014年の越冬旅行ー3月のエンターテイメント

2015-03-17 17:53:30 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

  

3月第一週目の土曜日はミゼリコディア教会でアカデミア合唱団の宗教曲と音楽教師イソベル・レイス(Isobel Reis)の素晴らしいソプラノの独唱があった。合唱団の方は全然記憶に残らないが、イソベルさんの歌声には魅了された。もう中年と思える彼女は声が若くて綺麗に澄んだソプラノで、若い時に音楽コンクールに出たことがあるのだろうかと聞きながら考えていた。

 

3月11日、近くのショッピングセンターのシネマでENO ( English National Opera )からのオンライン・オペラのラ・トラヴィアーター(椿姫)があった。

イギリス人のペニーと私それにキャンパー近くのフランス人フランソワーズとジョセリンが一緒に行くことになった。2人のフランス人は初めてのオペラで、ストーリーがわからないと面白く無いだろうと歩きながらストーリーを手短に話したが、何しろ英語が通じない。おまけにENO のオペラは英語で歌い、翻訳にサブタイトルはポルトガル語、結局彼女たちはラヴ・ストーリーだとしか判らなかったに違いない。

 

ところがENO のオペラは何時も奇をてらう傾向があり舞台装置が4幕とも変化なし。赤いカーテンが幾重にかさがっているだけで衣装も現代風、主人公ヴィオレッタに扮したエリザベス・ザロッフがはじめから最後まで素晴らしい声で歌ったのがただひとつのとりえだった。恋人役アルフレッドに扮した若い男性はずんぐりむっくり、知能が低い本の虫という感じでヴィオレッタが恋に陥るには大いに無理がありそうな感じだった。

2幕目の2人が住む田舎のコッテージも同じ幕で4幕目にヴィオレッタが死んでゆくところも舞台装置が汚く変わらず全くがっかりさせられた。

ENOはオペラを初めて見たフランス女性2人の、オペラに対する興味を完全に奪ってしまった。

 

 

 

14日土曜日、サン・セバスチャン教会でファーローからのコーラス・グループ・コーロヴォザート(Coro Vozart)の公演があった。男性3人女性3人の少人数だったが一人ひとりが非常にいい声でうまく、玄人らしいことが分かった。あまりに素晴らしくてヴィデオに録画し、感激して帰った夕方の7時、タヴィラの大橋から見るタヴィラの町は夕暮れが迫って昼とはまた違ういい顔を見せてくれた。

  

 

15日日曜日の午後、アカデミーでウクレイナの民族歌曲の公演へ行った。白髪のおじいさんコンスタンチン(Konstantin)と民族衣装に着飾ったナタリヤ(Natalya)はコンスタンチンのギターに合わせてウクレイナのフォークソングを歌ったが、彼女の声がガサツで全然おもしろくなかった。ところがコンスタンチンが私に興味を示して、自分は柔道3段、囲碁と将棋をやるがまだ日本へ行ったことがないとのこと。彼らの名前を書いてくれた。

この日のただひとつ楽しめた曲がロシア歌曲カリンカとはなんとも皮肉。

 

この日、ロンドンの我が家の近くから来た英国人女性とも親しくなり、メールの交換をしたり、写真を送ってほしいというポルトガル人女性とも親しくなり,人の輪がだんだん広がっていく。

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2014年の越冬旅行ーカリィスシ(Carricos)

2015-03-17 12:18:57 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

3月初旬、寒い風が止まって直射日光が暑くてたまらないような日、2人でキャンプサイトから北へ7kmのカリィスシへ歩きに行くことにした。ロジャーから借りた地図を見てもこの村がどれほどの大きさかが判らない。一応サンドイッチとコーヒーを持ってゆくことにし、準備完了すると何時も11時ごろになる。これも毎朝9時にラジオ体操やジムの機械で体力増進しているからにほかならない。

 

キャンプサイトから2kmのフォンテ・サルガーダには何度も行っているからこのあたりは良く判るが、高速道路の下を通るトンネルをくぐったのは今年の2月が初めてだった。

その時はトンネルをくぐってすぐの左に折れる急坂を登ってタヴィラや海が見える丘を歩きまわった。

 

カリィスシは北へ行く県道を6km行き、二手にわかれた道を左に折れて1km行ったところの村で、ここで車道は行き止まり、村の入口にバス停がある。

 

村は20軒ほどの家が固まっているだけ、店もレストランのない。

 

 

トンネルをくぐると辺りの乾燥した岩肌の丘に野生のバタフライラヴェンダーが花盛り、白い花をつけるシスタスの茂みが今は3分咲き。この花は今から4月頃まで辺り一面を白の水玉模様で埋め尽くす。

  

2月15日から雨が降っていないから辺りは乾燥して川にも水がない。それでも節水とか断水とかは一切ないからこの国の水源がどこから来るのかは不思議でならない。

 

途中の村に丸い石作に屋根を覆った珍しい建物があったが、カリィスシの村では屋根が落ちてしまった丸い壁がいくつも残っていて、これが物置小屋か動物の飼料小屋であったらしいと分かった。

  

水がなくても周囲は明るい緑とラヴェンダーの花で素晴らしい田舎の景色だった。

帰りのフォンテ・サルガーダの村外れ、郵便屋さんがたくさんの郵便ボックスに郵便物を入れているのを見た。ここでは家屋が散らばっているから一軒づつ配達することがないらしい。

帰り道でトラクターが耕している畑地にコウノトリが集まって餌を探しているのが見えた。

彼らは人間には臆病だがトラクターは食料を探す助けとでも思っているらしい。ミミズやトカゲなどを探しているのだろう。

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2014年の越冬旅行-2月のエンターテイメント

2015-03-16 17:46:01 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

毎週土曜日午後6時から1時間タヴィラの教会でコンサートがある。タヴィラには音楽・美術アカデミーがあり、生徒280人がこのアカデミーで学ぶ。毎年10月から6月までタヴィラに多数ある教会でコンサートが開かれる。夏はアカデミーの庭でコンサートが開かれるという。

  

毎週土曜日、ロジャー・ペニー夫妻にジョン・ステファニー夫妻の5人で午後5時にキャンプサイトを出て当日指定の教会へ向かう。2月の5時過ぎは明るく夜風が寒くなるから皆冬装束。

  

 

このミゼリコディア教会は2月に2回コンサートが開かれた所、正面の金箔を塗られた祭壇や両脇のブルーのタイルが素晴らしい。

第1週目はアカデミー音楽教師ルイッシュ・コンセィサオ(Luis Conceicao)によるピアノ演奏で、彼自身が作曲したピアノ曲など演奏してくれた。あまり良かったので彼のCDを買ってしまった。

 

 

翌週は僧院をホテルに改装して教会だけは残したグレィシャ僧院で、バーバー合唱団の合唱。こじんまりとした合唱団だったが、歌はクラッシクより過去の映画音楽などを主にしていて、聴きやすく楽しめた。公演が終わると7時、タヴィラは真夜中の雰囲気、土曜日の夜で町の中心地にはほとんど人影を見かけない。

 

3週目はギター演奏、アルハンブラの思い出をビデオに収めた。

 

この週の金曜日夜、タウンセンターのレストランで食事をしながらファドを楽しめるというので、キャンプサイトの英国人夫妻4組と私と亭主、総勢10人が一週間前から予約して出かけた。金曜日だけは予約なしでは入れないという。狭いレストランが満席だった。

この夜はオーロラ・ゴンチャルヴェスという若くて太った女性がファドを歌った。食事もファドの合間に出てくるから夕方7時から始まった夕食が終わったのは10時近くだった。

このレストランのスペシャリティーのタコの足をクックしたのが素晴らしく美味しかった。

  

英国人4組は数年前からこのサイトに来ている人たちだから皆お友達、お昼にポルトガル料理専門レストランで一緒に食事をして、デザート・コーヒーは近くのカフェーで楽しむ。

このレストランで美味しいのは焼き魚なのに注文したのは私ともう一人だけだった。英国人は魚の骨が苦手で、食べ方もナイフとフォークでは無理なのだろう。

道路際のカフェーで昼間の太陽が暑くて大変だったのに、彼らは全然構わないところが日本人とは大いに違う。

  

2月最終の週に英国から友達夫婦が訪れ、金曜日の夜を予約してファドのレストランへ行った。この日中郊外を散歩して午後2時過ぎやっと昼食にありついた。川縁のレストランで2人が焼き魚を頼んだ所大きなお皿に焼き魚3匹とモンコいか1匹が出てきて、二人分だろうと半分に分けていたらまた一皿持ってきて、一皿が一人分と判って驚いたのなんの、それでも全部たいらげて満腹した。夜のファドのレストランではお腹が空いていなくてせっかくのごちそうも台無し。この夜のファドは1月末にアカデミアのコンサートの一環で聞いたタヴィラ出身のマルシオ・ゴンカレスが出て歌ってくれた。

2週続けて聞いた亭主は先週の女性より彼のほうが良かったと褒めていた。伴奏のギターとポルトガルギターの2人の合奏がまた素晴らしかった。

 

この土曜日はまたミゼリコディア教会でチェロとダブルバスの演奏があった。コンテンポラリーの耳慣れぬ曲だったがチェロの音が良かった。

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