自然公園の観光案内所でもらった地図を頼りに昨日の川渕から上流へキャンパーを向ける。
この自然公園を流れる大河はポルトガルの首都リスボンへ流れ込むテージョ川の上流にあたり観光案内所近くで2手に別れた道の左手を行くと大きなダムに出会う。
このダムの対岸の荒々しい切り立った崖にも禿げ鷹が巣をつくり、上空では数十羽の禿げ鷹が舞っていた。
この地域はコルク樫の林で道端の草花もかわいい。ヘザーは白とピンクの花が今盛りと咲いているし高さ10cmくらいの野生の小さな水仙が下草の間に見え隠れする。
ロックローズの仲間でガム・シスタスと呼ばれるこの白い花は地中海沿岸の岩の多い荒地に生え、ポルトガル南部では今が盛りと咲いている。この自然公園では後2週間ほどですべての草薮が花いっぱいになるに違いない。
昔イタリアのカプリ島へ行った時、チェアリフトで山頂まで行ったが、その時山の斜面一面にこの白とピンクの花が咲いていた。あの時の情景は今でも忘れられない。私の前庭にはピンクの花の大きな株が植わっている。この花は咲いても一日しかもたない。
ダムの水辺には羽を乾かしている鵜が数羽居て動かない。人なれしているらしいブルーティッツが3メータくらい離れた柵に停まって写真のモデルになってくれた。まるで黒いベレー帽をかぶったような尾長も人なれしていて近くを飛び回っていた。
このダムからまた30分も上流に行ったところにも河の対岸に禿げ鷹の巣があった。なぜか禿げ鷹の巣のあるところは皆水辺に面した切り立った崖でそれらの岩が黄色になっている。これは禿げ鷹の糞かとも思ったが、岩コケなのかもしれない。
肉眼でも見える対岸の岩に停まった禿げ鷹が飛び立つまで連続撮影した。首の周りの白い羽が襟巻きのようでかわいい。
お昼近くに昨日のお城の下の駐車場へ行き、昼食にした。広い駐車場に観光バスが一台止まっている。自家用車はお城の中腹まで行けるがキャンパーやバスはこれ以上に駐車場が無い。そこでとにかく山上のお城を目指して急斜面の道路を歩いて登ってゆくことにした。この日はうす曇で風は冷たいがウインドヤッケで十分暑い位だった。
観光バス一台分の子供たちがお城の上で大騒ぎしている。その上を禿げ鷹が舞っていて、うるさいなーなんて思っているかもしれない。彼らの巣がお城の真下にあるから。
お城の上にたどり着いたときはすっかり汗をかいていた。そして上空から見えるテージョ側やコルクの森の連なりが素晴らしい。禿げ鷹が眼下にみえる。
散々写真とヴィデオを撮って満足してお城から下ったが翌日から3日は二人とも足の筋肉痛に悩まされた。
マルバオ(Marvao)のキャンピングプラッツはスペインの国境に近く、数十キロでスペインにたどり着いた。真っ直ぐ東へ向かうと昨年一週間も滞在したカセーレスへたどり着く。カセーレスの町へ入る最初の交差点の道路わきにコウノトリの団地のような巣を載せた柱が林立していて驚いた。とっさにカメラを構えて撮ったから周囲があまりわからないが、一体誰がこんなことを考えたものか?
カセーレスからカーナビをセットしてモンフラウェ(Monfrague)自然公園へ向かった。カーナビは地図にも出ていない田舎道を指し示し、近道らしいのが判って勇んで出発。初めは溶岩らしい岩の露出した牧場に牛や羊が放牧され平野を真っ直ぐ進んでいたが、50kmも行くとあたり一面コルク樫の林になり、谷間へ入ってゆく道路はジグザグで一番下に下りたところで対向車に大きなトラックが来てやっとすれ違った。
高い崖の上方にはヘザーの花が咲いているらしく全体がピンクに見える。遠くの山頂にお城が見えてきた。大きな河岸にたどり着くと道路わきの見晴台にキャンパーや自家用車が数台停車して沢山の人達が川向こうの荒々しい崖に向かってカメラを向けている。
もちろん私たちも急いで撮影開始。予想もしなかった道路わきで、こんなに沢山のはげたかの群れ、スペイン人のカメラマンは素晴らしい写真を撮って見せてくれ、案内の看板を指してあれはレナード禿げ鷹だと教えてくれた。
このモンフラウェ自然公園はヨーロッパ最大のはげたかの生息地で、他にワシ、ふくろう、黒コウノトリ、鵜などが生息している。
川向こうの岩やお城の下の崖に巣を作っているが肉眼では見えない。それで望遠を最大にして岩のあちこちを写しまくったら、中に数枚巣に座っている鳥が写っていた。時々頭の上をスーッと飛んでゆくが望遠を大きくすればするほど動いているものを捕らえるのはとっても難しい。300枚も写真を撮って雨が降ってきたのを機会にキャンプサイトへ向かった。
めまぐるしく天候の変わるこの日モンサラズを後にしてまた200km北方のマルバオ(Marvao)へむかった。雲が飛ぶように過ぎて明るいブドウ畑の道路わきにはポルトガルの主要産業であるワイン工場などがあったりする。
田舎の山道を走っているときに見つけた立派な建物の門にはホテル・サンタ パウロ尼僧院とあった。カソリックの強いこの国でも尼僧や僧院などははやらないと見える。以前は広大な土地を持って自給自足、それにワインなどを造って生活・修行していた修行僧や尼さんなどもなり手が無ければ身売りするしかないのだろう。
途中で何度も雨に降られ、マルバオの近くになって道路は雨上がりの急勾配の坂道になった。ここにも山頂に城砦と僧院があり途中にキャンパーが宿泊できる停車場(キャンピングプラッツ)が有る。
着いてすぐ急いで写真を撮ってまもなく激しい雨と強風で歩いて5分にあると言う城下町へ行くこともできない。
結局この夜はガスヒーターをつけて温まり、早々に寝てしまった。この日の走行距離は400kmだった。
3月10日、日曜日3ヶ月半も滞在したオルニャオのキャンプサイトをでて帰国の途についた。と言っても真っ直ぐ帰れば5日で帰国できるで有ろうスペイン、フランスの道中も立ち寄りたいところを計画していたので、初日はポルトガルで一番見晴らしが良く高所にあるキャンプ場・モンサラズ(Monsaraz)へ向かった。
道路も今まで通ったことの無いスペインの国境と平行に北上するN122を走る。3月に入ってからというもの今までのからりと晴れた日は無くて強風、寒風、にわか雨の日々が多かった。この日曜日もしかり、晴れたかと思うとにわか雨、天候不順の一日だった。
それにしてもポルトガルの3月はまさに春たけなわ、道端も色とりどりの花が咲き乱れ,コルク樫の林の下草は白いカーペットを広げたよう。
時々現れる町の山頂には中世の城砦が威容を誇り、観光案内所には書かれていないポルトガルの城砦が一体どれほどあるのだろうと思う。こんなお城めぐりも面白いかもしれない。
途中に工事途中で廃棄された高速道路の残骸に2箇所も出くわした。3年前に北ポルトガルから南下してきたとき、高速道路と国道、県道が平行に走っているところが多くて何と言う無駄をと思ったが、このあたりもまだ経済危機におちる前に工事着工したものの、昨今の緊縮財政で工事打ち切りになったものと思われる。
ブドウ畑や牧場の広がる平野をスペイン方面へ向かうと、遠くに小高い山の上のお城と教会の尖塔が見えてきた。山のすそを半周して頂上近くにキャンパー専用の駐車場がありここでは宿泊できる。この駐車場から見える風景が素晴らしい。これで晴天ならばここに一泊してもよいと思ったが、風が強く、にわか雨も降って来た。
キャンパーを停めて昼食にし、晴れ間に町の正門から散策に行った。石畳のきれいな町で、日曜日のせいか、それとも天気が悪いせいか、人通りが少ない。
町の中心通りには土産屋さんとレストラン、カフェなどが数軒あるだけ。城砦も誰も居なくて強風が冷たい。急いで写真を写してキャンパーに戻った。
この駐車場にはキャンパーが4台停まっていたが、まだ1時過ぎ、次のキャンプサイトを目指してモンサラッズを後にした。もう一度晴天の頃に是非来て見たい所だ。