昨日、正午から一時間にわたってZoomでスポーツ漫画の歴史という解説があった。
これは毎年いろいろな試みをしてくれるJapan Foundation (日本基金)の一環で大変面白いものだった。
何しろ1972年に日本を離れ、以来日本の漫画など見たこともなし興味もなかったけれど、このコロナの影響で都心へ出ることもままならぬ。居ながらにして見られるZoomほど便利なものはない。
ということで先週Apply したのがこの解説だった。
日本のプロフェッサー吉村一馬氏が日本語で話すのを通訳の若い女性Bethan Jonesが直訳適切に話される。
まず初めの漫画は1947年に発行された バット君 作者は井上一雄氏、米国駐留軍が日本国内を管理していた戦後初めの漫画では格闘技(柔道や剣道など)は禁止されていて、民主主義を推し進めていた米国のアイディアで、日本は野球が国家のスポーツくらいに、人気を博した。(ちなみに英国では野球はほとんど知られていず、野球の漫画は現在に至るまでほとんど流通していない。)
格闘技が許可された1951年には福井英一氏の いがぐり君 が発行された。この当時親からは漫画ばかり読んでいないで勉強しなさいと言われた団塊世代がほとんどだったと思う。この漫画は柔道だった。
1966年には梶原一騎作、川崎昇氏漫画による 巨人の星 が人気を博した。私は読んだことはないけれどこの名前は知っていた。この漫画は野球のストーリーでスポーツ根性を描いた初めのものとして一躍人気を博した。これ以来スポーツ根性(今ではスポコンというそうだー日本語の何でも短くする言葉が定着すると判らなくなる。ここロンドンでも日本人女性の話す言葉でキンクロ(キングスクロス)やチャリクロ(チャリングクロス)と話すのを聞いてたまげたものだ。)
1968年東京オリンピックから4年後、バレーボールが主題の アッタクNO 1 や サインはVなどスポコン漫画が人気を博した。
1972年に水島新司氏の野球のストーリー ドカベン は2018年まで発行され続けたというからすごい。少年野球からプロ野球選手になった経過を描いているという。
1972年 ちばあきお氏による キャプテン は中学野球、1973年には同氏による プレーボール は高校野球を描いて、一人のヒーロではなくチーム各人のキャラクターを描いている初めての漫画と言われる。
1978年には小林まこと氏による 1,2の三四郎 これはラグビー、柔道、プロレスを織り交ぜたスポコン漫画を超えた人間ドラマを描いたものだ。
1981年、あだち充氏による タッチ は高校野球の少女が主人公、
1989年の河合克敏氏による柔道漫画 帯をキュッとね では今までいがぐり頭の男子が現代風に描かれるようになった初めという。
変わったスポーツでは2011年こざき亜衣氏の あさひなぐ は薙刀、1990年の坂田信弘作、かざま衛二漫画による、風の大地 はゴルフが主題、この頃には大人が漫画を読む時代に入った。
1987年戸部良也原作、山本修漫画の はるかな甲子園 は耳の聞こえない少年たちの高校野球を描いた感動的なストーリーで、これが障害者スポーツのはじめと言われる。
1999年井上雄彦氏の リアル は車いすバスケットボールを描いたもの。
2016年香川まさひと氏の ましろ日 はブラインド(盲目)マラソンをえがいたもの。
これら障害者の漫画ストーリーは障害者スポーツ協会の賛同を得ているという。スポンサーがつくのは漫画が発行され人気が出て初めてスポンサーの目に留まるもので、決してスポンサーが主題を示唆するものではないとのことでした。
ここ最近の傾向としては、高校クラブ活動を通して3年間に凝縮された人間関係が成長して社会に出ていくストーリーが多いという。
こうしてたかが漫画といえど社会と切り離せない歴史があり、今や日本ならず世界中で日本の漫画がブームになっていることが判った。