Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2014年の越冬旅行ーファド(Fado)

2015-02-03 15:19:37 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

 

1月25日の日曜日午後3時から近くのショッピングセンター内の映画館で、ボリショイバレーの白鳥の湖をオンラインで上映した。昨年1月にもボリショイバレー団のオンライン上映があったが、誰にも知られていなかった。1月末のロイヤル・オペラ・ハウスのオンラインのジゼル公演へ行った時に、タヴィラ在住のドイツ人婦人が2人だけだったと話してくれた。映画館にも新聞にも宣伝もなかったから誰にも知られていなかったのは無理もない。

 昨年10月からの新規プログラムではロイヤル・オペラハウスのオペラやバレー、イングリッシュ・ナショナル・バレーやボリショイバレーの上映スケジュールが一枚のブローシャーになって映画館においてある。ただこれだけでどんなに多くの人達に知らしめることができるか、この日曜日に行って納得した。

小さな映画館の座席はほとんど満員で日曜日のため子連れの婦人も多かった。昨年とは大違い!!!

 やっぱり世界的に有名なバレー団だけあって、舞台もバレリーナーも素晴らしい。オデッサと黒鳥になった主人公のバレリーナは美人でスタイル抜群だったが、特に素晴らしかったのが悪魔になった背の高い男性で、跳躍力は感激もの。ただロシアの観客の感激ぶりは行き過ぎじゃないかと思った。もしかしてサクラを配して一踊り終わる度にブラボーと叫ばしているような。ロイヤル・オペラハウスでは観客もずっとおとなしく上品だと思う。

  

ここタヴィラでは毎週土曜日に何処かの教会で音楽会が開かれている。1月31日土曜日はサン・フランシスコ教会でファドの公演があった。キャンプサイトから歩いて30分、英国人ロジャーとペニー夫妻の3人で夕方5時過ぎ出かけた。教会は川向う、夕暮れが迫ったタヴィラの町は日中とはまた違った趣が感じられる。

 

 

サン・フランシスコ教会はタヴィラでは大きめの教会で、100人くらい座れるベンチが並んでいて5時半には半数ほど埋まっていた。私達はすぐ前方の舞台横の座席を確保した。

  

 

ファドはポルトガルの伝統的な歌曲で日本の演歌に良く似ている。歌っている内容は解らないにしても感情を込めて歌うメロディーは愛の喜びや別れの悲しみを心に訴えてくる。タヴィラ出身というマルシオ・ゴンチャルスはアラブ人との混血らしくやや色黒、すばらしく男らしい声で、演歌を歌ってほしいものだ。美人のエマニュエラ・フルタードも小節がきいた伸びやかな声で全く魅了されてしまった。ポルトガル・ギターと呼ばれる丸いギターは音がかなり高めで、形はロシアのバラライカに似ている。昨年聞いたファドも伴奏はギターとポルトガルギターだけだったから、これが当たり前なのだろう。

 

公演は1時間で最後は観客全員立って大喝采。すぐマルシオさんに出演者の名前を書いてもらって、日本の演歌に似ていることを話したら、知っていると言われた。

 

夕方7時過ぎタヴィラの夜は日が暮れて何処も静か、ローマ橋から見る川縁はますますポルトガルを大好きにさせてくれる。

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2014年の越冬旅行ーフォンテ・サルガーダ(Fonte Salgada)

2015-02-02 17:31:52 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

 

 

1月末の暑い日、サイトから内陸へ向かって散歩に行った。フォンテ・サルガーダはキャンプサイトから2kmの盆地にあり道路の左側にはたわわに実ったオレンジとレモンの畑が延々と続く。今が収穫時でもあり大きな箱いっぱいのオレンジが積み上げられていたが、一体機械で収穫するものかそれとも人力によるものかが一切判らなかった。もし人手に頼るものならば収穫の手伝いに行ってみたいものだと思う。

   

昨年は野の花が咲き乱れていた広大な野原が綺麗に耕やかされていて、多分季節労働者らしい1団が皆しゃがんで何かを植えていた。日本ならさしずめ田植えみたいなものだ。

トラクターが土を起こしてゆく後ろは虫を食べるのか白鷺とかもめでいっぱいだった。

  

道端に満開のアーモンドの花はもう花びらが散り始めている。ジム仲間のステファニーが読んだ歴史の本によると、13-4世紀アラブの征服者に統治されていたイベリア半島(スペイン、ポルトガル)であるアラブの王子様と結婚したバイキングのお姫様は雪の降る北欧の冬を恋しがった。お姫様を愛していた王子は一計をめぐらしアラブからたくさんのアーモンドの木を取り寄せた。雪が降る様に花びらが散る様子で姫を慰めたという。

 

もう100年は経っていそうな割れたり穴が開いたりしている、木の根があちこちで目につく。

切り残った木の枝が何かの動物に似ていておかしい。あれはカンガルーかキリンか?

 

盆地から奥へ進むとゆるやかな山または丘に登ってゆく。高速道路が私達の行く手に直角に走っているから、高速道路のしたのトンネルをくぐって、未舗装の石ころ道へと登っていった。

周りは乾燥した岩山で低い灌木が生え3月には一面真っ白に咲くシスタスの花がそこかしこポツポツ咲き始めている。この花は英国では園芸種として5-6月に咲くがポルトガルでは全く野生植物で3,4月が最盛期だ。

  

こんな人里はなれた丘の上にも立派なお屋敷が建っていて、一体どんな人達が住んでいるものかと想像を掻き立てられる。一つの頂上に登り着くとまた向こうにもっと高い頂上がありそこにもまたお屋敷が・・・本当に人嫌いの人たちが多いのだろうか?

丘の上から盆地や海まで見渡せ、盆地の2箇所にアーモンド畑がピンクに広がっていた。

  

片道6kmも歩いたところから引き返し坂道の下りはやたらと早い。フォンテ・サルガダの道端にこんなに多くの郵便受けがあったが、そのあたりには2,3軒の家しか見えなかった。一軒の家の外壁に野生の紫の朝顔が咲いていて、真昼の太陽に照らされているにもかかわらずしぼんでいない。

  

道端に猛々しく生えている棕櫚や椰子の仲間の刺々しい葉の真ん中から伸びて花が終わった枯れ木?はこれぞウドの大木よりももっとUseless.

  b

暑い太陽の元、爽やかな英国の夏を想わせるポルトガルの1月だった。

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2014年の越冬旅行ータヴィラの1月

2015-02-01 17:33:16 | キャンピングヨーロッパ 2014-2015

 

 

今年のタヴィラの花々は昨年よりもずっと早く咲き始めた。1月中旬1週間ほど天気が崩れて、雨の朝が2日と曇り空に寒風が吹き荒れた日々があったが、全体に暖かくショーツと半袖で出歩く日が多かったため、すっかり日焼けしてしまった。

 

毎朝サイトのジムでラジオ体操やジムの機械で運動をしていると前のブログでも書いた。

昨年一緒に楽しんだフランス人のアニーは今年は見えない。エドモンドは昨年毎日ラジオ体操をしていたが、数年前にスキーで頸椎にけがをしたご主人がしっかり歩けるようになり、今では毎朝夫婦そろって遠くまで散歩に行っている。

今も昨年と同じに続けて体操しているのはオランダ人のジェラルド、マリアン夫妻で月、水、金の3日に決まっている。そこで今年は毎日やってくるのがイギリス人のステファニーとメアリーでいずれも私の年代、それにドイツ人一人にフランス人3-4人、彼らは英語が話せなくて会話ができないが楽しんでいる様子。

 

殆ど毎朝オレンジを積んだ車が警笛を鳴らしてキャンパーの周囲を巡り歩く。フランスのキャンプサイトではパン屋が焼きたてのパンを売りに来ていたものだけど、ここではオレンジ、ミカン、レモンの袋入りを売りに来る。私は魚市場の1か所のオレンジ店でいつも買ってくる。自転車で往復すれば20分ほど、ポルトガルで自転車に乗るのは英国で乗るよりもずっと安全な気がする。危険な鉄道線路の横断を自転車を押して渡るならば。

  

晴天のある日思い立って2年前まで越冬していたオルニャオのキャンプサイトへ行ってみることにした。そこには3年前に知り合ったダンカン・ロズ夫妻が今もキャンプしているし、ポルトガル人のパウロとオランダ人の奥さんイヴェリンが近くに家を借りてすんでいる。サイトから無人駅への道端も野の花が咲き乱れ、私の一番好きなバミューダ・バタカップが野原を黄色に染めている。

 

オルニャオの駅まで30分、駅の構内には珍しい真っ赤なボケの花が咲いていた。3年ぶりのオルニャオはたいして変化はなく青空をコウノトリが優雅に舞う。オルニャオにはたくさんのコウノトリのカップルが住んでいる。そして1月にこの激しい赤のグラジオラスが咲いている!!!

   

オルニャオのキャンプサイトは広大でキャンパーも何百台停まっているものか判らない。ただここは松林の中に作られているため日向が少なく、テレビのアンテナがいつも問題になる。広いサイトの中を歩き回り、二人とも手分けして歩いているうちに、ダンカンのほうが私たちを見つけてくれた。

キャンプサイトの情報からお互いの健康状態までおしゃべりは尽きないが、1時間ほどでパウロの家へ行き写真を撮らせてもらった。

  

ポルトガルの屋内は床が全部タイルで、リビングルームには一部にカーペットが敷いてあるのみ。夏は40度にもなるから暑さをしのぐためなのだろうが冬は寒いという。3ベッドルームにリビングルーム、キッチンで1か月400ユーロだという。でもガス電気代は別料金だから安くはない。彼らは4年契約で借りているから、暑い夏もここで過ごしているらしい。昔は家具の表装師だったパウロがオランダから持ってきた彼の作品を見せてくれた。

帰りの電車の時間もあり早々にパウロにも別れを告げて、オルニャオを後にした。道端のローズマリーの花が見事に咲いていた。

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