Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

越冬キャンプ旅行ー塩田散策

2014-01-30 14:32:44 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

今までで一番暖かい日曜日、ジラウ河の河口に広がる塩田へ散歩に行った。途中の教会の屋根に沢山のツバメが並んでいた。今年初めてのツバメ、いつの間にかアフリカから飛んで来たものらしい。

  

川沿いに大きな廃墟の製塩工場があった。周囲は広々とした塩田だからこんな近くで廃墟にするのはもったいない。水の張っていない塩田は日本の稲田とほとんど同じに見える。

 

  

海水を満々と張った塩田では遠くにフラミンゴが餌をついばみ、長い土手にはずらっとカモメが並んで翼を休めている。鵜も集まって羽を乾かしている。

  

河口まで車の通る道路わきに一羽のへら鴨が塩田の底をあさっていて、近寄っても逃げようともしない。たぶん食べるのに夢中だったのだろう。それにしてもこのへら鴨、頭の大きさに比例しないくらいの大きなくちばしをもっているものだと感心した。

 

道路の反対側にはフラミンゴが数羽餌をあさっていたが、まだ青年期らしく純白やピンクの羽になっていない。またいつもは臆病なこの鳥たちが、5メートルも離れていない塩田を歩き回り、羽を繕っていた。親鳥から注意されていなかったのかも。

  

河口にはレストランが2軒と小さな波止場、河の向こうには冬の間は閉まっているホテルが近くに見える。子供たちが帆を張った小さなヨットでトレーニングしている。車でやってきた観光客が波止場に群れていた。

  

とってものどかなポルトガルの春。

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越冬キャンプ旅行ータヴィラのこの頃

2014-01-28 14:29:19 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 

  

ショッピングセンターと焼き魚専門レストランのすぐ近くに広場がある。ここを斜めに横切って、魚・野菜のマーケットへ行くのが近道。ところが毎月第3週目に大きな青空市がこの広場で開かれる。クリスマスに近い12月第3週目に図らずもここを通って大きな市が開かれているのを見つけた。

 

大喜びで見て回ったがこの時は珍しく写真を撮っただけで買わなかった。大まかに6か所に分かれた屋台の店は、ローカルの人々が群がる焼肉店、小鳥や生きた七面鳥や、鶏を売る店、日用雑貨店、洋服店、八百屋とソーセージ店、そして果物の木や野菜、花の苗を売る店がそれぞれ固まっている。

 

1月第3週目の土曜日、魚市場へ行くときに、また青空市が開かれていた。この市はお昼すぎには閉まってしまうから、朝10時頃が大賑わい。トマトの苗が15㎝ほどにもなっていたり、ポルトガル独特のキャベツの苗(これは種を買って昨年5月に植えたもの)など英国では45月にやっと出回る花や野菜の苗がわんさと出ている。

果物の木も、リンゴ、梨、プラムのような英国でも普通に見られるものから、オレンジ、レモン,柿、イチジク、キーウイフルーツ、マンゴー、カスタード・フルーツなど決して英国では見られないものまで数軒の店が出ていて欲しくてたまらない。

 

一個500㌘ほどもあるオレンジ6㎏で3ユーロ、爪切りや庭用の手袋などを買い、とうとう畑用に鍬まで買ってしまった。見れば見るほど欲しいものが多いからと魚市場へ急ぎ帰りにまた通ったから、もう買わないと思いながら、ショルダーバックまで買ってしまった。2月の青空市が待ち遠しい。

 

 

 

1月第1週目の日曜日、タヴィラの町の真ん中にあるシアターで、ポルトガルの地方の民謡大会?のようなものがあった。いつもジムで会うアニーから教えられたもので、フランス語ではいったい何なのか分からず、行ってみた。

入場無料で一人で座っていたら隣に座ったポルトガル人夫婦が飴を呉れた。グループの男女が彼らの地方の旗などもってきて、ギター、アコーデオン、カスタネット、タンバリン、トランペットなどの演奏で合唱する。なんとなくスペインのメロディーに似ているが、隣の国だもの似ていて当たり前なのかもしれない。

いったい何を歌っているのかわからないが、この足の不自由なおじさんの歌声も素晴らしかったけど、若い男性でギターをひいて独唱した人など、日本で演歌を歌わせたら売れるかもなどと思ってしまった。

2グループの歌が終わった1時間後に会場を後にしたが、広い会場がローカルの人々でほとんど埋まっていた。この田舎町の人たちの楽しみだったに違いない。

  

ショッピングセンターの屋上から見えるこの街は海までの平野が塩田になっていて、山側が新興住宅地らしくきれいな純白の建物が並んでいる。1年のうち300日は晴天のこの国では、私にとって越冬するには最高の国だ。

 

毎朝キャンプサイトのコーナーのジムでトレーニングしているうちに集まってきたフランス人やオランダ人と友達になり、日本のラジオ体操を教えることになった。小型のCDプレーヤーを持って行って、ラジオ体操第一を流し、いち・にー・さん・などとやって喜ばれている。

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越冬キャンプ旅行ー春の花

2014-01-23 11:20:07 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

ポルトガル南部では雪が降らないから英国や日本で言う真冬という感覚は一切なく、12月や1月でも野生の花や各家庭の庭先には花が絶えない。ブーゲンビリアは一年中色とりどりに花盛り、と言ってもブーゲンビリアの派手な色はガクであって花は小さな白いのがガクの真ん中から突き出している。冬じゅう咲いているのがバラの花で道路の中央線を飾るのがこの花。

 

上の写真で黄色の花はバミューダー・バタカップと呼ばれる雑草で12月ころから咲き始め1月ー2月は道端や野原を埋め尽くす。地中海沿岸でしか見たことがなく、初めて見たのがシシリー島だった。次の白い花は日本では食料の春菊と全く同じ花だし葉も春菊にそっくり、しかし春菊のような香りはしないから、試しに食べてみようとは思っていない。

 

この小さな黄色の花はキンセンカ(マリーゴールド)の原種で花の大きさも直径1-1.5cmぐらい、ギリシャからポルトガルまで地中海沿岸の野原を埋め尽くす。家庭栽培のキンセンカはこれの改良種。

 

1月半ばから咲き始めるのがアーモンドの花で、2年前に行ったモロッコも1月はアーモンド林が花盛りだった。フランス南部やスペイン、ポルトガルでは、アーモンドの実は農家の大事な収入源で、マーケットにもアーモンドの剥き身からお菓子になったアーモンドまでいつでも売っている。ピンクとやや白っぽい花があるが、ピンクは早咲きで実が苦いとのこと、白っぽい花は派手さがないがおいしい実がなる。

 

野生の水仙はこれもギリシャからポルトガルまで分布していて、この花がギリシャ神話で言われるナルシシス、美男の若者が水辺に映る自分の容姿に惚れぬいて溺れ死んでしまった。その後にこの白い水仙が咲きだしたといわれる。自己愛(ナルシスト)はこの花の花言葉。右側の白っぽい花はスペイン、ポルトガル、モロッコ以外で見たことがない。球根草で背丈も50㎝から1mにもなる。これも1月から2月が最盛期、残念ながら名前を知らない。

 

この紫色の花は道路わきに植えられていたもので、ローズマリーにやや似た花だけれど、花や葉にも香りが一切ない。右側ピンクの花は多肉質の葉で日本にも多く分布する。海岸線や砂地に這って広がっている。

 

二日前に散歩に行って、草薮に迷い込み見つけたこの小さな青い花は、今まで見かけたことがないが、小さいながら青色が特に目立つ可愛い花。それと対象なのがこの食虫草のような花。地面から直接花が咲いている。お世辞にも可愛いと思えない。

 

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越冬キャンプ旅行ーカバナス(Cabanas)

2014-01-21 17:11:34 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

先週オルニャオのキャンプサイトからディヴとダイアン夫妻が訪ねてきてくれた。彼らは昨年オルニャオで知り合ったイギリス人だが普段はフランスのノーマンディのキャンプサイトに住んでいる。昨年10月に連絡した時は、クリスマス後でなければポルトガルへ行けないという返事だった。イギリスに持っていたフラットの売却がクリスマス直前だったとのことだった。

 彼らはキャラバンに住んでいたから、昨年春ポルトガルを去る時に、キャラバンをキャンプサイトに預けて、乗用車で3日でノーマンディまで帰ったという。

車だからどこへ行くのも楽で、21km離れたこのサイトまで朝の10時頃に着いてしまった。彼らの愛犬アーカスは私たちを覚えてくれていたらしく、興奮して吠えまくる。

 彼らは昨年このサイトに居たが、彼らの息子が訪ねてくるというので、シャレーのあるオルニャオに移ったとのことで、このサイトにたくさんの知り合いが居た。

  

キャンパーではもてなしもできないので、どこかのレストランでお昼をというと、彼らが以前住んでいたカバナス(Cabanas)へ連れて行ってくれた。

 カバナスはこのタヴィラの隣町で、以前散歩がてら行ったが、海岸までは遠くて町の入口あたりで帰ってきたことがあった。彼らがこの街に住んでいた時にいつも行った海岸を散歩することになった。

海岸線の松林の大木が何本もねじれて倒れている。このあたりでもそんなに嵐があったのだろうか。

 

 

アーカスはポルトガル・ウオータドックとコッカスパニヨルの混血でやっぱり海が大好きらしい。一目散に海に飛び込み潜って海底の石をくわえてくる。びっしり生えているまき毛は水を通さず、砂浜のあちこちを掘り起こして砂だらけで走り回る。

  

ポルトガルの1月は英国の4-5月の気候で、アーモンドの花が咲き、野の花バミューダ・バタカップが黄色く野原を染める。海岸近くに堀と壁に囲まれた城塞に似た建物があった。これが昔の僧院だったとのことで、敵から守るためか、それとも修行僧に逃げられないようにするためだったろうかと疑ってしまう。今ではホテルになっているとのことだがあいにく閉まっていた。夏の海水浴客のためなのか。

   

レストランはあまりに静かで閉まっているかと思ったが、4人ともが鯛の塩焼きとチップス、ワインを頼んだので一人7.5ユーロと驚くほど安かった。

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越冬キャンプ旅行ー新年

2014-01-12 12:27:57 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

1月1日に11冊目の日記帳をおろした。退職したその日から書き始めた日記帳は2ページで1週間の簡単なもの、それでも日々の事柄や思ったことまたは世界での大きな出来事なども一行書き加えてある。昨年の出来事ではサッチャー元首相とネルソン・マンデラの死だった。

 昨年暮れから英国は相次ぐ嵐に見舞われ、水害や海岸線のがけ崩れが頻発しているが、ほとんど同時にここポルトガル西海岸でも大被害が発生している。

ありがたいことに私たちがいる南ポルトガルでは、嵐らしいものは一度もなく、曇り空が数日続いたり小雨の日があったりするが、私がキャンプサイトの片隅のジムで汗を流している毎朝に雨が降ったことがない。12月8日から始めたジムは一日も休むことなく、一番つらい腹筋運動も1月1日に50回できるようになった。それ以来毎日1回づつ増やしている。だからおなかの脂肪が減ったかと思ったが全然効果がない。やっぱり毎日食べ過ぎるからだろう。

昨年ジムを始めた時は私のほかにフランス人のアニーが毎朝通ってきていた。朝の9時頃はサイトで犬を連れて散歩している夫婦やおじいさん(おじさん?)が多く、彼らも私たちに触発されたらしく、犬を柱に縛ってトレーニングしている人やオランダ人夫妻、フランス人夫妻など少しづつ増えてきて、1月に入ってからはいつも2-6人くらいはジムの機械で汗を流している。

 

2日に1回はショッピングセンターの食堂街で安い昼食を食べるのがこの頃の楽しみ。

このごはんにチキンとむき栗のクリーム煮がスープとビール1本ついて6.5ユーロなんて満腹、満足でとってもダイエットなどできるものじゃない。

 昨日は2.2kgの大きな鰹を買ってきたので、片身を冷凍にし、片身の半分を刺身で食べた。こんなこと英国では決してできない。今日はイワシを1㎏買ってきて塩焼きに。ム・ム・ム・ムやっぱりやめられない。

 

 

数日前、近くのポルタ・ノヴァの駅からスペインとの国境の町ヴィラ・リアル・デ・サント・アントニオ(長い名前だからV.R.de Sto.Antonioと書く)へ行った。ここタヴィラは国境まで22km西のオルニャオまで21kmとほとんど中央にありどちらへ行っても片道25-27分くらい。料金も一人往復5ユーロと信じられないくらい安い。(何しろロンドンの交通費が高すぎるから)

電車の沿線は鈴なりのオレンジ畑が延々と続き、湿地帯の湖にはフラミンゴやへら鴨の群れが見える。電車の窓があまりに汚くて写真が撮れない。

 

 

 

 

国境線のグアディアナ河に沿った碁盤の目のような通りの町は、中心の通りがレストランとお土産店がずらっと並ぶ歩行者のみの明るい町。広場や通りにはレストランのテーブル椅子が張り出していて、観光客が食事を楽しんでいる。

  

川渕にはヨットハーバーが広がり、この一角から対岸のスペインまでフェリーが往復している。この日はフェリーの姿が見えず、スペインへは諦めて歩行者天国のレストランで昼食をとった。このイワシの塩焼きが5ユーロ、フイシュ アンド チップスも5.5ユーロと格安。

 

 

町外れの灯台を見、センターストリートを離れると町は新しいアパートが連なり観光地には見えない。観光案内書でもあればもっと歩き回れるが案内不足で、4時間で帰ってきた。

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越冬キャンプ旅行ークリスマスと新年

2014-01-05 12:56:35 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

昨年のクリスマスはオルニャオのキャンプサイトで隣人5組でパーティだったが、ここタヴィラのサイトは両隣がイギリス人だがお互いに招待しあうほど親しくならず、あいさつ程度の関係だ。

キャンパーの中にはオーブンもあるからチキンや七面鳥の丸焼きもできるが、ガスの無駄と二人だけでは大きな鳥は何日も食べなければならない。

もう10年もキャンピングしているからクッキングも手慣れたもの。チキンの丸焼きは中華鍋と同じ大きさのフライパンを合わせて密閉した中で非常に小さな火で空焼きすると一時間半から2時間でできる。周りにジャガイモやニンジンも入れると時間の節約になる。

オーブンがなくてもチキンの丸焼きを食べたい人はぜひ試してみてください。(胸を上向けて一時間、時々中にたまる水分を空けることがポイント、胸肉は最後にひっくり返して色付け程度に焼く)

  

今年のクリスマスは丸焼きはやめて、チキンの胸肉とロースト野菜にした。デザートに我が庭で採れたイチジクとリンゴを煮てピューレにしたものを冷凍して持ってきたので、アイスクリームにかけて食べた。クリスマスの飾りに摘んで来た野の花、ポルトガルは一年中野生の花が咲き誇っている。

  

年の暮れはタヴィラの川渕で花火が上がるという。残念ながら夕方から降り出した小雨で出かけることは諦め、テレビでテームス河縁で上がる花火を見ながらワインで乾杯、新年を祝った。タヴィラの花火は木の間越しに見え、約5分ほど激しい音とともにバンバン上がった。来年はぜひ行ってみようと心に誓う。夕方から大きな音楽が鳴り響いていたが静かになったのが夜中2時過ぎ、川渕でのパーティ会場からだったとのこと。

この音楽は英国のパーティでのヘビーメタルとはやや異なり、アラブ系の音楽が入っているように思われる。

ここポルトガルやスペインは過去にムーア人に占領支配された200年ほどの歴史がありムーア人との混血や、文化の混合がある。この南部ポルトガルでは、いかにもアラブ系と思われる住民や北方のヨーロッパ人とは明らかに異なる皮膚の色の人たちが多い。

 

年の暮れに封切りになったアメリカ映画 Rounin(浪人)はタヴィラのショッピングセンターの映画館でも上映しており、行ってみようと話していた。たまたま友人のユニークな映画評のブログを読んですぐ行ったのが1月2日の午後。ポルトガルも正月休みだったらしく150人ほど座れる映画館に20数人の若者が入った。昨年1月オルニャオの映画館でレ・ミゼラブルを見たときは私たち2人だけだった。

 4時から始まった映画は日本という架空の国の忠臣蔵をベースにしたストーリー。しかし忠臣蔵と同じは名前(吉良と赤穂、大石など)だけ。出演者も主人公になるカイ(櫂)キアヌ・リーブ以外は日本人俳優で皆が英語を話す。

見る前は、日本の歴史を改ざんしてこれを見た外人が本当のことと思うのではないかと友人のブログに書き送ったけれど、魔女あり、妖術ありのファンタジーではこれを現実の歴史と思うほうがおかしい。それで日本を忘れて大いに楽しむことができた。

でもいつも西洋人から見た東洋の映画や舞台を見て思うのだが、彼らには日本も中国も同じにしか見えないらしい。衣装や武具が中国系だったり韓国系だったり。

 私はあまり映画を見にゆくことはないが、以前わざわざ見に行った映画、ラスト・サムライではよくできた映画だと思っていたのに、最後の戦闘で日本人がすべて鉄砲で死んだ中でトム・クルーズだけが無傷でむくむく起き上がったのを見て私は怒った。

あれ以来トム・クルーズは大嫌い。(きっと彼のせいではなかったのだろうが)これすべて娯楽だと思えば腹は立たないかもしれない。

 

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越冬キャンプ旅行ーサンタ・ルジア(Santa Luzia)

2014-01-03 16:44:59 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

ダンカン夫妻がサイクリングでオルニャオから来たとき、国道125は車が多くて危険だから海岸線の道路を通ってきたという。オルニャオまでの途中にサンタルジアという町があると聞き、二人で散歩がてら行ってみることにした。

 

タヴィラの町を直線に突き切って行くコースだから、ジラウ河に架かる古い橋までまっすぐに行くとちょうど引き潮の時間で、浅瀬で数人のポルトガル人が何かを採っていた。

橋を渡ったところで自転車のかご一杯に牡蠣貝を運んでいる人に出会った。この河は海まで1km以上は離れているが潮の満ち干があるくらいだから、海水が入ってきているのだと分かった。

 タヴィラの町外れサンタルジアの表示のある街角から2車線道路の左わきに幅1.5メーターはある自転車道が設置されていた。自転車道はブルーに塗り分けられていて反対の右側は石畳の歩道になっている。最近英国でも自転車道の設置が叫ばれているが、狭い道路に車が多く自転車での事故死が絶えない。

ポルトガルの経済危機が叫ばれていた昨今、このようなゆとりがあることに感激した。

ポルトガルの英字新聞によれば、緊縮経済で若者の失業者が多く、過去2-3年で海外へ職を求めての移民が多く、ポルトガルも日本と同じく人口減少が激しく、将来税金を払う労働者の減少が危ぶまれている。

  

郊外は遠くの海岸まで広々とした塩田と道路の反対側はオレンジ畑と時々塀に囲まれた農家だった。オレンジ1㎏50セントの看板が農家の壁に下がっていた。遠くに塩の山が見える。日向は暑いほどだが、日陰に入ると寒さを感じる。

 

変わった植物の実か花を見つけ写真を撮ったら塀の向こうでものすごい犬が吠えた。

 

 

 

タヴィラの町外れから約2kmほどでセントルジアの町に入った。

ここは海岸線に沿った道路の片側がずらっとレストランになっていて、ちょうど1時近く、レストランでテーブルを囲んでいる客がほとんど英語で話しているのが聞こえてくる。

この街にはイギリス人の避寒客が多く、レストランが途切れた町の端には無料のキャンピングプラッツがあった。水や電気やトイレの始末はどうしているのかと心配になる。

 

町の中心は教会の近くの広場でクリスマスが近いこの日、広場はパーティの準備で今夜にでもここでエンターティンメントが行われそうだった。

 

 

教会のタワーと屋根の上に取り付けられた風向計や飾りはいかにも海の町らしい。

海岸のレストランで昼食、大きなスズキ一匹の塩焼きでキャンプ場から近い魚専門レストラン(スリーパルムという)とほとんど同じ料金だった。街角の広場には食後のボールゲームを楽しむ人たちが集まっていた。

帰りのタヴィラのジラウ河は満潮で夕陽に輝く建物が水に映えて美しい。

 

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